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『群雄割拠システム』とは、学園を国土と見立て、その覇権を争う戦争ゲームの事を指す。
基本的なルールは実にシンプルで、生徒たちは各々が自由にチームを作り、他チームに侵攻することで領土(ここで言う領土とは生徒自身)を広げて、最終的に全校生徒を自身のチームに取り込むか、支配下におくことを目的としている。
生徒一人一人が、それぞれ一票ずつ学園の運営における権利を有しているが、チームに参加したものはその権利をチームの代表者に譲らなければならない。
つまりチームを大きくすれば大きくするほど、代表者の学園内における地位も必然的に上がるという事だ。
ゲームとはいえ実際に拳を交え生徒同士が争う事になり、少なからず危険性を孕んでいるのは事実だ。
だがこの学園で平穏な学生生活を送りたい者こそ、システムを正しく理解し、利用する事が必要だ。
力の優れた代表のいるチームに入会するのも良し、自らチームを作り優れた人材を引き入れるのも良し。
やりようによっては弱者が強者を飲み込む可能性を大いに秘めている。
ここまで言ったにも関わらず、チームにも入らないし、作らないというバカがいたら、そいつの事はもう放っておくといい。一緒に地獄に行きたくないのなら……。
群雄割拠システム考案者 烏山 炎洋
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眠りから覚めると、既に午前七時三〇分を過ぎていた。遅刻だ。
慌ててベッドから起き上がると、クローゼットから制服を取り出し、洗顔も歯磨きも朝食さえも省いて着替え終えた。
そして部屋の扉を開けようとドアノブに触れた時に、悟史はここは寮で、実家の引戸ではない事に気が付いた。
「……そうだよ。ここは寮じゃないか」
急に力が抜けその場に座り込んだ。
実家なら六時三〇分に起きなければ間に合わないのだが、学生寮ならばこの時間に起きても充分にゆとりがある。これが学生寮のいい所だなと悟史は再確認するように頷いた。
深呼吸をした後立ち上がり、冷蔵庫の中のプリンを取り出そうとした。
しかしプリンが見当たらないので、代わりに糖類控えめのヨーグルトで我慢する事にした。
ふと昨日の出来事が頭をよぎった。いろいろと回想しているうちに、ズキズキと頭が響く。
またドンドンと耳鳴りも聞こえはじめる。体調はかなり芳しくない。
「悟史。まだ寝てるのか?」
頭痛の原因である根岸信介の声まで聞こえ始めた。
「おい悟史。中にはいるぞ」
ガチャリとノブが回転する音がして、立て付けの悪いドアが開く音がした。
「なんだ。起きてるじゃないか」
既に髪型をきっちりとセットし、制服を着ている信介の姿が目に飛び込んできた。
どうやら幻聴ではなかったらしい。
だがそれが悟史の怒りを増幅させた。
「起きてるじゃないか……じゃねーよこの野郎!」
悟史は信介の顔を見上げ、キッと睨みつける。
「怒っているのか? もしかして低血圧か?」
「低血圧じゃないけど怒っているのは事実だ。理由は分かっているよな?」
信介は、あごに手を当てて考え込む仕草を見せる。
「……冷蔵庫のプリンを食べた事か」
――プリン? 予想外の切り返しに悟史は身動きが取れなくなった。
「寝る時はちゃんと鍵をかけて、財布やら身分証明はすぐに見つからない場所に保管しておくか、肌身離さず持っておくんだな。でないと簡単に盗まれる。田舎なら大丈夫かもしれないが、ここは弱肉強食が校訓の北カントー学園だぞ。弱者が最低限の防衛策を怠っては、いつ飲み込まれてもおかしくない」
これが脅迫だと言う事は悟史にも理解できた。
悟史の部屋の冷蔵庫にあるプリンを盗ることで、チームを作る事に逆らえばやっちゃうよ的な意思表示と、それを実現できるという能力がある事を信介は示したのだ。
「勉強に、なりました」
「……ん。とりあえず今回は授業料としてプリンを頂いておく」
信介はそっと悟史の肩を叩き、「詳しくは登校中に話す」と告げて部屋を後にした。
「一つだけ質問したいことがある」
四月を迎えたとはいっても外の風はまだまだ冷たく、制服だけはまだまだ肌寒い。
空も厚い雲が全体を覆っていて、悟史の気持ちと同様に淀んでいた。
「どうして俺をチームに誘ったんだ? 俺が王女様を救った国民的英雄じゃないと分かっているのに……」
さらに運動も出来ないし、頭もさほど良くない。と付け加えても良かったが、自分で言うのも悔しいし、なによりその程度の情報なら信介は既に知っているだろう。
信介は大きく息を吐き、指を三本立てる。
「……理由は三つ。まずは知名度。チームを勢いづける為にはまずは名の知れた人間を代表に擁立する事が必要だ。王女様を救った英雄がチームを作れば、私が代表になるよりも優秀な人材が集まりやすい」
なんとなく理解はできるが、気質が内向的な悟史はいつかは化けの皮がはがれるのではないかと考えてしまう。
釈然としない悟史を横目に、信介は薬指を下ろし、ピースサインを作る。
「第二に、王女様が悟史に恋をしているからだ。我々が天下を取るに当たって最大の壁となるのは、間違いなく王女率いるヤタガラスだ。だからこそ悟史をこちらに引き込んでいれば、簡単には手が出せないだろう」
「……ちょっと待て。王女様が俺に恋しているわけ無いじゃないか?」
思わず立ち止まる信介。それにあわせて悟史も止まる。
「……それはギャグで言っているのか?」
「ギャグなわけないだろ。一国の王女様が一般人の俺を好きになる理由がない」
昨日の王女様のあからさまな態度を見て分からないとは……鈍いにもほどがある。
信介は一度立ち止まり「そうだな。じゃあそれはなかった事にする」と言葉を濁した。
どうせ説明するだけ無駄だ思いながら、信介は再び歩き出した。
中指を下ろし、人差し指だけを残す。
「で、最後の理由は、悟史が本物の『珍獣使い』であるという点だ」
「珍獣使いねぇ……」
あまり思い出したくない過去の出来事が悟史の頭をよぎる。
奴らの行動が原因で一体自分が何度尻拭いをさせられた事か。
「自覚はあると思うが、悟史は昔から奇人変人に無条件で好かれる体質だ。例えば、飴を食べていないとプッツンして暴れまわるヤクザ。自分を犬だと勘違いしている暴走少女。一人山篭りをして武術の何たるかを極めんとする自称一〇〇〇歳のおじいさん。おまけに、魚をくわえたドラ猫を追っかけて、裸足で駆けていく陽気な主婦とかな」
「最後はいろんな意味で全力で否定するが、それ以外は全部合っている。……正直、ドン引きだよ。プライバシーの侵害ってレベルじゃねぇぞ」
「褒め言葉として受け取っておく」
信介は軽く笑みを浮かべ、人差し指を下ろす。
嫌味が通じないとなると、いよいよ口では勝てないなと悟史は確信した。
「とにもかくにも、悟史が珍獣使いと呼ばれるだけの特異体質をがあるのは事実。これこそがこの学園で頂点を取る為に最も必要な能力だ」
自信満々に答える信介に、悟史は「まさか」と肩をすくめる。
「……珍獣に好かれるだけだぞ? 十五年もこの体質と付き合ってきたがいい事なんか一つとしてなかったけどな」
「その特異体質を使いこすだけの脳みそがなかっただけの話だ。今後は私が使っていくのだから問題ない」
ちょいちょい毒が入るのが気に食わないが、悟史はなんとか我慢した。
「そう嫌な顔をするな。これからチームリーダーになる男が、そんな戯言にいちいち反応してどうする?」
「リーダーねぇ……やっぱりさ、俺よりも信介がやった方がいいと思うんだけど?」
悟史は率直に答えた。チームを作るどころか、所属する気もなかった人間を代表に据えるのは如何なものか。
「能力面をみれば私の方が相応しいが、残念ながら私には、リーダーにとって最も重要な資質に欠けているのでな」
「重要な資質?」
信介は立ち止まり、メガネを中指でおさえつけた。重要な事を話す時、メガネに触れるのが信介の癖らしい。
「重要な資質……それは人を惹きつけるカリスマ性だ」
「……カリスマ性」
「私は昔から自分勝手で、自身の利益の為なら、どんな犠牲も厭わないし、卑怯な手も喜んで使う。そのうえ、目付きも口も悪い。人に嫌われるために生まれてきたような人間だ。まだ会って間もないが、悟史もなんとなくそう感じているだろう」
分かっているならなんとかしろよ。と言いたくなったが、あまりにストレートすぎるので「はぁ」と曖昧にやり過ごした。
「情報屋にとって重要なのは真実だ。真実に向き合う者が自分を誤魔化してはならないと思っている。だからこそ私は、自分の気持ちに正直に生きるように心がけている。自分を偽ってまで何かを為そうとは思わない――たとえ誰にも認められないとしてもな」
信介の芯の通った言葉に、悟史は唾を飲み込む。
自分と同い年の男が、ここまでの意思を持って行動できるのを羨ましく思い、同時に流されるままに生きてきた自分を情けなく感じた。
「……すげぇな信介は。俺とは大違いだ」
悟史は素直にそう告げると、信介は鼻を鳴らし「当然だ」と答えた。
「だがな……そんな私の性格が、チーム作りの一番のネックになる。私は本当にチームメイトを駒の一つとしてしか見ていない。そんな奴に誰がついて来ると思う?」
考えるまでもない。誰もついてくるわけがない。
「なるほどね。だから信介は、そのカリスマ性を持つ人間を味方につけるしかないわけだ」
「そういう事だ。そこで私が目をつけたのは『珍獣使い』という珍獣限定のカリスマ性を持つ男。鴨志田悟史だったわけだ」
信介は悟史を思い切り指差した。悟史の頬に指がめり込む。
「……でもさ」と悟史はその指を払う。
「そうなるとさ、俺らのチームは珍獣だらけになっちゃうんだけど……いいのか?」
「構わん。ここの生徒で使えそうな奴は、大抵頭のネジがぶっとんだ奴だ。まともな奴はすぐにこの学園を去っていく。それに何より、このチームには絶対欠かせない人材が珍獣の中の珍獣だからな」
「……珍獣の中の珍獣?」
クククッと声を殺しながら信介は笑う。
「四個の異名を持ち、制服の代わりにクマの着ぐるみを纏い、悪びれる様子もなく強気の態度を見せる女子学生を珍獣と呼ばずして、何を珍獣と呼ぼうか?」
悟史は咄嗟に耳を塞いだ。その珍獣の名を聞いてしまったら、後にひけなくなると感じたからだ。
だが信介は悟史の両腕を掴み、それを許さない。
「野木胡桃……彼女を我がチームに引き入れる」