3話
冒険者登録を終えたアキラは掲示板の前で簡単そうな依頼を探していた。
掲示板は依頼用紙が鱗のように大量に貼り付けられている。その内容はアキラの知っているゲームや漫画のように甘くないようで、薬草採取や荷物運搬のような非戦闘系の依頼などは無い。簡単な内容なら高いお金をかけて依頼を出すまでもないからだ。その代わり、一定区画の制圧が主な仕事の開拓依頼や、商団の護衛など薬草採取や荷物運搬を大掛かりにした物が見受けられる。
どちらにせよ戦闘が必要な依頼ばかりだ。
アキラは戦闘が避けられないと判断して、仕方なく比較的弱そうなモンスターが討伐対象の依頼を探している。
しかし、如何せんモンスターの名前だけでは強さが分からない。
エビルイーターやブルゴンの討伐と言われても、アキラはどのような姿かすらも想像できない。
そうして一通り目を通したアキラが選んだ依頼は――
《畑を荒らすゴブリンを討伐してください。 報酬:1匹5000チル》
くすんだ緑色の肌に子供くらいの体躯と筋力。低い知能の弱いモンスターとして知られるゴブリンの討伐だった。冒険者として初めての依頼だが、ゴブリンがアキラの知識道理の存在なら簡単に勝てるはずだ。
ちなみに、チルというのはこの世界のお金の単位だ。アキラがギルドに来る道中で露店を覗いたところ唐揚げ棒が130チルだった。コンビニ換算なら1チル1円程の価値だ。
ゴブリン1匹で5000円と考え、アキラはかなり浮かれながら依頼用紙を掲示板から手に取った。受付カウンターの職員に依頼用紙を渡し受注登録を済ませると、ステータスプレートの1番下に、新しい欄が追加されてクエスト内容と討伐数が表示された。
この項目は魔術的に動作しているため随時更新されて討伐数が分かる仕組みだそうだ。
アキラはてっきり討伐数が分かるモンスターの部位を切り取って持って行くと思っていたため、かなり安心した。
ポケットに大量のゴブリンの奥歯や耳など入れたくないのだ。
***
木漏れ日が入る程度に鬱蒼とした森。
アキラは木の上に隠れて息をひそめていた。装備は長さ15センチ程の小太刀一本のみ。
やっている事は完全に盗賊の真似事。
しかしこれには理由があった。
少し前に遡る……。
依頼の森にやってきたアキラは、慎重に辺りを警戒しながら歩いていた。
いざ土壇場となるとその雰囲気に緊張してしまい、アキラはもう何度目か分からない深呼吸をした。
そんな時だった。
「グギャッグギュグギュ!」
「グギャギャギャ!」
少し離れた場所から不気味な声が聞こえてくる。明らかに人間の物ではない。モンスターだ。
アキラは茂みに隠れながら様子を確認する。そこには2匹のゴブリンが居た。
ゴブリンは地面に突き立てた棒の先端に小動物の骸骨を刺して、その周りで踊っていた。向こうはこちらの存在を気が付いていない。
「よし!」
アキラは勇気を振り絞り、その覚悟が消えてしまわないように柄にもなく小さく掛け声を入れながら、腰のナイフを構えた。
その短く小さい刃から思わず弱気になりそうで、すかさず思考を巡らせる。
(なぜ剣ではなく、ナイフなのか。ごもっともな意見だ。だけど考えてみよう。人間は長くて重い鉄の塊……剣を持ってブンブン振り回すことができるだろうか。ましてや戦闘で使えるだろうか。ムリムリ。疲れる。息が切れる。肩が外れる。腰痛くなる。やっぱ小さいほうがいいね。はは……。別に、引きこ……インドア派の弊害とかそういうのじゃないですよ。ええ、間違いなく。だから、よくわからん鉄の板を体に纏うのも不可能だ。重すぎる。きっと街にいた人は人間じゃないんだろうねー。あんなのボディービルダー筋肉妖怪しか装備できないよ。だから僕はいたって正常な人間として、防具は付けないし武器もナイフ1本なんだ。ははは……)
アキラは言い訳じみた思考をしながら乾いた笑みを浮かべた。
守護霊と守護対象の思考はある程度移り合う。その思考はアキラの守護霊であるタマキにも克明に伝わっていた。
タマキは呆れの視線を送りながら話しかける。
『なにやらめんどくさそうなことを考えているようだな……。だがまあ待て』
覚悟を決めたが決め切れていなかったアキラの中では、先程の自分は意気揚々と茂みから飛び出してゴブリンにスタイリッシュな奇襲を仕掛けるところだった、――という事にしてタマキに話しかけられたから『仕方なく』応して、決意を先延ばしにする事を正当化しながら小声で返した。
「きんさんどしたの? トイレ? 洩れそうなの?」
『……』
いっそのこと清々しい程の責任の転換に、タマキは返す言葉もないようで無言の圧力を送る。アキラは居心地が悪そうに肩をすくめた。
そしてタマキは切り替えるようにフンと鼻息荒く音を立ててから続ける。
『まあよい。そんなことよりもよく見ておれ!』
タマキが手を下から上へすくいあげるように動かすと、地面に落ちていた石が黒曜石のような濃紫のモヤに包まれ重力逆らって浮かび上がってきた。
拳台の大きさの石が2つ。ゴブリンと同数だ。
アキラはタマキがやろうとしている事を察した。先程の話を掘り返されるのを避ける意味合い9割、『もしかして強いのでは?』という期待1割を込めて無駄に大袈裟に反応しておく。
「ま、まさかきんさん……!」
タマキは念力に意識が向いているため、アキラの内心を知らずに素でその反応をしていると思い、機嫌良く口角を吊り上げて言い放つ。
『くっくっく。ギルドでは大げさな事を言うと小物感が出るので黙っていたがこの際だ。我の力を存分に見るがよい!』
タマキが手を引き絞り構える。それはまるで弓を引く様子に似ている。
『刮目せよ! そして、いまからは我のことを敬うといい!!』
「ああ、それが本心ね」
タマキは意気揚々と叫ぶと手を勢いよく前に突き出した。
その動きに並び、こぶし台の石が発射された。
「おお! 実は強かったパター……んあ?」
心霊現象ではあるが、超常的な攻撃方法にアキラが感動をあらわにする。しかし、その表情はすぐに懐疑的なものになった。
それは発射された石があまりにも遅かったからだ。ゆっくりとゆっくりとゴブリンに向かっていく意思を見ながら、アキラはある可能性を思いついた。
(いやこれだけの啖呵をきっていおいてこの程度なんていくら何でもおかしい。速度は遅いが実は力が強いのかもしれない……)
アキラはもう一度期待を込めて石に視線を向ける。ゆっくりと進んで行く石はタマキから離れるにつれて更に速度を落としているが、アキラは気のせいだと信じた。更にゴブリンに近づくと今にも墜落しそうな不規則な軌道になり始めているが、気のせいだと信じた。
そしてゴブリンに命中した。それだけだった。
石はハエの様な動きでゴブリンを小突いただけで地面に落ちて動かなくなってしまった。
(い、いやまだだ! もしかしたらここから爆発が……)
しかし返ってきたのはゴブリンの奇声だった。
「「ギギギイイィィ!!」」
ゴブリンは無傷だ。
タマキの行動は、アキラの位置を知らせただけだった。
アキラは予想だにしていない結果にタマキに叫ぶ。
「ちょっとおおおお!! 何やってんの!?」
『ええっと……。その……ですね、世界を渡った影響で思った以上に力が出なくてですね……』
動揺しながら意気消沈して言うタマキに、あまり余裕がないアキラは吐き捨てるように文句を言う。
「ふざけんな! 一瞬でも期待した僕がバカみたいじゃんか!」
アキラがゴブリンの方を見ると、既に迫っていた。
奇襲は失敗する上に準備をする(主に心の)時間まで無くなった。
しかしアキラはふと思い出した。相手はゴブリン。たかだかゴブリンだ。
大人と子供の勝負など負けるはずなんてない。
心が軽くなった。
(最初からこうしてればよかった)
身も心も軽いまま一歩踏み出す。
「あっ――――」
アキラは茂の中に隠れていたため、その一歩は草をかき分け普段以上の抵抗があり前のめりなる。
眼前に迫るゴブリンのこん棒。
その瞬間、アキラは――。
***
「やあ! さっきぶり!」
アキラはできるかぎり明るくフレンドリーに心がけて、ヤバイおじさんに話しかけた。
おじさんは感情の読めない表情で言う。
「ねえ、何やってんの?」
「いや、なんというか……」
アキラには何一つ言い返す言葉も出てこなかった。それもそうだろう。ゴブリン2匹、即ち子供2人を相手に負けたようなものなのだから。
「そのね、アタシもそこまで大きなことを期待していたわけじゃないんだよ? でもね流石にゴブリンくらい倒せると思ったんだけど」
「はい、何も言えません」
例え目の前のおじさんが年を考えないオカマで、どれだけ不可解な存在だとしても、アキラは何も反論できない。なぜならゴブリン2匹相手にすっころんでタコ殴りにされるクソザコなのだからどっちもどっちだからだ。
『少し待ってはもらえないだろうか?』
唐突に聞き慣れた声が響き虚空からタマキが出現した。
おじさんは思わず悲鳴を上げて飛び上がる。
「ひぃっ。化け物!」
そんなおじさんの様子を無視して、タマキは言う。
『今回は我のミスも、すこぉしだけ……敗因の8割だけ含まれておるし、我の顔に免じて見逃してくれないか?』
「きんさん、小学校で習う割分厘って知ってる?」
タマキはアキラの視線から逃れるようにおじさんの方へフヨフヨと向かっていく。
おじさんは挙動不審になりながら慌てて返す。
「わ、分かりました! 分かりましたから! 生き返らせますから! い、いや!! こっち来ないでえぇぇ!」
タマキはおじさんの言葉を聞くとアキラの方へ戻って言った。
『よかったなアキラ。これで生き返れるようだぞ!』
「いや嬉しいけどさ、その前におじさんをフォローしてあげなよ!」
おじさんは立っていられないようで空中だが、女の子据わりでその場に崩れ落ちていた。
タマキが不思議そうに首を傾ける。
『ええ? 何故?』
「僕はどこに驚く部分があったのかが気になるよ!」
たとえ幼子のように膝を抱えて振るえる人がおじさんでその光景が非常にシュールだとしても、アキラは慰める――世界線もあるのかもしれない。ここにはなかったが……。
おじさんはアキラに気を使われている事を気が付きヨロヨロと立ち上がる。
「だ、大丈夫だよ。アタシのことは、き、気にしないで」
「膝笑ってるよ」
「だ、大丈夫だから」
おじさんがそう言うと、アキラの足元からフワリと光が立ち昇る。数時間前と同じ風景だ。
「じゃあアキラさん! 今後一切、金輪際ぜーーーったいに来ないでください」
念を押すおじさんの様子を見て、アキラはこれ見よがしにタマキを煽る。
「きんさんめっちゃ嫌われてるじゃん」
『さほど気にすることでもない。別段、好かれたいわけでもないしな』
「意地でも謝らないんだね……」
タマキはさらりとアキラの言葉を聞き流して、おじさんの方を向いた。
『それではな、かm――』
「いやああああ。話しかけないで変態!!!!」
タマキが言い切る前におじさんの悲鳴にも似た叫びが炸裂して、アキラの足元の光が急激に強くなった。
視界が白一色で塗りつぶされアキラは一言。
「バル〇!」
***
アキラが消えた後にタマキとおじさんが残っていた。
「それで? 一人で残って何の用?」
『いや、ただお主にきちんとした挨拶をしようと思っただけだ』
「挨拶?」
おじさんはオカマな様子で話すが、アキラがいた時の様な怯えも気負いも存在していない。
反射的に聞き返すおじさんに、タマキはいつもとは違い真面目な表情で話す。
『うむ。お主には世話になった。本当に様々な事をな……』
そう言い、遠くを見つめるタマキは哀愁のような雰囲気が漂っている。
『お主の選択に我は何も言わぬ。だから次に出会うときは――』
その声と姿は霞むように消えて行った。
タマキが何を言おうとしたのか、おじさんが聞き取れたかは分からない。
*****
気が付くと目の前に二人組のゴブリンがいた。
「やあ! さっきぶり!」
「「ギギィ!?」」
アキラが今日2度目の言葉を口にすると、ゴブリンたちは驚愕して体を硬直させる。
つい先ほどタコ殴りにした相手が無傷で復活してきたのだから驚くのも当たり前だ。
アキラは硬直しているゴブリンの胸にナイフを突き刺す。
「ギ、ギィィ……」
ゴブリンが力無く悲鳴を上げる。赤い血が溢れ出し、突き刺さるような生臭い鉄の匂いが鼻孔を刺激する。
苦しそうなゴブリンの様子と、生々しい肉の感触に、普段のアキラなら気分を悪くして吐いていた。だがおじさんから貰ったスキル《精神衛生》は、アキラに不快感を感じさせる事はなく平常運転させた。
その恩恵でアキラは人型の生物を殺しているにも拘らず平常心だ。一匹のゴブリンを注視して視野狭窄にならずに二匹のゴブリンも視界の端に捉えたままだった。
ゴブリンは知能が引いため判断力も低い。もう一匹のゴブリンはいまだ状況が理解できないようで茫然としている。
ナイフは刺さったままなので、アキラは素手で殴る。
アキラは初めて生物を殴り慣れない手の痛みに驚きながらも振りぬくと、ゴブリンは簡単に転がった。
その隙にナイフを回収して、二匹目のゴブリンに跨って胸部の中央に突き刺した。
「ギ、ギィィ……」
悲痛な断末魔を上げてゴブリンの知性の欠片も存在しない濁った瞳が色を失っていく。
二匹のゴブリンが生命活動を停止した。
その事に動揺していない事に気が付き、アキラはようやく《精神衛生》の効果を実感した。
するといつの間にか出現していたタマキが上機嫌で言う。
『なかなかやるではないか! 徒手空拳を使う事の優位性と、その判断は称賛に値するぞ!』
アキラは褒められたことに、あまり良い気分はしなかった。微妙な表情を浮かべて返す。
「そうかもしれないけど、結局子供相手なんだよなぁ……。小学生と高校生の戦いで、筋力も身長もこっちが上。勝てて当たり前の戦いなんだよねぇ」
『謙遜するでない。確かに現実はそうだが、喜べるときに喜んでおくことも……ん?』
タマキが言葉を切って辺りを見回し始めた。少し遅れてアキラも気が付いた。
色々な方向からガサガサと草木をかき分ける音が無数に聞こえる。
そこでアキラは思い出した。タマキがゴブリンに石を当てた時、ヤツは大きな雄叫びを上げていた。
「……」
音が近づいてくると、近くの茂みからゴブリンが出てきた。その大きさは先ほどのゴブリンとは比べ物にならない程に大きい。大の大人と比べられる程の身長に隆起するほど筋肉が付いている。おまけに武器は木の根のこん棒ではなく、反りの入った凶悪な蛮刀。
その静かで獰猛な視線がアキラと合わさった。
「どうも。失礼しました~。――あ……」
背を向けて、スタコラサッサと逃げようとしたところで、アキラはガシッと頭をつかまれ持ち上げられた。
片手の握力と腕力で60キロのアキラを持ち上げる巨大ゴブリンの筋力は凄まじい。握られているだけなのに、人体の中でも頑丈なはずの頭蓋骨がキリキリと閉まっていく。逃げようともがくがびくともしない。
アキラはどうにかしようと白を切ることにする。知能が低いゴブリンならどうにかできるだろうと信じて。
「あの~自分さっきの声とは人違いなんで。無関係のモブAなんで離して貰っても……」
その言葉の最中でアキラはゴブリンに頭をグルリと回されて後ろを見させられた。
2匹の胸を刺されたゴブリンの死体。そしてゴブリンがアキラの持っている血の付いたナイフに視線を向けた。
「QED! お疲れ様であります!」
完全に積みの状況に、先程死を体験したことも相まってテンションが愉快な事になる。
周りの茂みからも次々と子供サイズゴブリンが集まってくる。
「「「「「ギイイイイィィィィ」」」」」
襲い掛かるゴブリンの大絶唱を聞きながら、アキラは一言だけ。
「察し……」
***
「やあ! さっきぶり!」
今日何度目かの言葉を口にすると……。
「いやああああああああ」
「バ〇ス!」
目の前が真っ白に染まった。
*****
森の中。
巨大ゴブリンが叫ぶような号令を掛けると、通常サイズのゴブリンが各々背を向けて解散し始める。
それから巨大ゴブリンは地面に転がっている二匹のゴブリンの死体を一瞥する。そして手に持っていた物を近くに投げた。
原型の分からない赤い肉塊が地面に転がされる。多数のゴブリンとそのリーダーと思しきゴブリンに囲まれて。今しがた無残な死を遂げた事を想像させられる死体だ。
巨大ゴブリンはそれらの死体に背を向けて一歩、また一歩と歩みを進める。
その行動には、同胞に対する敵討ち。別れと安寧を願い、未練を残さぬように振り返らない。そんな覚悟が感じられる。
知能が低く人を襲う事こそ本望とするモンスターのゴブリンと言えども、生きている事には変わりない。生に対する慈しみは存在しているのだ。
しかしそうはできなかった。これから朽ち果てていく同胞を最後にもう一度、目にしておきたかった。
巨大ゴブリンが振り返る。そしてその表情を強張らせ驚愕に歪ませて、体を硬直させる。
そこには、いましがたタコ殴りにして嚙み砕いて投げ飛ばした相手が無傷で立っていたからだ。
***
アキラの意識が覚醒する。広がる視界。
そこには巨大ゴブリン……ゴブリンリーダーが驚いた様子で棒立ちしていた。その背後には、背を向け散り散りに帰ろうとする普通のゴブリン達が映った。
アキラはその反応を当たり前だと思った。殺したばかりの相手が復活したら、誰だろうと驚いて硬直してしまうだろう、と。
しかしゴブリンリーダーは違った。生き返ったアキラへの動揺。因縁の相手への憎しみ。同胞への悲しみ。様々な感情が溢れ出し硬直していた。
その思考は、人間と比べると低い知能のゴブリンが処理し切るには時間を要する。
なまじ頭の回ることが災いし、ゴブリンリーダーは激情による硬直から回復するのに遅れた。
アキラは復活と同時に鞘まで戻ってきていたナイフを引き抜き地面を蹴った。ゴブリンリーダーまでは数歩の距離。
その動きをゴブリンリーダーは捉えていたが、別の事に思考を回転させる脳は情報を流してしまった。
時間にして一秒程度の隙。しかし戦いには致命的な隙だ。
硬直するゴブリンリーダーの胸の中心に、アキラはナイフを突き刺す。
固い筋肉に拒まれる感覚を無視して強引に根本までねじ込む。
痛覚による危険信号にゴブリンリーダーの生命本能が全ての思考を中断させる。しかしもう遅かった。ゴブリンリーダーの野生の感が致命傷だと訴えている。既に脱力し始めている肉体では声を発する事も一矢報いる事も出来ない。
アキラはゴブリンリーダーからナイフを引き抜いた。心臓を潰せば血流が止まる。既に死に体。死神の鎌にかかった状態だ。放置しておいて問題ない。
だからといってホッとする暇も無い。解散し始めていたが通常のゴブリン達がいるからだ。
急いで隠れる場所を探し、近くの木に登り息をひそめる。
間もなくしてゴブリンリーダーが力無く倒れた。
ゴブリンリーダーは無念と抗えないナニカを感じ、うわごとの様に願った。
――次のリーダーこそ、この雪辱を晴らしてくれることを。
そうして、ゴブリンリーダーは死ぬ間際に呪いを残し、輪廻の理に導かれて天に昇って行った。
***
ゴブリンリーダーが倒れる『ドサッ』という音で、普通のゴブリンが振り返り急いで戻ってくる。
アキラは寄ってくるゴブリン達を内心ヒヤヒヤしながら見ていた。アキラが最初に見たゴブリン達はもう帰ろうとしていたが、もしかしたら後ろを向いている個体に気に登る姿を見られていたかもしれないと思ったのだ。
しかし一匹たりとも上を向く気配はない。
それどころか、ゴブリン同士で言い争いの様な事が起こり始めた。
「ギギギィイ!」
「ギイギイ!」
「ギギギギギ!」
「ギギギーギギーギギ」
「ギッギギッギギィ♪」
愉快にリズムを刻んでいたゴブリンがボロ雑巾になった。
アキラは先ほどの一匹だけが大きかったことからリーダー的存在だと解釈していた。そして、その存在がいつの間にか死んでいるとなれば、何を議題にしているか容易に想像できた。
(フムフム。つまりあれだろ。『なんでお父さん死んでるの? 誰がやっての? ピエン』状態だろう……)
そう思考するアキラに、タマキはジト目を向けて話す。
『いや、最後のピエンいらんだろう』
アキラはゴブリンに気が付かれないように小声で返す。
「そんなわけないだろ! 子供みたいな身長だから、ピエンがあった方がどう考えても可愛いでしょ!?」
『さっき自分を殺した相手に、可愛いを求めるのもどうかと思うがな?』
「そう思えばそうだね……」
アキラは苦笑いを浮かべてゴブリン達に視線を戻す。
いつしかゴブリン達はヒートアップして激しく『ギィギィ』と言い合っていた。そしてついに手が出始めた。
ゴブリンのゴブリンによるゴブリンのための大乱闘が始まる。
20匹前後のゴブリン達の乱闘だ。
前と殴り合っているうちに後ろから殴られ、後ろから殴ったゴブリンも横合いから殴られもみくちゃになる。その中でも知能の差が出ているのか、賢いゴブリンは外周部で乱戦に巻き込まれないようにしている。そして戦いから逃げて外周にいる臆病者を張り倒し、その隙に殴られて張り倒される。
倒されて諦めたゴブリンは屈服のポーズとして、生物の弱点であるお腹を見せて転がる。そういったゴブリンは見逃されて闘志のある者同士が戦い合う。
タマキは視線を戦いに向けたままアキラに言う。
『どうやら奴らは、次代のリーダーを決めるために戦っているようだぞ? 最大のチャンスだが……いつ動くのだ?』
「え!? 仲間割れじゃなかったの!? なんでわかるの!?」
タマキは当たり前のことを言うように平然と答える。
『本人達が言っていたからに決まっておろう。アキラもスキルで聞いていたのではないのか?』
アキラは森の中に入ってからは周りの会話を聞く必要がないと思い、《言語翻訳》を切っていたためゴブリンの言葉など分からなかった。
アキラは表情をやや固まらせてさらに小さい声で言う。
「……。すいません。忘れてました」
『……』
まあそうだろう、と分かっていたタマキは沈黙で返す。
アキラはその沈黙を呆れ果てて言葉も出ない、のだと思い居心地悪く感じて話題を逸らすことにする。
「ていうかさ、きんさんも《言語翻訳》使えたんだ。もしかして守護霊だから僕のスキルは使えるとか?」
『いや、使えぬぞ?』
「……??? じゃあ何で?」
タマキは少し得意げに答える。
『我は守護霊スリーパーだぞ?』
「ああ、自称ね……」
アキラの言葉をサラッと聞き流してタマキは続ける。
『この技は我が出会う守護霊にちょっかいをかけていった末に会得したのだ』
「ちょっかいって……。そんな小学生が好きな女の子にするみたいに言われても……」
『人外の守護霊と戦っても、反応が分からぬから面白くないであろう? だから霊力を使い翻訳してみたのだ!』
『どうだ?』『すごいだろう!』とでも言いたげなドヤ顔で言うタマキだが、気持ちが先走りすぎて概要しかアキラには理解できない。
「霊力? なーにそれ? どこから生えてきたの?」
『霊力とは存在の力。生物の魂に秘められた力だ。我のような強大な守護霊ならその霊力も凄まじく――』
「ああ、はいはい。すごいすごい。きんさんすごいよー」
まともな答えが聞けないと思ったアキラは過剰に褒め称えておいた。
アキラはこういった手合の人達はネトゲ界隈で腐るほど見て来た。自身の過大評価や、理論も無く運よく成り行きでうまくいった事を実力の様に言う人達。そういった雰囲気をタマキに感じたのだ。
(つまりあれだな。……コイツは運がいいバカだ)
ビギナーズラックと言う言葉がある。その言葉をアキラはこう解釈していた。
熟練者なら危険度から避けて通る道のりを、何も知らない初心者だからこそ気負いも無く通ってしまい、運よく熟練者が無意識的に確率から除外しており、運よくゲームシステムでも使用率の低い選択肢があると確率操作がされていた結果、初心者が大成功を収めると。
アキラはタマキの事を、ビギナーズラックという現象が立て続けに起きてしまいそれを実力と勘違いしている手合いと思った。
そして実力は先ほどタマキが見せた念力で証明済みだ。
熱く語るタマキの横で、後で思い出した時悶絶するような黒歴史を残しているだろうが頑張れよ、と親指を立てておいた。
そうしている間に、半数以上のゴブリンが伸びていた。残りは中央で戦っている。敗北したゴブリンも離れた場所で観戦していたり、気絶していたりする。
アキラはその様子を見てふと思い呟く。
「あれ? もしかしてこれってチャンス?」
タマキは語るのをやめてアキラに言う。
『だからさっきチャンスだと言ったであろう? して、いつ動くのだ?』
中央のゴブリンは戦いでそれどころではない。周りのゴブリンは中央へ意識を向けている。
周りから倒していけば気付かれるリスクは少ないだろう。
「今行くしかないね!」
アキラは静かに木から降りて降参ポーズをしているゴブリンに忍び足で近づき、無防備に晒されているやせ細った腹の中央にナイフを突き刺した。
「な、何!? だ、誰だ……お前……」
《言語翻訳》を通して翻訳されたゴブリンの声が小さく漏れる。しかし、その悲鳴は乱闘の喧騒にかき消されて誰の耳にも聞こえない。
そして次の狩りやすそうな孤立するゴブリンに向かっていく。
(なんで盗賊の真似事してるんだろう……?)
アキラは何か違う気がして、微妙な表情で戦いですらない狩りをつづけた。
*****
「うおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」
最後の1匹に残ったゴブリンが大声で勝利の雄たけびを上げる。
リーダーになることがよほどうれしいのだろう。雄たけびを上げながら飛び跳ねている。
まるで、子供が親にゲーム機を買ってもらえると知って『やった!やった!やった!やった!』と、喜んでいるような様子だ。
そんなゴブリンにアキラはゴブリンの言葉で自然に話しかける。
「お疲れ様。新しいリーダーさん」
ゴブリンは荒い息を整えながら声がするアキラの方を向いた。
その瞳に人間を捉える前に、アキラは慣れた動きでナイフを突き刺した。
ゴブリンの目が見開かれる。
「……なっ!? 貴様!? 俺の部下たちは何を――」
『何をしている!?』そう言いたかったのだろうが、その前にゴブリンは部下達の姿が目に入り言葉を詰まらせた。
すべてのゴブリンが、胸から血を流して倒れている。その力無く横たわる姿を。
「ここまで来ると僕も申し訳なくなってくるよ?」
アキラは最初の頃バレないかと心配に思いヒヤヒヤしながら倒していた。
しかし、孤立したゴブリンを粗方倒し終わり、二匹並んで観戦するゴブリンの片方を倒した時だ。歓声も少なくなり静かにも拘らず、もう片方のゴブリンは気が付いていなかった。思わずアキラは『なんでやねん!』と関西弁でツッコミを入れたのを覚えている。流石にその声には振り向かれたが、喋る前に静かにした。
そこからはなんとなく察してしまった。
一撃で倒し損ねて派手な声を出させてしまった時も、足元の石に転んで三人組の一匹に頭突きをかましてしまった時も、自分もゴブリンと肩を組んで三匹となって応援した時も、全く気付かれなかった。
先ほどまでの行動を思い返して、アキラは内心を吐露する。
「もうねー、意味が分からない。いや、まあ、ゴブリンの知能が低いとは知っていたけど、ここまでとはね……」
ちなみに、2位まで残ったゴブリンも目の前のヤツが雄たけびを上げている時に倒しておいた。そしてその事にすら気付かれなかった。
「まあいいや」
種族が違えば常識も違う。そこに更に世界まで違うのだから分からなくて当然だと、理解することを放棄する。
アキラはさっぱりした表情で言った。
「来世では、もう少し知能のある種族に生まれ変わってくれ」
ゴブリンからナイフを引き抜く。小さく軽い体が支えを失い、後ろによろける。しかし倒れなかった。
「お……前に……だけは――」
ヨロヨロと歩く事すら覚束ない。だがそれでも、ゴブリンは爪を立ててアキラに攻撃しようとする。
その行動を見たアキラの脳裏に、いつかの記事が二つフラッシュバックした。
一つ目は、生物は瀕死の重傷を負った時、生命本能が生きながらえるために体力を使わせまいと体の動作を停止させる。
二つ目は、痛みという膨大な量の情報が神経伝達を占領して動けなくなると。
その二つの審議はどうであれ、生物の最も原初的な構造を意志の力のみで覆しているという事だ。
ゴブリンリーダー。彼に最大限の尊敬を込めて、心からの一言を送ろうとした。
とはいえ、アキラには詩の才能があるわけでもなく聖職者でもない。
悩んだ挙句、とっておきの言葉が頭の中に浮かんだ。
「おまえはすげぇよ、よくがんばったな、たった一人で」
タマを7つ集める国民的アニメで聞いたセリフ。
――おっと、卑猥な玉ではないよ?(神の声)
そのセリフをなんとなく言ってみた。
ただしその先は思い出せない。
「ええっと、確かク〇リンのこ……いや違うな。うーんと。……まあいいか。じゃあな、カ〇ロット!」
瀕死のゴブリンにアキラは回し蹴りを食らわせる。側頭部に衝撃が走りゴブリンの意識を刈り取った。
そして、そのまま呼吸も止まった。
アキラは死屍累々とする戦場に背を向けて帰路に着く。
「さて全部倒したし帰りますか!」
『決めセリフの後のトドメが雑すぎて、全くキマっておらんなぁ』
「おい! ひと仕事終わっていい汗流した~的な雰囲気出してんだから、いらんこというな!」
『いいや、アキラは分かっておらん! 戦いとは華が無ければ侵略と同じ。ただの外道だ! そこをはき違えては困る!』
「ああ、うん、そっすね。ていうかそういう頭痛くなる話はあとでしない? そのうち聞いてあげるからさ」
『いいや、そうやってアキラが母親の話を流し続けたのを我は知っておるぞ!』
「うげっ……。うう、頭が……待って本当に頭痛くなってきた」
『我が戦国時代の華について聞かせてやるから、しっかりと聞くのだぞ?』
「いや本当に頭痛いんだって」
二人で仲良く騒ぎながら《両塞都市ガダイ》へ向かう。
平和な国で育ったアキラに分かりやすい形で直接的な殺しの経験は無い。にも拘らず、これだけの数を殺したアキラに気負いは存在していなかった。
《精神衛生》のスキルの効果もあるが、アキラ自身も死んでその上で生き返ってを繰り返したため、タマキという生と死の境界すら存在しない霊の思考が移っている事も一因して、元々自殺志望者のような思考回路だったのが、更に悪化している。
アキラの価値観は常人とは大きくかけ離れている。それは命のやり取りが頻繁な冒険者の中でも例外ではない。
アキラにその自覚はない。
三人称に書き直したら八千から一万三千字になってしまった。
でも作者的には、主人公とか周囲とか敵の考えを些細に表現したい。