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野球少年 小学編  作者: 神瀬尋行
6/10

第七章 熱戦2

ようやく野球少年らしくなってまいりました。

今回は、ライバルでおなじみのニヤついた男や、中島小との熱戦です。

少年たちの熱い闘いをお楽しみください!


   第一章  フルチン先輩

   第二章  青空の彼方へ

   第三章  夢をつぐもの

   第四章  夏の陽射し

   第五章  岩松兄弟

   第六章  祭の日

   第七章  熱 戦(今回はここの続きです)

   第八章  夏のおわりに

   第九章  秋 風

   第十章  1週間

   第十一章 死 闘

   第十二章 天高く



 翌日は準決勝だった。

 夏の大会は、県営ではなく市民球場で行われる。


 対戦相手は中島小の情報通り、池上小。

 彼らは本当に不思議なチームだった。

 先ず、坊主頭の選手がいない。それに、僕らと違って楽しそうに練習していた。打撃練習で誰かが空振りすれば、手を叩いて冷やかす者もいるし、守備でトスに失敗しても、みんなで笑っている。それは陰湿な笑いではなく、ミスした本人も一緒に笑っている。ひどくリラックスしているようで、のびのびとやっていた。

 一方僕らは、気合いの入った声出しに、統制のとれたシステマチックな練習だ。中島小も、白峰台も僕らと同じだ。池上小は今までの敵とは違うタイプのようで、あんなのびのびムードで準決勝までくるのだから、確かに要注意の敵かも知れない。


 僕らの後攻で試合が始まった。

 第1球。外角高めのボールになる速球から入って様子を見ることにした。1番打者は、そのボール球に手を出して、へっぴり腰で大きな空振りをした。池上小のベンチから、ドッと笑いや冷やかしが沸き起こった。バッターもベンチを見て舌を出しては苦笑いしていた。どうも、調子の狂う敵だ。

 2球目は胸元へ速球をスバっと決め、手が出ないようだった。

 3球目。外角低めストライクの速球。予定では三振かセカンドゴロだったのに、すくい上げるような見事なバッティングでライト前に運ばれた。池上小のベンチは歓声にわいた。


 あの球を逆らわずにうまく流し打ちするあたり、確かにこいつらは天才的かもしれない。油断は禁物だ。僕は気合いを入れなおした。


 2番打者。

 1-2からの4球目。1塁ランナーが盗塁してきた。はるちゃんもすかさず反応したが、まんまと盗塁されてしまった。ランナーは、笑顔で右手を突き上げ、ベンチにアピールしていた。カウントは2-2。これで、たぶん送りバントはない。というか、彼らにはハナからバントのつもりはないようだ。インハイ速球のボールになる釣り球で、2番打者は三振に討ちとった。池上小ベンチからは味方へのブーイング。でも2番バッターは堂々と笑いながら引きあげて行った。


 3番打者は、ちょっとこのチームには珍しい熱血男のようだった。太い眉毛の間に3本くらいのしわを寄せて打席に入ってきた。僕らには、こういう選手の方が理解しやすい。案の定、簡単に三振をとれた。


 そして4番。長身で面長のニヤついた男だ。ニヤニヤしながら打席に入ってきた。ボール球は冷静に見送られ、ストライクはカットされた。なかなかのバッターだ。2-3のフルカウントまでいって、四球覚悟でインローボールの速球を投げた。

 失投ではなかった。

 でもその球は見事にすくい上げられ、レフトへ高々とあがった。

「わぁ」っと池上小ベンチから歓声が上がった。新田が懸命にバックした。

 僕には信じられなかった。まさか僕の速球がこんなに飛ぶなんて。

 2塁ランナーは既にホーム直前だ。

 僕らの視線は、その滞空時間の長い打球に集まった。

 新田の足が止まった。そして両手でがっちり捕球した。

 僕はホッとした。

 池上小からためいきが、僕らのベンチからは歓声があがった。

 4番打者は2塁をまわった辺りで、立ち止まりヘルメットを地面に叩きつけた。

 ニヤついているけど、意外にホットな奴なんだ。


 ベンチに戻ると、はるちゃんが話しかけてきた。

「まだわからないけど、ひょっとすると彼らは低めの速球に強いのかもしれないよ」

「そうなの?」

「うん。なんかみんな低めを狙っている感じだ。だから、次はちょっと探りを入れてみるから」

「わかった」

 普通、どのピッチャーも低めを意識している。低めだと大きな当たりにはならないから、勝負所では、必ず低めを投げる。しかし、その低めを狙い打ちできるとなると、これは問題だ。彼らの強さの秘密が見えてきたような気がした。

 そうこうしている内に、ガンちゃんがレフト前ヒットで出塁した。僕らの1番打者も負けてない。


 まっちゃんが「よっしゃー!」と大声をあげ、1回大きくバットを回して打席に入った。送りバントするぞの合図だ。僕らは監督の指示がない分、選手同士で意思疎通のための合図を決めている。池上小のピッチャーは、左投手なので盗塁は難しいと判断したのだろう。


 いつものようにあっさりと1球で送りバントを決めた。1アウト2塁。

 打者はやまちゃん。

 やまちゃんも大声をあげ、気合いを入れて打席に入った。何度も何度も言うが、やまちゃんの場合、演技ではない。本当にただ気合いを入れているだけだ。しかし今回は気合いを入れたかいもあり、ベースカバーのため空いていた1・2塁間を破るヒットを打った。これで1アウト1・3塁。

 よし!つなごう!

 そう思って僕は打席に入った。

 池上小のピッチャーは、制球はよさそうだが、球威はない。僕はあっさりとレフト前ヒットを打ち、1点先制した。しかも、1アウト1・2塁。レフトからの返球を受けたショートがボールを持ってマウンドに行くと、いきなりピッチャーに向かって笑いながら「打たれるなボケぇ」と言っていた。ピッチャーも笑いながら何か言い返していた。やはり彼らの世界は独特だ。僕にはついていけない。


 彼らはタイムをとりマウンドに集まっていた。そして何やら相談していたが、やがて守備について試合再開となった。プレイがかかって、やまちゃんと僕がリードをとったその時、ショートの選手がするするとベースカバーに入り、やまちゃんにタッチした。何事だろうと思うと、それは、隠し球だった。ショートは、ボールの入ったグラブを高々と掲げ、審判にアピールした。審判がアウトの判定をした。

 すかさずショートは、1塁に送球した。

 ボケッとしていた僕を刺すつもりだ。慌てて帰塁して助かったが、ぎりぎりだった。その一瞬の出来事をやまちゃんもベンチも理解した頃には、相手ベンチは大きく盛り上がっていた。


 しかし油断も隙もない奴らだ。まるでガキ大将の草野球を臆面もなくそのままやっている。言い方を変えると、彼らは枠にとらわれず、自由にゲームを創造している。今までとはまったく違う強さを持った敵だった。


 これで2アウトになったこともあり、僕はリードを少なめにし、慎重にいくことにした。そして、池上小を観察することにした。というのも、自由にゲームを組み立てるには、卓越した個人技がなければならない。しかし9人とも卓越しているかというとその確率は低い。ならば何人かのキーマンがいるはずだ。さっきの隠し球をする度胸と見事な送球を見せたショートは、その一人だ。もう一度その顔を見ると彼はさっきヒットを打った1番打者だった。

 僕はその時すでにミスを犯していた。走者でありながら、目の前のゲームに集中せずあれこれ考えて過ぎていたのだ。振りかぶった相手投手が投げた先はホームではなく、1塁だ。

 タッチアウト。池上小のピッチャーは、マウンドで吼えた。

 投げる球はたいしたことはないが、あの投手も要注意の一人であると思った。これで、1番、4番、それにあの投手の3人は要注意選手であることが分かった。


 2回の表。

 池上小の攻撃は5番打者から。打席にはあの投手が入った。さっそく、要注意の一人が登場した。


 僕とはるちゃんは、示し合わせた通り、高低をついて様子を見た。やはり、低めの方が反応がいい。最後は速球が外角低めいっぱいに決まったこともあり、サードゴロに討ちとった。

 続く6番は、キャッチャーだ。やはり高めには反応せず、低めに手を出す。しかし、なぜだろう。ふつう低めをヒットするのは難しい。彼らには自信があるというのか。ちょうど、はるちゃんのサインが低めの速球ボール球というものだったので、僕はストライクにして試してみることにした。真ん中低めに行った球を、6番はやや遅れながらもはじき返した。セカンドの頭を越えるライト前ヒットだった。


 これではっきりした。


 僕の球威にやや押されてはいるが、彼らは低めの球をすくいあげるようにして打つのが得意なローボールヒッターなんだ。


 僕は、昔のことをちょっと思い返した。

 ふうちゃんが初めて僕らの前に現れた時のことだ。あの涼しげな笑顔のまま見せるリズムの良い華麗な守備。そしてボールを良く見てひきつけてからはじき返すうまいバッティング。僕らは、ふうちゃんのプレイを手本に努力してきた。おそらく、彼らにもそういう本当のキープレイヤーがいるのだろう。自由に好き勝手にやっているように見えるが、みんなから信頼され、みんなの手本になる選手が、きっといるはずだ。それは誰だろう。そいつを早く見つけ出して叩かないと、彼らを黙らせることはできない。


 続く7番8番は、やはり低めを狙ってきたが、それは身についたスイングではなく、ただなんとなく低めに手を出しているだけだったので簡単に討ちとった。

 僕はベンチに帰ると、キープレイヤーのことをはるちゃんに話した。傍で話を聞いていたやまちゃんが言った。

「それは、たぶん4番のセンターだよ」

 はるちゃんが聞いた。

「なんでそう思うの?」

「おまえらバッテリーは勝負で頭がいっぱいだったんだよ。俺はまさかあんなに打たれるとは思ってなかったから冷静に見てたんだ。ニヤついていて変な奴だけど、奴はセンスいいぜ。それに気迫が他の奴とは違う」

 言われてみるとそうかもしれない。僕の速球は、僕らのレギュラーでさえあんなに打てない。それに、勝負で頭が一杯だから細かなところまでは意識していない。

 打席に入っていた田中がレフト前へヒットを打った。

 はるちゃんが言った。

「俺、打席に入ったらなんとかセンター方向に打って、試してみるよ」

 やまちゃんが言った。

「たぶん、それで奴のセンスの良さがわかるぜ」

 そのチャンスは意外と早くやってきた。6番白石がライト前ヒットで続き、今回7番に入っている橋本は送りバント。ワンアウト2・3塁のピンチに緊張しすぎた相手ピッチャーは8番新田に四球を与えた。ワンアウト満塁で、はるちゃんが打席に入った。

 はるちゃんは粘って、真ん中高めの失投を待っているようだった。なんとかセンター方向に持っていこうとしているのだろう。そして真ん中ではなかったが、高めの球を、はるちゃんはセンターへ打ち上げた。ほぼ定位置のフライだったから、余裕でタッチアップできそうなところだ。よし、2点目もらった。各ランナーも、タッチアップに備え塁に戻った。

 センターのニヤついた男は、前進しながら捕球すると、その勢いのままバックホーム。3塁走者の田中は当然スタート。センターから矢のような送球。田中はタッチアウト。僕らは呆然とした。あっという間に3アウトだ。

 池上小ナインは手をたたいて喜んでいる。

 橋本が僕に言った。

「敵にもおまえのような奴がいるなあ」

 僕は意味がわからず聞き返した。

「おまえだって、白峰台との練習試合で、ファールをとってバックホームしただろ?」

 そうだった。でも、あの時僕は返球に自信があった。センターのニヤついた男も自信があったのだろう。彼の個人技が卓越しているのは間違いない。


 しかし、基本の低めに投げると打たれる。攻撃では、基本のセンター返しをすれば刺される。基本を忠実にやればやるほど、彼らの思う壺にはまっていく。難しい敵だった。


 3回表。

 池上小の攻撃は9番からだ。やはり下位打線はたいしたことはなく、簡単にアウトをとった。問題は上位打線だ。その打線がここから登場する。彼らの狙いは大体分かったので、僕らは配球を変えた。

 1番打者に対する第1球。外角低めのボールになるさそい球。案の定、手を出してきて、バットが届かず空振り。

 2球目。内角遅い球。タイミングが違ったようで見逃しストライク。

 3球目。僕らは3球勝負と決め、内角高めストライクの速球を投げ空振りをとった。よし!勝負所では、こういう配球でいけばいいという確信になった。

 続く2番打者も討ちとりチェンジになった。


 3回裏。

 僕らは1番からの好打順。ここらで追加点をとって中押ししたいところだ。

 初球。ガンちゃんは、あの神業セーフティをお見舞いした。意表をつかれた3塁手は、1塁へ大暴投。すかさずガンちゃんは2塁へ。よし。やっと僕らの形になってきた。

 続くまっちゃんは冷静に送りバントを決め、ワンアウト3塁。

 3番のやまちゃんは、粘りはしたが、三振に倒れた。打席に向かう僕とすれ違う時、やまちゃんは悔しそうな顔で「頼むぞ」と言った。僕は無言でうなずいた。


 ゲームの流れをつかむための追加点は僕にかかっている。

 とにかくつなぐつもりで打席に入った。

 1球目。外角のボールだった。

 2球目。また、同じくボール。ひょっとすると勝負を避けているのかも知れない。結局四球になった。


 続く田中が、センター前へ猛烈な当たりのヒットを打った。

 よし!2塁へダッシュだ!しかしセンターから矢のような送球で、フォースアウトに。

 打球の球足が速すぎたのだ。3塁ランナーのガンちゃんがホームインする前だったので結局無得点に終わった。

 小学生の野球では、たまにこういう外野ゴロがあるが、めちゃくちゃ悔しかった。


 センターのニヤついた男は、ベンチからハイタッチで迎えられていた。やはり、このチームにセンター返しは効かない。なんとかしないと。という焦りさえ覚えた。


 マウンドに向かう僕の足取りは、正直言って重かった。そして、ちょっとよろけた。はるちゃんが「どうした?大丈夫か?」と大声で聞いてきた。僕は大丈夫だと答えたが、体も心も重かった。「弱気になった時、疲れが一気に襲ってくるぞ」と父さんが言っていたのはこのことかも知れない。いつものように加点できない焦りに加え、この夏の暑さが僕の体力を想像以上に奪っていたのだろう。真夏の炎天下で、今日が4連戦目だ。「気を引き締めなきゃ」と思っても、どうしても気合いが入らなくなった。僕は、熱にうなされたような浮ついた気分のまま、3番打者にヒットを打たれ、4番を迎えた。「ああ、こいつだけは要注意だ」と思いながらも、やはり力が入らない。僕は、夢の中で投げているようだった。

 目が覚めたのは、ライトへ大きな当たりを打たれた時だった。

 振り向くと、白石が懸命にバックしていた。ガンちゃんも必死で走っていた。

 1塁ランナーは、2塁を蹴って3塁へ向かった。ヒットエンドランだったのだろう。滞空時間の長い打球だった。まっちゃんも打球方向に走りながら「捕ってくれー!」と叫んでいた。

 走りに走った白石が、仮設フェンスの直前でランニングキャッチ。

 1塁ランナーは、3塁走塁コーチに止められ、捕られたことに気づいて懸命に戻った。1塁ランナーも速い速い。白石は体勢を崩しながら、カバーに来ていたガンちゃんにトスした。ガンちゃんは、トスを受けると、1塁ランナーを刺すため、まっちゃんへ送球した。まっちゃんは、ちょうど1塁との直線上にポジションを取っていて、送球を受けると、すかさず1塁へ。1塁ランナーはヘッドスライディングを見せた。


 土ぼこりが舞い上がった。

 審判の手は天をついた。

 アウトだ。僕らのベンチから「わぁ」っと歓声があがった。

 1塁ランナーは、ベース上にうつぶせたまま悔しそうに何度もベースを叩いていた。

 僕は念のためホームのカバーに来ていたが、よし!と声をあげ、はるちゃんとハイタッチした。さっきまでの重い気分が吹っ飛んだ。僕には、こんなに頼りになる仲間がいる。一人であれこれ悩まず、この仲間たちと共に戦おう。

 続く5番は外角低め速球のボールくさい球でセカンドゴロに討ちとりチェンジとなった。


 4回裏。

 攻撃前僕らは円陣を組んだ。敵チームの正体をはるちゃんが説明した。センター返しは危ない。ならば左右のどちらかを狙おう。どっちが穴か?という話になり、下位打線であるセカンドとライトが穴じゃないかということになった。僕らは右打ちを決めた。

 最後にはるちゃんが、掛け声をかけた。

「ひがしー!」

 みんなで声を揃えた。

「ファイト!よおし!」

 打順は6番白石から。

 白石は明らかに右ねらいの構えをしていた。その意図が見え見えだったので相手バッテリーもたやすく打たれないように攻めてくる。5年の頃からレギュラーだった僕らは意図を隠して狙い打ちする技を持っている。それは、先ず投手のリリースポイントからよく見て、どこに球がくるか予測する。そして好球が来ると思った時、踏み出す足の位置を変えてフルスイングできる速さと強さが必要だ。それも、ふうちゃんが簡単にやっていたのを見て、僕らが「あんな風になりたい」と思って練習してきたことだ。しかし、ずっと補欠だった白石には、まだそんな技術はない。でも、白石はガムシャラだった。必死になって粘っていた。やがて、ふらっとあがったフライが、ラッキーなポテンヒットとなって2塁とライトの間に落ちた。

 僕らのベンチは盛り上がった。1塁上で白石が、苦笑いのような、照れ笑いのような笑顔を見せていた。「白石の気迫に続け!」と、監督が檄をとばした。「よし!」橋本もヘルメットを叩き、気合いを入れて打席に入った。


 1-2からの4球目。

 橋本は、ベースについていたために空いていた1塁方向へ、痛烈なヒットを打った。大きくライト線へ転がり、その処理にライトが手間取っているのを見て、白石も橋本も、ひとつ先の塁へ走った。ノーアウト2・3塁。


 次は新田だ。新田も意図を隠す技術がなかった。というより度胸がなかった。だから初めから右狙いの構えだ。それを見て、相手ピッチャーは、ちょっと嫌そうな顔をした。ひょっとすると、僕らが「穴だ」と判断した右方向は、本当に穴なのかも知れない。投げづらそうで、結局四球になった。ノーアウト満塁。ここで、チャンスにはめっぽう強いはるちゃんが登場する。池上小の内野がマウンドに集まり、何やら話し合っていた。そして、キャッチャーがピッチャーの腰のあたりを2~3回軽く叩き、守備に戻った。

 しかし、ピッチャーの動揺は収まらないようで、結局はるちゃんにも四球を与え、押し出しになった。これで2-0。僕らには待望の追加点だ。


 池上小ベンチがタイムを取った。そして、ピッチャー交替を告げた。誰が出てくるのだろうと思っていると、あのセンターが、マウンドに上がった。ピッチャーはレフトに入り、レフトがセンターに入った。

 僕らのベンチからどよめきが起こった。あのニヤついた男は、ピッチャーだったのだ。投球練習を見ると、勢いのある速球がどんどん決まっている。僕の速球とあまり変わらない。池上小は、こんな切り札を隠していたのだ。


 ニヤついた男は、マウンド上で躍動していた。1球決まる度に「よっしゃー!」と楽しそうな声をあげ、まわりの選手もそれにつられ歓声を上げた。彼の登板が池上小の重かった空気を一変させた。やはりあの男が本当のキーマンだ。僕らの頼れる1・2・3番があっという間に討ちとられた。三者残塁となり、それ以上の追加点はなかった。


 5回の表。

 池上小の攻撃は、6番からだ。彼らの狙いは、僕らには分かっていたので、簡単に三者凡退にうちとった。


 5回の裏。

 僕の打順からだ。

 ニヤついた男の球は確かに速かった。でも、その弱点を僕は見抜いていた。体重が乗っていない、軽い球だということだ。それに僕のように低めにはこないし、悪く言えば棒球だ。芯で捉えれば、飛ぶ。そう思って、僕は絶好球がくるまで粘った。ここで、この男を叩いておかねばならない。


 その球が来た。

 真ん中高めの、おそらく失投だ。僕は、自分でも驚くくらい冷静に、その球をはじき返した。打球は、勢いよく青空へ飛び出していった。そして、仮設フェンスを越えた。ホームランだ。

 僕らのベンチは沸きあがったが、僕はそんな浮かれた気持ちにはなれなかった。淡々とベースを回ってホームに戻った。5番の田中とハイタッチした時、ニヤついた男を見た。彼はマウンドに立ち尽くし、僕を見つめていた。やはりニヤついていたが、それは笑顔ではなかった。


 その後、僕らの5・6・7番は討ちとられ、6回は表裏とも動きはなかった。


 最終回の7回。

 池上小は攻撃前に円陣を組んで気合いを入れていた。この回彼らのクリーンアップが登場する。

先ず、3番打者。僕がひそかに熱血男と思っているバッターだ。常に打ち気満々だから、料理しやすかった。結局空振り三振にとった。

 そして4番バッター。あのニヤついた男だ。こいつは要注意。池上小の応援団から大きな声援があがった。

 1球目。内角高めをズバンとついた。ストライクだ。彼は、ニヤついた顔で、僕をにらみつけてきた。僕はそ知らぬ顔で、2球目も内角高めをついた。これは外れてボールになった。

 3球目。内角低めボールになる遅いさそい球を投げた。彼はひっかけ、3塁線へのファールになった。2-1と追い込んだ。池上小の応援はいよいよ大きくなった。はるちゃんは、内角高め速球のサインを送ってきた。僕は首を横に振った。こいつとの勝負は、豪速球で決めたかった。僕がサインでそう言うと、はるちゃんもしぶしぶ了解した。よし、勝負だ。僕はそう思って、一層大きく振りかぶった。

 ニヤついた男も、「くる!」と感じたのか、ピンと集中した。

 僕は下半身のバネをきかせながら大きくテイクバックし、そして全体重を乗せて、思い切り振りぬいた。シュルシュルという空気を切り裂く音とともに、僕の豪速球がはるちゃんのミットに突き刺さった。ニヤついた男は、大きく振り遅れの空振りをし、体勢を崩して倒れた。池上小ベンチから、どよめきと悲鳴があがった。ニヤついた男は、ようやく立ち上がり、ベンチへ引き上げた。

 続く5番もサードゴロに討ちとって、ゲームセット。


 終了の整列時、池上小の熱血男は泣いていた。他の数人も目を赤くしていた。彼らも勝つために、真剣に努力してきたのだろう。その気持ちは僕にも分かる。


 挨拶後の握手で、ニヤついた男が言った。

「決勝でも、がんばってくれ。絶対負けないでくれ」

 隣にいた熱血男も、「俺たちの分まで頼む」と言った。僕は黙ってうなずいた。

 はるちゃんが言った。

「当然だ。必ず優勝するよ」


 試合後、僕らは学校に戻って軽めの練習をすることになったが、僕だけは、休むよう言われた。

 ベンチで手持ち無沙汰だったが、改めて僕らのチームを眺めることができた。

 さすがに、4年生は話にならない。まだあどけない顔をしたちび選手たちは、ボールを追うのに精一杯だ。5年生になるとまとまってきているし、6年生は顔つきから違う。これまで春と夏の公式戦を戦って、いくものチームを見てきたが、やはり僕らのチームは強いチームだ。各人の動きに無駄がないし、誰もさぼっていない。今までに対戦してきた各チームの選手たちも、僕らと同じように野球が好きで、僕らと同じように勝ちたいと思って練習してきたはずだ。今日の池上小もそうだった。しかし、彼らの夢も希望も全て僕らが蹴散らしてきたのだ。そのことが本当に良かったことなのか。今日の池上小の涙を見て、僕の心が痛んだ。


 そうだ。

 バスケをやっている高浜さんなら、どう言うのだろうかと思った。僕らは交換日記で、お互い正直に思ったことを書いている。高浜さんなら、何て書くのだろう。


 練習が終わり、僕らは解散した。

 僕は、いったん家に帰って硬球を持つと、、すぐに投げ込みへ出かけた。疲れを残すなという監督の指示だったが、投げ込みをしないと落ち着かない。

 プール横の壁につくと、そこには、高浜さんがいた。僕は、話したいこともあり、嬉しくなって駆け寄った。

「今日は、どうだったの?勝ったの?」

「もちろんだよ。僕らが負けるわけないよ」

「いいなあ。強いチームは。これで決勝だね。私たちも来週夏の大会があるけど、けっこう強い相手だから、たぶん1回戦で終わりだもんね」

「でね、高浜さん」

 僕は、さっき悩んだことを高浜さんに話した。高浜さんならどう思うか聞きたかった。

 高浜さんは、さわやかに笑って答えた。

「ぜいたくな悩みだね。私たちのような弱小チームからは想像もできないよ。でもね私たちがどんな弱小でも、相手に手抜きはされたくないなあ。そんなので勝ってもうれしくないよ。精一杯戦って、どうしても手の届かない相手だったとしても、またがんばろうって思うもん。またがんばっていつかは勝てるようになればいいやって思うよ」

「そうかな」

「そうだよ。反則とかじゃなくて正々堂々と戦えば、それでいいと思うよ。同情なんてされたくない」

 その言葉に、僕は輝きを感じた。

 確かに試合で同情することの方が良くない。お互いに正々堂々勝負すること。それが大切なんだ。高浜さんは僕よりずっと大人だな。

「よし。わかった。ありがとう高浜さん。明日もがんばるよ」

「がんばってね。明日はお父さんと応援に行くからね」

「はあ?」

 それだけは意外だった。できれば恥ずかしいから来て欲しくない。

「ひょっとするとね、お母さんと妹もくるかもよ」

「何それ」

「へへ、実はね、明日私の誕生日なんだ。だから家族で応援に行って、帰りにレストランで食事でもって話があるんだ」

「そうなの?知らなかった。おめでとう」

「それだけ?」

「へ?」

「プレゼントは?」

「あ、そうか。どうしよう。何がいい?」

「う~ん。やっぱり優勝かな」

 正直僕はホッとした。今月のお小遣いはもうないからだ。

「うん。わかった」

「わかったって、簡単に言うんだね。優勝なんてすごいことだよ」

「そう言えば、そうだ。明日は中島小が相手だから」

「あの中島学園なんだ。春にも苦戦したよね」

「うん。でもきっと勝つよ」

「がんばってね。お母さんも、ボーイフレンドの顔が見たいって言っているし、妹もお姉ちゃんの彼氏が常勝野球部のエースだって、クラスで鼻が高いらしいから」

「はあ?」

 僕は赤面した。一体、高浜さんの家庭ってどうなっているのだろう。僕らはまだ小学生なのに。僕の家でガールフレンドなんて話をしたら、たぶんお母さんに「まだ早い!」って怒られる。

 高浜さんが僕の顔をのぞきこんで言った。

「谷山くん、赤くなってる。またまじめにいろいろ考えたんでしょう?」

 僕は照れくさくなって、頭をかいた。そこに、白石の声が聞こえた。

「おーい、谷山ぁ」

 振り返ると、白石がなおちゃんと一緒に来ていた。それに気づいた高浜さんは「じゃあ、もう帰るね。明日、がんばってね」と言って帰った。

 ちょうど入れ替わりで白石がやってきた。

「じゃまだったかな」

「いや、別に」

「すまん。ちょっと用事があったから」

「で、何?」

「いや、明日も県営だから」

 そうだ。明日の決勝戦は、また県営球場で行われる。

「谷山のおかげで俺も県営のグランドに立てそうだから、お礼が言いたくて」

 白石の正直な気持ちなのだろう。春の大会では、白石は補欠だったから試合には出ていない。

「でも今日、あのニヤついた男の打球を白石が捕ってくれなかったら、わからなかったよ」

「外野として当然の仕事さ」

 そんな適当な話をしばらくした後、白石は、遠くをみるような目で言った。

「あのな谷山。実は父さんが昔言っていたんだ。おまえには才能があるって。甲子園も狙えるだろうって。だから俺はガムシャラに努力して、おまえを支えろって。そして二人で甲子園に立ってくれって」

「親父さんがそう言っていたのか?」

「ああ。父さんは死ぬまで甲子園の話をしていたよ」

 僕の胸に重く感じる話で、目には熱いものがこみ上げてきた。僕にとって親父さんは、お菓子を買ってくれたり、ピッチャーをやってくれたり、いつもかわいがってくれる、優しいだけの存在だった。

「俺には信じられない話だったよ。適当にさぼっているおまえなんかに才能があるはずないって」

 僕はさぼるための言い訳を、いつも白石に伝言していた。

「でもな、このところのおまえを見ていると、やはり父さんの言った事は本当だったんだなって思うよ。藤井が転校してどうなるかと思ったけど、おまえががんばってくれている。みんなも認めているぜ。おまえのこと」

 僕は、黙ってうつむいて白石の話を聞いていた。うかつに顔をあげると頬を伝う熱いものが、白石に見られてしまいそうだった。

「明日も頼むぜ。そしてその先に行こうな」

 白石は僕の肩をポンと叩いた。熱いものが飛び出しそうだったので、僕はあわてて顔を押さえた。すると、なおちゃんにつっこまれた。

「あれ?勇太にいちゃん、泣いてるの?」

 僕は恥ずかしくて、よけいに顔をあげられなくなった。

「あのね、勇太兄ちゃん。男の子が泣くものじゃありません。ってお母さんが言っているよ」


 翌日。決勝戦の日。

 試合は1時半から行われる。僕らは正午過ぎ頃県営球場に入り、練習を始めた。中島小チームも既に来ていて、僕らの練習を見学していた。

「おー、偵察されとる。ビシッと決めてビビらしたろう」と、まっちゃんがつぶやいていた。

 次に中島小の練習になった。今度は僕らが偵察する番だ。彼らも落ち着いて練習していた。

 ここまできて、慌てるとことも恐れることもないはずだが、どうしても試合前は、相手が強いように感じられ、不安とかこのままでいいのかという焦燥にかられるものだ。

 僕ら一休みのあとダッグアウトに入って試合開始の時を待った。

 コーチが、「監督に注目!」と声をかけた。

「これは、ふだんの試合と何も変わりはない。球場は立派だが、相手が特別立派というわけではない。おまえらと同じ小学生だ。いつもの野球をやれば、必ず勝てる。落ち着いていけ。以上だ」

 監督は、僕らをリラックスさせようと、ことさら「ふだんの」とか「いつもの」とか言ったが、意識するなという方が無理だ。試合前、確かに不安はあった。しかし今はそれを超えて、逆に早く試合がしたいというワクワクするような不思議な感情が湧き出ていた。この日のために、みんな嫌と言うほど対中島小用の変化球対策を練習してきた。やれることは全てやってきた。その自信が僕らにはあった。


 審判団がホーム前に現れたので、僕らは円陣を組んだ。

 はるちゃんが言った。

「いいか。僕たちはうんと練習してきた。あいつらの変化球なんて、もう僕たちには通用しない。そのことを、思い知らせてやろう。絶対勝つ!」


 絶対勝つ。チームのために。そして高浜さんへのプレゼントだ。僕はその決意を固めていた。


 主審が「両校整列!」と号令した。

 はるちゃんが掛け声をかけた。

「ひがしー!」

「ファイ!よおし!」


 中島小は強敵だが、ここで負けると、僕らの道はなくなる。三連覇の道のふたつ目をかけた大一番の始まりだ。


 僕らは先攻だった。

 1番ガンちゃんが打席に入った。投手は、前と同じ1番手投手だ。内野は、1・3塁がやや浅めの守備をしていて、いつでもダッシュできるよう、腰をおとしていた。

 第1球。ガンちゃんはセーフティバントの構えを見せた。1・3塁手は猛然とダッシュしてきた。外角低めボールだと、ガンちゃんは判断したようで、バットをひいたが、判定はストライク。

 2球目。ガンちゃんは、またセーフティバントの構えを見せたが、内角へえぐるようなカーブが来たので、バットをひいて、のけぞるようによけた。判定はボール。変化球が鋭くなっている。

 3球目。内角低めへ、ワンバウンドするような遅いカーブが来た。さすがに、これには僕らも驚いた。緩急を身につけている!タイミングを狂わされたら、かなり厳しい。やはり中島小は、簡単には勝たせてくれそうにない。

 4球目。1-2のバッティングカウントだが内角低めの速球で簡単にストライクを取られ、ガンちゃんは追い込まれた。何とか塁に出て欲しい。頼むぞガンちゃん。

 5球目。内角高めの速球を、ネットへのファールで逃れた。

 6球目。外角低めの速球を流し打ちしたが、ファールになった。いきなり1番から息をもつまる展開だ。

 7球目。あの遅いカーブがきた。ガンちゃんは、充分ひきつけ、ライト前へはじき返した。僕らのベンチから「わぁ」っと歓声があがった。

 3球速い球を見せた後の遅いカーブとはいえ真ん中やや低めに入ってくる失投だった。ガンちゃんの粘り勝ちだ。中島小の投手は、悔しそうな表情を見せた。彼の遅いカーブはたしかに脅威だが、焦らずひきつければ充分打てることをガンちゃんが証明してくれた。1塁上のガンちゃんは、相変わらずのポーカーフェイスだった。


 2番まっちゃん。0-2からの3球目。ガンちゃんが盗塁を決めた。援護の空振りをしたので、これで1-2。ここは当然送りバントだ。まっちゃんは3塁線へ見事な送りバントを決めた。

ワンアウト3塁。いつも通り。僕らの形だ。


 3番やまちゃんは、四球を選んだ。

 ワンアウト1・3塁。


 中島小投手は動揺している。ここで一気に畳み掛けるべきだ。絶対つなぐ。そう決めて僕は打席に入ろうとした。すると僕らの応援席から、「谷山くーん!」という高浜さんの声が聞こえた。不思議なもので、これだけ騒がしい球場でも、知り合いの声は聞こえる。その方向を見ると、高浜さんと、その家族らしい3人が見えた。やはり家族全員で来ている。高浜さんはもちろん、母親らしい人も笑顔で軽く手を振っている。僕は赤面しそうになった。とにかく軽くお辞儀をして目の前の勝負に集中するよう自分に言い聞かせた。


 やはり、中島小投手は動揺している。遅いカーブも速球も決まらなかった。0-2からの3球目。ここは、たぶん彼の1番自信のある、あの速くて鋭いカーブがくる。僕はそう思った。そしてそれは正解だった。僕はその球を、逆らわずに流して、1・2塁間を抜けるタイムリーヒットを打った。ガンちゃんがゆっくりとホームインした。やまちゃんは2塁をまわったところで止まった。僕らのベンチや応援席から歓声があがった。前回あれほどてこずった中島小から早くも1点取った。


 続く5番は職人田中。

 1-2からの4球目、あのカーブに逆らわず打ったが、2塁やや左のライナーとなった。ベースカバーのため2塁近くにいたセカンドに逆シンキャッチされ、セカンドベースに入ったショートにトスして、2塁ランナーやまちゃんは戻りきれずアウト。僕らの応援席からはため息もあがったが、相手は中島小だから、これくらいの守備は当然だ。


 その裏。

 中島小の先頭打者だけは、全力で倒すと決めていた。当然はるちゃんのサインもど真ん中豪速球だった。僕はよし!と思って大きく振りかぶった。僕の投げた球は空気を切り裂く音とともに、はるちゃんのミットで快音をたてた。中島小の1番バッターは手が出ず、ただ見送った。中島小ベンチからどよめきが起こった。彼らは、僕の豪速球を見るのは初めてのはずだ。3球続けて豪速球を投げ、3球三振にとった。僕らバッテリーの思惑どおり、中島小のベンチを黙らせ、僕らのチームには活気を与えた。

 2番バッターには、いつもの通りの攻め方をした。いくら豪速球でも連投すればいつかはつかまる。結局セカンドゴロに討ちとった。

 3番はサードへボテボテのゴロ。やまちゃんが軽いステップでさばいて、チェンジ。


 2回表。

 先頭バッターは白石。

 彼は打席の前で長いことうつむいていた。そして天を仰ぎ、何やらつぶやいていた。僕には、分かるような気がした。彼にとって、親父さんに続く道は、今日ここから始まった。がんばれ白石!

 1球目。外角へ逃げるカーブを空振りした。白石は正々堂々の勝負をするつもりだ。県営での初打席だからといって、慎重にいくつもりなどない。「おにいちゃん、かんばれー」というなおちゃんの声援が、ベンチにいた僕にも聞こえた。白石には聞こえているのだろうか。

 2球目。内角速球をファールした。やはり思い切ったスイングだった。

 3球目。

 ワンバウンドになりそうな遅くて落ちるカーブを待ちきれずに空振りした。3球三振に倒れた。白石は、紅潮した真剣な顔で引き上げてきた。興奮しすぎだ。無理もないけど、後でちょっとからかってやろう。

 続く7番橋本は、打力はないが、さすがにずっとレギュラーだけあって、打席の中では落ち着いていた。ストライクとボールの見極めはできていた。でも、2-2と追い込まれてからは、やはりあの遅いカーブを待ちきれず三振した。

 続く8番。僕らの中で一番幼い顔つきの新田だ。打席の中で緊張しているのか、やや震えているようだ。今までは普通だったが、決勝戦ともなると気弱な性格が出てしまう。


 ここだけの話、あくまでも噂だけど、本来外野のレギュラーは白石のはずだった。でも父親が実力者だったので先代の優しい監督が遠慮して新田をレギュラーに据えたらしい。僕らも初めはそんな噂をなんとなく信じていたので新田を見下していた。しかし新田は気が弱いけれど粘りがあった。ヘタなりに、コツコツと人一倍努力していた。そして、打力はないが、守備なら十分任せられるまでになった。今や新田も僕らの大切な仲間だ。

 でも残念ながらこの打席は速球だけで攻められ、セカンドゴロに倒れた。


 2回裏。

 中島小の攻撃は4番からだ。

 顔も体もゴツイ男で、番長と呼ぶのにふさわしい風貌だ。技巧派でスマートな感じの選手が多い中島小では、3番と、この4番だけが威圧感のある選手だ。打席から眼光鋭く僕をにらみつけてくる。僕はムカついた。でも、そ知らぬ顔で冷静に僕の投球をすることが、僕の役割だと言い聞かせた。「おまえは顔に出すぎる」と、以前監督から注意された。「野手ならいいが、投手になったからには一喜一憂を顔に出すな」その言葉を僕は守るつもりだ。ふうちゃんがそうだった。どんなピンチでも、その表情は僕らに悲壮感を与えなかった。


 僕らバッテリーは、速球勝負に決めた。この4番を力でねじ伏せなければ、中島小を黙らせることはできないだろう。

 1球目。内角を速球で突いた。番長は手が出ず、見逃しストライク。

 2球目。外角のボールになる速球。番長は当ててきたが前には飛ばずファール。

 3球目。相手の反応を見極めるため、もう1球同じ速球。しかし、ボールなので手を出さなかった。さすが4番だ。球が見えてきている。

 ならば。

 はるちゃんのサインは豪速球だ。僕は迷わずうなずき、全身の力を込めて投げた。いつものように空気を切り裂き、はるちゃんのミットが快音を発する時、番長は見当違いの大きな空振りをし、体勢を崩した。僕らのベンチと応援席から歓声があがった。はるちゃんが機敏な動きでマスクを払いのけ、大きな笑顔と掛け声で、ボールをサードに投げた。

「ワンダンワンダン!」

 みんなも「よっしゃー!」と応えながら軽快にボールを回した。僕が一喜一憂の表情をしなくても、はるちゃんが笑顔で僕らを盛り上げてくれている。

 僕らは、チームだ。

 結局、5番6番も内野ゴロに討ちとり、その回を終えた。


 まぶしい夏の光が地面に濃い影を作っている。山並みの向こうに、大きな入道雲が見えた。そして、蒸し暑くてたまらないグランドで、僕らの試合が淡々と進行していった。汗が、帽子からしたたり落ちそうだ。現代の常識とは違い、当時は『バテる』という理由で試合中に水を飲むことは厳禁だった。僕らは保護者会が準備してくれた冷たい水でうがいしながらグランドに立った。


 4回裏。

 中島小は円陣を組んだ。監督が身振り手振りしながら何か説明していた。最後には彼らも僕らと同じように「なかしまー!ファイ!よおし!」と気合いを入れていた。


 打順は1番から。

 1球目。僕らは様子を見るための、外角低め速球から入った。ボールになったので、1番は手を出さなかった。

 2球目。内角速球。振り遅れの大きな空振り。彼らは円陣を組んでいたが、特別な作戦はなさそうだと思った。いつものように討ちとってやろうと思った。それが、油断というのもだったのかも知れない。中島小が誘ったのだ。

 3球目。外角低めへの速球。それを、1番打者は、しゃにむに1塁線へセーフティバントした。球は勢いよく転がった。僕は元1塁手だ。だからこれは1塁手の守備範囲だと決めつけ、1塁ベースに向かって走った。しかし1塁手の橋本は、何を考えたのか、ダッシュせず1塁に突っ立っていた。途中でそれに気づき方向転換して僕が打球をキャッチしたが、もう間に合わなかった。

 橋本は塁上で「何やってんだよ」と言っていた。僕はムカついて言い返そうかと思った時、ベンチにいたコーチが「今のは1塁が捕れ!」と怒鳴った。

 1番バッターは塁上で笑っていた。

 中島小が初めてランナーを出した。

 橋本はコーチから注意され萎縮したのか、真っ青な顔をしていた。こんな橋本のところにけん制球を送るのは危ないと思ったが、2番バッターは送りバントの構えをしているし、ランナーもリードが大きかったのでけん制球を投げた。その球は、わずかに右へそれ、橋本がはじいてしまった。ファールグランドをボールが転々としている間にランナーは2塁に進んだ。

 僕は目の前が真っ暗になった。

 僕はピッチャーになりたてで、フィールディングもけん制もうまいほうではない。その弱点を中島小は突いてきた。

 ノーアウト2塁だ。

 中島小のベンチと応援団が俄然盛り上がった。その歓声が、僕を威圧した。太陽が、まぶしく感じた。汗が、重たく感じた。でも、準決勝の時のように弱気になれば、中島小は一気に攻めてくるだろう。彼らは甘い敵ではない。

 1球目。内角高め速球。2番打者はバント失敗。ファール。

 2球目。同じく内角高め速球。同じくバント失敗。ここで、バントの構えを解いた。

 3球目は外角低めへ1球外す遅い球。それが失投で甘いところへ入ってしまった。2番は、逃さず流し打ちした。僕はしまったと思いながら打球方向を見た。速い打球が、ベースカバーのため広く空いていた1・2塁間をやぶった。ライトの白石は、あらかじめ前進守備していた。猛ダッシュしてきて捕球すると、すかさず2塁のまっちゃんへ返球した。おかげで、2塁ランナーは3塁をまわったところで止まった。

 ノーアウト1・3塁。はるちゃんがタイムをとり、内野が集まってきた。

「1塁は必ず走ってくるから注意しろよ」と、はるちゃんが言った。

「どうする?1点覚悟のゲッツーねらいか?」と、田中。

「1点もやらん」と、やまちゃんが言った。

「豪速球でうちとればいいじゃん」と、橋本。

「いくら豪速球でも、もし3人ともバントしてくればそのうち一人くらいは成功するぜ。敵は中島小なんだ」と、まっちゃん。

「危険な賭けだけど、ここは前進守備だ。1点もやらんという気迫を見せつけよう。その代わり豪速球中心に組み立てて、内野の頭を越えないようすればいい」と、はるちゃん。

「みんな、ぎりぎりのプレイになるぞ。しまっていこうぜ」と、まっちゃんが言った。

 その時、補欠の田村が監督の指示を伝えに来た。

「監督は、おまえらにまかせた。思う通り思い切ってやれ。って言っているよ」

 はるちゃんが笑って言った。

「僕たちは信頼されているよ」

「当然だ。俺たちは強いから」

 まっちゃんがそう返すと、みんなの表情が緩み空気が軽くなった。

「とにかく俺たちは三連覇するんだ。こんなところでやられてたまるか!」と、やまちゃん。

「よし、しまっていこう!」

 はるちゃんの掛け声とともにみんな守備に戻った。はるちゃんはホーム上から外野にも前進守備の指示を送った。僕は一人ではない。いつも監督が言うように、チームとともにあるのだと、自分に言い聞かせた。


 中島小3番打者への第1球。はるちゃんのサインは豪速球だった。僕はうなずいて投げた。3番は、手が出ず見送った。

 2球目。外角低めへの速球。3番は見送り、ボールになった。

 3球目。内角高め速球のつり球。またしても見られてボールになった。やはり、さすが中島小のクリーンアップだ。僕の速球はそろそろ見えてきている。

 カウント1-2。

 中島小が何か仕掛けるには絶好のカウントだ。様子を見ようと、はるちゃんが、けん制のサインをした。僕が気合いを入れて牽制球を1塁へ投げると、なんと1塁ランナーが飛び出した。

ランナーが1・2塁間にはさまれた時、大きくリードしていた3塁ランナーが走った。

「走った!」

 僕は思わずそう叫んだが、ボールを持っていたまっちゃんは反応せず冷静に1塁ランナーを1塁へ追い込んだ。2塁上にいた田中がたまらず「バックホーム!」と叫んだが、まっちゃんはお構いなしだ。そして1塁ランナーをギリギリ押し返し、3塁ランナーがもう引き返せないタイミングになった時、見事な送球をはるちゃんに送った。送球は、はるちゃんの構えたところに決まった。

 クロスプレイ。舞い上がる土埃。

 審判はボールがこぼれていないことを確認した上で「アウト!」とコールした。しかしその前、はるちゃんは、すかさず2塁へ送球した。押し返された1塁ランナーがバックホームを見て2塁に走った。ヘッドスライディング。送球は、これも田中の構えたところに決まった。

 タッチアウト!

 ゲッツーだ!僕らのベンチは踊りあがった。

 中島小は1塁ランナーが挟まれている間に3塁ランナーがホームインするという作戦だった。僕らも練習ではやっているが、本番ではまだ一度もやったことがない。中島小は果敢にチャレンジしてきたが、失敗に終わった。

 僕らは一気にピンチを脱した。

 響くような歓声と同じくらいのため息の中で、まっちゃんは静かにガッツポーズをした。あそこで慌ててホームに投げていたら、良くても1アウト2塁。場合によってはノーアウト2・3塁。最悪1点プラス2塁だ。まっちゃんがよく辛抱して、ぎりぎりのプレイをやってのけた。そして、はるちゃんも田中も冷静に正確にプレイした。

 一喜一憂するなと言われても、この時ばかりはどうしようもなく笑顔がこぼれた。

 3番打者を討ちとって、ベンチに引き上げる時、僕らは控えの選手からハイタッチで迎えられた。

太陽が容赦なく照りつける中、5・6回が何事もなく終わった。


 いよいよ最終回。

 僕らの攻撃だ。

 ダメ押し点が何としても欲しいところだ。打順は3番やまちゃんから。この回から前回同様3番手のピッチャーが登場する。

 中島小のシステムは1番手ピッチャーが右。2番手が左。3番手が右。というふうにジグザグの投手リレーとなる。1番手はカーブが得意だ。2番手もカーブが得意だが、右打者からはシュートになる。そして3番手もカーブを投げるが、持ち味はストレートの速球だ。このシステムにかかれば、小学生レベルでは手も足も出ない。現に僕らのライバルのひとつ白峰台でさえ、準決勝で敗れた。疲れが出る最終回、しかも、のらりくらりのカーブに慣れた目からは、3番手の速球についていけない。しかし、この回クリーンナップからの攻撃だから何とかしておかないと、どんな結末になるかわからない。やまちゃんは、握り締めたバットを見つめて「よし!」と気合いを入れて打席に入った。ベンチから、「やまちゃん頼むー!」とまっちゃんが叫んだ。「山村先輩!ファイト!」というベンチ入り5年生もいた。先頭バッターが大切だと、みんな知っていた。それは中島小も同じで、何とか討ちとりにかかる。

 やまちゃんは2-2からの高め速球つり球に手を出し、空振り三振に倒れた。味方ベンチと応援団からため息がもれた。


 次は僕だ。

 何とか塁に出てやる。

 あのニヤついた男の速球に比べれば、たいしたことはない。実際、球の速さはニヤついた男の勝ちだ。でも打席に立って改めて見ると、このピッチャーの方が洗練されている。ニヤついた男は荒れ球だったが、こいつはまとまっている。失投もなさそうだ。

 2-3まで粘った。最後はたぶん、自信のある速球でくるだろう。それも低めに。僕に高めのつり球は効かない。そう思ってヤマをはっていると、リリースの時、カーブの握りが見えた。しまったカーブだ。しかし、なんとかなると瞬間的に思いなおした。このピッチャーは外角を狙う時、ややスリークォーターのようになる。この時もそうだった。外角だ。僕はテイクバックし、足を右側に踏み込んで逆らわずに流し打ちした。

 打球は、右中間を破った。

 僕は1塁を蹴って2塁へ。ツーベースヒットだ。

 味方から歓声があがった。僕は景気づけのために高々と右手を突き上げガッツポーズした。

 中島小は内外野とも前進守備を敷いた。1点もやらない構えだ。春の大会で僕にホームインされた記憶もあるからだろう。

 5番田中は4球目をひっかけ、どんづまりぼてぼてのセカンドゴロ。タッチプレイが必要なため、僕は迷わず3塁に走った。

 バッターは白石。

 中島小から見ると僕ら二人の組み合わせは、二度と見たくなかった悪夢だろう。嫌なイメージが残っているはずだ。

 打席に入る前、白石は僕を見た。僕は右のこぶしを突き出し、「いけ!」というようなジェスチャーをした。

 白石は、うなずいた。2~3度、大きなスイングをして打席に入った。

 白石は、ガムシャラに粘った。くさい球は全てカットした。9球目。しかし、最後は内角を速球で衝かれ、空振り三振。白石は、両ひざをついてうなだれた。

中島小ナインはハイタッチしながらベンチへ引き上げた。

「よし、ドンマイだ!」と僕は白石に言った。

「すまん」

「だから気にするな。あとは俺がなんとかする」

 僕は最後のマウンドに上がった。中島小は1番からの好打順だ。味方の応援席から悲痛な応援の声があがっていた。

 初球。外角低めをつく速球を1番バッターが1・2塁間へ痛烈にはじき返した。深めに守っていたまっちゃんがギリギリ追いついてシングルキャッチ。間一髪間に合ってアウト。危なかったが、1球で決まって助かった。正直、気が楽になった。

 続く2番バッターも右狙いのようだった。僕の球威に逆らわない作戦のようだ。ならば、と、はるちゃんが内角速球を要求した。1球目。スバンと胸元へのストライク。打者は見逃した。2球目も同じ。しかしボールになった。3球目も同じ。また見逃したが、ストライク。4球目。はるちゃんのサインは「外角低めボール遅い球」だった。打者は、まんまとひっかかり、またセカンドゴロになった。

 2アウトだ。

 僕らのベンチと応援団からひときわ大きな歓声があがった。

「あと一人」コールも起こった。春の時のようだ。しかし、春と違うのは、「あと一人コール」の通りに僕らが勝つことだ。

 3番バッターは、豪速球で3球三振に討ちとった。審判の手が高々と上がった時、僕らは優勝した。

 はるちゃんがマウンドに走ってきた。

 ナインも駆け寄ってきた。

 控えもベンチから飛び出してきた。

 僕は、みんなにもみくちゃにされた。

 スタンドから「よくやったー!」という声があがり、大きな拍手が湧き起こった。


 僕らは、二度目の優勝を果たした。



完読御礼!

いつもお読みくださり、ありがとうございます。

次回もよろしくお願いいたします!

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