一話③
「おつかれさまでーす」
街の番兵に挨拶をして、門をくぐる頃には日は暮れ薄暗くなっていた。街中に立っている魔石の街灯、その暖かな光で街中は照らし出されている。
往来が疎らになり始めた道を元気よく走っていく。一日中行動していたのにもかからず、とんでもない体力である。
組合の扉を開け放し飛び込む。朝方とは異なり組合の中は、やや閑散としていて侘しさを覚える。朝の喧騒を知っているので、その温度差だろう。とはいえ誰もいないわけではなく、本日の稼ぎを分け合っている一団や武勇伝を語る者、酒を持ち込んで駄弁っている連中もいる。
「あら、赤羽じゃない。今日のお帰りは遅いみたいだね、良い稼ぎだったのかい?」
露出の多い服装を身にまとった、獣人冒険者が素楽に絡む。同じ女冒険者ということで、時偶話しかけられたり、かけたりする間柄だ。
「色々あってねー、なんか鷲啼山、縞尾の方で野盗が出たみたいなんだよ」
「へぇ、仕事の匂いがする話じゃないか。鷲啼の方ねぇ…。先んじて移動しておくのも有りだね。いい情報をありがとう赤羽、お駄賃あげるよ」
雀の銅貨を渡した冒険者は、ひらひらと手を振って夕刻の街へと消えていった。
どうやら、彼女らの話に聞き耳を立てていた冒険者もいたようで、彼らも準備やら移動やらの計画を話し始める。賊の捕物、退治となれば大規模な依頼となる可能性があるのだ。
松野と呼ばれるこの地では、その手の仕事に戦力として冒険者らを雇うことが多い。とりわけこの手の依頼は美味しく、手柄を立てれば武功も得られる。逃す手はないのだ。
「面白い話だね、詳しく聞かせてくれるかな?」
受付で依頼品の納品や賊の報告をと考えているとタヌキ顔の老人が現れる。タヌキ顔、といってもタヌキに似た顔をしているのではなくタヌキの頭をした獣人だ。タヌキ頭というのが正しいだろうか。
腰部のあたりから太くまるっとした尻尾も垂れ下がっており、正真正銘のタヌキ系獣人だ。
さて、そんな彼は佐平玄鐘、この冒険者組合の組合長だ。所謂貴族なのだが、ややあって組合の長を務めている御仁だ。
カクカクシカジカ、と素楽は臆することもなく、組合長に本日の出来事を話す。どちらかといえば、親しげな雰囲気すら醸して出している。
「――と、お上に情報を回した方が良いかと思いまして、筆と紙をいただこうかと」
「そうだね、それがいい。…ふむ、書き終わったら最後に僕の名も印しておこう。彼らに早く届くだろうからね」
「助かります。それでは書き整えている間に、依頼品の鑑定を行ってもらってもよろしいでしょうか?」
腰袋から依頼品を取り出してみせると組合長は、職員を呼び寄せて依頼品を引き取らせる。
「鑑定よろしくね」
「かしこまりました」
壮年男性の職員が依頼品と控えの依頼紙を受け取ると、受付の奥へ引っ込んでいき鑑定を行うようだ。
質の悪い物品が納められた、ということになれば看板に泥を塗ることになる。故に職員の鑑定は真剣だ。時折、迷惑な依頼者が難癖を付けてくることもあるので、その予防でもある。
そんな鑑定の様子を横目に、素楽は城へと鷲啼山での出来事を簡潔にまとめて書き整える。
「問題ないね。…よし、それじゃこれは責任をもって僕の方で届けておくよ。…みんなが心配するだろうから、事が落ち着くまでは鷲啼山付近には近づかないようにね」
はーい、と間延びした返事をして微笑めば、彼は満足したようで顔を綻ばせながら便箋に蝋で封をする。その後、二人の連名で花押を印せば、組合長は手紙を手に奥へ消えてゆく。
「おまたせしました。すべての品に問題有りません。完璧なお仕事ですね赤羽さん」
「えへへ、どういたしまして」
「報酬の前に、一つお話なのですが。枝鹿花の蜜漬けの依頼、納品時に即日配達していただければ追加報酬をだすとのことで、いかがなさいますか?」
「いいよ、場所は?」
依頼受付用紙に記された住所を確認すれば、組合からはそう遠くない。少々寄り道をするだけで報酬を得られるならば、と快諾する。
「それでは依頼品と引き換えに受け取り印を貰ってきてください。報告は後日で構いませんので」
「りょーかい!」
「ふふ、それではこちらが報酬です」
職員が笑顔を零しながら、盆に乗せた硬貨を素楽へと差し出す。
銀貨五枚と大きな銅貨が三枚。銀貨にはフクロウが、銅貨にはモズが象られている。硬貨にはいくつか種類がある。上から透貨、金貨、銀貨、大銅貨、中銅貨、小銅貨だ。今朝方、支払ったスズメの銅貨は小で、この場にはないハトの銅貨が中、彼女の目の前にあるモズの銅貨は大で価値は一:五:十だ。
銀貨にはフクロウ、金貨にはワシ、透貨にはクジャクと鳥を象った硬貨となっている。
そんな硬貨だが、銀五枚となれば市井で十日とすこし分の稼ぎである。一日の稼ぎとしては、とんでもなく破格だといえよう。
そもそもの話なのだが素楽が請け負った仕事は、どれ一つとっても一日で熟せる仕事ではない。鷲啼山までは片道で一日掛かるような場所で、たのしい登山をしてまで採取してこなければならないような代物だ。本来は偶然持ち帰ってきていた物品を納品して、稼ぎにするような依頼であって、朝方受けて日帰りで三つも終えてくるのが異常なのだ。
とはいえ、あくまでそれは地を歩く種族での話、彼女は翼を持つ種族、その特権を際限なく生かしただけなのだ。もし仮に他の翼人族が里ではなく街で暮らしていたなら、採取依頼というのはもっと値が落ちていただろう。
職員から依頼品と依頼紙の控えを受け取って、素楽は受付を立つ。報告を終えて報酬を受け取れば長居は無用、依頼者が首を長くして納品を待っている。かもしれない。
―――
聞いた住所に辿り着き、小さな掌で扉をダンダンと叩く。
「こんばんはー!組合から配達にきましたー!」
依頼紙を見る限りは間違っていないのだが、依頼者が扉を開けることはない。考えられることとしては不在か、既に就寝しているかだ。眠るにしては少々早い時間帯であるので、前者であることが伺える。
(まさか居ないとは、組合まで持って帰らないと。…もう一度くらい声を掛けとこうかなー)
「組合からの納品依頼でーす。居ませんか―?」
再度、扉を叩きながら声を張ると、屋内から物を倒れるような物音が聞こえた後、走るような足音が響く。今度は人の倒れる音、どうやらそそっかしい人のようだ。
開け放たれた扉から姿を表したのは、足の先に蹄のある草食動物系の獣人だ。髪はボサボサで見るからに寝起きの風貌、どうやら後者であったようだ。
「いやはや、すみません。最近徹夜続きでしてね、配達ご苦労さまで、す?」
彼は目の前にいる小柄な少女に首を傾げる。冒険者にしては幼いようにも見えるのだからしょうがない。
「こちら、枝鹿花の蜜漬けですー。組合の鑑定を済ますが、検品をお願いしてもよろしいでしょうか?」
腰袋から取り出された容器を見て、依頼者は驚いた表情を見せる。当然だろう、なんせ彼がこの依頼を出したのは、昨日の夕刻だ。まさかのまさか、花だけでも万々歳の代物が、依頼の翌日に最高の状態で届けられたのだから、驚かないわけがない。
受け取った容器を開け、内容物を検める。枝鹿木の蜜は、甘くとろけるような匂いに加えて、酒精のような匂いもある。スンスンと鼻を鳴らせば、十分わかりえる代物だ。
そして、容器の底には枝鹿花が沈んでおり、間違いなく枝鹿花の蜜漬けだ。彼の求めていた完璧な代物である。
「これはすごい、問題ありませんね。しかし、よくもまあこんな物を持ってましたね。花の状態は新鮮そうに見えますし、最近採取したものですか?」
「はい。今日採ってきた採れたて新鮮、最速便ですよー」
朗らかに笑いながら報告するのだが、依頼者は納得に時間を要した。素楽の姿を一度確認して、ようやく腑に落ちた。
「なるほど。たしか……冒険者の赤羽さん、でしたっけ?」
「そうです。赤羽って呼ばれています」
「ふふ、僕は運が良かったようですね。赤羽さんといえば、指名依頼が半ば受付停止していることで有名ですからね」
「あー、そうですねー。色々あったんで」
素楽はバツの悪そうな表情で頬を掻く。
色々、というのは彼女が頭角を現し始めた頃に、組合と依頼者の間で悶着があったのだ。なかなかに高度な植物に対する知識に、広い行動範囲、そして迅速丁寧な仕事ぶりから、指名の依頼が殺到したことがある。
最初の頃は問題なかったのだが、噂が広がれば依頼の量も増える。目ざとい商人などは、商機だと数々依頼を指名しようとして、商人同士で争いを始める始末。ならば仕方ないと、特例で指名を禁止されたのである。
指名料を跳ね上げる、という話も職員内で上がったのだが、組合長が一蹴し禁止となった。彼曰く「素楽くん前提の依頼など高額で受け続けていては、後々困るのは組合だからね」とのことだ。ごもっともだ。
「それじゃ、受け取り印をココに」
本日最後の仕事はこれにて終了。配達料、という名の追加報酬を得た彼女は、ほくほくとした表情で街なかへと消えてゆく。
―――
ぐう、と腹の虫が駄々をこねる。お日様は既に姿を消した時の頃、星々が地を見下ろしている。
素楽が歩いている場所には、食事処や酒場、屋台などが客を引き入れて賑わっている。飯時の盛り場だ。
食欲を唆り、鼻孔を擽る匂いを嗅ぎ続ければ、腹の虫が騒ぎ立てるのも道理である。
(あれって)
一つの食事処、いや酒場に見慣れた顔ぶれが、酒の杯を呷っている姿を視線に捉える。彼らがいるのならば、と素楽は一つの食事処に足を向ける。
カランカラン。酒場の扉を開け放って踏み入れば、鼻をくすぐるのは焦がした醤油の匂い。空腹には堪える匂いである。
「いらっしゃーい、好きな所に座って頂戴な!多分探せばどっか空いてるからさ!」
店員と思われる女性の声が響く。空いている、などと言っているものの店内は確実に満員だ。本来であれば、外で待つなり店を変えるなりするのだが、今回は知り合いがいるので隙間を縫うようにして目的の卓まで進む。
「やあやあ、出来上がってるねー」
朝方に見かけた、いや追突した髭面の大男、名は長命。そして彼の率いる傭兵団の一団だ。長命を含めて八人組の傭兵団で、松野の冒険者で知らぬものはいないほどだ。
傭兵団、といっても冒険者だ。彼らは主に商隊の護衛や城から下りてくる戎事依頼を稼ぎのタネにして生計を立てている。戎事の内容としては村々から上がってきた魔物の討伐、祭事の警備、街内外の警邏など様々だ。
「おお、赤羽じゃねえか!おめえら。ちとズレろ席を空けてやれ」
「赤羽じゃねーか」「メシを一緒するなんていつぶりだ?」「今日も稼いできたか?」
酒精が回り赤い顔をした男衆は、ご機嫌な様子で彼女を向かえ入れる。
「助かるよー。すっごい大盛況だね、ココ」
「この店のメシは美味いからな!オレの勧めは…焼き飯と鶏の素揚げだな」
「へぇ、そじゃオススメに従おうかな。焼き飯と素揚げ一皿ずつ注文でー!」
慌ただしく料理を運んでいる店員は、遠くで返答をしてる。あいよー、と。
「最近は採取依頼が多くてご無沙汰だったねー」
料理を待つ間、酔っぱらいたちと歓談をしていると、素楽が組合に来た当初の話へと移っていく。
昨年の春の初めに組合に現れたのが始まりである。最初こそ「チビちゃんが何遊びに来たんだ?」などと冷やかされていたのだ。受付で困り顔を見せる職員などなんのその、組合長はそそくさと対応して冒険者にしてしまったのだがから居合わせた冒険者が驚きを見せた。
何かしらのワケアリだと、遠巻きに接する冒険者を横目に、冒険者のいろはを教えてみせたのが彼ら傭兵団である。植物の知識やなんかは既に持っていたうえ、傭兵団がその手の依頼を受けることはない。故に教えたことは依頼者と顔を合わせる場合の対応の仕方、明らかに地雷ととれる依頼の見分け方、魔物の撒き方等々。
「世の中わかんねえもんだよなあ。一年経たずに、秋には四格にまで上がって通り名で呼ばれるようになるんだからよ。すぐに来なくなるのに賭けてた連中なんて、相当悔しがってたぜ」
「あん時は儲けさせてもらいましたよ。とはいえここまでったあ、思ってはいませんでしたがね」
「昔の話をされるのは、ちょっと恥ずかしいなー」
自分の拙い頃の話を、他人が話す時ほど恥ずかしいことはない。彼女のその例に漏れず、頬を紅潮させて頬を掻いている。
「なんだいなんだい、傭兵団が可愛い嬢ちゃんいじめてるのかい?落ちたもんだねえ。おまたせ、焼き飯と素揚げさ」
盆に料理を乗せた店員が現れて、冗談めいた態度で傭兵らを笑う。素楽の目の前に並べられた焼き飯は、具だくさんで美味しそうに湯気を立てている。鶏の素揚げは食べごたえのありそうな大きさで、ジュウジュウと音を立てている。
「いただきまーす!」
焼き飯と素揚げを食み、大盛況の理由に納得がいったようだ。
「美味えだろ、この店は俺達んイチオシだからな!」
長命は髭に酒の泡を付けながら、この店を自慢する。コクコクと頷き肯定しながら、素楽は食べ進める。そんな姿に気を良くしたのだろう豪快に哄笑する。
「持ち帰り用の素揚げと酒追加だ」
「あいよー、あんまり酔っ払って帰ると奥さんにケツ叩かれるよ」
「そのための素揚げよ」
傭兵たちの談笑に耳を傾けながら、素楽は黙々と食事をするのであった。
―――
「ごちそうさまー!また来るねー!」
食卓に大銅貨一枚を置き店を出て振り返れば、女店員がまたいらっしゃいと素楽に手を振っている。時を同じくして傭兵たちも帰路へつくようで、店を出ていた。
「ちゃんと寄り道しねえで、まっすぐ家に買えるんだぞ赤羽ぇ。おっとっと」「もう真っ暗ですからねぇ。おっとあぶねぇ、長命により掛かられたら俺ぁ潰れちまいますぜ」「変な人に付いてっちゃだめですよ、うげっ気ぃ付けてくださいよ団長!」
赤い顔をし蹌踉めいている傭兵たちは、楽しそうに素楽に言いつける。むしろ、この男たちの方が寝床に帰れるかどうかが不安である。
「皆もちゃんと帰ってね、道の真ん中で寝ちゃダメだよ!」
あたぼうよ!などと言っているが、早朝の街角で横たわる傭兵らをみたことのある素楽は訝しむのだが、酔っぱらいに何を言っても無駄だろう。
別れを告げて夜道に踏み出す。素楽の住む家はこの場からそう遠くない場所にある。寸刻の間を街頭に照らされ、夜街の喧騒を聞きている内に共同住宅へ辿り着いていた。
綺麗な外装をして共同住宅で、新築と言っても疑われないだろう。築七年なので、新築とはいえないながらも新しい物件であることには、そう変わりない。大通りから近い利便性の良い住宅で、家賃が高いことが伺える。
玄関の扉を抜ければ、よく清掃の行き届いた共同空間が広がっている。壁には小洒落た絵画や新鮮な花が花瓶に生けられており、冒険者の暮らす住宅には不釣り合いな洒落っ気がある。
郵便受けを確認する、いくつかの手紙類が入っているもののこれといって重要なものはない。住居者の連絡用に掲示板も同様で、いつもどおりなのだろうと素楽は足早に階段を登っていく。
三階建ての最上階、そこ丸々一階層が彼女の住居である。
「ただいまー」
暗い部屋には彼女の声だけが響く、一人で暮らしているので返答がないのは当然だろう。
魔石のランプに手をかざすと、柔らかな光を放つ。その明かりを頼りに寝室に向かい寝台に倒れ込む。
(花蜜の匂いが付いてるから、湯浴びしなくちゃ。というかそろそろ部屋の片付けをしなくちゃなー)
居間、寝室といった生活空間には、彼女の衣服が机や椅子に脱ぎ捨てられている。特に浴場は酷いものだ。それに加えて、床には本を積み上げた塔がいくつも出来上がっている。少々、いや大分散らかった部屋だ。
(そろそろ片付け頼んだほうがいいかな。…たまには自分でやるかなー。……湯浴び湯浴び)
倒れ込んだままでは意識が宵闇に囚われてしまう、と起き上がって浴室へと向かう。こびり付いた蜜を洗い落とし髪の手入れを行う。
湯浴びを終えると、寝間着をまとい、寝台に横たわり肌触りの良い掛布に包まる。
(…明日は片付けと、服を洗濯屋に持ってこう。鷲啼山が危なそうだし、明日明後日くらいは休みにしてもいいかも。ここ最近は働き詰めだったし)
翌日の予定を考えながら横になっていれば、次第に意識は薄らいでゆく。月明かりと魔石のランプに照らされた彼女は、すぅすぅと気持ちの好さそうな寝息を立てるのであった。
―――
そろそろ冒険者も訪れなくなる時間帯、そんな時に一人の翼人が組合の扉を開く。
「すみません。こちらが冒険者組合でよろしいでしょうか?」
「は、はい!よろしいでしゅ…です!」
縞模様の尾羽を持つ翼人、シャクナゲだ。そして噛んだ職員は言うまでもなく新人職員だ。
カクカクシカジカと翼人は賊の襲撃があったことを報告する。
「そ、その件でしたら既に我が方の冒険者から報告を受けております!く、組合長が城に情報を回していますのでっ!」
「あら、そうなんですね、情報が早くて驚きました」
瞳をパチクリと瞬かせ翼人は驚く。素楽が冒険者だとは微塵も思っていないので仕方がないのだが。
「情報は早さが命、ですからね。…一応、翼人さんの方からも城に報告してもらえると、信憑性があがると思います。きょ、今日は遅いので明日にでも!」
「はい、わかりました。親切にありがとうございます。それでは、おやすみなさいませ」
「はは、はい、おやすみなさいませっ!」
軽く微笑んで門戸をくぐった翼人は、ふと宿の場所がわからないなと思い至る。この街にくるのは数年ぶりである。
「あのー、この辺りにおすすめの宿屋などはありますか?翼人が泊まれる場所だと助かるのですが…」
「はひっ!?」
出ていったと思った翼人が、再度現れて職員は心臓が飛び出るかと思うほどに驚くのであった。
―――
時はほんのりと遡って、場所は松野の街に聳える城。この城は松野を治める領主の城である。
桧井国の松野領、領都たる松野の街に建つ城ということで松野城、もしくは領主家である長束家から長束城と呼ばれてもいる城の一角。領主の仕事場こと、執務室に書簡が届けられる。
「佐平翁からか、素楽の花押も印されているのか」
赤みがかった黒髪、やんちゃそうな目つきに栗色の瞳を持った純人の男は、何か仕掛けでも無いかと角度を変えるなどして書簡を観察している。
彼はこの領地の領主、長束文虎。年齢は二九歳と他所の領主と比べると若々しいといえる男だ。前領主に押し付けられる形で数年前に領主の座についたのだが、本人の優秀さと部下に恵まれて領主業は滞りなく熟している。いや、たまに滞っているか。
「…いつまで遊んでいるつもりだ?素楽と佐平翁の連名なら組合の事柄だろう、内容には察しが付くが」
猛禽類のような鋭い目つきで、鳶色の瞳をした同じく純人の男が諌める。黒髪であったことが伺える白髪交じりの頭をしたこの男は、香月宗雪。領主の補佐で香月家の現当主だ。年齢は四六歳とのこと。
「…この筆跡は素楽か、珍しい。あー、やっぱり野盗団の情報か。チッ、嫌な予感ほどよく当たるものだな、狙いは鷲啼の鷲獅子のようだ」
「なら後で糸を引いているのは、北の木っ端貴族共か。ここしばらく大人しくしていたかと思えば」
宗雪は眉間に皺を寄せながら大きくため息を吐き出す。
「天夏祭が控えているから、だろうな。なにかしら叩く口実がほしいんだろうよ。見るか?最低限の内容しか書いてないが」
ああ、と肯定しながら宗雪は書簡を受け取り、文字を撫でるようにして目を通し、僅かだけ口角を上げる。
「近況報告の手紙とか来ないのか?…書くわけもないか、同じ街にいるから会おうと思えばすぐに会えるしな」
「…誰に似たのか、とんでもない筆不精でな。天夏には一旦戻すつもりだ、今年は騎射会に出てもらわねばアレらも煩い」
隠していることでもないのだが、素楽の本名は香月素楽。この宗雪の娘である。
松野の一番の貴族といえば長束であるが、二番手はと問われれば誰しもが香月と答える程の名家。その息女が何故に市井で冒険者業に勤しんでいるかといえば、彼女が一昔前に流行った冒険者噺に憧れて我儘をいったからである。
最初は猛反対だった宗雪も、父さんなんて大っ嫌い、などと愛娘にいわれてしまえば折れる他ないもので。傾きかけていた組合を融資という形で買収し、頭には引退して長閑な隠居生活を始めていた玄鐘を引っ張りだして据えたのだ。
当時の組合はといえば、ならず者一歩手前くらいの連中が屯する碌でもない場所であったのだが。玄鐘の活躍によって冒険者制度や依頼料、報酬金など大規模な見直しが行われ、城から一部の仕事を回すことによって組合を立て直し、事実上領営組織となっていった。
前領主も宗雪の親馬鹿っぷりに大爆笑していたのだが、戎事においてはかゆいところに手が届くと感心をすることになった。
しかしながら、非常に有用性の高い彼女をいつまでも冒険者などにしておくのは、流石に無理というもので松野騎士の登用試験を受かってから一八歳になるまでを、時限ということにした。
登用試験が受けれるようになるのは、成人となる一五歳から。素楽は一五になった初年に一発で合格し、文虎の側近として召し抱えられる事になった。
そんなこんなで今に至るわけだ。
「次に被害が出るとすれば、上川か小鳥の村のどちらかだな。石堂隊を染田の街に派遣しておくか」
「商隊や村の被害から規模の大きい野盗団だ。松野と染田の両方で傭兵を集めたほうがいい」
「そうだな。……祭りで金が入用だというのに、純人至上主義の馬鹿貴族どもめ。…素楽に武功を積ませておきたいと思うのだが、呼び戻してもいいか?」
文虎の最後の一言に宗雪が睨む。
「…そう睨まないでくれ。素楽にも縞尾との間に縁が出来たようだから、連絡役として欲しいんだ。偵察なんかは頼むだろうが、陣頭に立てなんて言うつもりはないさ。石堂の下につけるなら問題ないだろう?」
「駄目だ、とは言ってないだろう」
あくまで嫌そうな表情は崩さないのだが、本心では納得しているようだ。
文虎がため息を吐き出すと、執務室の扉が開かれる。
「えーと、何かあった?」