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かの偉人は、こう言った  作者: 衣己
5/11

幕間 雨の日の出逢い

“僕”と織部の出逢いのお話です。

 今日は新たな学校の入学式。鏡の前で寝癖がないかを確認し、新品の制服を身にまとい、慣れないローファーを履いて玄関を出た。

 そりゃあ心踊る気分だったさ。

 ほぼ“記念受験”という気分で受けた学校に運よく合格し、前の学校のメンバーがほとんどいない新天地に足を踏み入れるんだから。

 そう。そのときはまだワクワクしてたんだ。途中で雨が降ってくるまでは。

 何もかもがうまくいっているようなワクワク感が雨によってすべて台無しにされたという気分になったのだ。新品の制服は大量の水分を吸って重くなるし、濡れた靴下はローファーの中でただただ不快感を放っている。

 もちろんそのまま学校に行くことだってできた。

 ずぶ濡れで学校に行って「いやぁ、初日から雨に降られるなんてついてないわー」と、新たなクラスメイトと笑い話にもできたはずだ。そもそも、新年度の一日目をクラスメイトと過ごすか否かで友達の量は大きく変わる気がする。

 しかし、僕はそうはできなかった。

 そこから僕がサボタージュを選択しに入れるのにはそれほど時間はかからなかった。サボるまではいかなくても、ちょっと遅れるくらいは構わないだろうという気分になった。たとえそれで後々友達が少なくなっても仕方のないことだろう。


「そうだ、この路地の先に何か気になる店があったら入ってみよう。何もなかったらすぐ学校へ向かう...。よし」


 誰かに対する言い訳のように呟いてから、通学路から伸びる人気のない路地に足を踏み入れる。

 雨に濡れたアスファルト特有な匂い。薄暗い路地は終わりが見えない。見ず知らずの世界を歩いているような高揚を感じていた。


 ついにその喫茶店が目に入った。アスファルトとコンクリートばかりの路地に突然の現れた木造の建物。レトロな雰囲気の絵に描いたような店構え。

 何より目についたのは路地に面した窓から見える人影だった。黒の学ランを身にまとった小柄な人物。文庫本を片手にコーヒーを飲むそいつには、“純真無垢”という言葉があつらえたようによく似合う。


 店の奥で白髪の男が手招きをしている。僕は吸い込まれるように店内に入った。


「大丈夫かい?ずぶ濡れじゃないか」


 そういって真っ白なタオルを差し出す男の声はまったくと言っていいほど僕の頭には入っていなかった。

 僕の興味は、僕の視線はすべてその窓際の人物に向いていた。

 自分と同じく学校を休んでる人がいる。その事は、僕から学校のことを忘れさせるのに十分だった。


「人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず」


 目の前の人物から凛とした澄んだ声が聞こえる。

 目が合った。


「日本の哲学家 森信三の言葉だよ」


 僕は突然のそんなことを言われて「え、あぁ……うん?」という妙な相づちしか返せなかった。

 このときの僕はどんな顔をしてたんだろう。小さな笑い声が聞こえる。


「あはは、いきなりで驚かせちゃったかな。えーと、僕の名前は片成織部という。今日ここで出会ったということは、僕らはきっとこの日この場所で出会う運命だったんだろう。さて、せっかくだからこっちに来て僕と少しお話しないか?こんな時間にこんな所にいるってことは学校に行く気もないんだろ?」

「う、うん」


 僕はふらふらと織部と名乗る人物の前まで行き、椅子に座った。すぐそばの窓からは青空が覗いている。

 いつの間にか雨は止んでいたらしい。

 初めて出会った人物像から初対面とは思えないような馴れ馴れしさで話しかけられるという、普段経験することのなかった状況に見舞われて、僕はなにも言葉を返せなかった。


「さてさて、まずは何から話そうか。そうだな……君の表情をを見る限り森信三のことは知らないんだろ?よし、それじゃあ彼の生まれから話すとしようか。彼はだな……」


 こちらの反応は気にかけることもなく織部はどんどんと話を進めていく。

 窓から見えた姿とは大きく異なり、明るく人懐っこい笑顔で語りかける織部を見ていると、次第に初め抱いていた戸惑いも薄れていった。それと同時にさっきまでは意識しなかったものにも意識を向けられるようになった。

 店内に広がるコーヒーの香り、壁面に敷き詰められた大小様々な書籍。そして、テーブルの上で開いたまま置かれている本。そこには「友達を作るには第一印象が大切!笑顔で元気よく自分の好きなものを伝えてみよう!」と書いてあった。


「……と、いうわけで彼は『全一学』という学問を打ち立てて……ついてこれてるかい?人と話すのは久しぶりだから加減がわからないんだけど、大丈夫?」


 さっきまで読んでいた本の内容に従っていたのだろうか、織部は少し不安そうにこちらを見た。正直者なところ織部の話はほとんど理解できないまま聞き流していたのだが、迂闊に「え、ごめんまったく聞いてなかった」なんて言おうものなら泣かれかねない。そう思えるほどに不安そうな目を向けられていたのだった。


「うん、大丈夫。で、その『全一学』ってなんなんだ?」

「よし、ちゃんと聞いてくれてるみたいだね。『全一学』っていうのはね……」

 こちらがしっかり聞いていたと捉えたらしい織部は、またしても僕のついていけないようなペースで話を進め始めた。


『人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず』


 出会い頭に織部から教えてもらったこの言葉通りなら、僕らが出会ったのは偶然なんかじゃなくて必然なんだろう。

 それも、今この時を逃しては他にないと言えるほどのタイミングだったのではないだろうか。

 そう考えると、目の前で水を得た魚のように喋り続ける織部の声に耳を傾けるのも悪くないように思えてきた。


「さて、ここで先程の言葉に戻るとしよう。人間同士の出会いは不思議なもので……」


 織部の言葉を聞きながら僕は窓から路地を眺める。

 会話中によそ見をするのには気が引けたが、目を閉じて幸せそうに話す織部には気づかれてはいないだろう。


「...学校休んで良かったかもな」


 誰に向けるでもない僕の独り言に対して、織部は一瞬言葉を止めたが、すぐに「つまり」と話を再開した。


「つまり、僕らの出会いはお互いにとってかけがえのない宝物となると思うんだか、どうだろう?この出会いを記念して、僕らは友達になるのがいいと思うんだか」


 はにかみ気味に織部がこちらを見ている。

 なるほど、ずいぶんと長い友達のお誘いがあったもんだ。

 少し驚きはしたものの、友達になるお誘いならよそ見をしておくわけにはいかない。僕は織部に向き合った。


「いいね、僕でよければぜひ友達になってくれよ」


 こうして僕は新しい学校でのイベントを一つ逃す代わりに、心地のいい居場所と素敵な友達を手に入れたのだった。

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