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かの偉人は、こう言った  作者: 衣己
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第1節 田園の詩人が進む道

『森で分かれ道があったら、他人が通らない道を選ぼう。すべてが変わる。』


 レコードからベートーベンの交響曲第6番が流れる店内で、織部はゆっくりとその言葉を発した。


「えーと、それが今日の言葉?」

「あぁ、その通り。アメリカの詩人ロバート・フロストの言葉だね」

「ロバート……だれ?」

「アメリカではかなり有名な詩人なんだけど。まぁ、君は詩には興味無さそうだし知らなくてもしょうがないか。でも安心してくれ僕は君がそう言うことはあらかじめ分かっていたし、そんな君のような無知な人に偉人やその言葉を教えるのも“語り部”である僕の役目だ」

 

 散々な言われようだけど、反論できない……。

 見下すような態度だったらケンカの買いようもあるんだけど、僕の目を真っ直ぐ見つめて真面目な顔で言われるもんだから黙って聞くしかない。

 それにしても、急に「他人が選ばない道」とか言われてもなぁ。


「さて、まずはロバート・フロスト本人の話から始めようか。彼についてネットやなんかで調べると、『田園生活を題材に』というような文言が出てくる」

「田園生活?なんか“the 詩人”って感じだな」

「……君の詩人に対する偏見が伺えるな。でもまぁ大体そんな感じかな。実際彼は生涯田園生活を貫いてたらしいしね」

「ふーん、それじゃあ結構世捨て人って感じの人なのか」

「いやいや、田園生活がイコール世捨て人とはならないよ。確かに都市からは離れていたものの、彼の作品は人間関係に関わるものも多いし、なにより彼は詩を通して田園に生きる人々の生活を追及していたんだからね。その結果彼はアメリカの報道や文学で最も権威のあるピューリッツァー賞を4度授賞し、さらにはケネディ大統領の大統領就任式でスピーチを行ったこともあるんだからなかなか侮れないよ。そうだな、彼の言葉だと例えばこんなのもある」


『料理ができるのにやらない妻より腹立たしいものがある。それは料理ができないのに料理をよくする妻だ。』


「おぉ、結構分かりやすく納得できること言うんだな」

「頑張って料理をしている人からしてみればショックな言葉だけどね。僕らでも理解はしやすいね。えーと、この他にもいろいろ面白いこと言ってるね」


『愛すべきものを愛し、憎むべきものを憎みなさい。この違いを見分けるには頭脳が必要になる。』


「これはちょっと小難しい」

「まぁね、詩人は概して哲学者になるものさ。ロバート・フロストだって晩年は哲学詩人の様相を深めていると言われてるし」


『母親はその息子を一人前の男にするのに20年を要するが、他の女性は20分で男を愚か者にする。』

『社交人とは、女性の誕生日を常に覚えていて、しかし彼女の年齢は覚えない人である。』


「男女についての話もあるんだな」

「あぁ、男女の関係には感情の機微が現れやすいしね。……ところで、僕の誕生日は7月26日だよ」

 口許は笑ってるのに目が笑っていない。誕生日には祝えよというプレッシャーを感じさせる、さながら獲物を見つけた肉食獣の目だった。僕は「え、あ、はい」という曖昧な返事を返しておいた。

 しかしまぁ想像してたよりはるかに取っつきやすい詩人って印象だな。近所のちょっと面白いことを言うおじさんって感じだ。

「さて、そろそろ本題に入ろうか」

「あぁ、『森で分かれ道があったら、他人が通らない道を選ぼう。すべてが変わる。』ってやつか」

「そうそう、それ。君はこの言葉についてどう思うかな?」

「どうと言われても……。えーと、言いたいことはわかるけど実際この言葉通りにしようと思ったら大変だし危険だなと思った。月並みだけど」

「そうだね。僕もこの言葉通りのことを実行しようとするのってかなり大変だと思う。でもさロバート・フロストは結構当たり前のことを言う詩人だと思わなかった?」

「あぁ、思った。ただ面白いことを言う近所のおじさんみたいだって」

「僕はねその“近所のおじさん”がそんな危険な道を選べって言ってるだけのようには思ってないんだよ」

「えっと、つまり?」

「言いたいのは『多くの人が通った道より誰も通ったことのない道を歩く方が楽しそうじゃん』ってこと」

「なるほどね、“面白そう”だから誰も通らない道を選ぶのか」

「そう、その通り。さっき君は大変そうって言ったよね、でもさ『大変』という言葉は『大きく変わる』と書くんだよ。大変な道も自分を大きく変えるための道だと思えば悪くない。」

「自分が大きく変わるための道か……」

「田園生活を続けた彼の生き方もこういうことなのかもしれないね。便利な都市で生活するよりも、人の少ない田園で農業をしながら生活する方が他の人より違った体験ができるし、結果的にそれが彼のその後の人生を大きく変えたわけだ。それこそ権威ある賞を取ったり大統領の就任式に呼ばれるくらいにね。」

 そう言ってから織部は手元のコーヒーを飲み干して立ち上がった。どうやら今日のお話はここでおしまいのようだ。

「あ、そうそう今日僕が話したことには僕の主観が大いに入っている。だからまた時間があれば君自身の手でロバート・フロストの言葉を読み解いてみるといい。コーヒー一杯分では伝えられない言葉がまだまだあるからね」


 マスターにコーヒー一杯分のお金を払って出ていく織部の背中を見ながら僕は少し考える。

 他の人とは違う道。自分を変えるための道。果たしてそんなものがあるのだろうか。もしかしたら、この世のすべての道という道はすでに誰かが通った後なんじゃないだろうか。……いや、フロストが言いたいことはこういうことじゃないんだろう。

『森で分かれ道があったら、他人が通らない道を選ぼう。すべてが変わる。』

 彼は「立ち止まろう」とも「引き返そう」とも言っていない。

 彼はただ「選べ」と言っている。

 悩んでいてもしょうがないので僕は織部のアドバイスにしたがって図書館にロバート・フロストの本を借りに行くことにした。

 今日だけはいつもの近道は使わず、少し遠回りをしてみようと思う。


ロバート・フロストの言葉にはこんなものもあります。

『Poetry is what gets lost in translation』

ざっくり訳すと「詩は翻訳で失われるものである」でしょうか。


皆さんもぜひ一度英語でロバート・フロストの詩を味わってみてください。

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