③
「鴨志田さん! どうしてこんな所に!」
「王女様っ!」
王女様と呼ばれた少女は、少し不機嫌そうに頬を膨らませた。
「王女なんて呼ばないでと、前に言ったじゃないですか」
「す、すいません。……妖虎さん」
「うん!それでよし」
妖虎が満足げに頷くと、頭の後ろに高く結ったポニーテールが揺れ、頬がわずかに染まった。
小さく滑らかな輪郭の中に大きな深緑の瞳と筋の通った鼻と淡いピンクの唇がバランスよく配置されていて、誰しもがその美しい微笑みに心が奪われるだろう。
「何か調べ物でもしてるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないのですが……」
予想外の人物の登場に困惑した悟史は、信介に視線を送る。
それで妖虎も信介の存在に気が付いたようで、一瞬にして笑顔を作る。
「初めまして。鴨志田さんのお友達かしら?」
「どうも初めまして、根岸信介と言います。悟史くんとは入学式で会ったばかりですが意気投合しましてね」
いつ意気投合したんだよ……と悟史は心の中でツッコミを入れた。
「それよりこちらが驚かされました。まさか北カントー王国の王女様――烏山妖虎様が目の前に現れて、しかも悟史くんと知り合いだとは」
「一年ほど前に私が誘拐された事件があったのを覚えていらっしゃいますか? あの事件を解決し、私を救い出してくれたのがこの鴨志田さんなんですよ!」
「なんと! それは初耳でした。まさかあの国民的英雄が悟史くんだったなんて!」
信介は先程まで見せた厳しい顔つきを一切捨て、表情筋をフルに動かして驚嘆の表情を浮かべる。
こんな奇特な状況にも関わらず嘘をつけるものだ。
信介の変わり様に、不信感を通り越して尊敬の念すら感じていた。
「しかも後ろに控えているのは、『畜生王』『虎の穴のムジナ』『食物連鎖の頂点』の三つの異名を持つ狸塚剛健様と、『烏の脳みそ』『無限の権謀術数』の異名を持つ牛久鳴動様ではないですか!」
妖虎の背後に控える二人が、信介の声に反応してビクッと身体を震わせた。
「あら? 二人をご存知なの?」
「それはもちろん。同世代で二人の事を知らない人間などいないのでは? 是非紹介していただきたい」
王女誘拐事件が起こるまで彼らの存在を知らなかった悟史は、少し罰が悪いのか、何も言わずにその光景を眺めていた。
「お安い御用だわ……。剛健! メイ! 前に出て自己紹介なさい」
妖虎に言われるがままに二人は悟史と信介の前まで歩み寄る。
「……狸塚剛健です」
剛健は図書館のように静かな環境で無ければ聞き取れないようなボリュームでボソボソと呟いた。
身長は二メートルを軽く超えており、スーツで身を包んでいるにもかかわらず、隆々とした筋肉が隠しきれていない。
だがそれでも暑苦しさはなく、伏し目がちだが透き通る黒い瞳が、ここに清涼な風を呼び込みそうな雰囲気を醸し出している。
信介は立ち上がり、「初めまして」と挨拶をしながらそっと手を前に差し伸べた。
すると狸塚は照れ臭そうに信介の二倍はありそうな手でそれに応えた。
「手の大きな人は、それだけ心が広いとか聞いた事がありますね。よく見ると優しそうな顔つきもしていますし」
「……ありがとう」
狸塚はさらに顔を赤くして、恥ずかしそうに余った左手で頭を掻いた。
「手が大きい人は心が広いだなんてなんて初めて聞いたよ。手が冷たい人は逆に心が温かいとかいうのなら聞いた事はあるけどね」
横からもう一つの人影が会話に割り込み、手を差し出してきた。
「初めまして、牛久鳴動と言います。ごっつい名前であまり気に入ってないから、呼ぶ時はメイってよんでくれると嬉しいかな」
女性特有の少し高めの声を出しながら、ハキハキと喋る鳴動は、狸塚とは対照的に懐っこい性格らしい。
銀色の長髪が健康的な褐色の肌に映え、妖虎とは異なる魅力が溢れている。妖虎が妹だとすれば、鳴動はお姉さんといった印象を受ける。
信介は狸塚の手をゆっくり離し、そのまま鳴動の手を握った。
「初めましてメイさん。根岸信介と申します。以後お見知りおきを」
「了解。お見知りおきしておきます」
鳴動は小首を傾げながら微笑を浮かべ、信介の手を握り返した。
信介もまたそれを笑顔で返す。
だがどういうわけか、二人とも目は笑っていない。
「それにしてもメイさんは、随分と手が温かいですね。アハハハハ……」
「そうかなぁ。どっちかというと根岸くんの方が温かい気がするけどなぁ。ウフフフ……」
笑顔で話す二人の言葉の端々に、どす黒い悪意のようなものが渦巻いていた。
「じゃあこれで自己紹介は終わりね。二人とも新入生ですよね? 私達もそうですから、同級生同志、仲良くやっていきましょう!」
「……ですね。仲良くやりましょう」
妖虎が二人の険悪な雰囲気を察知したかどうかは分からないが、ナイスタイミングで割り込み悟史もそれに同調した。信介は何食わぬ顔で手を離して椅子に戻り、鳴動も剛健を連れて妖虎の背後に回った。
「……あっ、私いい事を思いつきました! 皆が仲良くできる最高の方法ですわ!」
妖虎が頭に豆電球を浮かべ、人差し指をピーンと立ててアピールする。
あからさまに何かを言いたげなのでさすがに悟史は無視する事はできなかった。
「それはいいですね! ぜひ教えて下さい」
「簡単ですよ! 鴨志田さんも根岸さんも私のチームに入ればいいんですっ!」
「…………え? チーム?」
悟史は言葉に詰まった。
「実は私、剛健とメイ、あと北カントー王国関係者のご子息の方々と『ヤタガラス』というチームを作ったんですよ。チームメイトになれば、必然的に仲良くなりますし、何より鴨志田さんのような優秀な方が味方になってくれると心強いわ。そうよねメイ?」
メイは何も語らず、大きく首を縦に振る。
「メイが言っているのですから問題ありません。鴨志田さんがいれば、ヤタガラスは必ず北カントー学園を制圧し、思うがままにできますわ!」
キラキラと目を輝かせて、妖虎は悟史の顔を覗き込む。
「……いや、その何といえばいいか」
悟史は正直この提案に乗り気ではなかった。
平穏な学生生活を送る為に必要な事は、チームに入らない事だと悟史は理解している。
だが善意で誘ってくれている妖虎を退けるだけの理由も、ごまかせる口のうまさも持ち合わせていない。
なにより妖虎はこの国の王女。
その意思に抗うとなれば、それ以上の災いが降りかかってくる可能性も考えなければならない。
「どうですか鴨志田さん。悪い話ではないと思うのですが?」
確かに悪い話ではない。だが、素直には頷けなかった。
「ちょっと待っていただけますか妖虎様。残念ながらその提案には却下です」
いきなり声を上げた信介は、メガネをくいっと持ち上げて妖虎を見つめる。
「却下? それはどういう意味ですか」
「私はもちろんのこと、悟史くんも妖虎様のチームには入れませんという意味です」
「……そうですよね。急にチームに入れと言われてもすぐには返事できないですよね?」
「そう意味ではなく、私と悟史くんは妖虎様のチームには入りません、とはっきりお返事しているのです」
妖虎の顔が僅かに翳った。悟史ならともかく初対面の信介に断られた事にあまり納得していない表情だ。
「その理由は、至極簡単です」
信介は再び席を立ち、悟史の腕を掴んで無理やり立ち上がらせた。そしてがっしりと肩を組み、一呼吸置いて、思いもよらない爆弾を投下した。
「悟史くんは私と一緒に……チームを作るのです!」
一瞬にして時間が止まる。悟史には寝耳に水で、爆弾発言をした相手と肩を組みながら膠着したままだ。
「ははは……、冗談ですよ、ね?」
引きつった顔の妖虎が声を震わせ問い直した。
「冗談ではありません。悟史くんを代表に、北カントー学園最強のチームを作る予定です」
「しかも鴨志田さんが……代表!」
妖虎はさらに驚嘆の声をあげる。当の悟史は未だに動けない。
それをいい事に信介は、追い討ちをかける。
「チーム名も既に決まっていますよ。鴨志田悟史と根岸信介の頭二文字をとった最高のネーミング!」
信介は悟史の肩を強く掴み、声高にその名を叫んだ。
『カモがネギをしょってCREW』
なんというネーミングセンスだ。と悟史は固まったまま心の中でツッコミをいれた。