三話③
気温が下がり始め秋へと向かう晩夏の一歩前、この時期は茶蔵は雨季となる。
折角の休みだと白臼山の周囲を探索しようと考えていた素楽の予定は、日が上る前から降り始めた雨によって潰されてしまった。膝の上で眠るくしゃみを触りながら、雨に濡れる庭園を眺めている。ぐわぐわと聞こえるのは蛙の声か。
猫の姿をしている故、必要以上に構わなかったのだが、図太いのか猫とは違うのかいくら触ろうと怒らないため、鱗の付いた手でくしゃみをこねる。気持ちいい部分があるのか、時々、あふん、と声を上げる。
「こんにちは、素楽。それと長靴もいたのか」
現れたのは翔吾で、長靴とはくしゃみのことだ。
「こんにちは、翔吾様。おしごとやすみです?」
「あぁ。はたらくじかんがながい、からだにわるいって直之に、おこられてしまってね」
「からだ、たいせつです」
「ふふ、そうだね。素楽もやすみかい?」
「はい、しろうすやま、いく、むりです。あめがふる」
「なるほど。となりにすわる、いいかい?」
「どうぞ」
他にも長椅子はあるが、同じ場所で二人は雨の庭園を眺める。言葉のない二人だけの時間には、雨音と何かの鳴き声のみ。
ふと翔吾の腕に素楽の頭が当てられる。小さく驚いた彼は、そっと隣の様子をみれば寝息を立てる翼人が一人、無防備な寝顔を晒している。
普段見せる表情とは異なるあどけなさの残る寝顔だ。素楽は素楽なりに、茶蔵の地で気を張って過ごしているのだ。
(慣れない土地だ、疲労も溜まっているんだろうね。故郷とは言わずとも、ここが心安らげる場所になれればいいのだけど…)
起こさぬように、そーっと頭を撫でれば締まりの無い笑みを浮かべる。
(これじゃ風邪を引いてしまうね、少し勿体ない気がするけど仕方ない)
「おきて素楽、ねるのなら、しんしつでねないと」
体を揺さぶってみれば、薄っすらと目蓋を持ち上げる。
「『寝てた…、なんか、最近眠くってねー』……ん?あっ…翔吾さま、ごめんなさい」
「おはよう。さいきんはすずしい、ねるのはしんしつでね」
「はい。すこしねる、すっきりです」
「そうかい。それじゃあ、いっしょにばんじょうゆうぎでも、してみないかい」
「なにです?ばんじょうゆうぎ」
「いたのうえ、ふたつのいろのいしを、ならべるんだよ」
「やるです」
歓談室で机を挟み向かい合う二人。簡単な遊び方の教授を終えて、実践の時間だ。ニ色の石を交互に置き自陣を広げ、敵陣を潰していく盤上遊戯。
似たようなものを遊んだ経験があったため、なんとなくで理解し打っていく。打てる場所打てない場所があるらしく、一手一手を翔吾に尋ねながらの進行だ。
椅子を立ち俯瞰するように盤面を眺めながらの長考。素楽の見立てでは微不利、膠着状態でもないためひっくり返すだけの時間があると考えた。
実際その分析は正しく、彼女が逆転劇を楽しめるように、翔吾が手加減をしている状況だ。初心者相手に本気を出すような大人気ない王弟ではない。
座り直して石を打つ。
パチッと盤と石の奏でる音の心地よさは、盤上遊戯の醍醐味といえよう。
「ここ」
「うてるばしょだよ」
(ただ、惜しいね)
最善手よりもいくらか劣る手。初心者に先を読むことを望むのは酷といえるが、筋が悪くないがために期待をしてしまうというもの。
(手を抜きすぎて中弛みしてもよくないな)
返しの一手で素楽の盤面は困窮することになった。一目でわかる圧倒的な不利、ひっくり返そうと足掻く間に詰められる状況だ。
投了するのも選択肢ではあるが、どうせならと最後まで踏ん張り、綺麗に惨敗したのであった。
「あそぶ」
再戦希望ということだろう。楽しさを理解してもらえたようで何より、と石を片付けて再度打ち始める。
この後、翔吾は時三つ程付き合わされることになるのだが、本人が知る由もなく、真面目に盤面を見つめる素楽を微笑ましく眺めていた。
―――
気晴らしに飛び回ることもできない雨季。勉強の合間合間が暇な素楽へ魔法師から、翼と魔導具の調査協力依頼が来る。もちろん、翔吾の許可は取り付けて、だ。
翼に関しては快諾し、魔導具に関しては許可を出し渋る。精密細工であるため、下手に触られて使用出来なくなっては困るからだ。彩鱗の地では魔石魔法が普及していないため、修理もままならないので快い返事が出せないでいる。
私室として割り当てられている部屋の机に、魔導具魔石類を並べて腕を組む。
(ただ見るだけで終わりです、なんてこと有り得ないだろうしなー。一つあげるくらいの感覚の方がいいんだろうね、一個くらいならいいか)
手元にあるのは魔導銃雷目式、小型魔導銃、礫の足飾り、光石二つ、防寒の魔石一つ、簡易結界の魔石一つ、魔導銃の消耗用魔石九つ。
(この中だと足飾りかなー。最近は靴もどき付けてるから、足に合わなくなっちゃったし。それに飛んでると狙った所に当たらないんだよね。作った徹兄ちゃんには悪いけど、足飾りは手放しちゃおう)
魔道具類を片付けていると奈那子が現れた。
「散らかしてどうしたんスか?なにか探しものでも」
「これ、まほうしにわたす、おもった」
「ふぅん、大事なものじゃないんスか、それ。いつもしっかり手入れしているッスよね」
手に乗せた足飾りを撫でながら奈那子へと瞳を向ける。良く見てるな、と。
「だいじ、でも、おんうる。けんきゅーすすむ、わたしの、ちからになる、かも」
「素楽様がそれでいいなら否定はしないッスけど、結構勘定ずくなんですね」
「かんじょうずく?」
「うーん…説明難しいッスね。こう…いいこと、つかうお金を、比べる的な?」
「…?」
両手を天秤に身振り手振りを行うが、理解は得られなかったようだ。
「今は難しいッスね」
「そうッス」
「それ他の人見てる時使っちゃダメッスよ。あたし怒られるんで」
「ふふ、りょーかい」
―――
「こんにちは」
「こんにちは、素楽さん。いやはや、汚い所で申し訳ない、我々も片付けをしたのですがね、ははは」
謝罪はしているが悪びれるようすのない女性が茶蔵魔法師の長、菅佐原晴子だ。翔吾の腹心、直之の妻である。中央でも名のしれた魔法師で、連れてくるのに多大な引き止めがあったとかなんとか。
彼女が茶蔵にくると同時に、元々長をしていた老年の魔法師が引退し、功績と実力から魔法部の長に据えられることになった。
「これ、わたすです。けんきゅーつかう、いい」
「はて?」
足りない言葉に慣れていない晴子は、困惑した様子でともえへと視線を移す。
「あんたたちへの贈り物みたいだよ。研究の資料としてのね」
「恩を売るから、成果があったら欲しいって言ってたッスよ。物品的な後援者ってこと」
ともえと奈那子が代弁をする。
「なるほどっ!それではありがたく受け取りましょう!外つ国の魔法、その神秘に触れることが出来るとはっ!はっはっは、感謝以外の言葉が出ませんね!!」
「うるせー研究馬鹿ッスね、ホント…。それ、返す必要はないと思うけど、素楽様の大切なもんなんで下手に扱うんじゃないッスよ」
辟易とした表情と態度で、釘を差すのは奈那子。なにか縁があるのか、心底面倒そうにしている。
「スッスがそうもいうとはね、念頭に置いておくよ。さて、ではでは素楽さんの羽根を見せていただきたい」
スッスと呼ばれて小さく舌打ちしている。どうやら嫌な渾名のようだ。
「ここ、たいへんになるです。ちいさい」
「…狭いということかな、ならば少し移動しようか」
資料や書物、杖などの散乱した研究室から移動して、広間といっていい部屋に移動する。ところどころに焦げ跡や破損跡、汚れなどが見えることから大規模な実験室なのだろう。
瞳を輝かせる晴子と魔法師ら。飛翔の魔法といえるものはなく、新たな魔法の頁を埋められるのではないかと、野心を燃やしている。
「すこし、はなれる」
何か特別な事をするでもなく、両の腕と腰部には朱い羽が現れる。
これらは細かく動かすことができ、飛翔中にはほぼ無意識に行っている。意識せずとも歩ける感覚だ。種族的なものなのだろう、物心つく頃には意識せずとも動かせ、飛ぶことにも苦労したことのない。
ただ、風切羽を動かすと指も連動して動いてしまうようだ。母の鈴も同じく動いていたので、構造的なものか遺伝であろう。
尾羽を大きく開いて見せれば、小さな歓声があがる。
「ほう、これは…、純粋な魔力のみで作られているのか。てっきり魔石を使うのかと思っていたのだけども、当てが外れたね。この羽根に痛覚は通っているのかな?」
「触ったのわかるッス?」
首を左右に振って否定する。
「それじゃあこれは」
羽根を曲げた所であくまで魔力の塊、痛みはおろか感覚すらない。ケロリとしてみせていることから、本当に痛覚が通っていないと納得する。
「奈那子、たんけん、つかう」
預けていた短剣を受け取り、思いっきり翼を切り裂けば、羽根は腕から離れ霧散し魔力へと還る。その後、再び翼を展開すれば、元通りの姿になっている。
「ほほう、これは興味深いっ!然し、然しだよ素楽さん。君は白烏、ではないかもしれないけど、それに近く見える存在だ。今みたいなことを他所ですると、信心深い人たちに怒られてしまうから今後はやってはいけないよ」
「素楽様、さっきのはダメッス。あたしでも心臓が、止まるかと思ったんス。お婆様見て下さい、おどろいて動かなくなっちゃったスよ。お婆様ー、生きてますかねー?」
目の前で手をブンブンを動かして見せれば、気を取り戻したようだ。
「ごめんなさい…」
研究のため良かれと思ってやった事が裏目に出て、しゅんと落ち込み、彩鱗の宗教観を軽視ししていたことを悔やむ。
素楽からすれば爪を削るか髪を切る感覚なのだが、白烏を縁起物として担ぐ彩鱗からするととんでもない罰当たりな行いだ。
(よく考えればわかることだったに失敗しちゃったなー…。屋敷を泥で汚されるようなものなんだ)
「ごめんなさい」
自信の感覚に置き換えてみれば、よくよく納得がいくもので平に謝る。
「あんまり老婆を驚かさないでくんな。誰にだって失敗はあるんだ、今回は皆の心に仕舞っておくから、同じことはしちゃあダメだよ」
「はい…」
「よろしい」
日頃の口調とは異なり優しく諭すような口調のともえは、そっと素楽を抱き頭を撫でる。幼子をあやすように。
齢十六、いやもう十七歳になっている筈の素楽からすると、少々恥ずかしいながらも落ち着きもしたのであった。
―――
お次は晴子と女性医官を中心とした女性陣による、身体の調査となる。
魔法には直接関係ないのだが、小さな積み重ねが大事とのこと。単なる興味本位とも。
医官らが興味深く羽毛に覆われた腕や、鱗で覆われた手脚を調べ回る。腕を触ったときにポロポロと羽毛が抜け落ちたため、その場が凍りついたのだが換羽期ということを説明すると胸を撫で下ろす。
「換毛期みたいなのあるんスね。靴下ちゃんみたいにもこもこになるんス?」
「ならない、いちねんいちかい」
「あー、年一なんスね」
鱗の表面も剥がれ落ちるのだが、こちらは竜人にも理解があるようで、絶賛脱皮中の尾を見せてもらう。然し竜人の脱皮と翼人の鱗皮では、仔細が異なるようで興味深く観察している。
この羽毛と鱗皮は医官らが有難そうに回収していったのだが、自身の一部をさぞ有難そうに集める様子は、なにかしら思うことがあったとかなんとか。
(………)
腕と鱗とくれば、残すは足だろう。後ろに一本、前に三本の趾は非常に目を引くものだ。
器用さや構造、大きな爪に目が行きがちなのだが、特筆すべき点は握力にある。羽ばたく力は勿論ながら、自身より重い人間を趾で掴み、空中まで運ぶことができるのは握力による技といえる。
掴むのに丁度よい径をした支柱を用意したところ、足のみで自身の体躯を持ち上げており、
流石に医官だけでなく晴子やともえ、奈那子までもが舌を巻く姿を見ることができた。
「すごいッスねー。これ支柱を横にすれば、蝙蝠みたいになるッスね」
「やる?」
「余計なこと言うんじゃないよ、那奈子」
蝙蝠ごっこはすることなく、身体の調査は終わったのであった。




