8話
「ソニオックスが8体迫ってきている。12時から1時の方向にかけてだ」
「は? 8体!?」
リンが眉根を潜めて驚きの声を漏らした。冷静な声音でナヒタは言う。
「リーダー、戦いますか? それとも逃げますか?」
バルドは苦々しい表情を浮かべた。
「逃げる……と言いたいところだが、逃げられない。俺たちが逃げると陣形の内部に侵入される。商会の人間はまず戦えないだろうし、他の冒険者だって危険に晒す。気乗りはしないが……迎え撃つぞ!」
寝転がって写真を見ながら日光浴をしていたダクサも、緊迫した雰囲気に切り替えて立ち上がる。
タマキは空高く浮かび上がり遠くを見渡した。
『ん~。あれか。確かに8体来ておるな』
(この守護霊、視力だけマサイ族かな?)
アキラは何を問題視しているのか理解できないが、一応空気を読んで口に出さなかった。
スキルを使えば倒せる相手。それを8体もいる、と考えるか8回スキルを使えば済むと考えるかは、危険をどこまで許容するかの差だ。
人間は立場が悪くなるにつれて仕方なくその許容量を増やしていくが、最初から命までは許容しない。
それは戦闘の毎日を生き抜くため安定的な勝利、ローリスク・ハイリターンを求める冒険者とは真逆のロジックだ。
その価値観から来る濃いギリギリの戦闘経験が大成を齎すか、それともリスクの飲まれて道半ばで潰えるかはアキラ次第だ。
バルドが矢継ぎ早に役割を言う。
「作戦はこうだ。まずリンは接近前のソニオックスを優先に魔術を撃ってくれ。負傷による行動阻害じゃなくて数を減らす目的でだ。抜けてきた後続をダクサが引き付けて俺が倒す。更にその後続もなるべく倒すが、数の問題で俺も受けに回るハズだ。そこでアキラは俺が引き付けている奴を倒してくれ。ナヒタはダクサを優先に強化と回復だ。耐久力があるとはいえ終始1体を押さえ続けるには必要だろう。みんな、やるぞ!」
各々が返事と共に力強く頷く。
「接敵十秒前!」
バルドの合図にリンが先んじて魔術の詠唱を始め水晶球に複雑な方陣が浮かぶ。ナヒタの強化魔術がダクサにかけられる。
「5、4……」
まだ距離が離れたソニオックスは、8体という数があって初めて気付ける程に視認が困難だ。【脱衣索敵】というふざけたスキルだが、その恩恵は効果範囲と共に驚異的だ。
それに助けられているが、感謝できるようなできないような複雑な気持ちだ。
「3、2、1、0……」
「【フレアカノン】……!!」
カウントダウン終了と共にリンが魔術を放つ。
先頭のソニオックスは今正に加速しようと態勢を低くして深く踏み込んだ瞬間で、高速で突き進む炎の砲弾を認識はできていたが回避できなかった。牧歌的な草原に場違いな爆煙が上がる。ソニオックスは魔術に込められた熱量と衝撃波で容赦なくその身を焼き焦し吹き飛ばされた。
ソニオックスとの距離は50メートル程。
魔術の弾速と精度、それを選ぶことができたリンの判断力と手札の数は、アキラに冒険者の先輩としての威厳を見せつけた。
そしてリンが選ぶ魔術とソニオックスの加速し始める距離を、10秒前から読み切っていたバルドには『すごい』という漠然とした称賛しか出てこなかった。単純にアキラの理解を越えていたからだ。
「【セーフガード】……!」
アキラが呆けている内に、ダクサが爆煙を貫いて突撃してきたソニオックスを受け止める。
間髪を入れずにバルドがスキルを使い、身の丈ほどもある無骨な両手剣に紫の光を纏わせた。
「【一刀破断】……!!」
その一撃はソニオックスを容易く叩き切り、余りある勢いで地面にも浅くない溝を作り出した。
「次っ!」
叫ぶバルド。それはダクサにかけた言葉だ。
先程同様にスキルを使い、ダクサがソニオックスを受け止める。
しかし更に次のソニオックスが霞むような速度で迫っていた。ダクサが受け止めるソニオックスを倒す暇はない。
「チッ、予想より早いな……」
バルドは素早く作戦を次の段階に移行する。両手剣を盾代わりにしてソニオックスの突撃を受ける。
ダクサが微動だにせず受け止めていたのに対して、バルドは靴の裏で地面を削りながら衝撃を殺して受け止める。それがスキルの差だろう。
「アキラ!!」
「了解! 【フルスイング】……!」
出番だと分かっていたアキラも事前に動き出してソニオックスを仕留めた。
その時、少し離れた場所で爆発音が響く。リンの二射目。
これで4体だ。
剣を振り下ろした状態のアキラに巨大な影が迫る。しかし動けなかった。
アクティブスキルは動作が決まっているため、発動しようと思うと体が勝手に動く。そのため筋力値に応じた安定的な成果が得られる。
その反面、弱点も顕著である。まず途中でのモーションキャンセルができないようで、避けられれば近接戦闘では致命的な程長大な隙を生む。そして当たった後も人体は動いているので動作方向の慣性や反動が存在する。
アキラはその慣性を殺す最中で重心を後ろに置いていた。接近をもう少し早く気が付いていたら、慣性のままに斬ったソニオックスに向かって前転していたが、詰まるところタイミングが悪かった。
せめてもの抵抗として全身を強張らせるアキラ。しかし来たるべき衝撃は来なかった。
「任せろ! ふぶぁっ……」
そんな声と共にバルドがアキラの前に体を滑り込ませた。バルドが車で撥ねられたように弾き飛ばされる。そして舞い散る布切れ。
【脱衣回避】。回避ですらないが彼は無傷な証拠でもある。
「【フルスイング】……!!」
衝突直後で一瞬その場に縫い付けられたソニオックスを倒す。
これで5体だ。
窮地を脱したことでアキラが一瞬気を抜いた。その意識が戦闘に戻るよりも早く、別のソニオックスが迫ってきていた。
「アキラ! 前を見ろ!」
「え!?」
バルドの声にアキラは顔を上げて前を向いた。
太く逞しい後ろ足で力強く地面を蹴り、白磁の角を掲げ、雄々しく獰猛に駆けるソニオックスの姿が視界一杯に映った。
命の危機に今の一瞬を乗り切るべく、その後の疲労も考えない全力で脳が高速回転して、相対的に周りの景色がスローで見える。
その厳めしい表情を視界に捉えながら、アキラの頭には瞬光のように複数の選択肢が瞬く。その中から最善と思う手段を選び抜いた。
それは攻撃だった。
「【フルスイング】……!!」
既に目前、手を伸ばさずとも届くほどの至近距離に迫るソニオックスにスキルを放つ。スキルが自動的に体を動かし、アキラとソニオックスとの窮屈な隙間に剣を通し、初期位置である右肩まで持ってくる。そして鈍い赤の光を纏わせながら振り下ろす。
本来なら十分な加速をもって敵を切り裂くが、そのようなスペースなどなく構えから加速に移行するタイミングで剣と角が衝突する。
スキルが強引にその動作を実行させようとする力と、ソニオックスの長大な加速による衝撃がせめぎ合う。ほんの一瞬、アキラとソニオックスが至近距離で睨み合うように静止する。
その勝敗は唐突に来た。アキラの剣を包む光が消えるという形を以って。
スキルが切れたことにより均衡が崩れ去り、相殺し切れなかった衝撃がアキラを襲い後ろに吹き飛ばした。
パワー勝負で勝ったのはソニオックス。
しかし、インパクトで加速を使い果たしたソニオックスもまた足を止められていた。
「【一刀破断】……!!」
その隙は致命的だ。ソニオックスがその場から離脱する前にバルドに叩き切られる。
6体目のソニオックスは勝負に勝って戦いに負けた。
「アキラ、大丈夫か!?……くっ」
バルドは心配をしながらも、ソニオックスの突撃を防いだ。そこで油断しない辺りが経験の差と言える。
アキラは背中に走った衝撃と痛みに気が付いた。それと同時に、意識が飛んでいた事にも気が付いた。
戦闘は終わっていない。急いで体を起こし、近くに転がる剣を拾う。手には衝撃が尾を引いているのか若干の痺れが残るが、背中の痛みと比べれば軽微なものだ。
アキラは気にすることなく、バルドを襲うソニオックスに向かって走る。
「【フルスイング】……!!」
7体目のソニオックスが2つに切り裂かれ絶命した。
最後に残るのはダクサが最初から抑えていた個体だけだ。そのソニオックスもリンの三射目で爆炎に飲み込まれた。
「ぬおおおおお、熱いいいい」
合計8体。
地面を転げまわるダクサを見ながら、アキラはそう理解すると途端に足の力が抜けて地面にへたり込んだ。
頭痛と共に視界がブレる。相殺し切れなかった衝撃で軽い脳震盪を起こしていた。
バルドが角の間に挟まった両手剣を、ソニオックスの上半身ごと投げ出してアキラに駆け寄る。
「だ、大丈夫かアキラ!?」
「……まあ。背中が痛いのと、目の前がグワングワンするの以外はね」
「今治しますね!【ヒール】」
火傷を負ったダクサには見向きもしずに、ナヒタはアキラに治癒魔術をかける。
暖かい光が背中の痛みと頭痛を薄れさせて行き、数秒で完治させた。
「ありがとう。ナヒタさん」
「いえいえ。お気になさらず」
お礼を言うアキラに、ナヒタは優しく微笑んで返した。
その様子にバルドは安堵の表情を浮かべた後、上機嫌な様子で喋り始めた。
「それにしても駆け出しにしてはやるじゃねーか! アキラ!」
バルドの服装は、上裸に急所だけを守る鎧。世紀末を感じさせる服装になっている。
アキラは褒められたことを嬉しく思いながらも、どのような反応をしたらいいのか分からず、表情を変化させることなく誤魔化そうとする。
「そうでもないよ。リンさんの魔術の方が凄かったし」
「ま、まあ……当然よね!」
リンはダクサを治療するナヒタの方を見るフリをして、そっぽを向きながら言った。
対話能力の低いアキラでも、喜色の浮かんだ顔を隠すための行動だと分かる。
(なんというか……この女単純だな)
「ねえアキラ、今何考えてた?」
(おっと、これが女の感という奴か。怖い怖い)
アキラは冷や汗を流しながら強張った顔で返す。
「な、何でもないです。お気になさらず~」
その様子にバルドが笑いを堪えられずに腹を抱えて笑い転げる。仏頂面のリンは地面のバルドを足蹴にした後、物理で黙らせた。
それから起床したバルドが、まじめな顔でアキラに言う。
「にしてもアキラ、よくあの瞬間攻撃しようと思ったな。あの瞬間はヒヤッとしたぞ」
「まあ耐久力が低い僕は防御してもあんま意味ないだろうからね」
「いい考えだ! だが、防御は耐久力関係ないぞ」
「……え? そうなの?」
「ああ。防御と言っても押し合いのつば競り合いみたいなもんだから、一応攻撃判定で筋力依存なんだ」
「僕は判定とか依存とかが存在する事に驚きだよ」
そのやり取りにタマキが口を挟む。
『そう驚く事でもない。世界といえど節理や法則などのシステムが無ければ成り立たぬ。過程や結果がランダムでは理不尽な世界だ。故にステータスも高度なプログラミングの集合体でしかないのだ』
「なんか夢が壊されるな。でも筋力を上げれば素手で刃物を破壊できるかもしれないって思うと悪くはない……かな?」
微妙な表情で言うアキラに、リンが言う。
「それ、似たような事をいつも勇者がやってるわよ?」
「勇者が相手の剣を握りつぶすって、曲芸師みたいだね」
「いや、そっちじゃなくて斬られた上で破壊するみたいな? あの勇者、よく斬られるし……」
「ナニソレ、勇者ステータスゴリ押ししすぎ!?」
「まあアレは男の敵だし仕方ないんじゃないか? アレが街にいる間は安心して眠れないし、早めに始末した方が良いって思うのも無理はねえ」
「しかも友軍に斬られてるんかよ!? そもそもの話、斬られたのに防御判定で反撃って、システムおかしいじゃん!?」
『それを決めるのは本人の意志だろう? 例え顔面を殴られようと、顔面で防御したと思えばそれは防御なのだ!』
「結局、システムバグってんじゃねーか!?」
そんなタマキが交じった信憑性の薄い話をしているうちに、ナヒタがダクサの治療を終えて戻って来た。
「移動準備ができたみたいだな。おっと荷馬車を呼んでなかった」
バルドが道具袋から取り出した筒の様なものを上に向けた。そしてパシュ~と気の抜けるような音と共に黒い煙が空高く撃ち上がる。
これは拠点でパーティーのリーダーに配られた煙を打ち上げる魔道具だ。これで商会にソニオックスの回収位置を知らせる手はずになっている。他にも色違いを渡されており、救難信号や緊急事態の信号などを知らせることが出来る。
「さて、仕事もしたし帰るぞー」
バルドの何気なく言われた言葉をアキラは疑問に思う。
「あれ? 陣形がどうとか言ってなかった? 良いの?」
説明がかなり雑だが、もしアキラ達が返ってしまえば陣形に穴が開き、そこから侵入したモンスターに商会側の人達や冒険者が襲われないのかと思ったのだ。
しかしバルドはさっぱりとした表情で言い切る。
「これだけ倒したんだ。ここら辺のモンスターはあれで全滅だろう。何の問題もないって。大丈夫大丈夫~」
「そんなこと言うとまたフラグが立つって!」
完全に割り切っている様子のバルドを黙らせるべく、リンは静かに背後に回り首を絞める。
アキラはなんとなく嫌な予感がした。
リンが対処に動くという事は、バルドの行動はいつも道理であり、それを問題視するという事はいつも道理フラグは回収されるという事。
それはつまり――
「偵察用に現地調達した牛が全部倒されたと思って来てみれば、やはり冒険者か……」
眼前の丘下から悠然と姿を現した存在は、小動物の頭骨が付いた杖を持ち、不気味な仮面を被り、黒いローブを羽織った子供程の小身長だった。しかし、前が開かれたローブから覗き見える湾曲した背骨と肋骨がむき出しの腹部、その中央に格納された紫色に怪しく光る珠はどう考えても人間のそれではない。
そして何より、全身に鳥肌が立つような寒気。明らかに強い。
「なんでアンタはいつもそうなのよ!?」
「おいいいい!! フラグ回収早すぎるだろお!!」
「待て待て。落ち着こう! あんな見た目だが、実は冒険者の方かもしれないぞ! ……俺は冒険者のバルドだ。ヨロシクナ」
若干硬い口調で自然を装い自己紹介をするバルド。
一縷の望みにかけて面々が視線を送ると、仮面の奥から深淵をのぞかせる低く深い声が返ってくる。
「我は魔王軍四狂星――魔軍ヘルストラトス。貴様ら冒険者を殺しに来た」
捻りもなくただただシンプルな宣戦布告、と同時に意識が遠のく程の殺気が溢れだす。
和解の余地は皆無だった。