⑤
野木胡桃をカモがネギをしょってCREWに引き入れる事が(信介の中で)決定してから、早一週間が過ぎた。
しかし未だに悟史は野木胡桃を誘うどころか、声すらかけられないでいた。
その理由は実に単純で、四個の異名を持つ大型新人に目をつけないチームがないからである。
入学式当日こそ静かだったが、翌日からはチームの代表を名乗る上級生たちが絶えず野木胡桃の前に訪れ、練りに練った勧誘の言葉で口説きにかかった。
だが、野木胡桃を落とした者は未だに現れず、一匹狼を気取っていた。
「彼女……チームに入る気がないんじゃないかな」
四時間目が終わった昼休み。野木胡桃を誘う為にやって来た上級生のせいで席を追われた悟史は、教室の隅で信介に切り出した。
「野木胡桃の意思など関係ない。悟史のやるべきことは、彼女を我がカモがネギをしょってCREW――通称カモネギCREWに入るように説得する事だ」
「いや、そうかもしれないけど……でもこれだけ先輩に誘われてるのに入らないなんておかしいじゃないか」
「おかしいのは初めから分かっているだろう? 毎日着ぐるみを着て登校している女だぞ」
そう言われてしまうと返す言葉もない悟史に、信介は追い討ちをかける。
「私に愚痴をこぼす前に、自ら行動したらどうだ? 私は私で他にやる事があるし、野木胡桃に関しては悟史に一任したはずだ」
信介は早口にそう告げると、教室のドアを開けて廊下に出て行った。
いつの間にか野木胡桃の件は、悟史に任されるようになっていた。
珍獣に好かれるという体質なのだから信介からしてみれば当然の措置なのだが、悟史としては厄介ごとを押し付けられた用で不満だった。
しかし、文句を言おうにも、信介は授業以外は学校中を動き回り、寮に戻っても自室でパソコンと睨みあうばかりでろくに話も出来なかった。
悟史は深くため息を吐いて、野木胡桃の方を見やる。
今日も数十人の先輩方が、野木胡桃の席を囲んでいる。
自分でなんとかしろと言われても、この状況ではどうにもならないよな、と悟史は既に諦めモードに入っていた。
そもそも悟史はこのカモネギCREW発足に納得していないので、はなから野木胡桃を勧誘する気になれなかった。
しかしやるだけやるのが一番ベストなのだと、悟史は分かっていた。
もし悟史が勧誘に失敗し、このままチーム作りが破綻になった場合、信介に嫌がらせを受ける可能性もあるかもしれない。
だが実力もなければやる気もない人間に嫌がらせをする暇があったら、新たな方法でチームを作った方が賢明だと信介は考えるだろう。
そうすると自然に最適解は出てくる。
野木胡桃を(一応)チームに誘い、断られればいい。
「……となると邪魔なのが、上級生達だな」
あの人垣を越えなければ、誘うどころの話ではない。
強引に割って入ってもいいのだが、それが原因で上級生に目を付けられるのは悟史の望むところではない。
穏便に帰っていただくのがベストだが、今のところ具体的な案は浮かんでこない。
「ったく、邪魔だよな。休み時間毎に来られたら、休みもあったもんじゃねぇつーの」
「だな。でも、邪魔だから帰ってくれなんて言えないしさ……参ったよ」
クラスメイトのぼやきが悟史の耳に届いた。どうやらクラスメイトも同じ事を思っているようだ。
休み時間毎に上級生が教室にやってくるのだ。
まだ新しい環境に慣れていない新入生にとっては、非常に厄介だ。
せめてこの教室内でだけは、野木胡桃の勧誘活動を止めさせたい。
そうすれば野木胡桃に接触できるし、このクラスにも平穏が訪れる。
脳をフル回転しながら知恵をしぼりだそうとするも、悟史の頭に良案は現れなかった。
結局何も浮かばぬまま、予鈴がなり上級生たちは悔しそうな顔をしながら、ぞろぞろと教室を出て行った。だが、一人だけ野木胡桃の前で粘っている上級生がいた。
坊主頭のいかにもスポーツマンといった男子生徒だ。
「なぁ野木さん! いつまでそんな態度をとるつもりだ? いろんな奴らにここまで熱心に誘ってるのに、どこにも入らないなんておかしいだろ!」
野木胡桃は何の反応も示さず、クリッとした黒い瞳を向けている。本当に中に入っているのかと思ってしまうほど、身動き一つとらなかった。
その姿をみた坊主頭から――ぶちっ! という音が聞こえた(様な気がした)。
「ふざけるなよこの変態着ぐるみ娘っ! ちょっと有名だからって調子に乗るんじゃねーぞ!」
とうとう業を煮やした坊主頭が声を荒げる。教室内の空気が急激に張り詰める。
「授業が始まる。そろそろ帰れ」
「……帰れ? それが上級生に対して言う言葉か。いい加減にしやがれ!」
男は怒りに任せて、野木胡桃の顔――クマの着ぐるみの頭部を両手で挟みこんだ。
「第一、こんなもん被ってるのが生意気なんだよ! 俺が取ってやるよ!」
坊主頭の二の腕が制服越しに盛り上がると、若干着ぐるみの頭部がわずかに浮き上がった。
だがそれ以上は一向に持ち上がらず、強固にくっ付いているのが分かる。
「お前の力では取れん。今すぐ帰るのならまだ許してやるぞ」
「うるせぇ! お前のブッサイクな面拝んでから帰ってやるよ!」
「そうか」と野木胡桃は小声で呟くと、力なくぶら下がっていた右手に青白い光が浮かび上がる。
――やばい。長年珍獣の後始末をし続けてきた悟史には、瞬時にその光が危険なものだと察知できた。
「消えろ……ゴミ虫が」
野木胡桃は右腕を大きく振り上げる。
「逃げ――」
「何やってるんでしゅか! もう授業が始まりましゅよ!」
悟史が叫ぶのとほぼ同時に、教室に入ってきた繭美ちゃんがさらに大きな声で割って入った。
野木胡桃の右手は、男の顔から僅か数センチの所でギリギリ止まった。
「……玉田先生」
坊主頭は驚いた表情で繭美ちゃんを見つめ、野木胡桃の顔からすぐに手を離した。
「ここは一年の教室でしゅ! 三年は出ていきなしゃい!」
「はい……。すいませんでした」
急に大人しくなった坊主頭は、そのままうつむいたまま教室を後にした。
「野木しゃん……あなたもあなたでしゅよ」
繭美ちゃんは野木胡桃に諭すように口を開いた。
野木胡桃は何も言わず、右手をゆっくりと下ろす。
ここで授業開始の本鈴がなり、繭美ちゃんは教壇に上り、「ごっほん」と可愛らしく咳払いをした。
「鴨志田くんも何突っ立ってるんでしゅか。授業が始まりましたよ」
そう指摘された悟史は大慌てで席に着いた。
「あんまり繭美ちゃんを怒らせるなよ」
いつの間にか教室に戻ってきていた信介は、既に教科書とノートを開き、いつでも授業を受けられる姿勢になっていた。
小さく頷いて悟史は机からノートを出しながら答えた。
「しょれでは授業を始めましょうね」
――起立。礼。日直の声に従ってクラスメイト全員が頭を下げる。
顔を上げると繭美ちゃんの天使のような笑顔が飛び込んでくる。
その柔らかい表情を見た瞬間、悟史の脳内にある考えが浮かんだ。
そうか……こんな簡単な方法があったんだ。
――着席。
「はい、では今日は昨日の続きからでしゅね~」
繭美ちゃんが教科書を開きながら、黒板にチョークを走らせた。
それを目で追いつつ悟史は満足気にペンを動かした。