三話②
夏の盛りも終えて徐々に気温も下がり始めた、今日この頃。
勉強が生活の一部となっている素楽は、筆を走らせ耳を傾ける。勤勉な姿勢というのは教える側からも心地がいいもので、ともえを中心とした教師たちは快く彩鱗言葉を教える。彼女自身が教師の経験がある、というのもあるのだろう。
足りない言葉を駆使して、不明な部分に質問を投げかけ学びを積んでいく。
そんな中、部屋に侵入してきたのは一匹の猫。全体的に白い長毛で足先は靴下を履いているかのように黒く、二本の尻尾が生えている。
屋住み、という屋敷や城に住み着く魔物で、茶蔵城に古くから存在しているとのこと。古くから悪疫を払うとされており、姿を見かけたら食事を与えて居着いてもらうのが良しとされている。
名前は皆が好きなように呼ぶため、固有の名前を持っていない。ある人は長靴、ある人は靴下ちゃんと様々だ。
「こんにちは、くしゃみ」
くしゃみ、というのは素楽が呼ぶ名。初めて会ったときにくしゃみをしていたからだ。どことなく縁起の悪そうな気がしなくもない名であるが。
そんなくしゃみは、なーご、と一つ鳴き、机に飛び乗れば素楽の腕を枕に目蓋を閉じる。体温と羽毛が丁度良いのか、しばしばこうして寝具にされている。一応のこと気を使ってくれているのか、筆を持ってない空いた腕を寝具とする。
案外のこと慣れるもので、誰しもが気にせず勉強を再開するのだから面白いものだ。余程大きな声を出さない限り、我関せずで図太く鼻提灯を膨らませるのだから、しょうがない。
絵と文字の書かれた紙とにらめっこしつつ、声に出しながら書き記していく。序とばかりに桧井言葉も書き添えて。
「ホントに素楽様は勉強を好きッスね。あたしなら瞬きし終わる前に飽きちゃいますよ」
文字を見るのも嫌と言わんばかりの表情は、勉強嫌いの証左だろう。赤髪を揺らす奈那子は、べぇっと舌を出す。
「…しらないをしる、たのしい。せいしんがおどる、です」
「精神じゃなくて、心ッスよ」
「せいしん、こころ、ちがいなにです?」
「んー…。同じなんスけど、言い方ですかね。心が躍る、のが柔らかいッス」
なるほど、納得して書き込んでいく。こういった表現は桧井にもあるため、ストンと入り込む。
「ありがとうございます、奈那子」
「どういたしまして」
わざとらしく大振りな挨拶をして茶化す。奈那子がこういう動きをするときは、大体が照れ隠しなので微笑まし思いながら勉強を再開した。
「素楽殿はおられますか」
軽く叩かれた扉の向こうから男の声が響く。
「はいはい、ちょっと待つッスよ」
扉を開ければ見ず知らずの男。
「はじめまして、私は祭事部に属する者です。実は素楽殿にお仕事を頼みたく参ったのですが、お話をする時間はありますか?」
「一応確認するんスけど、殿下の許可はあるんスか?」
「はい、元々は殿下と茶蔵祭務長の間で進められた件とのことで」
「なるほど。素楽様、まだまだ言葉が不自由なんで、あたしも同席するけどいいッスかね」
「是非、よろしくお願いします」
半分かそれ以下の話しか入ってきていないので、首を傾げながら奈那子へと向いた。
「んー、儀式、祭りどっちも難しいッスね。この人、素楽様にお仕事を、頼みに来たッス」
「わかりました、です。おしごと、なに?」
会話の様子から、幼子と話すような口調にしたほうがいいと察した祭務官は考える。
「そうですね。…杵島様、茶蔵に家を作る。素楽殿には、準備の手伝いしてもらいたい。簡単です。白烏に似た服、着る。地面に枝を立てる。終わり」
「わかりましたです」
なるべく簡単な言葉を選び、細かく区切ったお陰もあって、すんなりと理解できたの快諾する。想像できる内容からも、難しさは感じ得ない。
「築屋の式ッスか、適任ッスね」
「えぇ、最高の人材だと、祭務長は仰ってました。素楽殿、お仕事をして、嫌でなければ、次より先も、お願いしたい。考えてくれると、嬉しいです」
「かんがえます」
「ふふっ、ありがとうございます。日時は追って連絡しますので」
相好を崩した祭務官は、小さく手を振り帰っていった。
―――
「角がないのを考慮してなかったッスね…」
「そうだね…」
築屋の式へ向かうため、礼装に召し替えていた素楽だが、ともえたちは頭を抱えていた。種族的に角が生えてないので、角飾りを着けることが出来ないからである。
「付け角なんてあったかねぇ」
「今回は|覆い布でなんとかするしかないッスね」
仕方ない、と妥協案を進めていれば、使用人の一人が特注の靴を持ち込む。いや、靴というよりも足飾りだ。
素楽の足に合わせた靴を作ろうと職人を呼んだことがあったのだが、構造が違いすぎてお手上げ状態になってしまったのだ。何人かの職人が試しに作ったものも、いざ履かせてみれば本人の表情は芳しくない。千鳥足になってフラフラとしていたのだから、その場の全員が諦めた程だ。
最終的には足首から脛の半ば辺りまでを、革で覆い靴紐を通すことで靴を模すことになった。せめて見栄えを良くしようと、装飾が多めになっている。
前途多難な召し替え騒動は、あれやこれやと式の直前まで収まることはなかったのであった。
築屋の式というのは、建国へ導いた白烏に所以する祭事である。
創世の龍によって産み落とされた龍の子、その末子は竜人であり天の位では長く生きられないと、地上に降ろされたことから竜人史が始まるのだが、その子孫の一人が始祖虹鱗皇だ。
彼は一族を率いた先祖代々続く放浪の旅の最中、一羽の白烏と出会うことになる。気まぐれから食べ物を与えると、手に持っていた杖を止り木に旅を共にすることになる。
しばらく姿を暗ました後に、一本の枝を加えて現れ道案内をし始める。これもなにかの縁と虹鱗皇は、一族と共に白烏の向かう先に行けば、そこは緑豊かな肥沃の大地であった。
咥えていた枝を地に刺した場所を集落を作り、繁栄をした。この事から家を建てる前には白烏の衣を纏った者が、建築予定に枝を差す儀式が行われることになったのだ。
大体は白髪の老人が行うのだが、偶然にも適任たる素楽が逗留しているため、白羽の矢が立ったという訳だ。
他にも思惑がないわけではないが。
こういった祭事を担うのが祭事部、そして祭務官なので、彼らは彩鱗の土地の管理や多くの祭事を国から任されている。故に発言権は強く、現在政の主流たる宰相派は気を揉んでいる相手の一つだ。
とはえい地方になると、ただ土地と祭事を管理している官人たちとなる。
「腕のよく見える衣を仕立てた方が良いかもしれませんね」「角はどうしましょうか、付け角も用意しますか?」「導きの白烏は鳥です。角が無いのが正しい姿なのではないでしょうか」「足が…いいですね…」「なるほど、角が不要という解釈も頷けます。ただ中央に伺い立てる必要があるでしょう」「そうですね」
祭務官らは素楽の姿をみて、話し合いを始めている。問題があるというわけではなく、今後の相談事だ。
「だめです?」
「いえいえ、何も問題はありませんよ、素楽様。我々はあまりの感動に、考えが次の機会へと飛翔してしまったのです」
「えっと」
「大丈夫って事ッスよ。自信持ってください」
「はい」
ピシッと背筋を立てて、居住まいを正す。
「ではこれを、嘴磨の枝です。昨日行った予行演習の通りにお願いしますね」
「わかりましたです」
青々した葉の付いた一本の枝。嘴磨という彩鱗の国樹で、そこらの家先によく植えられている木だ。人の腰ほどの高さまでしか育たず、夏の初めころに黄色い花を咲かせる。
白烏が地に刺した枝も嘴磨であるため、家内安全の縁起物としても知られている。
「それではお願いします」
「はい」
素楽を先頭に祭務官らが楽器を手に後ろへと並ぶ。ドンチャンシャンシャンと演奏を始めたところで、ゆっくりと本当にゆっくり歩き始める。牛の歩みの方が早いと思える速度には、祖先が長い間放浪の旅をしたものを表す、とのこと。
演奏を終えると同じくして、建築予定地の中心部に立つ。手に掲げるは嘴磨の枝、折らぬよう丁寧に地面に突き刺すと、見物人らが拍手を行う。ここで一礼をして退場すれば、築屋の式は終わり。本当に簡単なお仕事である。
「いやはや、とんでもなく縁起の良い式になっちまって驚いてるよ。ありがとな、香月の嬢ちゃん」
「どういたしまして」
自称信心深い敏春は、心底嬉しそうにしている。本当に信心深いのかもしれない。
「おしごとおつかれさま、素楽。これからも、たのんでいいかな?」
茶蔵主として翔吾も見物に来ていたようだ。ゆったりとした、素楽の聞き取りやすい口調で、今後の是非を問う。
「つづけるです。えっと、ちからにたる?です」
「ちからになる、かな?つづけてくれるの、うれしいよ」
「ちからになる…。がんばります、翔吾様」
「むちゃはしないでね」
その後、簡単な立食会で振る舞われた料理に舌鼓を打ちながら、拙い言葉で歓談に興じるのであった。




