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7Days  作者: 藤島ヴォルケイノ
8/9

第8話「最終夜」







ほんの少し前まで






ほんの少し前まで、フィーは居た。

 俺の目の前、美しい翡翠色の瞳に涙を携え。


ほんの少し前まで、フィーは泣いていた。

 俺には、何故彼女が泣いているか理解できなかった。


ほんの少し前まで、見送りに行かない、という俺に、

 フィーは寂しげな顔を、より一層曇らせていた。


ほんの少し前まで、「結局、何一つ、約束を果たせませんでしたね」

 微かな自嘲と共に、見つめる彼女の視線の先には、このこの数十日で、しっかりとおこげのこべり付いたフライパンがあった。

でもそれは、魔法を一つたりとも使えるようになれなかった俺にしても同じだ。

それを口にするかどうか少し悩んで、結局俺は、己の膝に顔を伏せた。


ほんの少し前、この部屋から外へと繋がる唯一のドアの前から、フィーが俺の名を呼んだ。

 俺は、それでも動かなかった。

  返事一つ返さず、じっとうずくまっていた。


ほんの少し前、とんとんとん、という、足音に俺は顔を上げた。

 ドアの開く音は聞こえてきてなかったので、それがフィーの足音である事はすぐに分かった。

 

ほんの少し前、俺の前で止まったその足音に、俺は顔を上げた。

 忘れ物でもあったのだろうかと、ぼんやりと考えていた。

  

ほんの少し前、俺の目の前には、かがみ込んだフィーの顔があった。

 流石に少し驚き、固まった俺の頬を彼女は両手で挟み込むと、彼女の柔らかい唇がそっと俺の唇に押し当てられた。


そして――



「さようなら」



 











   ――7Days 『 最 終 夜 』 ――














 月と星と街の灯かり。

カーテンの隙間から流れ込むそれらの光だけが、俺の部屋にある小物をうっすらと浮かび上がらせていた。


ぼんやりと眺めた対面の壁には、もうフィーは居ない。

ほんの数日前まで、今の俺と同じように、何も語らず、何も食せず、死んだ魚のような瞳をさせていた彼女はもう居ない。


フィーは帰ってしまった。

彼女の本来あるべき世界へと。


  満足だ。

  これで、満足だとも――


どうしようもなくぽっかりと空いた喪失感を、無理やりに言葉でねじ伏せようとする。


  あの日感じた、彼女の温もり。

  あの日刻んだ、俺の思い出と傷跡。


それを以て、俺は全ての決着をつけたのだ。


  俺は無能で、下種で、どうしようもない愚か者で。

  心の鉄芯は折れ、目指すべきものはなく、

  喜ぶべきはずの彼女の生還を、こんなにも酷く嫌う。


涙が出た。


彼女が部屋を去るときには流れなかった涙が、今更に俺の頬を濡らした。

けれども、今で良かったんだろうと思う。

あれ程までに、彼女を傷つけた俺に、別れ際、涙を流す権利など、あるわけがない。


微かに視線をずらし、テレビの上に置かれた時計へと目をやる。

蛍光塗料を針の先端に塗られているそれは、この薄明かりの中でもしっかりと時間を俺に教えてくれた。


時刻は22時ジャスト。


あの時の言葉に偽りが無いのならば、あと2時間で、あの山の山頂に異世界とこの世界を繋ぐ門が開く。

今頃は、フィーも弱った彼女の体に鞭打ってその場所を目指しているはずだ。


  ――あと、二時間。


心の中、繰り返されるカウントダウンに、いっそ早くその時が過ぎてくれる事を願う。


傷つけて、恨まれて、憎まれて、そうした方がずっと楽だと思っていた俺とフィーとの別れは、最後は彼女の口付けで終わった。

 

  つまりはアレだ。

  少なからず、この世界に一人残される俺に同情してって事でだな。


自嘲気味に笑い、座ったまま肩をすくめた。

これは当初の予定とは違う。

俺は、彼女に嫌われたかったはずだ。

嫌われて憎まれて、忘れられないほどの思い出になる事こそ、俺の願い――


  ――違うっ!


  違わねーよ。


心の反論に、即否定を重ねた。

それでも、その反論は、尚も叫んだ。


  ――違う!違うっ! 違うっ!!

   俺は、フィーの事を――


  今さら弁解してんじゃねーよ。


後頭部に激しい衝撃が走った。それは、自身で後頭部を壁に打ち付けた衝撃だった。

それでも心の中の弁解は止まらない。『違う』と俺の心が叫ぶ都度、俺は自身の後頭部を壁に叩きつけた。

何度も何度も。

その声が聞こえなくなるまで、もしかしたら先に死ぬかもしれない、

そう思える程に何度も打ち付けた。


やがて上下に激しく揺れていた視界が横へと流れ始めたかと思うと、最後にもう一度、ごんっという衝撃が、今度は頭部の右側より響いた。


どうやら俺は倒れたらしい。

倒れこんだ姿勢で、疼く頭をそのままに、俺は視線だけでもう一度、己が部屋を眺めた。


 薄暗い部屋。

ぼんやりと浮かび上がる白いテーブルの上には、焦げた野菜炒めが並ぶ事はもうない。

火の落とされたガスコンロ、あの前から頻繁に聞こえていた小さな悲鳴を聞く事はもう出来ない。

『これが私たちのお風呂です!』風呂場の前、そう言い胸を張って見せた彼女は、もうどこにも居ないのだと、そう思うと心が痛んだ。


  もう……いい


考えたくなかった。

何も考えたくなかった。


疼く頭で漠然と思う。

俺は恐らく一生、彼女の事を忘れる事が出来ないのだ、と。

そして、この苦しみを、ただ一つの失恋として乗り越えるような真似も出来ないのだと自覚する。

うじうじと、一生、苦しみ、悩み、そしてこの喪失感を味わい続けていくのだと、


  それでも、いいさ


俺は傾いた視線をそのままに、瞳を閉じた。

瞼に閉ざされた暗闇の向こう。まだ、元気だった頃のフィーの笑顔があった。


『鉄郎様っ』


様はやめろって――言っても聞かない事は重々に承知。

そう返されるのも、百も承知。

穏やかな春の日の太陽の温もりに包まれているかのような日々が、瞼の向こう側にはあった。


彼女の居ない、この部屋は見るに堪えなかった。

逆に、瞼を閉じてさえいれば、俺はいつだってフィーに会うことが出来た。


だから俺は、閉じた瞼をもう開くつもりはなかった。

今も変わらず、ただ笑顔のみを俺に向けてくるフィーがそこにはいた。


俺は、また思い出の中へと逃げ込んでいく――
















*****************************************













「ずるいですっ

 鉄郎様のいぢわる!」

「ふははははっ」


場所はボウリング場。

その日、俺はいつか交わしたフィーとの約束を果たすべく、二人でボウリング場へと来ていた。

ひょんな事から、負けた方がいう事を聞く、という大勝負に発展していた今ゲーム。

俺は別段、ボウリングが得意と言うわけでもなかったが、対するのはまったくの初心者であるフィーである。

はなから競い合いになるわけがなく、彼女がそれに気づいたのは5ラウンド目。

順調にスコアを伸ばしていく俺に対し、Gの文字と1と2の3種類の文字が液晶ディスプレイに並び始めたそんな時になってからである。


「元々、経験者とシロウトの私で、勝負になるわけないじゃないですかー」

「言い出したのはフィーだった気がするんだが?」


圧倒的成績の差、涙目になりつつ異議申し立てをするフィーを、白々しく躱し、投げた俺の6ラウンド目の投球は、見事ストライクとなった。


「さて、何をお願いしたものか、」


本当のところは、こんな結果の見えた勝負などなかった事にしても良かったのだが、ムキになったフィーが面白くて、俺はもう少しからかってやる事とした。


「うぐぐぐ……」


子供でも持てる様な、軽いボウリングの球を両手に抱き、フィーが頬を膨らませて怒っていた。

が、それは怖いというよりも、正直、可愛い。

堪えきれぬ笑いが口から溢れ、再び笑い出してしまった俺に、フィーは意を決したようにレーンへと振り返ると、


「私、負けませんからねっ!」


この期に及んで、まだ諦めないのか、ボウリングの球を投げる、というよりは、ボウリングの球に、引っ張られているようなモーションで投じられた彼女の球。

それは、レーンの上を非常にゆっくりとした速度で転がり、


「あー、こりゃ今回もガターだな」


明らかに淵へと逸れていく彼女の球を目にした俺が、そう言った時、


「《ニンフ》よ――」


フィーが何かを言った。

瞬間、今まさに溝に落ちようとしていたボーリングの球が、中央ピンめがけて急加速する。


「な――」


驚愕する俺を尻目に、加速した球は中央ピンのど真ん中へと突き刺さると、


 『ストライク! Congratulations!!』


液晶ディスプレイにてかてかと表示される祝辞。


どうみても魔法です。ありがとうございました。

流石に放心する俺を、フィーはゆっくりとした動作で振り返ると頬に不敵な笑みを浮かばせながらつづけた。


「さて、何をお願いするか考えておかないといけませんですね?」

「ず、ずるくないか?」


かくして、トンでもボウリング勝負は幕を開けたのである。


「い、今から逆転できると思うなよ!」


若干の動揺からか、俺の投げた球は中央ピンより外れ、それでも辛く第二投でスペアを収めた。

第7ラウンド目、この時点で俺とフィーの点数は51点対6点である。互いに今回のスペア、前回のストライク分が加算されてくるとしても、この点差は容易に埋められるものではない。

スペアでも十分な結果と、ガッツポーズを取ってみせる俺の横を、フィーはすまし顔で通りすぎると、


「え~いっ」


なんとも気の抜けるような掛け声。

だが、


 『ストライク! Congratulations!!』



再び俺の横をすまし顔のままで通り抜け、自分の席へと引っ込んでいった。

いや、呆ける俺の方を見て今微かに笑いやがったぞ、あいつ。


絶対、負けれねぇ――と、闘志を燃やしながらの第8ラウンド。

軽い不安から始めた点数の計算を途中で一時中断。俺が投じた投球は8+2の再びスペア。

順調に伸ばすスコアは現在、7ラウンドの段階で89点だ。

これで最悪次がガターでも99点が確定している。

対するフィーの成績は、8ラウンドもストライクを収め、7ラウンドの時点で66点となっていた。


あれ…これはやばくないか?

と、気付いたのは、9ラウンド目を投げる直前になってだった。

脳内での点数計算が完了する。

これ以降フィーがストライクのみを出し続けるとして、彼女の最終スコアは156点となってしまう。

焦燥感を抑え込み、俺の投げた投球は、見事ストライクとなった。


 『ストライク! Congratulations!!』


だが、液晶に表示されるその文字も、なんら俺を安心させる材料にはならなかった。

もはやストライクしか出さないフィーに勝つためには、次の最終ラウンドにスペアかストライクを取った上での第三投目が必須となっていたからだ。


フィーはと言うと、9ラウンド目ももちろんストライクで収めた。恐るべし魔法である。

というか、ストライクを取る為の魔法って、一体何さ!

難癖というよりは、正当な苦情をそっと心の奥底にしまい、迎えた最終ラウンド。


「鉄郎様。

 がんばってくださーい。」


己の勝利を確信してか、無責任なフィーの黄色い声援、安っぽい挑発に絶対に負けてやらねぇと心に誓う。

だが実際、分の悪い状況であるが、決して勝ち目のない勝負でもない。

信じても居ない神様に、ちょこっとだけお祈りをしてから投げた俺の最終ラウンド最初の球は――


『ストライク! Congratulations!!』


「おっしゃぁ!!」

「おおーっ、すごいです!」


柄にもなく叫んでしまう俺に、フィーは惜しみない声援。

くそ、余裕あるな、こいつ。


 ……さて、


正念場はここからである。

その点数は、現状の俺の点数では遠く及ばない。

仮に、ここで2連ガターでもしてしまえば、俺の点数は――


「ええっと、139点か」

「……結構、ムキになるんですね」


なんとでも言え、異世界人め。

既に、俺の中では次の1投に、全人生、いやいや、全人類の未来を賭けんが勢いなのだ。


「ストライクか、スペアか……」


ストライクなら問答無用の勝利、スペアでもそれは変わらない。

最悪でも9本倒せば、同点となるのだが、ここまで来た以上、やはり勝ちたいところ。

俺は、今一度ボウリング球を慎重に握りなおすと――


「行けぇ!」

「どまんなか、当たります!」


投げた!

俺が投じた球は、微かな弧を描きながら中央ピンへと向かい進んでいく。

これがストライクなら俺の勝利は確定。

よしんば、1、2本残った所で、スペアを取れば良いだけの事。

狙った通りの軌跡を描く自身の投球に、俺は拳をこっそりと握りしめ、

だが、現実は、常に厳しいもの。

俺の投げた球は、確かに中央のピンに命中はした。

けれども、弾かれたピンが他のピンを薙ぎ倒す中、勝利の女神は男よりも実は女好きなんではなかろうか。

そんな疑問を俺に抱かせてしまうような、


「す……すぷりっとぉ!?」


見事なまでに中央だけこそぎ落とされ、最も左右のピンだけが残るレーンがそこにあった。

次のラウンドも見事ターキーで収めるであろうフィーに勝つ為には、このスプリットを収める必要がある。

だが、レーン上に残された2本のピンのナンバーは7番と10番。数あるスプリットの形態の中、最奥部両サイトのピンだけが残るこの状況はセブンテンと呼ばれ、実質上不可能とさえ言われているのだ。

これは、もう流石に諦めざるを得ない。


「ふぅ……」


と、深いため息を一つ。

勝利を諦めた俺は、敗北の悔しさをそっと己が胸の奥底に仕舞い込むと、フィーを振り返り、


「どうやら人類は異世界人に滅ぼされてしまうそーだ」

「いつからそんなスケールの話にっ!?」

「勝ったからって調子にのんじゃねーぞ、この異世界人がぁあああっ」

「酷っ、ってか、全っ然、自分の胸の仕舞い込んでないじゃないですか!

 って、八つ当たりで私の頭を、ぐりぐりしないでください~っ」


と、まぁそんな事してみたところで俺の敗北は変わりない。

人類の滅亡は、どうあっても逃れようないものなのだ。


「あ、そのまだそれ引っ張るんですか?」

「……」


ともあれ、せめて1本倒せば同点なのだ。

だから、俺が狙い定めたのは7番ピン。

ガターせぬようにやや中央よりに狙いを定めると――


「……諦めるんですか?」


その声に、俺は、危うく投げかけたボールを辛く留め、フィーを振り返った。


「つっても、ありゃ――」


――無理だよ、続けようとした言葉は、彼女の翡翠色の瞳に遮られた。

いつもの彼女の瞳がそこにあった。


彼女の瞳には、常に色褪せることなく、一つの事を繰り返していた。

それは、『決して諦めない』という事。

けれども、この期に及んで、俺にどうしろと言うのだ?

強引にスプリットを狙えば、ガターを引き起こす可能性は非常に高い。

それならば、確実に同点を狙いに行くほうが、正常な判断ではないか?

それだって俺の技量では危ういのだ。


「流石にあれは無理だよ」


俺は、肩をすくめると、もう一度言い直す。

そして、もう一度彼女に背を向けると、左の7番ピンに狙いを定め、


「……諦めるんですね?」

「……」


ザワリと心が揺らいだ。

『諦める』という言葉が俺に重くのしかかった。


フィーはボウリングというスポーツを分かっちゃ居ない。

だからこそ、俺の決断を容易に『諦める』と言えるのだ。

これだって立派な英断だと俺は思う。

限りなく薄い勝ち目を諦め、妥当な同点を狙う。

それに同点なら先の勝負もドローでなし。

誰が被害を被る事も無いのだ。

だというのに、どうして彼女はこうも突っかかるのだろうか?

だというのに、どうして俺の心は、こんなにも彼女の言葉でざわつくのだろうか?


結局、再び投球を中止した俺は、フィーを振り返った。

正面から見つめ返した彼女の翡翠色の瞳。

俺は、いつもそこに過去を見出していた。

大学生となってしまう前。

ただ只管に、泥まみれになりながらボールを追いかけていたあの頃。

弱い弱いチーム。

どこかの大会に参加すれば、全てのチームが強豪だった。


 あの頃の俺は、それでも負ける為の試合などしていなかった。


いや、それどころか――


楽天家にも程があろう。

俺は常に思い描いていた。

次のチームに勝ったら、その次のチームは、どこどこの地区から勝ち上がってきた連中で、そのチームに勝ったら次は恐らくこのチームが勝ちあがってきるはずで、と。

結局は、俺達に力など無く、初戦敗退ばかりを繰り返す駄目なチームだったけれど、それでもただ只管に前を見つめていた。

悪く言えば盲目的に、良く言えば、やっぱり楽天家で。


けれども、これだけは言える。


俺は、楽しかった。

だから、あの頃の俺は、何一つ間違っていなかったんだと。


結局、弱い俺の考えが、フィーの瞳に勝てた試しは無い。

俺は、一度大きく空気を吸い込むと、


「狙ってみますか」

「――はいっ!」


苦笑と共に言い放つ俺に、向けられるのはフィーの心底嬉しそうな笑顔。

それだけでも、既に、俺の決断に十分すぎる価値はあったのだが、公言した以上、勝つという気持ちに偽りは無い。

俺は、三度レーンへと振り返ると、


「ん?」


そっと背後から、ボールの上に添えられていた俺の左手。その上に重なるように、白い小さな手が乗っかってきた。

それは、振り返るまでも無くフィーのもので、


「――イスト」


背後から聞こえた彼女の声と共に、俺の左手が、ぽぅっと緑色の淡い光に包まれた。

それが、彼女の魔法である事はすぐに気づけた。一応、周囲に気づいた者が居ないか確認してから、


「……もしかして、スペア取る為の魔法?」


流石にそんな都合の良いものはないだろうと思いながらも、不思議なその光から視線を外せずにいた俺に、やや間を置いて背中越しにフィーの答えが返ってきた。


「まさか。これは、『勇気の出る魔法』ですよ」と、


幸いにして、か、先ほどの淡い光は人目に付く前に一瞬で消えてしまったが、代わりに伝わってくるのは微かな熱。

既にフィーの手はそこより離れているというのに、まだそっと彼女に手を握られているような、そんな暖かさだけが残っていた。


「……なんか、やれそうな気がしてきた」


決意はすれど、自信は無し。

そんな状態だった俺の心に、染み込んで来た熱は、確かに俺の中に『勇気』の火を灯してくれた。


「はいっ!

 頑張ってくださいっ!!」


フィーの声援に後押しされ、4度目、睨み付けた7番ピンからゆっくりと目を逸らし、目標を右の10番ピンへとシフトする。

手首のスナップを御しきれない俺の球は、右から左へと少しだけスライスする。

つまり、ボールには左曲わりの回転が加わっているのだ。

その球を、10番ピンの右側に当てることができれば――

もしかすれば、吹き飛んだピンが7番ピンに当たるかもしれない。

だが、10番ピンのすぐ右側には、ガターが待ち受けている。

あのぎりぎりの隙間に、果たして俺はボールを捻込むことが出来るのだろうか?


 ――いや、出来るっ!


根拠無くそう思った。

それでも拠り所はあった。

今、この手に宿る熱。

フィーのくれた魔法と、彼女の声援だけが、俺の中、確かなものとしてあった。

もはや、信じても居ない神に頼る必要も無し。


気合一閃、投じた俺の投球は、レーンを左端からガターへと突き進む。

けれども、そこに落ちるかの直前、微かな摩擦がレーンを捉え、ガター寸前のレーン上をボールが転がって行く。


「行けっ!!」

「頑張って!」


レーン上を転がる球への声援など、本来は意味などは無いのだろう。

それでも俺達は叫んでいた。

上がりきったテンション。

周囲の目すら気にせず俺達はその願いをボールに乗せる。

やがて、狙う10番ピンへと辿り着いたボールは、俺の予想通りそのピンの右部を掠めると――


「「あ……」」

 

二人の声が重なった。

予想よりも深く当たってしまったのだろう。

ボールの衝撃を受け、宙に舞った10番ピンは、レーンの奥方向へと弾き飛ばされ、おそらくは、その向こう。


「「……ぇ」」


レーン奥の壁にぶつかり戻ってきたソレは、狙い済ましたかのように7番ピンを巻き込み、転がったのだ。

その光景に、やった――と歓声を上げる事も忘れ、振り返った俺の目に飛び込んでた来たのはフィーの表情。

酷く赤面し、澄んだ翡翠色の瞳にはうっすらと涙を浮かべ、


「――っ!」


ようやくにしてガッツポーズを取って見せた俺を、フィーは心底嬉しそうに眺めていた。















*****************************************













「ふ……ははは……」


暗い部屋に一人。

あの時の記憶を脳裏に、俺は一人笑っていた。

今思えば、やはりフィーが唱えてくれたのは、『勇気の出る魔法』なんて曖昧なものではなく、『スペアを取る魔法』なんじゃなかろうか、と思ってしまう。

もっとも、ボウリングの無い世界、何かの応用なのかもしれないが、

ちょっとやそこらの勇気で、あんな芸当が自分に出来るとは思えないし、そもそも勇気なんてものがあんな奇跡を呼ぶとも思えない。


暗闇の中、あの時輝いた左手をじっと見つめた。


『……もしかして、スペア取る為の魔法?』


そんな都合の良い魔法があるのか?

思いつつも口にした言葉。

帰ってきた言葉は、


『まさか。

 これは、『勇気の出る魔法』ですよ。』


 ――勇気の出る魔法。


『魔法』か……。

『勇気の出る魔法』と『スペアを取る魔法』。

比べてみれば、実際、どっちの方が都合の良い魔法だというのか。

微かな自嘲を浮かべ、ふと、口にしてみたその呪文。


「――イスト、か」


瞬間、

薄暗かった部屋が、

淡い緑色の光で包まれた。


「――っ!?」


驚く俺の目の前、突き出された左腕が、輝いていた。

あの時と、同じように。


『なぁ、俺にも魔法が使えるのかな?』


大きな期待もせず、ただ、あの時は、話題を変えたくて言った言葉。


『発音の問題ですよ。』


その帰り、落胆する俺に言ったフィーの言葉。


「イ、イスト」


灯った光はほんの一瞬。

すぐさま消えていこうするその小さな灯りを、消えさせまいと俺は再び呪文を口にする。

呪文を受け、俺の左手が再び緑色の光を発した。

フィーの言葉を思い出す。


『――これは、『勇気の出る魔法』ですよ』


「勇気の出る、魔法?」


答える者の無き部屋の中、俺の反芻がむなしく響く。

それでも、その魔法は熱を持っていた。

光は一瞬。

またも消えて行こうとする灯りを


「イスト! イスト!」


俺は何度もその呪文を唱えた。

消えさせるわけにはいかなかった。

魔法によって生み出された熱が、すさんだ俺の心へとじわりと染み込んでくるのを感じた。


「イスト! イスト! イスト!!」


魔法が使えた。

魔法が使えた。

俺にも、魔法を使うことが出来た!!


込み上げた熱が俺の中、熱く滾る。

少しでも動くと襲ってきた倦怠感すら振り払い、気がつけば俺は立ち上がっていた。

やらなければいけないことがあった。


約束を交わした。


『俺、フィーが帰るまでに、何か一つでも魔法使えるように頑張ってみるわ』


あの夕日の美しかった帰り道。

二人並び、じゃれあいながら交わした約束。


  まだ、間に合うだろうか?


時計を見た。

時間は、23時30分になったところだった。

彼女が帰ってしまうまで、残す時間は30分。

それは、裏山のあの公園までは、かなりきつい時間だったが、それでも俺はコートを羽織った。


行かなければならなかった。

 彼女の元に。

見せなければならなかった。

 唯一果たせたこの約束を。

言わなければならなかった。


 そうだ!

言わなければならなかったのだ。

俺は、この気持ちを。


自覚した時より、押し殺すことしか考えなかった。

それが彼女の為になるとばかり思っていた。

けれども、俺はそれを押し殺しきるどころか、結果、かえってそれで彼女を傷つける事となってしまった。


もう、手遅れなのかもしれない。

いや、もう手遅れなのだろう。


けれども、それでも構わないと思えた。

それでもなお、俺には、この言葉を伝えなければならないのだと思う。


許しなどいらない。

受け取ってもらう必要など無い。


ただ、それでも願うことが許されるのなら――


彼女に持って帰ってもらうモノは、決して疵なんかじゃない。


「フィー……

 俺は、お前の事が、好きだ」


その気持ち、その想いでなければいけないと。


気が付けば俺の両目からは涙が溢れていた。















 ドアに鍵もかけず飛び出した。

大晦日、静かに降る雪は、一年の終わりを締めくくるに相応しい雰囲気を、あたりに漂わせていた。


けれども、俺は終れなかった。

終れるはずがなかった。


1年が終ってしまうまで、タイムリミットは残り30分。

フィーがこの世界から帰ってしまうまでの、タイムリミットは残り30分。


アパートを飛び出し、見上げた裏山。

広葉樹の多いその山に、この季節今は映える緑は無し。

それでも、ここからでは遠すぎて、フィーの姿は見えない。

それとも既に山頂の公園まで辿り着いているのだろうか。


足を止めたのは一瞬。

俺は、再び視線を前へと戻すと、アスファルトを強く蹴った。


一路、裏山の山頂を目指して。















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