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そらの飛ぶお仕事  作者: 野干かん
第二編 常の磐は。
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二話①

 揺れる馬車の中、青みがかった黒髪と青紫の瞳の男が、白髪金眼の女へと彩鱗あやこけ言葉を教えている。


 男は常磐翔吾ときわしょうご、今上王の弟君で年の頃は三十前後の竜人。迷界めいかいの産物たる大狼と狼の群れを退けるために、前線の砦で指揮を行っていた人物だ。伸びてきている無精髭が似合っているのかいないのか。


 女は香月素楽かづきそら、彩鱗国茶蔵(さくら)領に迷い込んだ翼人である。帰る方法がわからなくなったために、周囲を散策していたところ窮地に陥っている茶蔵軍を発見し加勢。迷界の破壊まで協力をした。


 迷界の破壊後、魔物の死骸処理や村の簡易的な復旧などに時間を割かれ、数日が経過していた。


 短期間で無から言葉を習得することなど出来るはずもなく、双方が頭を抱える日々が続いている。教材の重要さ、というものが切に身に沁みるものである。あの手この手で素楽へ彩鱗言葉を教えようとした者らは、自身らの言葉を初めて他言語へ翻訳した人間へ尊敬の念を抱くことになる。

 勿論ながら教えてもらう本人も、だ。


 出立までの時間に制作した、桧井彩鱗間の言語割当表を見ながら、発音の練習などを行っている。勤勉さはどこにいても腐らない得な性分と言えよう。


 素楽の様子を傍目にややげんなりとしているのが翔吾である。


(よくもまあ、揺れる馬車中で文字を追って酔わないものだ。羨ましいというかなんというか)


 彼は乗り物で移動している最中に読み物などしようものなら、時を開けずに気分が悪くなる。なにもしなければどうということはないのだが、暇を持て余してしまうので、馬車移動には何かと思うところがあるようだ。


 誰かしらと同乗できれば会話で時間を潰すこともできるのだが、王族という地位の不便な所である。

 ならば何故に素楽が、という疑問が浮かぶだろう。簡単な話、王族と認識できていないからだ。翔吾を王弟だと知っていれば、遠慮が先に立ち同じ馬車に同伴などできるはずもない。


 そんなこんなで暇を持て余すことなく移動できている彼は、遠い景色の彼方へ瞳を向けた。傍から変換表を覗いているだけでも気分が悪くなりそうになっていた。


(私も酔わなければな…)


 一冊の本の表面を擦りながら、やはり視線は遠い彼方に。

 『廃迷界のかど、その記録。』と書かれた表紙に、トキワゲンゾウという名前。トキワは王家にのみ許された姓、故に過去に存在した縁者の一人という推測が立つ。脳内で系図を思い起こすも、傍流となる者を全て思い出すのは難しい。


 なにせ王家は血縁を絶やさないために子沢山だ。翔吾も今上王たる兄に加えて、姉一人と妹が3人もいる。加えて兄は既に3人の子供を拵えているのだから傍流も多くなるのは必定。


 トキワゲンゾウなる人物を探るには時間を要することになるだろう。特にこの地は王家直轄とはいえ地方領地、王家の情報などそう多くはない。

 誰かしらを中央へ派遣して調べさせても良いのだが、あまりに怪しい動きをすれば、今上王を仰ぐ貴族一派が黙っていないだろう。


 そして、復旧やらなんやらで内容にも触れられていないのも大きい。大なり小なり読み込んでさえいれば、と馬車旅に後悔を浮かべるは地方へ飛ばされた王弟である。


(伸びてしまったな。いっそのこと伸ばすのも…いや、ないな)


 自身の顎を触りながら、作戦の期間で伸びた無精髭を剃らねばと考えていた。


「ふぁあ…」

 陽気と揺れ、疲労から翔吾は大欠伸をしながら外を眺める。ありがたい諫言でもいただきそうな態度だが、これくらい許されるだろう、と。


「翔吾さま、おつかれの、ごようす、でしょうか?」

 辿々《たどたど》しいうえに少々おかしな言葉ではあるが、誰を真似しているのかわかる内容だ。数日でここまで出来るのだから素楽の熱意が伝わるというもの。まあ、これ以外はたいして話すことは出来ないのだが。


「少し、だけね。すこし」

 親指と人差指を窄めて少ない事を表す。

「すこし、すこし…。すこしのちがう、なに?」

 飲み込むように呟いて覚え込む。書いて覚えるのが理想だが、揺れる馬車の内ではそうもいかない。


 序と「少ない」の対義語を聞く。現在の言語力では機を逃すと聞くことの難しい単語もあるので、聞ける機会に聞くようにしているようだ。


「多い、だよ。おおい」

「おおい、おおい。ありがとう、ございます、翔吾さま」

「素楽は、勉強、好き?」

「んー、すき、たのしい」

「そうか、無理はしないようにね」

 午睡に丁度良さそうな気候の中で、二人はのんびりと揺られるのであった。


―――


「面白い明かりですね。そいつは香月の嬢ちゃんが?」

 二つの月が闇を照らす明るい夜。焚き火の横では、素楽に渡された光石を用いて翔吾が読み物をしている。魔力を注いで天面を擦るだけで使えるため、薄暗い中で目を悪くしないようにと貸し出したのだ。


 本人はぐうすか寝息を立てている。案外のこと、どこでも眠れる性分なのだろう。


「あぁ。姉上が見たら飛びつきそうな代物だよ」

「あー…、中央に連れて行く時期は考えないと、面倒になりそうな…」

「方々へ根回しも要るだろうね。…祭事部辺りがいいか」

「大丈夫ですかね?あそこの連中なら、香月の嬢ちゃんを奪い取ったりしそうなもんですが」

 べぇっと舌を出して嫌そうな表情を浮かべているのは、杵島敏春きしまとしはる。中央軍の一隊を率いる大隊長だ。


 自称信心深い彼がこうもいうのだ。何かしらの縁か因縁でもあるのだろう。


「はは、今の祭事長は法元ほうが翁ですよ。そのような心配はないでしょう」

 楽しげに笑いながら現れたのは、八間川重忠やまかわしげただ。中央から茶蔵に送られた翔吾に付いてきた、信のおける老年手前の腹心だ。

 口ぶりから法元という人物の事をよく知っている事が窺える。


「あの好々爺だから嫌なんでさ。裏で悪いことでもしてるか、こっちの悪いことが見透かされてる気がするもんでね」

 前者はともかく後者は自業自得である。


「悪いことからは足を洗うのが、一番じゃないかい?そんなことだから、君も隊ごと茶蔵に駐留する羽目になったように思えるのだけどね」

「うえー、それ言わないでくださいよ。結構落ち込んでるんですよ、ホントは。嫁さんと子供たちを呼ぶためにも、家でもこさえないといけないしで、大変も大変、大大変でさぁ」

 そう、彼の率いる中央軍は一時的に派遣されたわけではなく、無期限で茶蔵に駐留ということになっている。


 軍備縮小で大騒ぎになった際、茶蔵が潰れれば次はどの領地だ、というところから始まった会議は迅速に進み、敏春が隊諸共派遣されたのだ。


「まぁいいや。そんで、その本には何が書かれてんです?」

「これな、ほぼ日記と言っても問題ない内容だよ。丁寧に書き始めの日付があってな、曾祖父様か祖父様の頃の王族だと思う――」


 始まりの日付は大体五十年前。

 翡翠色の石門と使われていない家屋を見つけて以降の事柄しか書かれていないが、ゲンゾウは石門を見つけた後に、様々な接触を図り記録していたようだ。

 途中に書かれている魔法言語の覚書は、試したものとのこと。


 数年の間、うんともすんとも言わなかった石門が唐突に光を放ち、見ず知らずのクソ暑い土地に飛ばされてからは、ただの日記のようになっている。


――近くの村に行ったら獣人となにもない人が暮らしいた。話が通じない。


――魔法で見たことのない魔物を吹き飛ばしたら、食事をくれた。芋が美味しい。


――「ミサワオノムラ」という土地らしい、旅にでる際、いくつかの食糧を持たせてくれた。好い人たちだった。


――現在地は「アオサワノマチ」困ったことに金が無い、素寒貧だ。この日記でも売ってみようと思う。未知の言語の面白い本として、一時的な生活費になるかもしれん。比較的新しい、若い店主の店に売ることにする。あのくらいなら上手くいくか。この日記が彩鱗に帰ったのなら…なんもねぇや、じゃあな!


「――という内容だ」

「「……」」

 三人は蟀谷こめかみを抑えた後、顔を合わせてからため息を吐き出す。


「これさ、香月の嬢ちゃんもゲンゾウ様ってのと同じ口なんじゃないんですかね。どっちの門にも彩鱗言葉が刻まれてたってあったでしょう。人の手を渡りに渡って、最後には嬢ちゃんの手に渡って、どうやってか門を発見したって事で」

 長いこと店主の手元にあった事を除けば大正解である。


「…運がいいのか、悪いのか」

「もはや必然とも言えるのではないでしょうか」


「素楽が帰るための方法がわからなかった、ということ。文字を読めるようになった際、これ渡したら絶望してしまわないか、という懸念が、な…」

 日記の表紙を撫でる翔吾の表情は浮かばれない。なにかと恩のある彼からすれば、素楽が故郷に帰る時に笑顔で見送れるのが最善だと思っていたからだ。


「そんきゃ、ねぇ?」

「そうですね」

 二人の視線の向かう先には、王弟の姿。


「手は尽くすさ。ただ、君にたちも手伝って貰うよ」

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