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野球少年 小学編  作者: 神瀬尋行
4/10

第四章 夏の陽射し  第五章 岩松兄弟

今回は中学編と違い極楽合宿の様子です。

小学生に戻った気分でお楽しみください。


また、中学編にその名前だけ登場した岩松兄弟との闘いも描いています。

   

   第一章  フルチン先輩

   第二章  青空の彼方へ

   第三章  夢をつぐもの

   第四章  夏の陽射し (今回はここと、)

   第五章  岩松兄弟 (ここです)

   第六章  祭の日

   第七章  熱 戦

   第八章  夏のおわりに

   第九章  秋 風

   第十章  1週間

   第十一章 死 闘

   第十二章 天高く



第四章 夏の陽射し


 夏が近づいていた。

  ふうちゃんが転校して、梅雨が終わって、そして、夏がやってくる。

 その間、野球部の動きは6年生はいつもの通りで5年生は対外練習試合で遠征に出たりすることが多くなった。相変わらずのきつい練習だったが今や、練習が楽しくないなどと言うものは一人もいない。みんな口には出さなかったが三連覇を真剣に考えていた。


  僕も、ピッチャーとして自信がついてきた。父さんのアドバイスもあり、下半身を鍛えなおすため、朝から走りこみをするようになった。父さんも時間があるときは僕の遠投を手伝ってくれた。

部の練習では、主に配球やチェンジアップ、そしてフィールディングの指導を受けた。夜はいつもの投げ込みだ。たった2ヶ月の間だったが、なんとか形になってきたと自分でも思う。思えば、ふうちゃんは、こんなに大変なことを何気なくこなしていたのだ。隠れた努力をしていたのだろう。でなければ、試合で、あんなに活躍できるはずはなかった。僕は困った時、ふうちゃんならどうしていたか、頭の中でイメージすることにしていた。そのイメージの中でも、やはり、ふうちゃんはすごかった。僕がピッチャーになって初めて思い知らされた。そして、いつかはふうちゃんを越えてやるという意識が芽生えはじめた。


  高浜さんとは、相変わらず交換日記が続いている。橋本に見つからないよう、こっそりと。女子のミニバスケは、参加校が少ないこともあり、公式戦は夏の大会1回しかないそうだ。2年間がんばってきたことを、思い残すことがないようにしたいと、最近書いていた。それは僕も同じだ。後悔はしたくない。だから監督の言うように、できることをひとつひとつ積み重ね、最後には勝つ。僕らは、絶対三連覇する。


  夏の陽射しが照りつけ、空には白い雲が浮かんでいた。いよいよ勝負の時が近づいている。


 ある日の昼休み。

 うだるような暑さの中、はるちゃんが重大なニュースを3つ持ってきた。僕と白石、田中にガンちゃんがその話を聞いた。


  ひとつ目は、ふうちゃんがいなくなったことが僕らのライバル校にバレているということだった。どうも5年生が遠征先でおしゃべりしているらしい。

「だから谷山。なめられないようしっかり頼んだぞ」とはるちゃんが言った。


 ふたつ目は今年から公式戦の方式が変わるらしいというものだ。春と夏はそのまま。しかし、秋の大会は両リーグの春と夏のベスト8を中心に選抜された十六校で行われる。つまり、強いチームだけが集まって市で1番のチームを決める戦いになる。とのことだった。

「ようするに日本シリーズのようなものかな?」と、田中が言った。

「春の選抜みたいだ」と、白石が言った。


 3つ目が楽しみなニュースだ。夏休みに入ったら、すぐに恒例合宿を行うということだった。それはレクレーションだ。別に強化合宿ではない。山の上の涼しい高原で、旅館に泊まって地元の小学校と交流試合をする。去年も、みんなで泊まって、うまいもの食って、楽しかった思い出がある。

だが、ちょっと待て。今年は鬼監督だ。4年の時はどうだったか?というのが誰も思い出せない。思い出せないほどつらい合宿だったのではないかという声もあり、僕らはちょっと覚悟した。


 夏の烈しい日射しの中、1学期が終了した。

 最後のホームルームが終わると、クラスメイトたちは海に行くとか、山に行くとか言ってはしゃいでいた。普段の土日なら、そんな話、どこか遠い世界の話のようで僕には関係なかったが今回だけは違っていた。明日から、合宿があるからだ。2泊3日の予定で、いつもの高原に行く。今年も、あの旅館に泊まる。お風呂は温泉らしく、赤い色をしていた。夕食は大広間でごちそうの並んだお膳がうれしかった。

  そんなこんなを想像しながら練習に行く支度をしていると高浜さんの呼ぶ声が聞こえた。いつもなら誰もいない廊下で話をしているのに今日はどうしたんだろう。僕は慌てて高浜さんを連れて人影のない階段の踊り場に行った。


  高浜さんは、ちょっとむくれていた。

「だってもう、夏休みだよ。連絡するのにどうしたらいいか分からなかったの」

 ああ。そうだ。本当にどうしたらいいんだろう。僕は考えようとして、ちょっと視線を変えたら、その先に橋本がいた。よりによってまずい奴に見つかった。

橋本は、ニヤリとした。

違う!そんなんじゃない!と僕が慌てて叫ぶと今度は高浜さんが、怒り出した。

「違うってどういうこと?そんなんじゃないって何?」

 僕はパニック起こして、しどろもどろで、「あ、いや、その」とか言っているだけだった。高浜さんは駆け出し階段を下りていった。僕は追いかけた。


 後ろから「今回俺は何も言ってねえぞ」という橋本の声が聞こえた。


 階段を下りて、校舎裏へ出ようとするあたりで、僕は高浜さんをつかまえた。僕がごめんと謝ると、高浜さんは、「谷山くん、ずるいよ」と言った。ずるいなんて言われたのは初めてだ。僕が呆然としていると高浜さんは続けて言った。

「私は、谷山くんが好きだって言ったじゃない?どうして谷山くんは何も言ってくれないの?」

 確かにそうだ。日記はずっと続いているが、「好きだ」なんて言ったことも書いたこともない。

「でも、僕らは小学生だし早くないか、そんなの」

「でも、私は好きだよ」

 高浜さんは真っ赤な顔をしていた。そして、真剣に僕の目を見つめていた。そんなセリフ、言うには勇気がいる。僕にはなかった。だから今まで言わなかった。でも、ずっと交換日記を続ける間に僕も高浜さんが好きになっている。だから、今、はっきり言おうと決めた。

「僕も好きだ。今まで言わなくてごめん」

 そう言って、僕は頭を下げた。今朝起きた時は、まさかこんなことになるなんて思わなかったけど間違いなく、僕にとって生まれてはじめての告白だった。顔から火が出そうだった。心臓が爆発しそうだった。こんな恥ずかしい思いを高浜さんはしていたのだということが、今、やっとわかった。


 僕らは、とりあえず夏休みの間も交換日記を続けることにした。お互い部活があって、学校には来るから、くつ箱に入れておこうということになった。僕は恋愛なんてまだ早いと思っている。だから、これから先は、これからだ。


 ともあれ。7月にある、近所の神社の縁日には「一緒に行こう」と約束させられた。


 その日の練習中、橋本は何も言わなかった。ちょっとは、あいつも大人になったのかと思ったが、よけい気になったので、合間を見て話しかけてみた。

「橋本、今日のことは誰にも言うなよ」

 橋本は何気ない顔で答えた。

「そうか?でもたぶんみんな知っているぞ。おまえらの交換日記は有名だから」

 僕はハンマーで後頭部を叩かれた気分になった。漫画で言うところの『ガーン』という奴だ。

 橋本は続けた。

「毎日やっていれば、そりゃあ、バレるよ」

 僕はうつむいて沈黙した。

「でも、高浜の気持ちは本物だと思うよ。俺は4年の時同じクラスだったから知ってる。おまえが毎晩毎晩投げ込みしているのを4年の頃から気にしていたから」

 僕は、またハンマーで叩かれた。僕がかっこ悪いからと思って隠していたことは、全部バレバレだったのか。

「だから、逆に俺は応援したいくらいだよ」

 笑顔を見せながら、橋本は意外なことを言った。やっぱり、僕らのチームメイトだ。根はいい奴なのだと、僕は橋本を見直した。


 しかし、それが落とし穴だった。

 橋本は僕を油断させようとしていたのだ。


 その日の練習は明日からの合宿に備えて早めに切り上げられた。合宿についての注意事項がコーチから説明された。監督からは「まあ、夏の大会前の最後の息抜きだから楽しみにしてこい」と言われ僕らの心配がふっとんだ。やはりレクレーションだ!今日はとんでもない一日だったが、そんなことは全て忘れた!明日からの合宿だけが待ち遠しかった。


 合宿の日。蝉がやかましい朝。僕は元気よく家を飛び出した。

 朝7時半に駅前集合。その日も快晴で、まぶしい夏の日差しが照りつけていた。

 僕らはたくさんの荷物をつめこんだスポーツバックを抱え、がやがや言いながら三々五々集まってきた。いつもの表情とは違う。みんな明るく楽しそうだ。やはり、たまにはみんなでこうして遊びたい。僕らは野球だけの仲間じゃないんだ。難しい言葉は知らないけれど普通のクラスメイトよりも信頼している。橋本だけが「ガキの遠足じゃないんだぞ」と言っていた。

 本当は自分も楽しみなくせに橋本ばかりは、もう。それに、僕らはどう見てもガキだ。


 僕らを乗せた列車が出発した。

 保護者会が準備してくれたお菓子をほおばりながら平野から山地へ移り変わる車窓の風景に胸を躍らせ、みんなではしゃいだ。


 列車に乗ること2時間半で目的の駅についた。

 ホームに降り立つと、日差しは烈しいが風はさわやかだった。辺りには一面の田園風景が広がっていた。そこから荷物を持ったまま軽いランニングして交流試合をする小学校へ向かった。およそ十五分。


 学校には既に野球部が来ていて、僕らを出迎えてくれた。監督同士、保護者会同士、キャプテン同士が長々と挨拶していた。


 その間、僕は相手チームの面々を見渡していた。

 どの顔にも見覚えがある。その中に目つきが鋭くて四角い顔の双子がいた。

 岩松兄弟だ。さかんに僕らにガンとばしてくる。

 この兄弟は、このチームの3番4番で、弟が3番、兄が4番。

 去年の交流試合は僕らの圧勝だった。彼らは、ふうちゃんの打たせて捕るピッチングにぐうの音も出なかった。最後の打席で二人とも凡打に終わり二人とも「ちっくしょー」と叫んでバットを叩きつけた。その様子がおかしかったので、僕は名前を覚えていた。


 僕に目が合うと、彼らは近寄ってきた。そして兄が聞いた。

「おい、あの長髪野郎はきてないのか」

 凄みをきかせるので、僕も負けるか!と思いながら返事した。

「長髪野郎って誰だ」

「ふざけるな、あのエースだよ」

「何だおまえ、それが人にものを尋ねる態度か?」

 僕も負けてない。両者険悪になった。さすがに弟がわって入った。

「ごめん。君は確か5番バッターだったね。あのエース、藤井君だっけ」

「ああ、ふうちゃんなら転校した」

「転校か!」と兄弟が同時に叫んだ。

 あっけにとられているようだったが、やがて弟が説明した。とにかく去年の、あの屈辱的敗北以来、ふうちゃんを倒すことだけを考えてやってきたらしい。二人とも、しばらくの間ひどく落胆していて、二人でぶつぶつ言っていたが、やがて弟が僕に聞いてきた。

「じゃあ、次のエースは誰?」

 僕は迷わず答えた。

「俺だ」

 兄は笑った。

「おまえなんかがエースなら、今年は楽勝だ!おぼえてろよ」

 兄がそう言うと二人はチームメイトの方に帰って行った。そばにいた4年生が真っ青になって硬直していたので僕は「気にするな」と言った。4年生はうなずいたが、ちょっとビビッたようだった。僕は岩松兄弟の方を見て心の中で言った。


 そっちこそ、おぼえていろよ。


 交流試合をする学校は、錦川小学校という。略して錦小だ。

 僕らは体育館を借りて荷物をおろし昼食をとることになった。錦小の保護者会が手配してくれていた弁当を、僕らは車座になって食べていた。その時、錦小の監督が来て鬼監督に相談した。

「今日は軽い練習の予定でしたが、みなさんは市内の大会で優勝された強いチームですから、ぜひ試合をしていただけませんか」

「すると、今日明日の連戦ですか」

「はい。今日は午後から6年生。明日が予定通り午前が5年生、午後が6年生ではいかがでしょうか」

 鬼監督は、コーチや保護者会と相談した。

 錦小の監督は、つけ加えて言った。

「なにぶんこんな田舎でして、市内で優勝されたようなチームとは、なかなか試合なんてできません。うちの保護者会のみなさんも是非にと申しております」

 監督たちは「子供たちがいいなら」という結論になった。

「おまえたちはどうだ?」と監督が聞いた。

 僕らは「やります!」と答えた。

 5年生はともかく、僕らはこのところ試合をしていなかった。だから夏の大会を前にひとつでも試合ができるなら、そっちの方がいい。列車での疲れなんか僕らには疲れじゃない。


 話はまとまって今日も試合をすることになった。あの生意気な岩松兄弟をやっつけるチャンスが1日早くやってきた!


第五章 岩松兄弟


 試合は2時から行われることになり、監督から指示があった。

「旅の疲れもあるだろうが、ここは、いつも通りの野球をやれ」

 だから、僕らは疲れていません。チームメイトのみんなも疲れている様子はなかった。

「ただし谷山。おまえは普段の半分の力で投げろ。今日明日連戦になるから、ペース配分の練習だと思え。春木も、そのつもりでリードしろ。わかったな」

 はるちゃんは「はい!」と答えたが、僕は面白くなかった。いつもの半分となると、最近練習した、打たせて捕る、あのチマチマした投球になる。僕は1発で奴らを黙らせたかった。しかし監督が念を押すように「わかったな?」と言ったので仕方ない。


 さて、ビジターである僕らは先攻だ。

 錦小の投手が投球練習をしている。去年もこの投手だった。僕はホームランを打ったので覚えている。しかし、何だこいつは。余計下手になっている。僕の見たところ上半身と下半身のバランスが悪く手投げのようになっている。それでは威力のある球はこないし低めにもこないから僕らを抑えることなんてできない。そう思って隣にいた新田に話してみると新田は「そうかな?去年と同じだと思うよ。球も速いし」と、意外なことを言った。

 ずいぶん後で気づいたが、それは相手投手が下手になったのではなく僕自身が投手として成長したのだった。


 プレイボールがかかった。

 1番ガンちゃんは、初球、ストライクを取りに来た甘い球を、いきなり打った。打球は左中間の深いところに飛んで行った。長打コースだ。3塁打かなと思っていると、3塁コーチは大きく手を回し「まわれ、まわれ、まわれ!」と叫んでいた。ガンちゃんも躊躇なく3塁をまわった。ボールは中継プレイでバックホームされたが、ガンちゃんは立ったままホームインした。ランニングホームランだ。あっという間に1点先制。僕らのベンチは盛り上がった。

 戻ってきたガンちゃんが「あのピッチャー、去年より速くなってるよ」と言ったから、僕はやはり意外な気がした。


 続く2番のまっちゃんは、対照的に粘った。2-3まで粘ったが、セカンドゴロに倒れた。


 3番やまちゃん。自分もホームランと力みすぎたため、つい高めのつり球に手を出し、ショートフライに倒れた。


 4番は僕。

 相手ピッチャーの球筋も速さもリズムも見えていたから簡単にレフト前ヒットを打った。

 ハーフウエイから戻ってくると、1塁手から「いい気になるなよ」と言われた。

 ひょっとして。

 チッ。やはり岩松兄だ。この野郎と思ったが、とりあえず無視した。


 相手投手は手投げなのに不思議とコントロールは良かった。続く田中は、外角低めを引っかけてセカンドゴロ。これで3アウトだ。


 さて、僕はマウンドに上がり投球練習をした。

 調子は悪くない。

 思えば対外試合では初先発だ。

 僕は深呼吸しようと、天を仰いだ。空はどこまでも青く雲は輝くように真っ白だった。

 そう言えば決勝戦の時、ふうちゃんもこうして空を見上げていたっけ。ふうちゃんはどんな気持ちで、こんな風景を見つめていたのか。


 僕の記念すべき第1球。

 大きく振りかぶる。下半身のバネを利かせる。そして腕を振った。

 ボールは、まっすぐに、はるちゃんのミットへ突きささった。

 別に全力では投げていない。それでも相手ベンチからどよめきが起こった。

 僕とはるちゃんは、試しに軽く真ん中へ3球投げた。相手1番は、それでも、見送り三振だった。僕らのベンチから歓声があがった。逆に静まり返った錦小のベンチでは岩松兄が一人でわめいていた。

「相手は補欠のピッチャーだ。ビビるんじゃねえ!」


 補欠?僕が?そうか彼らにとって僕らのエースは去年コテンパンにやられたふうちゃんなんだ。

 面白い。補欠かどうか見せてやる!

 2番打者も真ん中で3球三振に切ってとった。振り遅れていてボールから目が完全に離れていた。

 3番は岩松弟だ。こいつは兄と同じ顔をしているが性格は悪くなさそうだ。でも、容赦はしない。3番だから真ん中という訳にはいかないだろう。はるちゃんも、やや警戒していた。1球目は、内角胸元へのストレート。岩松弟は、ぐるんと大振りした。振り遅れの空振りだった。メットを叩き気合いを入れ打席に入りなおした。2球目は外角高めのボールになるつり球。これにも食らいついてきた。しかしバックネットへのファールフライだ。タイミングは、そんなにずれていない。なかなかやる。3球目。外角低めをひっかけさせセカンドゴロに討ちとった。この回、9球で終わった。ベンチに引き上げながら岩松弟は兄に大声で報告していた。

「にいちゃん、あいつの球、重いよ。真芯で打たないとだめだよ」

 そんなこと、わざわざ大声で言わなくてもいいのに。僕らには勇気を与えるし自分のチームからは勇気を奪う結果になるじゃないか。でも、僕は悪い気はせず、きっと根は正直なのだろうと思った。


 2回表。僕らの攻撃。

 6番ライト白石。白石も対外試合初スタメンだ。緊張してるだろうな。でも、がんばれ。

 1球目。すっぽ抜けの球だった。白石は反応せず、ボール。

 2球目。外角直球を1塁側へファール。

 3球目、真ん中にきた失投を白石は見逃さなかった。見事に打ち返し、ショートの頭の上を越えた。

 1塁上で何事もなかったような顔をしているが、あいつは、これが初スタメン初ヒットだということに気づいているのだろうか。


 続く7番新田は、落ち着いて送りバントを決めた。3球目だった。

 8番橋本は、せめて進塁打を打とうと2-3まで粘ったものの、内角高め速球を見逃し、三振に倒れた。9番はるちゃんは四球を選び、打順はガンちゃんに戻った。今日のガンちゃんは、よほど相性がいいのか3球目を右中間へ運ぶ2ベースヒットにした。白石が生還し、これで2ー0。今のところ全てガンちゃんの打点だ。しかし続くまっちゃんはサードフライに倒れ僕ら得意のつなぐ野球にはならなかった。


 2回裏。

 先頭バッターは、あの岩松兄だ。普通、少年野球では打席に入る時「お願いします!」と挨拶をするものだが、こいつだけは違った。「補欠!覚悟せぇ!」とわめきながら入ってきた。

 この野郎。おまえだけは容赦しないぞ。

 だから、はるちゃんのサインにも首をたてに振らなかった。監督の指示も関係ない。全力で投げてやる。僕は大きく振りかぶり、渾身の力を込めて投げた。パーンという、あのいつもの捕球音が響いた。錦小ベンチからどよめきが起こった。

 岩松兄は、一歩も動けず、ただ、目が点になっているようだった。2球目も同じ全力投球。岩松兄は、捕球音の後に大きな空振りをした。「ちっくしょー!」と叫んでバットを叩きつけた。3球目。あきらかな振り遅れで3球三振に討ちとった。

 岩松兄は真っ赤な顔して僕をにらみつけた。僕もにらみ返した。一歩も引く気はない。やがて岩松兄は、くるっと振り返ってベンチに帰りながら、

「あいつの球は手元ですごく伸びるぞ、なぜ早く言わなかったんだ!ちっとも打てんだろうが!」

 大声で弟をしかりつけていた。この兄弟はやっぱりおかしい。兄弟そろって同じ間違いをしている。案の定あとに続くバッターは二人とも萎縮して打席に入ってきたため簡単に討ちとれた。


 3回表。僕らの攻撃。

 先頭打者のやまちゃんは簡単に打ち上げてしまった。僕もサードゴロに倒れ、田中もセカンドゴロだった。あっけなく終わった。


 その裏、錦小の攻撃も僕が簡単に抑えた。予定どおり半分の力で投げていたが、はるちゃんのリードの前に誰もバットに当てることさえできなかった。


 試合はその後、僕らが優勢に進め、結局4-0で勝った。最後の打者、岩松弟を討ちとるとネクストバッターサークルの中にいた兄がバットを叩きつけて悔しがった。「明日は勘弁しねえぞ!」と叫んでいたが、僕は兄を無視しながら思った。


 勘弁しないのはこっちだ!


 試合後、錦小の監督とキャプテンが挨拶に来た。

「失礼なことを言う者がおりまして申し訳ありません。でも、根はいい男ですから許してやってください」

 鬼監督は穏やかに言った。

「闘志があるのは、いいこと。しかしプレイで見せて欲しいものです」

「申し訳ありません。おっしゃる通りです。しかし、うちのチームは去年のあの惨敗から東原さんに勝つことだけを目標にやってきたものですから、つい興奮したのだと思います。あとで充分言い聞かせておきます。口を慎むよう指導いたしますので、明日もまた、よろしくお願いします」

「明日も、お互いがんばりましょう」と鬼監督が言った。


 僕は甘いよと思った。あんなばかは退場させろよ。


 しかし僕の対外試合初先発は、まあまあだった。必ずしも自分のイメージどおりではなかったが8割方はうまくいっただろう。監督の指示による力半分投球もうまくいった。もともと僕は変化球をもっていない。だからウィニングショットは豪速球が一番だと思っていたが、そうでもないらしい。球の組み立てをちゃんとやって最後は低めに決めれば、力半分でも案外うちとれるようだ。


 岩松兄の「勘弁しねえぞ」という悲痛な叫びが、僕には何よりの賞賛のようなものだ。


 それから僕らは4・5年生を中心にした軽い練習をして旅館に向かった。


 これからが、メインイベントだ!

 8人ずつ、部屋に案内された。僕の部屋のメンバーは全員レギュラーだったが、橋本だけが違う部屋になった。偶然だが、うるさい奴がいないので僕はホッとした。荷物を置いて着替えると、僕らは真っ先に風呂に向かった。今年も赤い温泉だ。この地方は、わりと有名な温泉地であり、この旅館も比較的大きい。そして風呂も大きいのだ。


 僕らはザブンと飛び込んでお湯のかけあい合戦をやったり泳いだりして騒いだ。手馴れたもので円になって背中の流し合いもやった。

 騒ぎが落ち着いて、とりあえずのんびり湯船に浸っていると、隣のはるちゃんが言った。

「おまえ気づいてないだろ。今日はノーヒットノーランだったんだよ」

「あ、そうか」

「やっぱりね」と言ってはるちゃんが笑った。

「でも、練習試合だからな」

「練習試合でも、なかなか出来るもんじゃないよ。それに初先発だったんだから」

「ああ。記念すべき日だ」

「そうか。幸先いいと思わないか?その調子で頼むぞ」

「ああ。分かっているよ。三連覇だ」

「うん」

「でもな、今日ははるちゃんのおかげだと思っているよ。まさか僕がふうちゃんのように打たせて捕るピッチングができるなんて思わなかった」

「そうか」

 はるちゃんはまた笑った。僕は調子にのって、ふうちゃんの声色を真似た。

「春木、頼むぞ」

「似てる、似てる」

 そう言ってはるちゃんは大笑いした。


 全員が風呂をあがると、次は夕食だ。

 僕らは支度の出来ている大広間へ行った。適当な席に座り、膳を眺めると、やはり刺身やら肉やら、てんぷらが載っている。お子様らしく、ハンバーグや、スパゲッティもちょっとあった。目の前のご馳走に心が躍った。


 今回の合宿はクラブ活動の一環として学校公認だから吉井先生が引率者として参加している。その他、監督、コーチ、そして世話係として保護者会の代表者など大人は8名いる。対して選手は3学年の合計で42名。

 監督は、おととしの合宿で、その目的を「同じ釜のめしを食って連帯意識を深める」と言っていた。当時の僕は4年生だったのでその意味がわからなかった。しかし今なら分かる。つまり一緒に列車に乗って試合して風呂に入ってご飯を食べて。そして笑って。そういう同じリズムで1日中行動することで、バラバラになりがちな心をひとつにすることなのだ。「勝つ」という心をみんなが持っていないと、チームとしては弱い。それは、おととしから今日までくぐり抜けてきた練習や試合を通じて僕にも分かってきていた。僕らが格下と思うチームは、ほんとうに各人がバラバラで、好き勝手なプレイをやっていた。逆に僕らのライバル校である、白峰台は、僕らと同じくらいまとまっていた。


 さて、夕食は監督の挨拶から始まった。案の定「同じ釜の」という件があった。僕は笑いがこみ上げてきた。


 監督、僕らはもう充分分かっていますよ。


 宴もたけなわとなった頃、保護者会の一人が言い出した。

「藤井君が転校すると聞いた時には正直言って、もう勝てないだろうと思っていました。でも今日の試合を見て安心しました。監督、誰かが抜けても誰かが必ずカバーする。これもチームワークなのですね」

 別の保護者も言った。

「そうそう、今日の谷山くんは良くがんばったと思います。監督ほめてやってください」

僕は鼻が高くなった。当然監督もほめてくれるだろうと思った。しかし、わずかに酒に酔い赤い顔をした監督はこう言った。

「谷山。確かにおまえは藤井の穴を埋めるため、よくがんばってきた。しかし今日はひとつだけ間違いがあるぞ。私は半分の力で行けと指示したのに、相手4番の最初の打席は、後先考えず、勝手に全力投球しただろう。闘志があるのはよろしい。だが、そんな自分勝手をやっているようではまだまだ藤井には及ばんぞ。以後、良く考えて行動するように」

 やぶへびだ。僕の高い鼻は急速にしぼんだ。監督はやはり鬼だと思った。ちょっとくらいとも思ったが、ここはひとまず「同じ釜のめし」だと思い直した。

 高浜さん。僕はちょっとだけ大人になったかなあ。


 夕食会が終わると旅館の中を何人かで探検してから部屋へ引き上げた。そして今日の試合の話や、その他学校での話などで盛り上がった。やがて「消灯時間よ」という保護者会の人の指示に従って寝ることにした。


 どれくらい時間が経ったのだろう。僕がうつらうつらしていると「谷山、谷山、」という、やまちゃんの声に起こされた。え?何?寝ぼけまなこで起きると、いきなり、パッと明かりがつけられた。みんなが揃っていて僕を見下ろすように取り囲んでいた。なに?どうした?


 ニヤニヤしながら橋本が言った。

「判決!」

「え、ちょっと待って、判決って何?」

 僕はいよいよ訳が分からなくなった。やまちゃんが僕の胸元をつかんで言った。

「てめぇ、3組の高浜とできてるだろう!」

 あ!橋本、チクったな!と思ったが既にもう遅い。みんな目がマジだった。

「高浜さんは東原でベスト十に入るんだぞ」田中までそんなことを・・・。

「どこまで行った!Aか!」やまちゃんが怒鳴ると、みんなに緊張が走った。

「何言ってるんだよ。僕は、やまちゃんみたいにはもてないよ」

「うそをつけ!ひょっとしてBか!」

「Bって何?」

 新田がすかさずみんなに聞いた。みんなお互いの顔を見たが誰も知らないようだった。やまちゃんも良くわかってないようだし、もちろん僕も知らない。

「ということは、Cだな!」と、やまちゃんが勝手に決めつけた。僕らは、その意味を誰も知らなかった。知らないまんま僕に判決が下った。

「よって特別フルチン先輩の刑に処す!」と、橋本がうれしそうに言った。

「ちょっと待てよ、特別って何?どうなるの?」

「グランドじゃないから逃げられないってことだよ」と、まっちゃんがニヤニヤしながら指をぺきぱきと鳴らした。

「ようい!ドン!」という、はるちゃんの掛け声とともに僕は浴衣きをはぎとられ、いいように、くすぐられた。

 田中は「俺は高浜さんに憧れていたんだぞ」とわめいた。「俺もだ」という同調者が2~3人いた。白石にいたっては「うちの妹はおまえの嫁さんになるって言ってるんだぞ!いったいどうするんだ!」とわけの分からないことまでわめいていた。そんな話、僕は知らないよ。途中「もう、騒いでないではやく寝なさい」と保護者会の人に注意されたが、みんなは「はーい」と小学生らしく明るく答え、その声と布団で僕の悲痛な叫びはかき消された。こんな時も僕らはチームワーク抜群だ。フルチン一歩手前で、僕が「いいかげんにしろよ!」と真剣に怒ったから、とりあえず収まった。徹底的に追い込まないのも僕らの決まりだった。僕らは子供なりに、「ほどほど」というものを心得ていた。

 しかし、やられる方はたまらんなあ。


 翌朝、セミの鳴き声で目がさめた。

 窓を開けてみると、ひんやりとした高原の空気に、早くも夏の日差しが差し込んでいて、いい天気だった。真っ青な空に、夏雲が浮かんでいる。僕は昨日の悪夢など、すっかり忘れていた。


 朝食を済ませ僕らは錦小に向かった。

 今日は午前に5年生の試合がある。手早く体をあたため、5年生中心の練習をした。5年生チームも、けっこう強いと思う。ふうちゃんのような打たせて捕るピッチングのエースを持ち、僕らのようにチームワークが良い。そういう僕らの伝統を5年生も受け継いでいた。

 僕と仲良しで、ちょっと泣き虫の浦辺や、お調子ものの佐伯もレギュラーだ。今日は彼らがどんな試合をするのか楽しみだった。


 5年生の試合が始まった。

 僕らのような鮮やかな試合運びではなかったが、いい試合だった。みんな一所懸命、声を出し、打って、走って、守った。2-1で負けている緊迫した状況にも堂々としている。


 僕らは、夏の太陽が容赦なく照りつける中、保護者会が準備してくれた冷たい麦茶を「うまいうまい」と言って飲みながら余裕の観戦を楽しんでいた。

 それにしても今日の岩松兄弟は沈黙している。ヤジの三つや四つは飛んでも不思議ではないのに妙に大人しい。それが、よけいに不気味だった。


 試合は6回表、ノーアウト2・3塁のチャンスに味方の押せ押せムードに見事に乗った6番佐伯が右中間に2点タイムリー2ベースを打って結局これが決勝点となった。彼らは4-2で勝った。さすがは僕らの後輩だ。


 よし!次は僕らの出番だ。今日こそ岩松兄弟とケリをつけてやる!


 午後1時半。

 予定通り僕ら6年生の試合が、プレイボールとなった。青空の向こうに大きな入道雲が湧き起こっていた。


 1回表。

 僕らは、いつものように足を絡めた攻撃で、鮮やかに1点先制した。そして、この日は5年生の活躍に僕らも発奮した。連打が止まらなかった。あっという間に6点とった。もう、試合は決まったも同じだ。1回表で終わってしまった。錦小のベンチからため息が聞こえた。


 その裏。

 今日の監督の指示は「思い切っていけ」というものだったから、僕も遠慮しなかった。1番2番のバッターを3球三振、わずか6球でしとめた。そして3番。先ずは岩松弟だ。僕は、これでも食らえ!という気持ちで全力で投げた。伸びのある真っすぐが、はるちゃんのミットめがけてすっ飛んでいった。岩松弟はバントの構えをした。ボールはバットの上をかすりファールチップとなって弟の顔面を直撃した。瞬間の出来事だったので弟はかわすこともできずボールを食らってもんどりうって倒れた。

 ほんとに食らいやがった!

 僕は、そう思っておかしかった。起き上がった弟は、鼻血が出ていた。よほどの衝撃だったのだろう。僕は笑えなくなった。でも同情するつもりはない。これは勝負だ。


 止血の手当てをしている間、岩松兄は、真っ赤な顔をして唇をかみしめて弟の様子を見守った。

 手当てを終えゲーム再開となった。岩松弟は懲りずに2球目もバントした。今度は、バックネットへ届くファールとなった。錦小の保護者からは、「もうバントは危ないからするな」という声が上がったが、しかし3球目もバントしてファールとなり3バント失敗となった。僕は、岩松弟の執念に何かおかしいと感じた。


 2回表。

 6点とっていたので、失礼なようだが僕らの攻撃は打撃練習に切り替えた。それは相手の配球を読み、狙い球を絞り、いい球だけを打つと言うものだった。狙い球がこなければ、三振でも構わない。という監督の指示だった。チームプレイに徹する時は、そんな余裕はない。とにかく来た球を良く見て、よくひきつけてから打っている。小学生の投げる球は、球種も少ないし、あまり計算通りにはこないものだが、錦小のエースは比較的制球が良いこともあり、生きたボールを狙って打つ絶好の練習機会だった。めいめいが考え、そして思う存分バットを振った。


 2回裏、錦小の攻撃だ。とにかく僕は岩松兄弟だけは容赦しないつもりだった。だから、初球からバントの構えをしている兄にも全力で投げた。兄も弟と同じように顔面直撃を食らった。この兄弟は、何を考えているんだ。幸い、兄は当たり所がよかったらしく出血はしていなかった。

「もうバントはよせ!」

 そういう保護者の叫びも無視して2球目もバントした。ファールチップとなってまた顔面をかすった。3球目もバントし今度は足にあたって3バント失敗。兄は、真っ赤な顔で僕をにらみつけながらベンチへ引き上げていった。


 まったく、この兄弟は・・・。あんな目の高さでバントして怖くないのか。


 3回4回は何事もなく終わりそうだったが、やはり問題は岩松兄弟だった。

 4回裏。3番目の打者として登場した弟は、懲りもせずバントの構えを見せた。僕は投げにくかったが、ここで気持ちが引いたら彼らの思う壺にはまりそうな気がした。はるちゃんのサインは「思い切ってこい」というものだったし、監督も「行け」とでも言うようにうなずいていたので僕も心を鬼にして投げ、結局3バント失敗に討ちとった。


 5回の裏も、同じだった。先頭バッターが岩松兄だ。

 ここまでしつこく、しかも闘志をむき出しにしてバントしてくる岩松兄弟には、何か作戦があるのだろう。その証拠に保護者が「やめろ」と言っても聞かないし、錦小の監督も止める気配がない。僕の気持ちは乱れ、多少ボール球が出たが、それでも結局は3バント失敗に討ちとった。

 ちょうどその時。にわかに雲が湧いてきて、パラパラと小ぶりの雨が落ちてきた。

 ゲームには支障がない程度の雨の中、5回6回が終わった。


 そして、最終回の7回。僕らの攻撃が終わった時、雨足がやや強くなってきた。大人たちが、ここで終了とするかどうか話し合っていた。僕は正直、終了になってくれと思った。この回には、あの岩松弟が登場するからだ。結局、あと1回だからということで続行に決まった。


 1番2番のバッターは、あっという間に討ちとった。そして問題の岩松弟だ。しかし弟はバントの構えをしなかった。僕はホッとした。最終回だから慎重になっているのかと思ったから、先ずは簡単にストライクを取るつもりで投げた。しかし、それが弟の狙いだった。僕が軽く投げた球を見事に3塁線へセーフティバントした。僕には逆方向でもあり、油断もあり、とっさに反応できなかった。3塁のやまちゃんが水たまりを蹴散らしながら猛然とダッシュして捕球したが、もう間に合わなかった。僕が許した初めての内野安打だった。僕は油断をつかれた悔しさもあり、疲れもあり、雨の中、ただ呆然とした。意外と足のある弟が1塁上で「してやったり」とでも言うように笑っていた。


 はるちゃんがタイムをとりマウンドにやってきた。内野手も集まってきた。雨足は、いっそう強くなった。

「すまん。油断した」と、やまちゃんが謝った。

「俺たちの勝ちはもう決まっている。ひとりくらい気にするな」と、はるちゃんが言った。

「あいつはセンターだろ?足が速かっただけさ」と、田中が言った。

「雨が降るから早くしてくれよ」と言った橋本に、まっちゃんがすかさずグラブで裏拳を入れた。

「とにかく、思い切ってこい。1点2点とられても、どおってことないから。バッター勝負だ」

はるちゃんがそう言って、僕らは守備に散った。よし、ここまで来たら岩松兄弟が何をしようと関係ない。

 さぁ!あと一人で終わりだ!


 大粒の雨が降りしきる中、僕と岩松兄との最後の戦いが始まった。

 兄もバントの構えをせず打ちにいくようだった。しかし今度は油断しない。3塁のやまちゃんも、やや前進守備をしている。

 1球目。様子を見るために、外角低めのボール球を投げた。兄は反応しなかった。冷静に見ている。

 2球目。低めのストライクを投げた。ここで兄もセーフティバントの構えを見せた。しかし、結局外れてボール球になったので兄は冷静にバットを引いた。0-2となった。バントがあるかも。警戒は必要だ。でも、もうボール球は投げられない。ならば何度も失敗した真ん中の威力のある球で今度も失敗させてやる。そのつもりで投げた。しかしそれは僕に真ん中速球を投げさせるための岩松兄の作戦だった。何度もバントしていたのは目線の高さで僕の球筋を見るためだったようだ。


 彼らは、最後の打席に全てをかけていたのだ。


 岩松兄は手元での伸びも充分見極めてジャストミートした。

 その打球は見事な放物線を描いて高々とレフトへあがった。


 錦小のベンチが「わぁ」っと沸いた。

 僕は、その行方を見つめた。レフトの新田は、わずかにバックした。そして落ち着いて捕球した。ほぼ定位置だった。僕の球の威力が結局勝った。高くあがったものの、つまった当たりの平凡なフライだった。僕は思わずグラブを叩いた。


 ゲームセット。

 その時、雷が鳴ったので錦小監督の指示のもと、終了の挨拶もせず、みんな急いで体育館に避難した。岩松兄は1塁上で突っ伏したままだった。

 かたわらで弟が見守っていた。

 雨は、ざあざあと降っていた。


 体育館で雨宿りをしている間、岩松兄弟はチームメイトの輪からも離れ二人で何か話していた。僕らは、錦小の何人かと話していた。錦小のメンバーは市のリーグがどんなものなのか興味があるらしく、さかんに聞いてくる。僕ら特に橋本は調子に乗って答えていた。リーグと言っても総当り戦ではなく、トーナメントであること。大体1リーグ20~30校参加するから5回くらい勝てば優勝するといったことだ。でも僕らと同じくらい強いチームがいくつもあるから優勝するのは大変だと言うと錦小のメンバーは目を輝かせて「すげぇ」とか「やっぱり都会の学校は違う」とか言って感心していた。

 思えば僕らも、ふうちゃんのプレイを初めて見たとき、「やっぱり東京の選手は違う」と感心したものだ。そして僕らには白峰台や中島小などのライバルがいて、お互い負けたくないから、がんばれる。でも、錦小のメンバーによると、この地方にはもともと小学校の数が少なく、また、東部リーグのようなしっかりとした組織もなく、ただ漫然と近くの学校同士で練習試合をするだけだから、市の東部リーグ優勝校である僕らとの試合は、何よりの楽しみだったらしい。


 やっぱり、みんな野球が好きなんだ。


 錦小の5年生らしい選手が言った。

「でも俺たち5年生はいい勝負だったから、来年もし勝ったら、市内のどの学校よりも強いことになるかな?」

 殊勲打の佐伯が言った。

「来年は俺たちも、もっとパワーアップするから、絶対負けないよ」

「絶対だな?」と、錦小も負けていない。

「ああ絶対だ」

「じゃあ、俺たちは、絶対絶対強くなってやる!」

「じゃあ、俺たちは、絶対絶対絶対だ!」

 周りにいた、僕ら6年生は笑っていた。


 雨は、そんなに長く続かなかった。

 外に出てみると、夏草のむせるような香りが辺り一面を覆っていた。まぶしい夏の日差しも顔を出し校庭の木々があざやかな影をつくっていた。雨の間鳴きやんでいたセミたちは、また大声で鳴き出した。


 僕ら6年生は整列し改めてゲーム終了の挨拶をした。大人同士もあいさつし今回の交流試合は終わった。

 軽めの整理運動を終え、引き上げの準備をしていると、僕は岩松兄弟に呼び止められた。一瞬嫌な気がしたが、この時の兄弟には殺気がなかった。

「今回はやられたよ」と、弟がちょっと照れながら言った。

「次回は勝つからな。おぼえていろよ」と、兄が言った。

「次回?」

「ああ。高校になったら県大会があるからな」と弟。

「それまで、野球をやめたりするなよ」と兄。

「そんな先の話」

「そんなに遠くない。たった4年後だ」

 確かに4年というのは、たった4年とも言える。

「あ、でも、にいちゃん。こいつまで転校したらどうする?」

「おお!そうか!」

 兄は腕組みして、しばらく真剣に考えていたが「その時は甲子園で勝負だ!」と言った。僕は目の前がパッと開けた気がした。

「甲子園・・・」

 めくるめく夢の舞台へ、僕の気持ちは一気に飛翔した。僕が本気で甲子園を考えたのは、その時が初めてだったように思う。

「わかっているよ。でも、また俺の勝ちだ」

 さっきの5年生の話と同じような展開だ。

「二度も三度も補欠には負けん!」と、兄が真剣な顔で言った。こいつは、まだわかってないのかと思うと何やらおかしくなった。

「ちがうよ。にいちゃん。こいつはもう、エースだよ。じゃなきゃあんな球投げないよ」

「背番号が、1じゃないだろ。だから補欠のピッチャーだ」

 僕の背番号は3のままだった。僕らのチームの背番号1は、永遠にふうちゃんだ。

「わかったよ。高校になったら1をつけて勝負してやるよ」

「おう。それなら認めてやる」

 僕も弟も笑ったが、兄だけが腕を組んで真剣な表情だった。





完読御礼!

いつも熱心な皆さまには感謝の言葉もございませぬ。

まことにはげみになります。

ありがとうございます!

次回もよろしくお願いします。

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