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野球少年 小学編  作者: 神瀬尋行
3/10

第三章  夢をつぐもの

Hello 恵ちゃん。

Goodbye ふうちゃん。


今回は主人公にとって大切な出会いと別れがやってきます。

あたたかく見守ってやってください。



   第一章  フルチン先輩

   第二章  青空の彼方へ

   第三章  夢をつぐもの(今回はここです)

   第四章  夏の陽射し

   第五章  岩松兄弟

   第六章  祭の日

   第七章  熱 戦

   第八章  夏のおわりに

   第九章  秋 風

   第十章  1週間

   第十一章 死 闘

   第十二章 天高く



第三章 夢をつぐもの


翌日が大変だった。

僕のクツ箱にも、机の中にも、たくさんの手紙、つまりラブレターやらファンレターが入っていた。そんなこと、初めてだった。僕は坊主頭で真っ黒に日焼けしていて、映画にも遊園地にも行かない練習一途の日々を送ってきた。女の子と楽しい話など一度もしたことないし、クリスマスもバレンタインも、ない。まあ、背は高い方だし、顔もけっこういけるかもと思ってトイレに行って鏡をのぞいて見たりした。そこへ橋本が入ってきた。ニヤニヤしながら「あっただろ」と聞いてきた。

「何が」と僕はすまして答えた。

「ラブレターだよ」

僕はごまかした。すると橋本は明るい笑顔で「なんだ。おまえもか」と言った。

しかしそこは簡単に信じてもらっても困るところだが、まあ、いい。

橋本によると、ふうちゃんがダントツ両手一杯。次にやまちゃん十二通。あとはレギュラー全員平均2~3通。ちなみに僕は七通あったから、平均をかなり上回ったことになり、心の中でガッツポーズした。橋本には1通もなかったらしく「あの、まっちゃんでさえ1通あったんだぜ。なのに何で俺にはないんだ」と嘆いていた。「藤井は仕方ないよな。エースだし、確かに昨日はカッコよかったし。それにもともといい男だし。でも松崎はゆるさねえ。俺の方が上に決まっているのに、世の中の女どもは見る目ないよなー」

 橋本には気の毒だから、手紙は今日帰ってからゆっくり開いてみることにしよう。そう思った時、校内放送があった。

「今日の給食後、十二時五十分には全員体育館に集合してください。野球部の表彰式を行います」

 そう言えば2年前の優勝の時もそんなことがあった。壇上の6年生を見て、いつかは僕らも!と思ったものだ。

「おっ、お立ち台だ。そうこなくっちゃあな!言われた通りメダルもちゃんと持ってきたし!」

 橋本ははしゃいでいた。まったくゲンキンなやつだ。


 表彰式では、先ず教頭先生の挨拶と吉井先生からの優勝報告があった。そして表彰状が校長先生からキャプテンのはるちゃんに渡された。優勝旗はふうちゃんに渡されることになって、その名前が呼ばれた時、女の子たちから「キヤー!」という黄色い声があがった。ふうちゃんはもともと隠れファンクラブがあるほどの人気者だ。トロフィーは背番号3の僕が受け取ることになり、名前が呼ばれた。ふうちゃんほどではなかったが、「キヤー」の声があがる中、橋本の冷たい視線が矢のように刺さった。

 全員が優勝メダルをかけて壇上にあがり、みんなから拍手で祝福された。

 最後には校長先生から、「みんなも野球部を見習って努力するように」という話があった。

いずれにしてもいい気分だ。手紙もお立ち台も。これが監督のいう「勝つよろこび」なんだなあと、その時、無邪気にそう思った。


 今日から1週間だけ野球部はお休みだ。僕らは鬼監督のおかげで日曜以外は毎日毎日猛練習をしている。だから、この長い休みがとても楽しみで、いろいろやりたいことがあった。しかし、いざ休みとなると、何がしたかったのか思い出せない。

 仕方ないから、とりあえず投げ込みしておこうと思った。


 静かなグランドに違和感を感じながら、校門を出ようとした時、「谷山くん」と呼ぶ声が後ろから聞こえた。振り返ると見覚えがあるようなないような女の子が立っていた。僕は思わず「誰?」と聞いた。女の子はちょっとむくれた。

「もう。隣のクラスの高浜です」

「高浜さん。で、何か用?」

「そんな言い方ないでしょう。私から声かけるの勇気いるんだからね」

 何で話をするだけなのに勇気がいるのだろうと思っていると、「手紙、読んでくれた?」と言い出した。

 あ!僕の頭に血がのぼってきた。

「どうしたの?」

「あ、ごめん。まだ読んでないよ」

「野球部はすごいよね。優勝しちゃうんだもん」

「そうかなあ」

「そうよ。私は女子バスケだけど1回戦突破がいいとこだよ」

「僕らにはふうちゃんがいるから」

「ふうちゃんて、藤井くんのこと?」

「うん」

「藤井くんは凄いよね。準決勝でノーヒットノーラン?」

「そう。凄かったよ。決勝ではホームラン2本も打つし」

「昨日、女バスのみんなと応援に行ったよ。感動したあ。で、今日もね、クラスの女の子たちが大騒ぎしてたよ」

「ふうちゃんは凄い奴だよ。何度も危機があったけど乗り越えたんだ」

「いいなあ。そんな熱血。私もがんばろうって思うもん」

 この子も、バスケで僕らと同じ努力をしている子なのだろうと思った。僕だって、チームメイトががんばっているから、僕もがんばれるのだ。

「決勝で、ピンチになってもみんなで助け合っていて、あんな重くてきつい場面で藤井くんがホームラン打って。みんながベンチから飛び出して。うらやましかったな」

「がんばれよ。高浜さん。がんばれば、きっとなんとかなるから」

 高浜さんは、ぱっと明るく表情になって「そうだね」と笑った。その笑顔はとてもさわやかだった。

「あ、もう練習に行かなきゃ。じゃあね。谷山くん。手紙、読んでね」

 そう言うと、高浜さんは笑顔で手を振りながら駆けていった。

 感じのいい子だなと思った。色白でショートカット。そしてスマートで、さわやかだ。今まで一度も同じクラスになってないから気づかなかった。これからは、たぶんちょっと気になる存在になるという予感がした。

 あ!でも、ちょっとまて。まさか手紙には、「この手紙を藤井くんに渡してください」とか書いてあったりしないよな。まさか、そんなオチはないよな?


 家に帰ると、まだ陽が高いのでなんとなく落ち着かなかった。カバンから手紙を取り出してみたが読む気にはならなかった。やはり、僕はこれだ。硬球を握ってグラブを持って再び学校に行った。

 先ず、軽く3周ランニング。今日は僕の前にも後ろにも誰もいない。ランニングのあと、いつもの準備体操をやった。そして5周の全力ランニングをやった。やはりいつも通りでないと落ち着かない。でも、キャッチボールはできないから、投げ込みを始めた。今日は時間がたっぷりある。実戦を頭の中でイメージしながらケースバイケースの投球練習をしてみよう。


 夜。勉強も、いつもの通りにやった。そうでないと落ち着かなかったからだ。せっかくのお休みなのに。なあ。勉強を終えて、やっと落ち着いたので手紙を開くことにした。真っ先に高浜さんの手紙を開いた。それにはこう書いてあった。 


『谷山くん。はじめまして!6年3組の高浜 恵です。

いきなりお手紙を書いてびっくりした?ごめんなさい。でもどうしても伝えたいことがあったから。

昨日私は、クラブ(女子バスケです)のみんなと応援に行きました。

優勝した瞬間は、とても感動したよ。

笑わないでね、実は涙がでてきたんだ。だって、優勝なんて私たちには雲の上のことだし、それに、私たちも遅くまで練習しているけど、野球部のみんなはそれ以上に遅くまでがんばっているよね。そんな姿を知っているから、とても人ごととは思えなかったの。でも私が一番感動したのは、谷山くんがピッチャーをやっていたことです。4年生の頃から本当に遅くまで毎日毎日一人で投球練習というのかなあしているのを私は知っています。はじめは居残り練習をさせられているのだと思っていて、私も補欠だから同情してたんだ。でも「それは居残りじゃない」って春木くんに聞きました。「本人なりに一所懸命にやってるんだろう」って。同情なんかしていた私は恥ずかしくなりました。そして谷山くんが遅くまでがんばる姿を見て、私もがんばろう!と思うようになりました。だから、決勝戦のような大舞台で谷山くんがピッチャーやったのを見て私もうれしくなったんです。谷山くんは、がんばってコーチやチームメイトの信頼を得て、ピッチャーになったんだね。私も谷山くんのようにみんなから信頼される選手になりたいです。まだ補欠だけど、まだまだがんばって、夏の大会には出場したいです。

谷山くんもがんばれ!応援しています。

PS.返事ください!(がんばれ!って言ってくれるとうれしいな)』


「がんばれ!」って、もう、さっき言っちゃったよなあ。あれでよかったのかなあ。あれ?昨日僕はピッチャーやったっけ???あ、ブルペンのことか。相手を威嚇するだけの役割だったなんて、言えなくなったなあ。でも人からそんなにほめられるのって、うれしいけど、てれくさいなあ。いつもは監督から怒鳴られてばかりだし。でも高浜さんってやっぱり、いい感じだ。けっこう美人だったし。

その時はじめて僕の心の中に、今までになかった気持ちが芽生えたのかもしれない。とにかく返事を書かなきゃ。困った。何て書いたらいいんだろう。決勝戦より大変だ!


 翌朝、僕は寝不足だった。体が重くて熱っぽい。

 返事を書くのに、悩みすぎて結局3時までかかった。でも僕なりにがんばって書いたつもりだ。

登校中、いつものように、ゴムボールを握りながら、つま先立ちで歩いていると、偶然、橋本に会った。

「あら、トロフィーの谷山さんじゃありませんか」

 橋本は変な挨拶をした。僕は嫌な予感しかしなかった。

「おまえ、トロフィーもらったからといっていい気になるなよ。ポジションがファーストで、背番号3だからなんだぞ」

「わかってるよ」

「いいや、わかってない。わかっていたら何で、手紙のこと俺に隠す?」

 何の話かと思ったら、そのことか。

「別に隠してないよ」

「いいや、隠してる。おまえが壇上にあがった時、黄色い声があがっただろ」

「だから、何だよ」

「俺の調査によると、おまえは6通もらってる。しかもそのうち1通は3組の高浜だ」

 僕はあぜんとした。なんでそんなこと知ってるんだろう。正確には7通だが。そんな才能、おもいっきり無駄遣いしてる。

「聞いたぞ、昨日、校門のところで高浜と話していただろう」

「べつに」

「ほら!また隠してる!おまえたちできてるのか!」

「ばかなこと言うなよ!」

「むきになるところが怪しい」

「いいかげんにしろ、みんなに報告して、またフルチンするぞ!」

 一瞬橋本がひるんだので、僕はダッシュして逃げた。橋本は追ってこなかった。あぶないところだった。第一、高浜さんとは昨日はじめて話したばかりだし、できているとか、そんなこと、考えたこともないし、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 その日、橋本の目が妙に気になって、せっかく書いた返事を渡しそびれた。高浜さん、怒るかなあと思ったが、恥ずかしくもあり、もう、いいや!という気になってその日は下校しようと思った。


 玄関で、靴を履いていると、「谷山くん」と呼び止められた。高浜さんだ。僕の心はざわめきたったが、わざとにぶい反応で答えた。

「ああ」

「手紙、読んでくれた?」

 高浜さんは、笑顔だ。

「読んだよ」

「そう」

 僕は気まずくなった。橋本から言われたこともあり、結局逃げようとした後ろめたさもあり。それで二人はしばらく沈黙した。高浜さんは僕を見つめていた。僕は恥ずかしくてそっぽをむいていた。でも、返事をわたさなきゃ。僕はカバンから取り出した。そして「応援してくれて、ありがとう。これ、返事だ」とかすれた声で言って渡した。

 高浜さんはぱっと明るくなって、

「わあ、ありがとう」と言って受け取った。

「今朝、橋本から言われたんだよな。昨日高浜さんと話してたろうって」

「橋本くんって1組の?」

「うん」

「言わせておけばいいじゃない?」

「でも恥ずかしくないか?そんなの」

「私は、恥ずかしくないよ」

「でもさあ、」

 僕は頭をかいた。

「谷山くんは私のこと嫌い?」

「は?いや、嫌いじゃないよ」

「よかったあ。私は谷山くんのこと、好きだよ。また手紙書くから返事ちょうだいね」

 そう言うと高浜さんは、ちょっとはにかむように笑って教室の方へ駆けて行った。

 心臓が爆発しそうだった。

 決勝戦よりしびれた。

 僕の人生で初めてのことだった。

 高浜さんのような子を積極的って言うのかなあ。でも悪い気はしなかった。ちょっと落ち着くと、僕は辺りに橋本がいないか、見渡した。見つからないように、僕はダッシュして帰った。もともと寝不足だったこともあり、その日家に帰るなりバッタリとベッドに倒れこんだ。

 まだ心臓がバクバクしていた。走って帰ってきたからじゃない。このへんな気持ちを、何と言ったらいいのだろう。大きく寝返りをうって、ふとんを頭からかぶった。もやもやして落ち着かなかった。どうしても落ち着かないから投げ込みに行くことにした。

 いつものように投げ込んで、帰った時には、もうバッタリと眠ってしまった。

 それから高浜さんは毎日のように僕に手紙を持ってきた。いや手紙というより交換日記だ。手紙からノートに変わっていた。

 僕の日課が増えた。でも高浜さんの日記を読んだり、僕が書いたりしていると、なんだか僕もがんばろうという気になった。


 練習再開の日。

 5年生チームとの練習試合を行うことになった。これから、5年生チームも対外試合を行う。だから、その調整の意味もあった。ただし5年生チームのピッチャーは、ふうちゃん。6年生チームのピッチャーは、僕だ。僕の調整の意味もあるのかも知れないな。


 先攻は6年生。

 1番ガンちゃんは、得意のセーフティをお見舞いした。5年生は、まだうまく処理できなくてガンちゃんは楽々セーフになった。

 2番まっちゃんの初球。ガンちゃんは走った。やはり、5年生キャッチャーでは、ガンちゃんの盗塁を阻止できない。

 ノーアウト2塁。6年生ベンチからは「ガンちゃん、お手柔らかに!」という声が上がった。2球目、まっちゃんは送りバントしようとしたが、ふうちゃんの内角高めの速球を打ち上げてしまった。ふうちゃんは動かず、3塁手にその捕球をまかせワンアウトになった。


 3番のやまちゃんが打席に入った。初球、やまちゃんは三遊間を抜くヒット。ガンちゃんは一気に生還した。6年チームはいつものように1点先制した。

 今日の4番は、僕だ。

 その初球。外角低めのストライク。

 その球を見て、ああ、今日はふうちゃん、本気じゃないな。5年の守備練習のために打たせるつもりだと思った。いつも1塁から見ているから良く分かる。

 2球目。やや外角高めの打ち頃の球がきた。おそらく、浅い外野フライをねらった球だ。でも、僕は遠慮しなかった。外野フライではつまらない。思いっきり叩いた。その打球は、外野の金網を直撃し、ローカルルールでホームランとなった。3塁をまわる時、ふうちゃんと目が合った。


ふうちゃんは、笑っていた。

ふうちゃんが心から笑うときに見せる、無心で涼しげな笑顔だった。


 5番は田中だ。ふうちゃんは、今度はひっかけさせる外角低めのストライクを投げた。しかし田中は無理に引っ張らず、1・2塁間を抜く強い当たりを打って出塁した。田中も気づいていたと思う。でも遠慮していては僕らにも5年生にも練習にならない。

 6番は白石だ。僕が4番ピッチャーに入ったため白石が6番ライトに入り橋本が8番1塁に入った。練習試合とは言え、白石には初めてのスタメンだ。やはり緊張していてふうちゃんの思う壷にはまった。3球目。ショートゴロゲッツーになった。白石は苦笑いしていた。


 さて、僕の初先発。

 5年のための練習試合とは言え遠慮する気はない。僕は、ふうちゃんのようなクールなタイプではない。はるちゃんのミットめがけて大きく振りかぶっておもいっきり投げた。ズバンと真ん中まっすぐが決まった。

 5年の1番バッターは、目が点になっていた。1番は3球三振に倒れた。2番も3番も同じだった。普段の練習よりも、僕は好調だった。


 試合はその後、ふうちゃん得意の打たせて捕るピッチングに僕らも翻弄され、また僕の投球も5年生は誰も打てず、こう着状態。そして、4回表からふうちゃんに代わり5年生チームのエースが登板し僕にも「打たせろ」という指示があったので、やや盛り上がってきた。5年生チームもなかなかやる。半年ではあるが、鬼監督のもと僕らと同じ練習メニューをこなしてきたのだ。でも、僕はここ一番では全力で投げて点はやらなかった。5年生チームから「ずるいー!」と言われたが、僕は笑ってごまかした。


 結局、6対0で僕らの勝ちだ。僕らは練習試合とはいえ、負けるつもりはなかった。

 試合が終わって、今日の練習は終わりとなった。


 僕は一旦家に帰り、例の硬球を持って学校に引き返した。いつものプール壁に行くと、そこに高浜さんがいた。

「高浜さん!」

 高浜さんは僕に気づいて笑顔になった。

「谷山くん」

「どうしたの?こんな遅くに!」

 僕はびっくりしてかけ寄った。

「だって、今日試合でピッチャーやっていたじゃない」

「そりゃ、そうだけど、でも」

「どうしても、おめでとうって言いたかったから」

「あ、ありがとう」

 僕は頭をぽりぽり掻いた。

 高浜さんは僕の顔をのぞき込むように聞いた。

「迷惑だった?」

「いや…」

「何?」

「だって女の子がこんな遅くに外出しちゃだめだよ」

「あら、けっこうまじめなんだね。谷山くん」

 高浜さんは明るく笑った。

 僕は頭を掻いた。

「もう、帰るね。練習のじゃまだろうし」

「別にじゃまじゃないけど…」

「それ、私よろこんでいいの?」

 僕は顔面から火が出そうになった。だから、必死でうつむいた。高浜さんは話題を変えるように言った。

「そうだ、日記に書いてあった奇跡の硬球って、今持ってる?」

 僕はグローブから硬球を取り出して見せた。

「これかあ!」

 高浜さんは明るく言った。

「ね、ちょっと持ってみていい?」

「ああ。いいよ。ほら」

 僕は硬球を渡した。

「うわあ、ほんとに重いんだね」

「うん」

「これでピッチャーになれたのか」

 高浜さんは硬球を両手で持って眺めていた。

「でもね、きっと、谷山くんのがんばりを見ていた神様のプレゼントだと思うよ」

 高浜さんはいいこと言うなあと思って僕は笑った。

「じゃあ、私帰るね」

「あ、送っていくよ」

「いいよ。練習のじゃましたくないし、それに私の家は学校のすぐ近くだから」

「でも」

「いいよ。いいよ。じゃあね。心配してくれてありがとう」

 そう言うと高浜さんはバイバイと手を振って帰っていった。高浜さんの姿が見えなくなるまで見送った。


 僕は、高浜さんの言葉を思い返していた。

「神様のプレゼントか」

 幸先いいものような気がして、「よし!これからもがんばろう!」と思った。


 その日は、いきなりやってきた。

 土曜日の放課後。

 野球部に激震が走った。ふうちゃんのいる3組がその中心だ。

 ふうちゃんが転校する!

 終了のホームルームで先生から話があり、ふうちゃんからも挨拶があったという。その話は次々リレーで伝わり僕らは3組に全員集まった。しかし、ふうちゃんはいない。まっちゃんが「職員室だ!」と叫び、僕らは全員ダッシュした。ふうちゃんは僕らの大黒柱だ。ふうちゃんのいない僕らなんて想像できない。なんで急にそんなことになるのか。衝撃すぎて気分が重くなった。案の定ふうちゃんは、その母親に連れられて職員室で先生に挨拶していた。その姿を見るなり職員室の窓越しに、やまちゃんが「藤井!」と叫んだ。ふうちゃんは振り返り、僕らが全員そろっているのを見て驚いたようだった。


 僕らはグランドに出た。

 ふうちゃんは、みんなに取り囲まれていた。「何で?」とか「どこに?」とか「何で言わなかったんだ!」とか、みんな興奮してふうちゃんを問い詰めていた。はるちゃんが大声で言った。

「とにかく、聞けよ!ふうちゃんの話を!」

 それでひとまず静かになった。ふうちゃんは、しんみりとした口調で言った。

「ごめん。みんな一所懸命だったし、とても言えなかったんだ。俺は、アメリカに行く」

 みんなからどよめきが起こった。アメリカって何?現実離れしすぎて、僕らは、すぐには理解できなかった。まっちゃんが、はるちゃんに聞いた。

「はるちゃんは知っていたのか?」

「知っていたよ。3月頃から。ふうちゃんのお父さんが4月からアメリカへ転勤になったんだ。で、もうアメリカに行っている。でも、ふうちゃんはせめて春の大会だけでも俺たちと一緒に出たいと言って今までこっちに残っていたんだ。もう大会も終わったから、明日、お母さんと一緒にアメリカへ行かなきゃならないんだ」

 ふうちゃんのお父さんは、大きくて有名な会社に勤めていて、たびたび転校があったらしい。そんな事情は知っていた。


 ふうちゃんは、転校生だった。

 4年の時、東京の学校からこの学校に来た。

 長髪で優男。どこかスマートなふうちゃんは、坊主頭で真っ黒な僕らから見ると、異質な存在だった。でも嫌味がなく優しい性格に僕らはうちとけ、野球の方も東京のリトルリーグにいただけあって、すぐ中心選手になった。ふうちゃんのうまいプレイを見て、僕らも「あんな風になりたい」と話し合ったものだ。ふうちゃんというあだ名は、藤井という名前にもあったが本当はそこに由来する。でも、僕らが一軍になって、三連覇のうちの一つをとって、これからだと言うのに何で?という気持ちはどうしようもなかった。僕らは、ふうちゃんと一緒に野球がしたかった。一緒に三連覇したかった。みんな唇をかみしめ、そんな気持ちを必死でこらえているようだった。

「監督も、コーチも、みんな知っているのか?」と、田中が聞いた。

 はるちゃんもふうちゃんも、うなずいた。

「何で言ってくれなかったんだよ」と橋本が言った。

「藤井君がいないと、僕たちは三連覇できないよ」と、新田が言った。

 ふうちゃんは、黙ったままうつむいていた。

「藤井!何とか言えよ!」と、やまちゃんが怒鳴った。

 ふうちゃんは、うつむいたまま小さな声で言った。

「ごめん。みんな。でも俺にはどうしても言えなかったんだ」

 ふうちゃんも、相当つらかったんだ。ということはみんな察しがついた。みんな沈黙した。遠くで見守っていたふうちゃんのお母さんが、声をかけてきた。

「亮!もういい?そろそろ行くよ。タクシーにも待ってもらっているのよ!」

 亮とは、ふうちゃんの名前だ。はるちゃんが、それに気づいてみんなに言った。

「ほら、もういいだろ。おばさんが呼んでいるから。みんなは、そろそろ練習のしたくをしろ!」

 ふうちゃんは、みんなに「ごめん!」と言って母親の方に走って行った。僕らは一歩も動けなかった。タクシーに乗り込む前、ふうちゃんは僕らに向かってペコリと頭をさげた。そして、ふうちゃんを乗せたタクシーは走り去って行った。僕らはそれを、ただ見送るだけだった。

 やまちゃんが、「勝手にしろ!」と言って教室に帰った。僕らは、まだ動けなかった。心にぽっかりと大きな穴があいたような放心状態で、新田は泣いていた。まっちゃんは、首を横に2~3回振って、ぷいっと教室に帰って行った。


 僕らは、ポツンとグランドに残った。


 その日の練習は、あじけないものだった。淡々といつものメニューは消化されていったが、みんなどことなく気が抜けていた。いつもピッチャーグループの中心で僕や4・5年生ピッチャーにいろいろ教えてくれたふうちゃんはもういない。

「谷山、おまえすごい球投げるな。本格派投手だよ」

 そう言って涼しげな笑顔を見せたふうちゃんは、もういない。くしゃくしゃの笑顔を見せたこともある。決勝戦で、サヨナラホームランを打った時だ。その姿を、もう二度と見ることはないのだと思うと、たまらなかった。せめて、いつも高浜さんが言ってくれるように、「ふうちゃんもがんばれ!」と言ってやりたかった。


 その日の練習が終わった。

 終了のミーティングに吉井先生も来ていた。そして、ふうちゃんのことで説明があり、本人のたっての希望で今まで黙っていたことを詫びていた。僕らは、どこか空虚な気持ちで聞いていた。監督が言った。

「おまえら、ちゃんと別れの挨拶をしたのか?」

 僕らはうつむいて黙った。

「お別れを、言ってないのか」

 僕らは黙ったままだった。

「藤井は、2月頃、私のところにご両親と一緒に挨拶にきた。その時あいつは、ぼろぼろぼろぼろ涙を流して、アメリカへは行きたくない。みんなと一緒に野球がしたい。三連覇したいと言っていたぞ。私もご両親も説得するのが大変だった」

 ふうちゃんはどこか大人びていて、そんなに泣くなんて、よほどのことだ。新田の、嗚咽の声があがった。新田は4年の頃から同じクラスで転校してきたふうちゃんと1番はじめに仲良くなった。ほかに何人か、目頭をおさえていた。監督は続けて言った。

「春季大会に優勝し、この前練習試合をやった後も母親と一緒に訪ねてきた。その時は、やっと決心がついたのか、今のチームは強いです。僕がいなくても、あいつらは三連覇してくれます。だから僕は安心してアメリカへ行きます。監督、あいつらは、変なこともやるし一緒にいて楽しいし、そして野球が大好きです。そんな仲間と出会えたことが何よりうれしかったです。と言っていたぞ」

 うつむくと、涙がこぼれ落ちそうだったから、僕は空を見上げた。何人かは声を押し殺して泣いていた。吉井先生も目頭を押さえていた。さすがの橋本も、この時ばかりは憎まれ口をきかなかった。


 ふうちゃん、カッコよすぎるよ。僕だって、ふうちゃんがいてくれて良かったと思っているよ。そう言いたかったよ。


 しばらくして、監督が腕時計を見ながら言った。

「みんな涙をふけ。そして顔を上げろ」

 泣いていた者は、グスグスしながらも涙を止めようとした。

「今から駅に行く。そして藤井にちゃんと挨拶をしろ。8時の夜行列車で東京に行くから、まだ間に合う。吉井先生、よろしいですか?」

「もちろんです。私も行きます」

 監督が指示した。

「では6年生は全員バス停まで走れ!4・5年生は残ってコーチの指示に従え。以上!」

僕らは駆け出した。とにかく、もう一度ふうちゃんに会える。ふうちゃんに会ったら、「ふうちゃんもがんばれ!」って言ってやりたい!

 駅に向かうバスの中で、僕らは、ふうちゃんに会っても絶対泣かないことに決めた。笑顔で送り出すんだ!


 駅に着くと、吉井先生が入場券を買ってくれ、僕らはホームにダッシュした。発車まで、あと5分。夜行列車は、ホームに停まっていた。前後二手に分かれてみんなでふうちゃんを捜した。目のいいガンちゃんが真っ先に見つけた。

「おい!こっちだ!」

 声のする方に僕らは走った。ふうちゃんも僕らに気づいて列車から降りてきた。

「わざわざ来てくれたのか」

 僕らは誰も話しを切り出せず、もじもじしていた。はるちゃんが言い出した。

「俺たち、必ず三連覇するぞ。だから気にするな」

「気にするな」は、はるちゃんの口癖だ。いつもピンチの時に言う。にこっと笑って、ふうちゃんが言った。

「ああ。おまえたちは強い。大丈夫だよ」

「おれたちだろ?」と、まっちゃんが言った。

「そうだよ。おれたちだよ」と、田中が言った。

「いいか、アメリカに行っても、おまえは俺たちの仲間だ」と、やまちゃんが言った。

 ふうちゃんは、目が真っ赤になってきた。ちょっとうつむいて、そしてゆっくり顔をあげ、こう言った。

「ああ。わかってる」

「まあ、向こうに行ったら手紙でもくれや。俺たちも書くから」と、まっちゃんが言った。

 ふうちゃんは真っ赤な目をして、にこっと笑った。

「まあ、首を長くして待っていたら、三連覇の手紙がくるから」と、はるちゃんが言った。

「ああ。楽しみに待っているよ。それから、谷山」

 ふうちゃんは、いきなり僕に話をふってきた。

「次のエースはおまえだ。俺たちの夢、三連覇、頼むぞ」

「まかせろ」と僕は答えた。

「よし、ふうちゃんの見送りだ。みんなでハイタッチしよう!」とはるちゃんが言った。

 僕らは「よっしゃぁ!」と大声を出してハイタッチした。誰も泣かなかった。ちょっとさわぎすぎくらいに笑ってハイタッチした。


 やがて、発車のベルが鳴り、ふうちゃんは列車に乗った。ふうちゃんの母親も乗車口にいた。ふうちゃんの後ろに立って、僕らにお辞儀をした。


 ドアが閉まった。

 僕と目が合ったふうちゃんは、パンチするように僕にこぶしをつきたてた。「頼むぞ」と言っているようだった。僕もこぶしをつきたてた。そして叫んだ。

「任せろ、俺に!だから、だから、ふうちゃんもがんばれ!」


 ふうちゃんは、笑った。


 あの涼しげな笑顔だった。


 列車が走り始め、僕らは見えなくなるまで見送った。

 結局、僕らは約束どおり誰も泣かなかった。みんな必死でこらえた。

 吉井先生だけが、目頭をおさえていた。


完読御礼!

いつも熱心な皆さま。本当にありがとうございます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします!

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