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7Days  作者: 藤島ヴォルケイノ
3/9

第3話「第2夜」



 窓を打つ風の音に目を覚ました。



あの夜から、今日で二日。

相変らず俺もフィーも唯一言すら言葉を交わさない。


起きて眠り、

眠っては起き。


時折、トイレへ行くか、水を飲むときのみ席を立つ。

互いに水以外はなにも口にせず。


俺は大丈夫だと思うが、正直フィーは不安だ。

彼女の体調はここ数日でより一層芳しくなくなった。

せめて寝るならば、側にあるベッドを使ってくれればいいのに。

同居を始めた当初よりベッドは彼女、俺はソファーと決めていたのだから。


そうは思うが、今更、どの口がそのような事を言える?

しかも、そのベッドは彼女にとっては、忌々しい思い出したくも忘れられない場所となっている事だろう。


強く吹いた風が窓を叩いた。

 

  ――くちゅんっ


と、可愛らしいクシャミが聞こえた。

勿論それは俺のものではなく、ゆっくりとフィーを見やった。


彼女は、どうやら寝ぼけているのか、空ろな瞳で一度こちらを見つめると、コテン、とすぐに膝に顔を鎮めた。

すぐさま聞こえてくるフィーの穏やかな寝息。


けれど、そのクシャミで気付けた。

恐らくは外気の影響なのだろう、見上げたおんぼろのエアコン。

確認するのも気だるかったが、なんとか伸ばした掌、感じる風は冷ややかだった――

エアコンが根を上げているのが分かった。

元々、部屋を借りた時から備え付けであったこのエアコンは、冬は時折冷たい風を吐き、夏は時折熱風を送り出してくれる素敵仕様だった。

それを思えば、この冬は実に頑張ってくれた方なのだろうが。


再び視線をフィーへと戻した。

夢うつつ、寒気を感じているのだろう。

肩よりかけた薄いシーツをきつく抱き寄せるも、それで防げるような寒さでないことは明らかだった。

 

どんどんと下がっていく部屋の温度。

それを知りつつも、俺は何もしないでいた。

ただ、部屋の隅、抱えた膝に顎を乗せ、小さく震えるフィーをずっと眺めていた。


ありえもしない。強いていうならば、せいぜい風邪をひく程度だろう。

そう分かっていながら、俺は、明日の朝、二つの凍死体がこの部屋から発見される、という夢想に浸る。

二つ『仲良く』発見される凍死体。

 

けれども、その夢想が現実になる事はないのだろう。

先程から、小さな声を何度も漏らし、何度もシーツを手元に引き寄せようとする彼女は、きっとじきに目覚める。

そうなれば、彼女には魔法がある。

彼女の魔法で、この部屋を温めてしまえば、凍死などという危機はなくなるし――と、ここまで考え、一つの問いが頭をもたげた。


フィーは、部屋を温めるのではなく、彼女自身のみを温めるのではないか?


それは妙案だと思えた。

それは当然とも思えた。


今の彼女に、俺を助ける理由などない。

そもそも、あんな事をされて尚、彼女がこの部屋に留まる理由は何なんだろうか?


「……ん、」


フィーがまた小さな声を出し、シーツを手元に引き寄せた。

余りに強く引きすぎたせいか、肩にかかっていたシーツがはずれ、同時にはだけた彼女のワンピース。

肩口がずれ落ち、艶かしい彼女の白い肩が露になった。


  ――フィーが俺を殺そうとしている?


行き過ぎた妄想。どくんっ、と強く心臓が脈打つと同時、俺の中にそんな答えが浮かび上がってくる。


だが、それは本当に妄想か?

そうだ、彼女にしてみれば、俺は殺してしまいたい程に憎い対象なのではないだろうか?

だから、今も、この部屋に留まるのは、俺を殺す機会を伺っているのではないのか?


どくんっ、どくんっと心臓が脈打つたび、俺の中に次々と、その答えを肯定する声が浮かび上がる。


  俺を殺して、全てをなかった事としよう。

   俺を殺して、全てを忘れ去ってしまおう。


「……ふざけるな」


覚えていて欲しかっただけだ。

俺は、ただ純粋に彼女の中に少しでも残って居たかっただけなのだ。

だからこそ、あの夜、俺は全ての想い出を犠牲に、この女を傷つけたというのに――   


二日ぶりに出した声。

あの時と同じように、それはとても乾いたものだった。


自身の声に背中を押されるよう、俺はゆらりと立ち上がると、フィーのはだけた肩口。

吸い込まれるように彼女へと近づいて行く。


昨夜、俺の一挙動に過敏な反応を見せていた彼女。

ゆっくりと眠れる事など無かったのだろう。

だから、この寒さの中、彼女の眠りはまだ覚める事はない。


 一歩、一歩。


歩くたびに揺れる視界は、それでも一点。

フィーの肩口だけの集約し、


やがて、俺はフィーの目の前に立っていた。

昨日は、近づく事すら出来なかった、その距離を容易に超え、手を伸ばせば届いてしまう、その距離に。


  どくんっ

   どくんっ


心臓が激しく高鳴っていた。

己の立膝を枕に眠るフィーの寝顔は、今までと何も変わらず美しい。

たとえ、閉じられた瞼の下、彼女の瞳が今も、灰色に濁っていたとしても。


  どくんっ

   どくんっ


ズボンの下、あの時と同じように、滾る俺自身が、どす黒い感情を俺の中へ流し込んでくる。


  どっどっ

   どっどっ


心拍数が跳ね上がり、俺の呼吸が荒くなる。

眠る彼女、目覚めた時、あの時の同じように、俺に組み伏されていたら、今度はどのような悲鳴をあげるのだろうか?


それを想像したら、酷く興奮を覚えた。


俺の手が伸びる。

目的地は、彼女のはだけた肩口。

まだ起こさぬよう、ゆっくりと触れた二度目の肌は、寒い部屋とは対照的に暖かい。

俺は、必死に息を殺し、彼女のはだけた服へと手を伸ばした。














   ――7Days 『 第 2 夜 』 ――











  ――魔法って、俺にも使えるのかな?




 穏やかな午後の昼下がり、人目を避けやってきた静かな神社の境内。

やはりというか、フィーのずば抜けた容姿は、何処に行っても人の目を惹きつけてしまうらしい。


  すみません、


 申し訳なさそうな表情を浮かべ、そう謝る彼女にしてみれば、この世界に馴染み切れていない事が、目立つ原因だと思っているらしい。

だが、それは違う。

そもそも金髪というだけで目立つのが日本の社会。加えてこれだけ日本人する離れする容姿だ。

例え恰好が男物ジーンズに、同じく男物のシャツ。長すぎる袖は幾重にも重ねて折り曲げ、上から更にコートを羽織る。

そんな美的センスゼロないで立ちであっても目立ってしまうのはどうしようもない事だった。

だからと言って目立つ理由が、君が可愛すぎるからだよ、とは恥ずかしすぎて口にはできない。

代わりに口にしたのが、先程の言葉だった。


「……魔法ですか?」


一瞬、きょとん、とした表情を浮かべ、フィー。彼女が『何故?』と訝しげな表情を浮かべ続けた。

それは話題転換、知的興味から出た一言だったのだが、急に露骨な警戒の色を見せた彼女の反応に俺は言葉を失った。


「この世界には、既に魔法を越える、あんなに便利な力があるじゃないですか?」


フィーが言っているのは水道やガスコンロ、電気。それをこう一括りにしてしまって良いのかどうか少し悩むところだが、いわゆる科学の事だ。

だがそれを便利な力だと言われても、どうにもしっくりこない。いや、確かに電気のない生活など想像もできないが。

ともあれ、そこまでどうして警戒されるのかは分からないが、俺の思い付きの一言が彼女の不安を煽った事だけは間違いなかった。

俺は、すまないと、と付け加えた上で、何も分不相当な力が欲しいわけではないという事と、魔法がこの世界においてはかなりメジャーな空想の産物として扱われており、ちょっとした憧れのようなものがあるのだ、と改めて説明をした。

その話を聞き、彼女はようやく胸を撫で下ろしたようで、少し考える仕草。

しかし、それは一瞬の事で、フィーはすぐに俺へと視線を戻すと、やけにあっさりとした口調で答えた。


「多分、発音とイメージさえしっかりすれば、初歩の魔法は使えると思いますよ」

「マジで!?」


その回答に、俺のテンションが上がる。漫画やアニメの中でしか存在しないと思っていた『魔法』。

だが、それが空絵ごとなどではない事は、彼女の存在が証明してくれてはいたが、更に、自分自身がその魔法を使うことができるかもしれないというのだ。


「そもそも、私達が使う魔法は、自然の力から恩恵を受けて存在するもので――」


 かくして始まるフィー先生の魔法講義。

彼女の世界では、住まう人々の日常にこちらの世界の科学同様、日常の節々に魔法が溶け込んでいるのだという。

例えば、井戸より水を汲み上げる魔法であるとか、くべた薪に火を灯す魔法。明日の天気をおぼろげながら知る魔法なんかもあるらしい。

ただ、フィーが言うには魔法はこちらでいう科学程、人と密な関係ではないらしい。


「種族や個人差はありますけど、普通の人だと火をつける魔法を1回使うとその日は魔法は使えないそうですよ?」


MP切れ、コスパ悪すぎかよ。と思うが、その言葉は呑み込む。

しかし、それでは日常が回らないのでは、と返す俺にフィーは


「だから皆、集落を構えて協力しあうんじゃないですか」


それは分かりやすい共生体だ。

今でこそ複雑になりすぎたが本来の社会のありようのような気もする。


「エルフって魔法が得意そうなイメージだけど?」


ついでの自分の問いに、フィーは少しにんまり笑ってから、得意ですよー。と、どこか誇らしげだ。


「なんでも昔、人や他種族達に魔法という概念を伝えたのは、私達のご先祖様らしいですから」

「おー」


解説するあまりのフィーのドヤ顔に釣られて拍手をしてしまう。

そういえば、魔法絡みでふと気になった事を聞いてみる。


「そういや、前に使ってた『精霊魔法』ってのも魔法なんだよな?」


俺とフィーが出会った日に彼女が俺の目の前で使って見せたアレだ。

するとフィーは、いい点に気付きましたね、と本当に先生ごっこでもしているつもりなのか、少し貯めてから。


「魔法は、大きく分けると『精霊魔法』と『限定魔法』の二種類に分類されます」


と続けた。

概要だけをさらうと、なんでも原始、フィー達の祖先が得意として使っていたのが『精霊魔法』と呼ばれるもので、これは世界中に見えないけど存在している『精霊』と呼ばれる存在を自分達の世界に可視化し、術者から直接のお願いをする事で魔力を行使してもらうという魔法らしい。

対しての『限定魔法』というのは先述の例えば『薪に火を灯すような魔法』だ。

これは精霊という存在を介さずに直接、術者が魔力を行使して効果を発動する類の魔法になる。

後者はその名前の通り用途が『限定』された魔法なのでそう呼ばれることになったらしく、精霊との親和性も必要としない為、種族に関わらず使う事が出来るのだと。


「親和性、という事は、エルフ以外は『精霊魔法』が使えなかったり?」

「そうなりますね。中には『精霊』に気に入られている人なんかも例外的にいますけど、基本的に無理です。

 まぁでも最近は私エルフの間でも『精霊魔法』を使う人は減っちゃいましたけどね」


ざっぱりと一つの芽が摘み取られ、少しばかりショックを受けていた俺は続けられたフィーの言葉に、純粋にどうして?と疑問を返した。

今の説明だと圧倒的に『精霊魔法』の方が汎用性が高いと感じたからだ。

するとフィーは少しだけ寂しそうに笑うと


「『精霊魔法』は危ないんですよ、呼び出した精霊さんにちゃんとやって欲しい事を伝えられないと大変な事になっちゃうんで」


『魔法』が予期せぬ結果を引き起こす事を、暴走と呼ぶらしい。

『限定魔法』には、この『暴走』に対するセキュリティのようものが何重にも施されていて、その為、術者が対価として払う魔力も膨大になるのだという。

しかし、そう話すフィーの寂し気な表情に、俺は最初、過去にフィーも何かやらかしたのかと思ったのだが、それは違うような気がしてきた。

多分だが、これは本当に自分と同じ『精霊魔法』使いが少なくなっている事を憂いでいるような。


「『限定魔法』がいくら魔力を消費量が多くても、私達エルフは魔力の保有量は他種族に比べてかなり高いのでその点は気にする必要ないんですよね」


かくして、『精霊魔法』は無駄にリスクのある魔法――古いモノ――として使い手は減り、極めて安全な『限定魔法』だけがエルフの中でも持てはやされているらしい。

だから、これは仕方ない事なんですよ、ね。と、ふと俺を見上げるフィーの瞳に気付いた。彼女の瞳に、何故かそう問われたような気がして。

何か言葉を返さないといけない――そんな気にかられた。

でも、何と言えばよいのか、そもそも彼女のその問いは自分の妄想に過ぎないというのに。


「――ぁ」

「まぁ、ともあれ魔法は科学と違って万能じゃないんですよ」


纏まらない思考。それでも何か言わねばと口を開いた時には遅かった。

フィーは言葉を続けた。


「蛇口を捻っただけで何度でも好きなだけ水を取りだせます。

 コンロを捻るだけで火を起こすことができます。

 その上、並行してお部屋を明るくしたり暗くしたり、この世界では誰しもが当たり前のようにできる。

 当たり前のようにこの世界では出来るのに――」


人気のない境内、1歩踏み出すごとに聞こえる砂利の音を彼女は確かめるように歩きながら。


「実は、魔法にはもうひとつあるんですよ、

 それが――」


それが


「『攻撃魔法』です」


もうそれでそれがどのような事を目的としている魔法なのかが分かった。

滑稽なほど安直な名前だというのに、不思議とこみ上げて来たのは笑いではなく寒気だ。

そして同時に理解した。

フィーが最初、俺の言った「魔法を使いたい」という軽口にあれほどまで警戒した理由を。


 日本は、平和だ。

世界中にはまだまだ戦争をしている国や地域は存在し、そしてそれは今やスマホやインターネットでも気がする調べる事が出来る。

そういった戦争をしている人達が必ず手にしているものは何か?

それは銃、武器だ。

この世界では、銃――に限った話ではないが――という道具を持つ事で人は初めて武装したと言える。

だがフィーの世界では異なるのだ。

空身で。

何も持たず。

無害を装いながらも、その内には魔法と言う武器を持つことが出来る。

それが当たり前の彼女の世界ではともかく、この世界で俺がそんな力を持ったのなら、


「――いらない」


ようやく喉の奥からこぼれ出た言葉が、それだった。

ここへきてようやくフィーが何を懸念しているか分かったからだ。

だが自分の発言は単なる好奇心。

さもすれば閑休話題的な役割を果たしてくれれば良かっただけで――


「――大丈夫です。

 先生は分かってますから」


気が付くとフィーが笑っていた。

境内の中央あたりからこちらを振り返り、したり顔で。

一瞬からかわれたのかとも思ったが、違う。

それならば実際にリスクになる『攻撃魔法』の存在を俺に伝える下りはいらないはずだ。

それでも尚、彼女が俺にそのリスクを晒した理由は――彼女自身が実際に俺を疑ってしまったことへの誠意と、手札を包み隠さず話す事で伝えようとしたのか、魔法に存在する光と闇の両面を。

その上で、先生を名乗るという事は、どうやら俺は彼女の生徒として認められたという事なのだろう。

ならば乗っておこう。

境内で笑う彼女の思惑に。


「からかうなよ、先生」

「はい、それでは『限定魔法』の講義を開始しまーす。

 生徒は先生の前に着席!」

「地べたなの?!」








 そして夕暮れ。

日の落ちる境内には二つの影。まるで獣を思わせる四つん這いの影が二つ。


「な……なぜ、だ」

「そんな、風を送るだけの初級魔法すら使えない人間がいるだなんて……」


俺とフィー、互いに激しく肩で呼吸を零しながら、呻く。


「人間の方でしたら、少なからず魔力はあるはずなんですが……」

「俺か…俺が駄目なのか、」

「――っは?! まさか鉄郎様は人間に見せかけた実はおさるさん!?」

「人間だよ! 今まで会話してたよね!」


人間である事には間違いはないはずだが、よくよく考えてみればそれがフィーの世界の人間と全くの同等かと言われてしまうと若干の疑問はある。

こちらの世界の人間とフィーの世界の人間と、姿形は似ていても何か根本的な部分に違いがあるのかもしれない。特に魔法を使う、という点において。

しかし、フィーは言う。


「……いや、私が悪いのかもしれません」


と。

俺は息を飲み、彼女に何か思うところがあるのかと待っているとフィーは戦々恐々とした表情でつづけた。


「この世界に堕ちてきたという恐怖のあまり、私は既に正気ではなく、

 おさるである鉄郎様を人間であるかのように今まで脳内で会話を――」

「そこ引っ張るの!?」


ともあれ、2時間の死闘の末、成果を得られなかった俺達は、とにもかくにも自宅への帰路についたのであった。


「あー、でも悔しいなぁ」


 帰り道、諦めきれずぼやくと、俺の横を歩くフィー、視界の端っこでフィーが小さく笑った。

その可愛らしい仕草にはなかなか慣れず、どうしても頬が熱くなるのを感じた。

馬鹿馬鹿しい会話をしてる時のフィーには自然体――と言ってもかつての俺らしくは全然ないのだが――でいることが出来るのに、端々に見せるフィーのこういった仕草は、本当にもう、奇襲で、ずるい。

誤魔化すために続けた俺の言い訳を並べた。


「前も言ったけどさ、魔法ってこっちの世界ではそれなりに憧れの存在なの!

 例えば、30歳までならど――」


うっかり要らないことまで言いかけた口を俺は慌てて塞ぐと横を歩くフィーへと目をやった。

が、良かった。俺が口を滑らせかけた内容を分かってないのか、そこにあったのはきょとんとしたフィーの顔。

まぁそりゃそうかと胸を撫でおろすと、


「こっちだと絵本とか童話、御伽噺とかで良く目にする事があるんだよ」


と続けた。


「そういえば、それ前も言ってましたね。

 やっぱりそれって、昔こちらの世界に落ちてきた人がいるって事なんでしょうかね?」


これで俺の失言は流れた。

俺はこのまま話の流れを変えてしまおうと、そうかもしれないな、と返し、更に続けた。


「そういえば、フィーの世界の御伽噺にはどんなのがあるんだ?」

「御伽噺って、母親が子供に読み聞かせるような話って認識でいいんですよね?」


すると、フィーはそんな確認を一度挟んでから口にした。


「そうですねぇ……

  例えば、私の好きなお話ですと――」




  ――これは一人の少女が世界から零れ落ちてしまう物語




*   《ヘンリエッタの冒険》

*  何処にでもいる人間の少女、ヘンリエッタ。

*  朝起きが苦手な彼女は、今日も母親の声から耳を塞ぎ、

*  あったかな布団の中で夢見心地。

*  ところが、寝返りを打った拍子に、彼女の住む世界から、

*  別の世界へと転がり落ちてしまいます。

*  彼女が辿りついた世界は、『魔法文明』が滅び、代わりに

*  別の文明が発達した世界だったのです。


「フィーみたいだな」


語る彼女のタイミングを計り、挟んだ俺の感想。

その感想に、フィーは少し頬を膨らますと、私、朝弱くないです、と漏らし、続けた。


*  ヘンリエッタはその世界に来た当初、その世界に

*  来れた事をこの上なく喜びました。

*  何故なら、そこには、朝、早く起きろ、と騒ぐ母親も居なければ、

*  勉強しろ、と怒る父親も居なかったからです。

*  魔法のない世界。

*  魔法を使えるヘンリエッタは、その事を隠し、奇術師として

*  町から町を転々とする生活を始めます。

*  奇術をすると、その世界の人はおおいに喜びました。

*  誰しもがおひねりを投げ、ヘンリエッタの手品に誰もが賞賛の言葉を贈りました。

*  彼女の行く道。

*  彼女の周りには、常に笑顔で溢れていました。

*  だから、母親に会えなくても、父親に会えなくても、ヘンリエッタは

*  ちっとも寂しくありませんでした。


「ヘンリエッタがたどり着いたのは、なんというか、優しい世界だったんだ?」

「最初だけ、ね」


俺の声に、物語の結末を知るフィーが少し顔を曇らせた。

俺は再び口をつぐみ、フィーの声に耳を傾けた。


*  ところがある日、そんなヘンリエッタの幸せな暮らしにも終わりが

*  来てしまいます。

*  彼女の秘密が知られてしまったのです。

*  彼女が奇術だと言っていた物が、魔法だったという事が皆にばれてしまったのです

*  『うそつき、』

*  『奇術だと言ってたのに、魔法だなんて、』

*  『お前は、奇術師なんかじゃない、詐欺師だ』

*  今まで優しくしてくれていた人達は、一変し、彼女を責め立てました。

*  『ちがう、これには理由が――


「――ちょっと待って?

  そのヘンリエッタが落ちた世界って、魔法のない世界なんだろ?

  なら、魔術も奇術も大差ないような……」

「もうっ、子供向けの御伽噺なんですよ?

  それに、これは魔法が根底にある私の世界のお話なんですから、」


それもそうか。

作り話の内容に常識を持ち込むと野暮なのはあっちの世界でも同じなのか、と反省。

すまんと両掌を顔の前に、ジェスチャーする俺の謝罪を不承不承受け入れてくれたフィーは続けた。


*  『ちがう、これには理由があるの』

*  事情を説明しようとするヘンリエッタでしたが、

*  もう誰も、彼女の声に耳を貸すことはありませんでした。

*  それどころか、ヘンリエッタを見ただけで、魔女だ、詐欺師だ、

*  と襲い掛かってくるようになりました。

*  彼女の世界は一転しました。

*  まるで、今まで自分の味方だと思っていた世界が、敵に変わったようでした。


「――なるほどね。

  それで、元の世界に帰りたくなったヘンリエッタは、朝寝坊しません、

  勉強も頑張ります、あと、もう嘘もつきません、

  つって、自分の世界に帰って行くってわけだ?」


童話というものには、何かしらの教訓が含まれているもんだ。

結末を予測した俺の発言に、しかしながらフィーは人差し指を唇の前で左右に振り、ちっちっち、と舌打ちを返す。

追加でまるで映画に出てくる悪役のような不敵に微笑まで見せてくれた。

どうでもいいが、その仕草ってたぶん、こっちの世界の影響だよな?


* 

*  町から逃げ出しました。

*  それでもヘンリエッタを殺そうとする狩人達は、

*  何処まででも追いかけてきます。

*  やがてヘンリエッタは逃げ疲れ、立ち止まってしまいました。

*  彼女の足は、疲れ果て棒の様で、もう彼女の思うように動いては

*  くれませんでした。

*  そして、いよいよヘンリエッタは狩人達に追いつかれてしまいます。

*  ヘンリエッタに追いついた狩人達はいずれも赤く充血した目をギラ

*  ギラと輝かせ、ヘンリエッタへと伸ばした手。

*  その指はワキワキといやらしく蠢き――

*  


「――まてまてまて」


物語の方向性と言うかジャンルが変わりつつあると感じた俺は慌ててフィーを止めたのだが、彼女はきょとんと、どうして今止められたのかが分からないという表情を浮かべ、次にぷくっと頬を膨らませて言った。


「鉄郎様、話の途中で口を挟みすぎですよ」


そして何やらご立腹の模様。

だったので、仕方がないので俺は黙って続きを聞くことにした。


* ヘンリエッタへと伸ばした指はワキワキといやらしく蠢き、

* 狩人は言います。

*「お嬢さん、死んじゃう前におじさん達といっぱt――


「――あかーん!」

 

フィーの頭を張り倒す。

これは駄目だ。ダメな奴だ。

叩いた下からフィーの、なんでぶつんですか という恨めし気な表情が見えたが、俺は努めて端的に伝えた。


「子供向け、御伽噺?!」

「――っ! ぉぉぅ」


端的すぎる俺の言葉に、それでもどうやら得心が行ったらしい。フィーは、ぽんっと手を打つと続ける。

……いや、待て。そこで納得するのもおかしくないか?


*  ヘンリエッタへと伸ばされた狩人の手は、彼女の触れること  

*  なく不意に宙を舞いました。

*  恐る恐る瞳を開いたヘンリエッタの目の前には、狩人ではなく、

*  一人の若者の背中がありました。

*  その若者が、狩人からヘンリエッタを守ってくれたのでした。


「若者は声高らかに宣言します。

 『ヘンリエッタに手を上げるなら、この私、カムイが相手だ!』

 その凛々しい声に、ヘンリエッタの心臓が高鳴りました」

「……」

「しかし、狩人達も、やれっぱなしでは帰れません。

 彼らは背中から弓矢を取り出すと、カムイめがけ一斉に打ち放ちました。

 けれども、その矢はカムイには当たりませんでした!

 カムイは、飛び交う矢の中を、剣を振り上げ悠然と突き進むと、

 遂に全ての狩人を退けたののでしたっ!!」


 おう?


「全てが終わった後、

 『あの、どうして詐欺師である、私なんかを……』

 ヘンリエッタはカムイに尋ねました。

 そんなヘンリエッタの問いに、カムイは優しく微笑んで答えるのでした。

 『私には、君が詐欺師であるか、奇術師であるかなんて関係ない。

 君のショーを昔、一度見たときに、私は君に恋に落ちてしまったのだ。』

 ――とっ!!」

 

頬を上気させ血管が浮き出る程に強く握りしめられた彼女の拳。

そんな今の彼女の頭上に顔文字を並べるなら間違いなく キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!! だろう。

等と考えていると、フィーはいよいよ話も佳境なのか。固く強く握りした両拳を振り回しながら続けた。


「『さぁヘンリエッタ。私と一緒に暮らそう。

 誰も訪れる事のない、森の中の別荘で。

 あそこなら私と君の生活を邪魔するものは居ないのだから!』

 かくして、ヘンリエッタとカムイは結婚し――」


と、熱弁していたフィーが今さらながらに俺の方を向き直り、真顔で告げた。


「全年齢版なので、ここまでです」


おい、異世界――っ!?







 かくして帰宅。

あれから少しばかり近所のスーパーに寄り道して、今日の晩御飯はレトルトのハンバーグを現在湯煎中。

買い物をしながらさりげなく聞いてみたがどうやらフィーの世界にはハンバーグと言う食べ物はないらしいので、これを食った後の彼女のリアクションがまた楽しみだ。

等と一緒に購入したキャベツを千切りにしながらほくそ笑む俺。

しかし、


「条件と、発音、ねぇ」


引きずっているのは魔法の話だ。

どうやら自分でも気づいてなかったが思いの外、魔法を使ってみたいという欲求は強いらしい。

俺が魔法が使えないもう一つの可能性として、帰り道、フィーが挙げたのは先の二つだった。

だが、条件に関してはクリアしているらしい。

条件とは魔法を使う為の環境や状況の事を指す。これはそんなに難しいものではない。

例えば火を灯す魔法を使っても、発火させる対象がなければもちろん火はつかないし、井戸から水を汲み上げるような魔法は、井戸がないと使えないといったもの。

中にはかなり特殊な条件を持つ魔法もあるらしいが、今日自分が教わった魔法の中にそういうものはないらしい。

なので、残る原因は、ただ一つ。発音、だ。


 ディンダー――薪に火を灯す魔法

 ブリーズ――暑い日にそよ風を起こす魔法

 スネア――雑草を編んで即興の罠を作る魔法


 いくつかはゲームかなにかでも耳にした事あるようなそれらは、フィーの言う呪文だ。

だが文字にすると発音できそうなそれだが、声に出すとそれぞれの一音に微妙な母音の違いを感じる。

加えて、帰り道にスマホで調べてみるとブリーズに至ってはまんま英語で意味は無論、そよ風だ。

その時に今さらながら気づいたんだが、俺とフィーがそもそも会話できている事すら異常なのだ。

地球と言う規模で見ても多岐にわたる言語が存在するというのに、どうして異世界同士の自分達の会話が成立するのか。

当然の問いに、しかしながらフィーはさほど不思議でもないような響きで答えを返してくれた。

異世界を渡った者には『呪い』が付き纏うというのが彼女らの世界の常識らしい。

そしてその『呪い』の一つと言うのが、この言語に関するもの。

フィーは特に意識する事なく、フィーの世界の言葉を話しているのだが、それは俺にとってみるとちゃんと日本語に変換されて聞こえるというだ。

勿論、俺の話す日本語に関してもフィーにはフィーの世界の言葉として耳に届いている。

こういった言葉の橋渡しを『呪い』が担っているというのだ。

だとすると、フィーから教えてもらった呪文の数々も、もしかするとこの『呪い』のせいで俺の耳には自動翻訳がかかった上で届いているのかもしれない。

だとすればそれは俺の『発音』以前の問題だ。

なぜなら俺は、フィーが口にする本当の音を何一つ聞き取れていない事になるのだから。

つまりは、諦めるしかない、と。


「はぁ……」


深いため息。

明らかに落胆している俺に、


「そんなに気を落としちゃダメですよ。

 元気を出してください」


いつしか俺の側に立っていたフィーが慰めるように俺の背中に触れた。


「……」


背中越しに感じる彼女の手の温もりに、俺の心がゆっくりと癒されていくのが分かった。

フィーが俺の背中に触れている。

たったこれだけの事で俺の気持ちは随分と楽になっていく。

その理由までは今は考えたくはなかったが、せめて感謝の想いだけでも彼女に言うべきなんだろう。

俺は彼女を振り返りゆっくりと口を開くと


「あ、ごめん。キッチンには入らないで。

 生ごみがまた増えたら嫌なんで」

「カンシャのオモイ、ドコイキマシタカ?!」


やっぱりフィーといると楽しい。

その感情をストレートに、声に出して笑っていると、むくれた表情を、やれやれ、といった仕草で上書きしながら言った。


「……魔法なんか使えなくても、鉄郎様は素敵な人ですよ」

「……」

「行き場の無い私を、家に泊めてくれてますし、毎日、ご飯も作ってくれます」


それは俺がしないとごみが増えるから――と、流石に苦笑を返すしかない俺の瞳に映るのは、部屋の黄白色の灯りにほんのりと頬を染めるフィーの姿。


『もう自分の世界には帰れない』


そう、諦めてしまえばどんなに楽になる事だろうか、それでも彼女は決して諦めようとはしない。

線の細い体にどれ程の気力を蓄えているのか。

どんな時にもポジティブで、今の俺とは正反対の彼女。


「本当、鉄郎様は私のカムイさんですね……」

「な――っ!?」

「あ、違うんです! そういう意味では、決して、なく――」


瞬間的に、動揺を隠せなかった俺を見て、慌ててフィーが慌てて否定する。


「異なる世界に落ちてきてしまったヘンリエッタの、ただ一人の味方。

 大切な、本当に大切なお友達、という事で」


俺の前、目を伏せながらそう続けるフィーの表情は見えない。

俺は、彼女の言葉を心の中でそっと繰り返す。


  ――友達


何故だろう。

彼女のような美人に、友達だといわれるのは悪い気はしない。

しないはずなのに、どこか心の奥にしこりを感じずには居られない。

でも、それは気づいてはいけないもののはずだ。

少なくとも、彼女が元の世界に戻る事を望み、俺がそれに協力をしている、その間は。


  ――友達、か。


もう一度、反芻し、すとんと心の奥に落ちてこない言葉を、無理やりに流し込むと、「そうだな。」と笑う。


でもそれで良かったのだろうか?

彼女の言葉を、この時、否定できていたら、俺は、俺達には違う未来が待っていたのではなかろうか?


「よし、決めた」

「何をですか?」

「俺、フィーが帰るまでに、何か一つでも魔法使えるように頑張ってみるわ」


それは、俺の決意表明。


「じゃあ、私も、帰る日までに、こちらのお料理、一つは覚えて帰ります。

 付き合ってくださいね!?」


異世界から来た彼女の友達であろうと、決めた俺の意思。


「……」

「なんで、無言なんですかっ! 流れ的に、了承するところですよね?!」

「いや、すまん。今、本気で情とリスクとの狭間で判断しかねてて……」

「酷くないですかっ?!」


限りある時間、夕日の中。

俺とフィーは、心から笑い合えていた。


この時間が無限に続いて欲しい。

そんな真逆の思いを、心の奥底に捻じ伏せながら――












*****************************************














「……ん、」


 幾度目かの小さな声と共に、フィーが彼女自身の膝から頭を離した。

どうやら目覚めたようだった。

寝ぼけ眼をしきりに擦り、やがて彼女はソレに気づいようだった。


「……ぁ、」


小さな声をあげ、俺の方を見やる瞳。

けれども、俺は俺自身の膝を枕に動かない。彼女から見れば、俺は寝ているように見えるだろう。

だが、俺の瞳は、電気の落ちたテレビが映す、フィーの影を薄目でぼんやりと眺めていた。


彼女の影は、何か言いたいのだろうか、ずっと俺の方を眺めていた。

だから、俺は動けない。

寝ているはずの自分が、視線を向けられたからと言って、寝相を変えるなんてのは不自然だから。


フィーの影が、じっと俺を眺めていた。

肩より羽織った毛布をぎゅっと抱き寄せて。


フィーの影が、ずっと俺を眺めていた。

俺は、そんなフィーの影をテレビ越しに、ずっと眺めていた。









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