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北カントー王国ウツノミヤ地区の中心に北カントー学園は存在している。
卒業生の多くが北カントー王国軍に幹部候補生として入隊するせいか、文字通りに文武両道に長けた生徒の育成を目的として運営されている。
故に一般的な高等学校とは教育理念とその教育システムが大きく異なっているのは致し方ないことなのである。
特に注目すべきはその入学条件である。
北カントー学園への入学には、筆記あるいは実技による選抜試験は必要無く、ある一つの条件を満たしてさえいれば、どんな学生も入学を許可されるという異例の方式を採っている。
では入学に必要な一つの条件とは何か?
それはズバリ『異名を持っている事』である。
正確には『在籍した学校の全校生徒の過半数が、その異名で入学希望者当人を特定できる事』が入学条件であるが、そのように言い換えてなんら問題ない。
「異名があるって事はぁ、それだけ個人に能力、魅力があってぇ、上に立つものに必要なぁカリスマ性? みたいなものがあると思うんだけどぉ」
と創立者であり、かつ初代北カントー国王の烏山神蘭が残した言葉が、このような形で今も学園に組み込まれているわけだ。
この入学システムは、いくら勉強ができなくとも、いくら運動神経がなかろうと、異名さえあれば誰でも入学は出来ると公言しているのと同義で、その入学条件の緩さから、強引に異名をつけて入学する生徒もいるのは事実である。
だが、そういった学生は入学後まもなくして自ら退学届けを出していく。その理由はまた後ほど語るとしよう。
北カントー学園運営委員会会長 烏山 炎羊
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無駄に長い学園長の入学の挨拶が続く中、襲い来る眠気に必死に抗う男子学生がいた。
『珍獣使い』の異名を持つ鴨志田悟史である。
学力も運動神経もごく普通で、特に秀でた才能もない彼が、どうして北カントー王国唯一の王立高校である北カントー学園に、特待生として招かれたのかは本人でさえ理解していなかった。
それでも学費免除に、返還義務の無い奨学金という破格の条件を前にしては、家のローンが二十年残っている貧乏家族の長男としては普通の高校に通って静かに暮らしたいという小さな願望も、捨てざるを得なかった。
「お前が噂の特待生……珍獣使いの鴨志田悟史だな。噂には聞いている」
不意に肩を叩かれ、その方向に顔を向けると隣に座った新入生が語りかけてきた。
黒縁メガネをかけた長身の男で、レンズ越しに覗かせる切れ長の釣り目が、目踏みしているように突き刺さる。
「顔見ただけでよく分かりましたね」
「あれだけ新聞やニュースを賑わせていたのだから当然だ。一年前、王女様誘拐事件を解決に導いた英雄だぞ。北カントーで知らない奴はいないさ」
またか、と悟史は溜息をついた。これで通算一〇〇回目の説明が必要になったからだ。
「どうせ信じてもらえないと思うけど、一応言っておきますね。王女様を救ったのは俺じゃないんですよね。マスコミは勘違いしているんですよ」
悟史は言いなれた様子でスラスラと感情を込めずに答え、何故か結婚式でよくスピーチに三つの袋の話をする学園長の方を向いた。
これ以上何も答えないぞというアピールだ。
「そんなことはとうの昔に知っている。お前が何もしていない事はな」
えっ? と悟史は思わず声を漏らした。
メガネが口にした言葉は悟史の予想に反するものだったからである。
「何を驚いている? お前がやっていないという事も、解決したのはお前に付きまとう珍獣だってことも知っている」
「な、何でその事を知って――」
「君たち! 式中は静かにしなしゃい!」
メガネを問い詰めようとした時、後ろから可愛らしい少女の声で注意されたので、思わず振り返った。
制服ではなく艶やかなピンクの着物を着た美少女が視界に入る。
目の前にいる美少女に怒られたのかと一瞬判断に迷ったが、眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいるので、ひとまずすいませんと素直に謝った。
するとその美少女はきらきらとした笑顔を浮かべて悟史の頭を撫で、「分かればいいんでしゅ」と一言告げて教職員席の方に向かっていった。
一つだけ空いていたパイプイスに着席するまでは目が離せなかった。
「北カントー学園七不思議の一つ。どう見ても小学生くらいにしかみえない美少女先生……玉田繭美ちゃんだ」
「なぜそんな事まで……? 俺と同じ新入生なのに」
「調べたからに決まっているだろう。先生のことはもちろん、お前のこともな」
「……何者ですかアナタは?」
悟史が小声で囁くように呟くと、メガネはニヤリと頬を上げた。
「私の名前は根岸信介。異名は『情報屋』だ」