ウィスタリア
「あら。折角の紅茶が冷めてしまったわ。よろしければ、殿下方もおかけになりません?」
ドアに一番近い、一人掛けのソファの前にローズは立ち、部屋の奥の窓側の二人掛けのソファには、ローズ側からスカーレットとウィスタリアが立っている。
スカーレットに席を勧められ、先程の3人の姿に毒気を抜かれたカーマインは、「う、うむ」と、席に着く事にした。
本来であるなら、カーマインがローズの対面の一人掛けのソファに座るべきなのだろうが、その席をバーミリオンに譲り、二人掛けのソファに、銀色の髪に水色の瞳の、「本当に16歳以上なのか?」と、問い詰めたくなる程の少女とカーマインが座った。
先程、カーマインの背中をつついたのも彼女だ。
少女───バニラ=ルベル男爵令嬢がソファに腰かけると、カーマインも腰をおろし、それが当たり前の様にバニラの肩に手を回した。
それを、ローズは、見て見ぬふりをした。
新しい紅茶が運ばれるまでの沈黙を破ったのは、バーミリオンだった。
「ウィスタリア。俺の元に帰って来い。お前なんかを嫁に娶ろうなんて男は、俺しかいないだろう」
確かに、ウィスタリアは、ローズやスカーレットに比べて、いかにも平凡な令嬢だ。髪の色も、ローズの明るいブロンドだったり、スカーレットのストロベリーブロンドなどではなく、元々が平民であった事を如実に語る平凡な黒い髪であるし、彼女達の様に透き通る様な白磁の肌など持っていない。
しかしそれは、彼女の父が、平民でありながらも、類まれな武術と信頼によって爵位を得た証であるし、彼女の肌が灼けているのも、父や父の部下達が怪我をした時の応急処置としての、ハーブなどを育てる手伝いをしている為である。
「お生憎様。私も、先日、プロポーズされましたの。もちろん、お受けいたしましたわ」
ウィスタリアは、バーミリオンを一顧だにせず拒絶した。
「なっ。そんな奴がいるわけが…」
と、バーミリオンが驚愕の表情を浮かべ、腰を浮かせたところで、ローズの侍女が、バーミリオンの後ろのメイド用のドアから、6人分の紅茶を乗せたカートを押して入室してきた。気をそがれ、バーミリオンは浮かせた腰を、再びソファに預ける。
それぞれの前に紅茶が置かれる間、誰も、言葉を発しようとはしなかった。
お茶が置かれ、侍女が後ろに控えると、バーミリオンは、忌々し気に
「あーそうか。どうせ、将軍に阿る爵位を継ぐ当てもない輩だろう。そーだよな。お前なんか将軍の威光がなければ、結婚なんかできるわけないからな」
この暴言に、ローズもスカーレットも何の反応もせず、新しく淹れられた紅茶の香りを嗅ぐ。
「そうですわね。バーガンディー様は、ダヴィド辺境伯の三男ですので、爵位はございませんが、お父様やお兄様の補佐を、入隊以来ずっとなさって下さっておりますわ」
バーガンディー=ダヴィドの名前が出た所で、バーミリオンは、ガタリとソファを後ろに押した。
もし彼が、出されたお茶を口に含んでいたならば、吹き出していた事だろう。
バーガンディー=ダヴィドと言えば、今のコルネイユ王国軍に属していれば知らぬ者が無い程、見事な剣技の持ち主である。弱冠26歳でありながら、昨年の御前試合において、見事優勝を勝ち取り、最近では、近衛隊長として山賊の大捕り物を成功させている。
「10歳近くも年上の方をお支えするのは、私には出来そうもないと一度はお断りさせていただいたのですが…」
ウィスタリアは、そこまで言うと、思わず「うふっ」と、頬を赤らめ
「「貴女の作った料理を毎日食べたいと思っていた」って…やだっ。もう」
左手を左頬に添え、バーガンディーのプロポーズの言葉を噛みしめた。
「ウィスタリア様のお料理の腕前は、素晴らしいですものね」
「ええ。以前、お呼ばれした“鱈の香草焼き”は、本当に美味しゅうございましたわ」
「まぁ。私、頂いた事がございませんわ。ねぇ。ウィスタリア様。今度、御馳走して頂けます?」
「もちろんですわ。ローズ様。ローズ様のお好きなパセリとバジルのジェノベーセパスタも、ご用意させて頂きますわ」
「まあ、素敵。今から楽しみですわ」
「私も御邪魔してよろしいかしら?」
「もちろんですわ。スカーレット様。是非、いらして下さいませ」
3人は、またもや、カーマイン達を置き去りに女子トークを始めてしまう。
バーミリオンは、その姿を見ながら、ウィスタリアの料理など、一度も食べた事が無い事に気づく。
「くっ」
小さく唸ると、カーマインに向き直り、
「殿下。申し訳ございませんが、退出させていただきます」
「あ…ああ。」
カーマインに退出の許しを請い、バーミリオンは、席を立った。
「あら?どうかなさいまして?バーミリオン様?」
女子トークに夢中になっていたローズが、ドアノブに手をかけようとするバーミリオンの背中に声をかける。
「ええ。少しばかり急用を思い出しましたので…失礼いたします」
「あら、まぁ。そうですの。ごきげんよう」
バーミリオンは、静かに、サロンを退出していった。