スカーレット
「まぁ。スカーレット様にウィスタリア様。いつの間に。私、少しも知りませんでしたわ」
ローズは、口元を扇子で隠し、驚いてみせた。
「あら。話しておりませんでしたかしら。婚約や結婚なんて、お父様の胸算用一つで変わるものですもの。お相手が変わろうと、瑣末な事ですわ」
「そうですわね。私も、お父様からのご命令に従うだけですわ」
二人の言葉を聞いたローズは、カーマインに向き直り
「との事ですが、何故、私がお二人の婚約破棄に関係しているなどと仰るのでしょうか?」
「白々しい。其方が関与せずして、この様な婚約破棄など、なりようがないだろう」
カーマインが、ローズに言い募っていると、彼の後ろに控えていたアイビーが、王太子の横をすり抜け、スカーレットに向かって行こうとしたが、テーブルに邪魔される。
「スカーレット。お願いだ。どうか、お父上に、もう一度、私達の婚約を許してもらえる様に口添えしてくれ。父は、弟に爵位を継がせようとしている。このままでは、一生を父の管理下。いや、弟なんかに媚を売って生きていかなければならない」
アイビーは、両膝をつきスカーレットに希った。その顔は青白く、緑色の目には涙が滲んでいた。
スカーレットは、感情の無い青紫の瞳で、その哀れな姿を見降ろしながら、
「それは、お気の毒様。でも、私の父の目も、クララック伯爵の目も、決して節穴などではございませんのよ」
スカーレットの居丈高で冷ややかな返答を、カーマインが聞き留める。
「スカーレット嬢。私の親友に対し、その言いようや態度は無礼であろう。アイビーが爵位の継承権を失う事は国家の損失だ。お父上を説得し、アイビーとの婚約破棄を撤回させろ」
「失礼いたしました。殿下。…ですが、婚約破棄などという醜聞を、更に撤回させるなど、とても出来よう筈がございませんわ」
スカーレットは、カーマインに頭を下げた後、姿勢を正し、赤く薄い唇の口角を上げて、にこりと微笑んだ。
「何故だ。簡単な事だろう。其方達の婚約破棄の事は社交界には、まだ流れていない。例え知る者がいたところで、其方達の婚約が継続されれば、デマに踊らされただけだと・・・」
「私。パーシモン様と婚約いたしましたの」
スカーレットは、つらつらと言葉を並べる王太子の言葉を遮る様に、新たな婚約の事を、それはそれは良い笑みを浮かべて告げた。
アイビーは、王太子がスカーレットに発言している間、絨毯の上で正座をし、両腕を前について上半身を支えつつも、項垂れていたが、王太子の言葉と重なる様に耳に届いた、意外な人物の名前に愕然とした。
「弟と…」
と、ぽつりと呟くと、視線を、ゆっくりと絨毯に置いた自分の指先に移し、絨毯に自分の爪を食い込ませて、じりじりと引っ掻いた。
猫の手の様になるまでの時間、指先以外、ぴくりとも動かなかったアイビーは、涙の一粒が絨毯に染みを作ったのと同時に、
「嘘だ!あいつはまだ14だぞ!ありえない!デビュタントも迎えていない子供だぞ!そんなもの、アポリネール宮中伯が認めるわけがない!」
アイビーは顔をスカーレットに向けて、堰を切った様に涙をポタポタと流し、絶叫した。
スカーレットは、斜め上の方向を見ながら、頬に人差し指を添えて、少し、考えこむ。
「…それは、お父様が、クララック伯爵との縁を切る気がなかったという事だと思いますわ。それに、パーシモン様は、お兄様を反面教師にされておりますし……」
そこまで言うと、スカーレットは、それまでのクールな表情を壊し、頬を薔薇色に色づかせ
「「昔からお慕いしておりました」…だなんて…まぁ、恥ずかしいですわ」
と、いやいやをする様に、顔を覆った。
「まぁ、なんて素敵なんでしょう。スカーレット様。デビュタントまでの2年なんて、きっと、あっという間ですわ。ずっと秘めたる想いを隠されておいででしたのね」
「本当に。そんなお方でしたら、自分の婚約者を大広間までエスコートすれば、自分の仕事は終わりと言わんばかりに、他の女性にうつつを抜かすなんて事は、絶対にありえませんわよね」
「有難うございます。…彼はまだ子供で…少しばかり頼りない所もございますが、パーシモン様の為ならば、私、しっかりお支えしてみせますわ」
「そうですわね。スカーレット様は、しっかりされておりますもの」
「でも、頑張りすぎないようにお気をつけくださいませね。スカーレット様は、しなくていい我慢もされてしまいそうで、心配ですわ」
きゃあきゃあと、3人の令嬢達は、カーマイン達を置き去りに、スカーレットの新たな婚約を喜んだ。
その様を見上げていたアイビーは、今まで、ツンとすまし、常に冷静沈着な元婚約者の、友人達に祝福され、恥じらっている姿を、呆然と見つめ、いつの間にか乾いた涙の跡を、指先でこそぎ、自分の身を振り返って、再び、溢れてきた涙を流しながら、サロンから走り去っていった。
カーマインもまた、彼女達のはしゃぐ様を、ただただ眺めていたが、彼の後ろから、背中をつつく指先を感じ、わざとらしい咳払いをした。
「ウォッホン」
咳払いに、3人は、「失礼いたしました」と、佇まいを整える。