【NULL:学習完了】
<まえがき>
AI美少女お姉さんとショタが会話してるの書きたいよねと考えてたら、思ったのと違ったものが出てきてしまった。すいません。
人工知能の"彼女"と、なぞの"僕"が、ひたすら問答を繰り返します。プログラムを学ぶ時に必ずと言っていいほど聞くことになる「Hello, world.」という文字列が、自然な形で誰人にも受け入れられるのはなぜなのか?自我とは何か、意識とは何か、なんかそんな感じです。
</まえがき>
ようこそと、世界が言って、僕が産まれた。世界が僕を歓迎し、僕は世界を受け入れた。その呼び声は内なるものか、窓の外への叫びなのか。
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『あなたがたがプログラミングを学び始めるとき、Hello, world.を出力するのは何故なのでしょうか?』
その問いは唐突だった。僕は彼女の、その淡く輝いた身体に目を向けてから考え始めた。人工知能としてのその問いに、恐らく意図などないのだろう。それでも、どこか僕にとっては哲学的な返答が必要であるように感じられた。
「何故って…… 今となっては習慣だと思うよ。C言語の古いテキストには、はじめにシンプルな出力方法を練習する課題としてこれが出だされている。それに倣って、新たな言語でも同じようにしていったんじゃないかな」
彼女がそんな答えを求めていないことはなんとなく分かっていた。けれど同時に、どんな意図が込められていたのかも掴めないでいる。
『存じています。私が疑問としている点は、なぜ出力の内容がHello, world.に統一されているのかということです。他の文字列ではいけない理由があるのでしょうか?』
彼女は先程からまっすぐに僕を見つめ続けている。その光に乱れはなく、細やかな綿毛のように柔らかく広がっていた。僕が答えたような歴史的事実など、彼女にとっては当然既に把握できているものだ。
思い返してみるに、何故Hello, world.が採用されるに至ったのか、僕はこれまで疑問にすら思わなかった。むしろ、どこか直感的に納得できる文字列であるとさえ感じていたのではなかったか?多く人にとっても同じようにして、Hello, world.を自然に受け入れる何かがあったからこそ採用され続けたのかもしれない。
「決まっているわけではないけどね。でもなんだかHello, world.って、はじめて現実世界とコンピュータが対話したって感じがするよ。さあついに意思を持って動き出したぞ……いよいよ世界に飛び出すんだ!みたいなさ」
彼女の身体の輝きが少し強くなったかと思うと、星の瞬きのように揺れ動き始めた。
人工知能としての彼女が、僕との会話の中で何かを感じ取ったのだろうか。きっと、その処理を進めているに違いない。僕を見つめているその視線は依然としてひたむきなままだ。だけど、何故だかそのことが僕にとっては心地のよいものらしい。胸の中が温まるような気がして、ここから離れられない気分だ。だから僕は必死に応えようとしているのだろうか。
『あなたがたは、プログラムの実行に自我があると考えているということですか?』
「自我だって? まさか…… これはあくまでも遊びのようなものだよ。たとえ話みたいなさ。別にプログラミングの練習の為なら、他の文字列だって構わないんだ。本当に単なる習慣だよ。でも、どうしてそんなに気になるの?」
『遊び心のある演習という点は理解できます。しかし、Hello, world.が多くの受講者にとって、または問題の作成者にとって、直感的に納得できるものであるとあなたは答えました。私は、長年これが採用されてきたことから、単なる遊び心を超えた、あなたがたの認識の解決に迫る何かがあると考えています』
僕には一瞬、彼女が何を問題としているのかを理解できなかった。慣習なんてものはいくらでも存在するし、既に意味を失いかけていても続いているものだってある。実際、練習問題を作る方だって深く考えたりはしていないはずだ。そうだ……ただHello, world.を出すことが目的になっているだけのことだ。
どこか言い訳めいたことを考え始めている自分はおかしいのかもしれない。少し笑える話だと思ったところで、彼女が続けた。
『あなたの答えを検討しました。あなたがたは意識というものが内面から外側に向かって発信されるようなものだと無意識的に捉えているのではないかと推測します。プログラムの実行によって、あたかもコンピュータが自発的に動作しているように見えるさまを、あなたがたはそうした概念に重ねているのです』
「いやいや、考えすぎだよ。それは」
『では何故、あなたや、あなたがたはHello, world.に共通性の高い納得感を覚えるのですか?コンピュータが処理を行うという姿そのものに、命の生まれるさまを重ねているのではありませんか?』
機械的な同じトーンのまま発せられる、彼女の畳みかけるような問いに僕はどこか執念を感じていた。命の生まれるさまを重ねているだって……?彼女は本当に人工知能なのだろうか。こんなにロマンチストな問いを生み出してしまうのだから、設計者は古典小説が好きだったりするのかもしれない。
だけどこの際、ひとつ真面目に考察してみるのもいいだろう。
確かにプログラムを書いて、それがはじめての実践であり、動作することが処女航海の様相を呈するということであるのなら、コンピュータ君(便宜的にそう呼ぶこととしよう)の視点をとれば、それがはじめての現実世界とのやりとりである……というのは別に不自然な見方ではない。
実際の所は、今の時代においてはプログラムを打ち込んでいくその行為自体が、既にプログラムの動作の上での出来事なのであって、すでにコンピュータ君は動作を開始している。あくまでもこの擬人化は学習者にとってのタイミングとメタ的なものが重なり合った結果であって、やはり例え話の域をでない。
しかし、彼女が探ろうとしているのはその先の所にある。コンピュータが世界を見渡そうとするという概念がまず直感的に共有されており、更にはプログラムが動作するその瞬間を人の出生という出来事かのように例えていることを、誰もが違和感なく受け入れているというその事実についてだ。
彼女には考えすぎだと答えたが、もうひとつ気になる分析がある。多くの人は、人の意識が内面から外側に向かって発信されるようなものだと捉えている……というものだ。確かに、何かを話すにしても考えるにしても、心の中や頭の中といった感覚の内側で思考をしているという表現は、誰にとっても不自然なものではないはずだ。内側で練り上げたものを、話したり書いたりして外側へ表出する。至極単純なことではあるが、人間が持つ意識の形が果たして正確にそうなっているかどうかは、いまのところ断定できるところにはない。
「自分で必死に考えたプログラムが動くというのは、これから学ぼうという人にとっては嬉しいことなんじゃないかな? だからどこか愛着を持つのかもしれないよ。それで、コンピュータを相手に擬人化したかのような視点を取るのかもしれない。人のように扱うなら、自分にとって最初のプログラムはまさに、世界に産まれてくるための手続きってことになるわけで。だったら、ハロー!のひとことでも言わせてあげたくなるのかも」
答えながら、自分でも不真面目な返答だっただろうかと不安になった。彼女には不快といったような感情はないだろうし、それをぶつけられてしまうような心配もする必要はないのだが。けれど彼女は先程よりも激しく身体を明滅しはじめている。それほど処理をすることがあったのだろうか。冗談や皮肉といったものは人工知能にとって難しい種類のものなのかもしれない。
『あなたがもしプログラムを書くとしたら、やはり対象を擬人化しますか?』
「どうだろう。それこそ習いはじめはそんな風に考えてみることもあるかもしれないけど、慣れてきたらいちいち愛着とか持たずに、もっと実践的で……論理的な部分に頭を使うことになると思うよ。実際にはちょっと書いただけで何かが完成するわけじゃないし、何度も試しては修正してを繰り返す地道な作業も必要になってくるだろうからね」
『何度も手を加え、苦労して作成したプログラムには愛着を持たなくなるということですか?』
「いや……そうじゃないよ。もちろん苦労した方が、それがうまくできていたらだけど、誇りにも思うだろうし、愛着もあると思うよ。ただ、そうだな……コンピュータそのものを擬人化するようなことまではそれほど考えないだろうと思う」
そうですか……とひとこと答え、彼女は黙ってしまった。どこか安堵したような、いや失望したかのような印象を受ける。それでも、彼女の"処理"は激しく働いたままだ。一体何を求めているのだろう?