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野球少年 小学編  作者: 神瀬尋行
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第一章 フルチン先輩

は、恥ずかしながら野球少年が帰ってまいりました。

中学編とはやや作風が違い、また拙い文章ですが、原点である小学編を掲載します。

中学編では主人公が生意気になっていましたが、小学編はおなじみメンバーも含めてほぼほぼ純粋な少年たちが織りなす野球スポ根(古!)物語です。

中学編で分かりにくかった「奇跡の硬球」や、恵ちゃん、岩松兄弟、レギュラー陣などの関係性が、いちから描かれています。ということで今回の第一章は、レギュラー陣など仲間たちの紹介的な要素が強いです。


それでは、お楽しみください。




   第一章  フルチン先輩(今回はここです)

   第二章  青空の彼方へ

   第三章  夢をつぐもの

   第四章  夏の陽射し

   第五章  岩松兄弟

   第六章  祭の日

   第七章  熱 戦

   第八章  夏のおわりに

   第九章  秋 風

   第十章  1週間

   第十一章 死 闘

   第十二章 天高く



第一章 フルチン先輩


 十二歳というのは、おとなのようで、こどものようで、実に微妙な年齢だ。しかし、青空に白球を追い、友達と泣いて笑って、恋をした僕は、まちがいなく青春の入り口にいた。すいぶん昔の話だが、その頃の話をしよう。


 僕の故郷では、当時、大都市のようなリトルリーグ制ではなく、ちょうど高校野球のように学校単位で野球部があった。東部と西部の二地区に分かれてリーグを形成していて、僕のチームは東部リーグに属していた。4年生から入部でき、学年ごとにチームがあるのだが、レギュラー、つまり一軍はもちろん6年生。年3回行われる公式戦である東部リーグには6年生が出場する。リーグと言っても総当たりではなくトーナメントでの大会が行われていた。


 僕らの学校は伝統的に強いチームで、優勝の常連校だった。ひとつ上の先輩たちだけが残念ながら一度も優勝できずに終わったので、僕らのチームに大変な衝撃を与えた。先ず保護者会が危機感を募らせ、その多くの大人たちが「優勝!優勝!」と口にし、次の一軍である僕らにプレッシャーをかけてきた。 


 それは、僕が5年生の秋のこと。

 新チームの始動にあたり、優勝奪回に燃える保護者会がやった秘策は、優しいだけが取り柄の監督をくびにして、ふたつ上の先輩たちまでを指導した『鬼監督』を再び監督にすえるということだった。鬼監督というのはもちろんあだ名で、本名を加藤という。もともと小学校の先生で、定年退職のあと、少年野球の指導にあたっていたのだが、高齢となり体調をくずしたこともあって引退していた。しかし、保護者会の熱意に押されて復帰することになった。

 それを聞いて僕はビビッた。

 何しろ本当に鬼なのだ。

 練習が大嫌いで適当な言い訳してはさぼっていた僕には恐ろしい出来事だ。

 鬼監督には4年の頃指導を受けたが、練習の時、いつもバットを片手に仁王立ちになってグランドを睥睨し、ちょっとベースカバーが遅れただけで怒声がとぶ。気を抜いたスイングは見透かされ、気合いを入れられる。しかも、走りこみや遠投はもちろん、ティーバッティングや、バント練習、捕球から送球までのフォーム練習など、基礎的メニューのオンパレードで、練習がちっとも楽しくない。だから僕は練習が嫌いになったのかも知れない。もっと自由に打ちたかったし、走りたかった。

 そんな気分を鬼監督は見抜いていたのかも知れない。

 復帰初日に、僕は1塁手に替えられた。

 外野フライで、わずかでも横にそれているボールは捕れたが、まっすぐにくる球は距離感がつかみにくく、よくエラーした。苦手だったから、練習してうまくなろうともせず、ひたすら笑ってごまかした。優しい前監督ならそれで通用したのだが、その日1回だけのエラーで、即、「一塁手になれ!」と指示された。コーチは「お前は背が高いからなあ」と言ってくれたが、鬼監督の真意はわからない。いつ、何を言われるかと思うと、僕は目の前が暗くなった。

「次は、補欠になるのかなあ・・・」


 復帰初日の練習後。

 辺りはすでに薄暗く、いつものように、グランド整備を終え、ベースやバットを倉庫に片付けた後、監督の話があった。

「5年生は知っていると思うが、4年生は今日が初めてだな。監督の加藤です。さて、今日一日練習を見たが、みんな基礎ができていない。今みんなに大切なのは基礎です。基礎ができて初めてやりたいことが自由にやれるようになります。そのために、私は厳しく基礎練習を指導します。そしてその上で、来年の大会は三連覇します。以上」

 僕は監督が言っていることの意味はよく分からなかったが、三連覇は大げさだと思った。1回くらい優勝できればいい方だ。でも、三連覇という言葉の響きはとても魅力的なもののように感じた。


 さて、練習嫌いの僕でも、人知れず毎日やっていた練習があった。それは練習後誰もいなくなってからの投球練習だった。みんなに知られるとかっこ悪いから一人でひそかに練習していた。

 校庭の隅、プールと校庭を区切る壁がブロック塀になっていて、そこにホームベースとストライクゾーンのマークが描いてあり、一人で投球練習できるようになっていた。都合のいいことに付近に外灯があり十分明るかった。野球部に入る前からずっと毎日五十球くらい投げていた。ピッチャーに選ばれることはなかったが、やはり野球はピッチャーだ。かっこいい。そんな憧れだけで毎日毎日投げ込みだけは欠かさなかった。


 翌日から、鬼監督流の本格的な練習が始まった。鬼監督は、守備と走塁を重視していた。だから、準備運動後のランニングが異常に長い。しかも徐々にペースアップさせられ、最後の3周は全力疾走させられる。僕らにとっては2年ぶりであり、「またか!」といった感想だ。でも今の4年生ははじめてなので驚いているかもしれないと思って、走りながらちょっと振り返ると、既に数人が真っ青な顔をしながらようやくついてきている。

 ランニングの後はキャッチボールだ。はじめは短い距離から、段々と遠投になる。


 続いて、守備練習。

 コーチ二人がそれぞれ1グループを受け持ってノックする。一人あたり10球程度ノックを受けると、次は各部員が自分のポジションについて十球程度のシートノックを受ける。その後は守備の連携練習だ。ノックするコーチがその場で場面を決め、大声で各ポジションの動きを説明しながら進めていく。その時、動作のひとつひとつをチェックされ、無駄な動きのない、リズミカルでスムーズな動きを指導され、何度も何度も反復し、僕らは基本の形に矯正されていく。


 最後に打撃練習。

 守備練習が終わった者からティーバッティングとトスバッティングを行う。ここでも好き勝手な打撃フォームから全員基本形へと厳しく矯正される。それらが一通り終わると、4年生が守備につき、5年生が打席に入って、バントして1塁に走る練習をする。平日はフリーバッティングをしない。もう時間がなくなるからだ。優しい前監督時代はもっとまんべんなくフリーバッティングを含めた一通りの練習をしたものだが、今日からは違う。また、走ることと守備にウェイトをおいた、あのせわしなくて堅苦しい、嫌な練習メニューに戻った。


 土曜日は、さらにしごかれた。

 午後いっぱい時間があるから、徹底した守備練習とフリーバッティングはもちろん、翌日は休みということもあり、うさぎとびやら腹筋やら、おまけに反復横とびやなわとびなど余計なものまでやらされた。その様な有様で親に愚痴を言っても「優勝してから文句言え」「男なら逃げるな」「自分に克て」とか言われて相手にしてもらえなかった。「強くなりたい」という前向きなチームメイトもいるにはいたが、もう僕はこんな面白くない練習が嫌で仕方なく、いつかチームを辞めたいとばかり考えるようになった。


 そして11月のはじめ。今年最後の練習試合が発表された。所属リーグは違うが、来週の日曜日に、今年の秋季西部リーグ優勝校である吉川小学校とやることになった。不思議なもので、試合という目標ができると、それまでのマイナス気分が一掃され、僕らは勝つことに集中し始めた。おまけではあるが、僕の投球練習にもさらに力が入った。


 試合の日。

 風は冷たいが、秋晴れのいい天気だった。

 僕らの学校で行われるので、朝から保護者会のメンバーは忙しく準備していた。両チームベンチへ椅子の配置、飲料の準備、弁当の手配などだ。新チームの始動ということもあり、気合いが入っていた。


 僕らはその傍らでランニングやキャッチボールなど軽めの練習をしていた。

 一通りの練習が終わった頃、見計らったかのようにやって来た吉川小を、僕らは整列して出迎えた。監督や保護者会の代表者、チームキャプテンが挨拶した。


 昼食を挟んで、1時半に試合開始となった。

 僕らはホームチームなので後攻だ。


 ここで僕のチームを紹介しよう。


 ピッチャーは4番で絶対的エースの藤井。『ふうちゃん』と呼んでいた。長髪長身の優男。けっこうもてる。右投げアンダースローで切れのあるストレートが小気味良くコーナーに決まる。落ちるカーブも持っている。


 キャッチャーは9番でキャプテンの春木。『はるちゃん』だ。野球を良く知っていて、文句なしの司令塔だ。


 ファーストは5番の僕。谷山勇太。初めてのポジションだ。


 セカンドは2番の松崎。『まっちゃん』だ。背が低く、動きが俊敏な曲者だ。隠し球とか三盗とか、プッシュバントも平気でやる。


 サードは3番の山村。『やまちゃん』だ。チームきっての二枚目で、気が強い。


 ショートは6番の田中。あだ名はない。存在感もない。でも、きわどい打球もきっちり処理する職人だ。


 レフトは7番の新田。童顔で、坊ちゃん育ちのせいか気が弱い。僕らレギュラー組では、たぶん一番下手だ。


 センターは1番の岩本。『ガンちゃん』だ。長身で、いつも無表情だが、とにかく足が速い。


 ライトは僕と代わった8番橋本。声がでかく、ベンチではやじ将軍だった。根は悪くないと思うのだが、少々口が悪いから、チーム内では嫌われている。


 その他控えに内野が2名、外野が2名。控えのバッテリーはいないから、4年チームのバッテリーがスタンバイしている。


 試合が始まった。

 1回表、相手チームの攻撃は、ふうちゃんの打たせてとるピッチングにまんまとはまり三者凡退に終わった。おかげで、僕らはリズムよく攻撃に移れる。さすが僕らのチームが誇る黄金バッテリーだ。


 さて、攻撃だ。

右投げ左打ち、1番のガンちゃんは、ポーカーフェイスのまま、初球をセーフティバントした。打球はほどよい強さで3塁線に転がった。相手投手は驚き、どたばたとマウンドを降りて捕球した。1塁に送球しようと振り返ったが、ガンちゃんは足がめっぽう速いため慌てて投げて悪送球。ボールがファールグランドを転々とする間、ガンちゃんは2塁へ。僕らに、いきなりチャンスがやってきた。


 2番、曲者のまっちゃんは、いつものバットをくるくるさせるクセをしながら打席に向かった。打席に入る時、監督の方を見た。監督からは特にサインはなかったが、まっちゃんはうなずく素振りを見せ、打席に入るなりバントの構えをした。普通なら、ここは間違いなく送りバントだ。そして3番が最悪でも外野フライで1点先制。だから相手は簡単に送らせまいとする。前進守備を敷いて、バッテリーは1球外した。まっちゃんは冷静にバットを引いてボール。2球目もボール。そして3球目、見事なバントを1塁線に決めた時、3球外すことはないと見切っていたガンちゃんは、既にスタートを切っていた。この場合、タッチプレイが必要なので、もう間に合わないタイミングなのだが、猛ダッシュしてきた1塁手はその勢いのまま、3塁に送球しオールセーフ。完全にボーンヘッドだ。

一気にノーアウト1・3塁となり、僕らのベンチはがぜん盛り上がった。相手チームは内野手がマウンドに集まって話し合っていたが、相手投手の動揺は収まらなかった。


 3番やまちゃんはツースリーまでいった後ファーボール。これで無死満塁。

次は4番のふうちゃん。しかし、さすがに相手も強豪チームのエースだ。ここで意地を見せ、3球三振に討ちとった。


 そんな状況で僕は打席に入った。

 鬼監督からは何もサインがない。まかせたということか。

 ここで気をつけることはゲッツーだから低めをひっかけないようにしないといけない。そういうことは鬼監督になってから一ヶ月の間、厳しく指導された。落ち着いてボールを選び、外野フライで1点だ。そのためには、ボールを見極めることだ。などと考えている間にいきなりツーストライクノーボールと追い込まれてしまった。

 ベンチにいる4年生のためいきが聞こえた。

 いかん。

 チャンスで舞い上がっているようだ。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせている間に3球目が来てボールになった。そして4球目と5球目をファールにし、6球目はボール。

高めを狙っているのになかなかこない。7球目もファールと、なんとかねばっているうちに段々とタイミングが合ってきた。

 そして8球目。

 やっと高めがきた!と思ってフルスイングにいこうとしたところ、カーブだった。態勢は崩されたものの、ボールは最後までしっかり見えていたので、何とかバットの先っぽに当てるくらいはできた。要はひっかけさせられたのだ。しかしそれが、ベースカバーのため、たまたま空いていた1・2塁間を抜ける先制2点タイムリーヒットとなった。

 思った通りではなかったし、何がなんだかわからないまま、僕はヒーローとなった。


 試合は終わってみると、8-0で僕らの圧勝だった。相手につけいるスキを与えず、一方的な展開だった。

 保護者会の親たちもよほどうれしかったののか、それとも決定事項だったのか、試合後に5年生の夕食会が監督を囲む形で行われることになった。


 会場は新田の実家の料亭だった。地元では有名な老舗の料亭で、きれいな日本庭園があった。

 新田の親父さんが保護者会の会長だ。娘が3人続いたあとの初めての男の子である新田は、いつも可愛がられていた。その親父さんの発声で乾杯した。

 膳には、刺身やらステーキやら、めったにお目にかかれないご馳走が並んでいた。僕らはそれが、ただ嬉しくて、ひたすら食べた。監督やコーチには保護者会の親たちが立ち代りお酌をして、口々に今日の圧勝をほめ、「ひとえに監督コーチのお陰です。これからもよろしく」とか言って頭をさげていた。


 新田の親父さんは息子に似ず豪快な性格で、「まるで横綱相撲だ!これで三連覇まちがいなし!」と叫んでいた。


 僕らは、隣近所のチームメイトの膳から、お互いに好きなおかずを奪ったり奪われたりしながらにぎわっていたのだが、端の方に座っている外野補欠の白石だけが自分の料理に手をつけず、大人しく座っていた。橋本が「もらった!」と言って白石の料理を奪おうとしたが、白石は「だめだ!」と言って渡さなかった。橋本は「ケチぃな。いいだろそれくらい」と悪たれていたが白石は譲らなかった。僕は見かねて橋本に言った。

「エビフライなら俺のがあるぞ。これをやるからいいだろ」

「さすが今日のヒーローは話がわかる。ケチで補欠の白石とは大違いだ」

 白石は真っ赤な顔をしていたが、橋本の挑発には乗らなかった。僕と白石は幼馴染だから、白石の家庭の事情を知っている。


 白石の家は母子家庭だ。親父さんは病気で亡くなった。だから母親が働いていて、今日も工場に出ているためこの夕食会には来ていない。家には妹が待っている。白石は今日のご馳走を持って帰って妹にあげるつもりなのだ。白石はいつもそうする。僕の誕生パーティーの時のケーキも持って帰った。


 70年代は、まだまだかつ丼もケーキもエビフライも高級品だった。


 さて、お酒がまわり一通り盛り上がったところで、コーチが今日の講評を始めた。コーチと言っても、はるちゃんの父親だ。もう一人のコーチも4年生レギュラーの父親だ。監督以外は保護者会からスタッフを出すことに決まっている。

「今日は1回の攻撃が全てだった。初球から決めたセーフティで相手のリズムを狂わせた。そして悪送球の時、相手のライトがベースカバーに入っていなかったから、相手はピンチが広がった」

監督は黙って聞いている。こんな時の監督は穏やかだ。

「そして2番」

 どこからか「いよっ!曲者!」と掛け声がかかった。

「よく決めた。しかも徹底してバントの構えをしていたからずいぶんファーストが前に来ていたので、岩本のスタートが目に入らなかったのだろう。間に合いもしない3塁に送球した。そんな時は気持ちを切り替えて1塁でアウトにすべきだが、実はあの時ピッチャーが1塁カバーにダッシュしていないし、2塁手はランナーけん制のため2塁近くにいたから、どうせ1塁には投げられなかった。おまえらは、この辺がきっちりできていたから完封できた。この一ヶ月やってきた連携練習のおかげだ」


 そう言えば、そうだ。

 僕はあの時自分まで打席が回るだろうと考えて舞い上がっていたから周りを見ていなかったが、相手の投手は自分もボールを追いかけていて、ベースカバーに入っていなかった。そして僕らの場合、再三あったエラーやピンチも、誰かが必ずカバーしていた。言われてみると、いつもあれほど嫌なベースカバーやバントが意識することなく自然にできていた。鬼監督が復帰初日に言っていた「やりたいことを自由にやるため」と言ったのは、このことなのだろう。

「ただし、谷山」

 いきなり監督は僕を名指しした。僕は反射的に背筋を伸ばした。

「おまえ、1回のあの攻撃はなんだ。あれはふつうならゲッツーだったぞ」

 僕はドキッとした。さすがに監督は見抜いていた。

「いいか、みんな。あの時相手チームのバッテリーは初めてカーブを投げた。内から外に落ちる見事なカーブだった。それはなぜか? 谷山にひっかけさせるためだ。しかしバッテリーのサインを2塁手が見ていなかった。だから2塁にいて1・2塁間を抜かれた。内野手はサインを良く見ておくように。外野手は状況を考え、捕手のミットをよく見ておくように。ボールが来てから追いかけても間に合わないと思え。展開を正しく予測して、先に先に手をうつように」

 僕らは、またかという気持ちで聞いていた。4年の頃、いやというほど聞かされた言葉だし、毎日のシートノックでもそのための練習をしている。

 新田の父が言葉を挟んだ。

「おじさんにはよく分からんが、何か小学生にしては難しいことをしているようだなあ」

 まっちゃんの母親も口を挟んだ。

「うちのお父さんがよく言っているけど、プロ並みの練習らしいですよ」

 監督が笑って答えた。

「いやいやお母さん。プロ並みとはいくら何でも・・・こいつらにはまだ基本をほんのちょとかじらせているだけで・・・」

 コーチである、はるちゃんの父親が言った。

「プロ選手はみんな個性的でかっこいいけど、基本はしっかりやってきていますから。まだまだ野球の入り口にいる子供たちに徹底的に基本を教えるという監督の方針には大賛成です」

 突然、切り返すように橋本の母親が言った。

「でも練習が楽しくないってうちの子はいつも言っていますよ。もっと楽しくやりたいって」

やじ将軍で批判家の橋本らしい。僕もそう思っていたが、愚痴る程度で、そこまではっきり口に出したことはない。和気あいあいだった場の空気が一変して静まりかえった。表面化していないが、どの家庭でも密かにそんな話が出ているのかもしれない。監督は目を細めながら、穏やかな口調で橋本に聞いた。

「そうか橋本。お前は練習が楽しくないか」

 橋本は少しもじもじしていたが、思ったことはずけずけ言う性格だから大声で答えた。

「はい。楽しくありません」

「では今日はどうだ。試合に勝った時は?」

 橋本は急に笑顔になって答えた。

「うれしかったです!」

「では今は?こうして試合に勝って仲間と騒いでいる時は?」

「楽しいです!」

 監督は優しい笑顔を見せて言った。

「そうか。ではよろしい。私の目的はみんなに勝つよろこびを教えることだ。試合に勝つこと。そして人生これからのみんなが、人生に克つための自信をつけることだ」

 4年生レギュラーの父親であるコーチが口を挟んだ。

「そうそう。勝つ楽しさを知るためには、練習が苦しいなんて当たり前だ。苦しい練習を乗り越えた先に勝利があるから楽しいんだ」

 僕には何か難しすぎてよく分からなかった。楽して勝てるならそっちの方がいいじゃないか。しかし、僕の母親が僕の思いとは逆のことを言った。

「そうですね。何事も地道な努力は必要ですね」

 場をおさめるように新田の父親が言った。

「そうそう。何事も辛抱が大切。辛抱して辛抱して、とにかく監督について行きさえすれば三連覇は確実だ。今日の試合が証明しとる!そして来年の秋、またここでお祝いしよう。三連覇達成記念のな。子供たちのいい記念になるよう盛大にやろう。そん時は全てわしがおごる!」

 親たちから拍手が起こった。

 景気のいい雰囲気に僕らものせられたが、よくよく考えると、三連覇を達成しなければならないということが既成事実のようになっていないか?


 やがて楽しい夕食会もお開きとなった。最後に一言求められた監督がこう言った。

「今日は子供たちのために豪華な席を設けていただきありがとうございます。子供たちもこれを機にますます精進してくれるでしょう。さて、私の指導は、みなさんもご存知のようにとても厳しいものです。しかし、その厳しさを乗り越えていくことで子供たちには人間として成長してくれると思います。また、私たちのチームは伝統的に強いチームです。それはつまり子供たちの努力はもちろん、保護者のみなさんの理解と協力の歴史でもあります。みなさんの支えがあってはじめて子供たちもがんばれるのです。今後もよろしくお願いします」


 翌日も過酷な練習が続いた。

 おまけに最近は勉強についてもうるさく言われるようになった。「もうすぐ6年生なんだから野球も勉強もしっかりしなさい」との母親のお言葉だ。おかげで練習後2時間きっちり勉強させられ、就寝時間は十二時頃だった。高校大学とバレーボールで鬼のアタッカーと呼ばれたらしい母親の方が、鬼監督よりよっぽどこわいかも。


 そんな調子でやがて年末となり、ひとやすみの正月がきて、春になった。辺りの空気もゆるみ、通学路の梅のつぼみが膨らんでいる。今日は朝から天気が良く気分がいい。そのあまりの心地よさに、午後の授業中、つい居眠りしてしまった。それで放課後、先生に呼び出された。


 まぶしいくらいの夕日が職員室を黄金色に染めていた。たくさん並んでいる机の、隅の方に担任の先生の机がある。僕は入り口でおじぎをし、声をかけると「おう、谷山こっちだ」と呼ばれた。

「おまえ、最近よく居眠りしているぞ。どうだ、野球の練習はきついか?」

 僕は何て言おうかちょっと迷った。きついなんていうと何かかっこ悪い。

「いえ、別に」

「そうか。まあ、成績もあがっているし、いいだろう。しかし、今後、居眠りはいかん。野球も勉強も一生懸命やれ」

 母親と同じことを言っている。まったく。大変なんだぞ、こっちは。それから先生は、ニヤリとしながらこうつけ加えた。

「いいか、今度居眠りしたら監督に報告するぞ。まあ、軽くてグランド十周だろうなあ」

 僕は「げぇっ」と思った。僕の担任と監督は仲がいい。というか、僕の担任は野球部の顧問だ。やりかねない。母親ですら『まだ』そんな裏技はまだ使っていない。最近は練習もさぼっていないし、勉強もしているのに、僕の周りは鬼だらけだ。そんなことを考ながら僕は真っ青な顔して突っ立っていた。そこへ、女の先生があわてて飛び込んできた。

「吉井先生!ちょっときてください。大変です!」

「どうしましたか、三原先生」

「先生のところの白石君が、1組の橋本君を殴ったんです」

「はあ、そうですか!どこですか!」

 先生は、血相をかえて飛び出していった。僕もびっくりして先生について行った。


 夕日が差し込む僕の教室で、白石はうつむいて突っ立っていた。橋本は正座のようにへたりこみ、顔をかかえて大声で泣いていた。そしてなぜか1年生の妹も白石のそばにいて、しゃがみこんで泣いている。クラスメイト数人が遠巻きに見ている。

 吉井先生が、白石に穏やかに聞いた。

「白石、どうしたんだ」

 白石はそのままの姿勢で何も言わなかった。僕は白石の目をみつめた。白石の目が、みるみる真っ赤になってきた。

「先生、僕が殴りました。僕が橋本君を殴りました・・・」

 あとは涙で声にならなかった。

「そうか」と先生は優しく言った。

 それから。

 白石は職員室へ、橋本は保健室へ連れて行かれた。

 白石の妹は、担任の先生がやってきて教室へ連れていった。当事者がいなくなってから、目撃した数人がいきさつを話してくれた。

 妹が白石を訪ねてきたところに、たまたま橋本が通りかかった。今日は妹の誕生日だから、二人でお祝いをするらしく、「だから練習は休む。監督には届けている」と橋本に言ったらしい。すると橋本は「きたねえ、ずるい、練習をさぼるのか」と言ってからんだそうだ。白石は相手にせず聞き流していたが、やがて妹を指さして言った。「だいたいなんだ。おまえらきょうだいは!いつもいつも二人べたべたで気持ちわりィ。でもおまえら父ちゃんおらんし母ちゃんが働きにいっているから、いつも二人ぼっちか!」そこで、白石がいきなり橋本を殴った。二回、三回と殴ったそうだ。


 絶対橋本が悪い!

 僕は頭にきた。そして教室を飛び出し職員室へ走った。

 僕と白石は幼馴染だ。僕は妹の笑顔も知っている。親父さんが亡くなった時、一人でこっそり泣いていた白石も知っている。そして、いつも優しいおばさんも知っている!


 職員室に飛び込むなり、先生と白石を探しながら大声で怒鳴った。

「先生!先生!白石は悪くない!あんなこと言われたら誰だって怒る!先生!どこですか!白石は悪くない!悪くないんです!」

 職員室の奥から、先生が出てきた。

「どうした。谷山。そんなに大声出さんでも聞こえているぞ」

「でも先生、白石は悪くないです!」

「そうか。今事情を聞いていたところだ」

「先生、橋本はどこですか?」

「保健室だが、それがどうした?」

「僕がもう一発なぐる!」

 ダッシュしようとした僕は先生に抱きとめられた。

「ばかを言うな。まあ落ち着け。もうすぐ監督もくるから」

 それを聞いて、僕はダッシュをやめた。

「しかしまあ、おまえすごいダッシュ力だな。先生の力でも止めるのが精一杯だったぞ。さすがに鍛えられているな。まあ、監督が来てから話をしてみるよ。悪いようにはせん。おまえは安心して練習に行け」

「先生、白石は絶対悪くないですよ」

「ああ。わかってるよ。おまえはいいから早く練習に行け!そしてみんなに心配ないからと伝えろ」

「はい」と、ふてくされて僕は答え、職員室を出て行こうとした。

「あ、谷山ぁ」

 職員室を出たところで先生に呼び止められた。

「はい?」

「居眠りはだめだぞ。いいな」

 先生はニヤリと笑った。


 その日。

 みんなうすうす知っていたが、誰も事件について口にせず、淡々といつもの練習をこなしていた。ちょっと違うのは、白石と橋本がおらず、監督の怒声も飛ばなかったことだ。僕は、校舎にともる職員室の明かりが気になって仕方なかった。その日から、橋本と白石は練習に来なかった。


 数日後、ことの顛末を母親から聞いた。

 先ず学校の処分。これは二人が野球部の練習についてのけんかであるとして、クラブ内の問題であり、また、被害者のけがも軽かったことから学校としては正式な処分を見送り、顧問の先生と監督に処分が委ねられた。橋本の母親は「うちの子は被害者なんですよ」「もっと厳罰を!」「損害賠償を!」とか、しまいには「なんで外野に回されたんですか」とか言って騒いで大変だったらしい。しかし橋本本人は「僕が白石にひどいことを言ったから」と反省していて、それを聞いた橋本の父親が、「うちの子は肉体的には被害者だが、白石君はうちの子の言葉の暴力を受けたようだ。どっちが本当の被害者かわからない。私たちが悪いところはお詫びします。しかしまあ、子供のけんかでもあるし、ここはひとつ穏便に」と言ったそうだ。そこでひとまず両者の練習停止が決まり、保護者会が開かれ、事件の説明と、市の少年野球連盟への届出について議論された。その結果、子供たちへの教育という視点から、なかったことにはできないので、正直に連盟へ届け出ることに決まり、連盟の処分が出るまで、両者の練習停止が正式に決まった。


 僕の家では、家族でこの問題について話し合った。僕は「橋本が悪い」と主張したが、それでも暴力は良くないと父親にさとされた。そして、これだけ多くの人に迷惑をかけることの重大さと、連盟の判断によっては、来年の大会には出られないこと。そして、なにより当事者である二人のこころの痛みを知れと言われた。みんなに迷惑をかけていることの痛み。今まで2年間、必死で積み上げてきたことをいきなり断ち切られるかもしれないということの痛み。当事者の二人は重く受け止めているはずだ。だから、何があっても軽率な自分を抑えろ。それが監督のいう自分に克つことだ。と教えられた。


 さらに数日後、連盟の処分が決まった。

『今年度いっぱい、対外試合禁止』ということだ。つまり5年生の間は対外試合をするな。しかし6年生になったらよろしい。ということで、事実上の無罪放免。連盟の温情判決だと父が言った。もちろん連盟の重鎮である監督がいろいろと骨をおってくれたらしい。とにかく春・夏・秋の大会に出場できることになった。


 そして、明日二人が復帰してくるという日。練習前に監督からの話があった。やはり事件の話だ。

「白石と橋本。みんなはどっちが悪いと思うか」

「それは殴った白石が悪い」とやまちゃんが言い、まっちゃんも同意したが、田中は反対だった。

「そうかなあ。橋本は口が悪いからなあ。僕もたまにむかつくし」

 それには、ガンちゃんと新田が賛成した。いつも大人しい奴が白石に同情しているようだ。

「でも、口は悪いけど、根は正直だよ橋本は。今回も悪口言ったって認めていたし」と、はるちゃんが言った。

 僕は父親に言われたこともあり黙っていた。ふうちゃんも黙っている。ふうちゃんはいつもクールで口数が少ない。冷静に状況を見ているようだ。みんなそれぞれ好き勝手に話し合い大部分が白石派。そして数人が橋本派となり、両派に分かれた。


 頃合を見て監督が言った。

「白石も橋本も、どっちも悪い。それはなぜか。辛抱がないからだ。思いやりがないからだ。なぜ悪口を言う。なぜ殴る。エースの藤井が満塁ホームランを打たれたからと、悪口を言うか。殴るか?それで試合に勝てるか?俺はそんな指導はしていない。エースが打たれたら、バッターが取り返せ!みんなの力でカバーしろ!それが思いやりであり、辛抱であり、チームだ。4点とられたら、正々堂々1点づつ取り返せ!どんなにつらくても、ひどいめにあっても、最後に勝つために、ひとつひとつできることを積み重ねる辛抱が大切だ。いいか!」

 監督の勢いに押されて「はい!」と僕らは返事した。僕は、二人の事件と満塁ホームランがなぜ関係あるのか分からなかったが、なんとなく監督の言うことは正しいと思った。

「今日はいつもの練習はしない。時間までずっとランニングだ。走って走って、痛みを知れ!二人がやった事の意味を考えろ。以上」

 そう言うと、監督がおもむろに走り始めた。コーチが慌てて声をかけた。

「監督に続いて走れ!」

 僕らは驚き、とまどいまがらも監督に続いて走り始めた。僕らはその日、ひたすら走った。みんな黙々と走った。


 さて翌日。二人が復帰する日。

 白石は、もじもじしながらも最初から練習に加わった。比較的多数が白石に同情していたから、みんなもとやかく言わず笑顔で迎えた。問題は橋本だ。準備運動が終わった頃、どこからともなくコーチから連れてこられた。なんともバツの悪そうな顔をしていた。しかし実はみんなしめしあわせていたので、監督コーチの前では笑顔で迎えた。そんな表面の笑顔ではあっても、その様子を見て橋本は安心したのか、序々にいつものようにふてぶてしくなった。


 練習後。

 監督やコーチが帰ったことを見届けると、やまちゃんに足止めされていた橋本がホームベースの辺りにひきだされた。帰ったふりをしていたみんなも三々五々集まってきた。もちろん、白石も連れてこられた。


「橋本ぉ、わかっとるのぉ」と、まるで芝居のように、まっちゃんがすごんで見せた。

 橋本はみんなに囲まれ、ひたすら恐れ真っ青になっていた。


「判決!」と、はるちゃんが言った。

「先ず、白石が橋本に謝ること」

 白石は素直に、そして丁寧に謝った。殴ったことを後悔していたこと、今後は二度としないことを誓った。

「次に橋本」

 橋本は泣きそうな顔をしていた。

「橋本も、白石に謝ること」

 橋本は、ほっとしたように白石に謝った。

「しかし橋本」と、間髪入れず、はるちゃんが言った。橋本は「きた!」という顔をした。

「事のはじまりは橋本の悪口であり、普段からその悪口にほとんどの者がムカついている。よってフルチン先輩の刑に処す!」


 それは、試合中、特に重大なエラーをした者に課せられる、僕ら野球部の伝統の罰ゲームだ。もちろん保護者たちは知らない。夕闇にそまったグランドでこっそり行われる。罰を受けるものは掛け声とともにダイヤモンドを1周する。5つ数えたら、それをみんなで追う。みんなに捕まることなく1周できたらそれで無罪放免。しかしつかまったら最後、衣服をはぎとられ、よってたかってみんなが疲れるか誰か大人が通りかかるまでくすぐられる。僕らも過去に1回行って、その時はやまちゃんが半べそかくまで続けられた。伝説ではフルチンにさせられ、泣きながら家に帰った先輩もいたそうで、だからこの罰ゲームのことを『フルチン先輩の刑』と呼ぶのだ。また、この罰ゲームを親にばらしたものは、例え野球部をやめても、毎日毎日受けさせられる決まりになっていたから、今まで誰もばらした者はいない。


 みんなは指をパキパキと鳴らしながら準備した。ニヤニヤしている者もいた。倉庫にかたづけられていたベースが引き出され、準備が進んでいく。4年生チームからもキャプテンとエースが、今後のために呼ばれていた。

「ようい、ドン!」と、はるちゃんが掛け声をかけた。橋本は1塁めがけてすっ飛んでいった。5つ数える時間というものは、僕ら運動選手にとって、かなり有効なアドバンテージであり、実は逃げ切れる確率は高いのだが、残念ながら僕らにはガンちゃんがいる。3塁直前で橋本は捕まった。地団駄ふんだが既に遅く、追いついたみんなに衣服をはぎ取られ、いいようにくすぐられた。橋本は「やめろ!やめろ!」と半べそをかいていた。こうして、僕の5年生最大の事件は終わった。


完読御礼!

ありがとうございます。


これからしばらくの間、中学編のように連載の形で掲載していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


*この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。



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