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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十七章 邪念の贈り物
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第五話

 草木も眠る丑三つ時、天空に輝く丸鏡の如き満月が、重い闇を切り裂き冷えた空気を白く染める。

野良猫の一匹の姿もない香桜屋の裏口で、十人余りの黒影が音もなく蠢いた。


 揃いの黒装束に同じく漆黒の布で頭から顔を隠した男達、香桜屋の木塀の陰に身を隠していた男らは、風のように素早い身のこなしで裏口に集まると、そのうちの一人、大柄な体躯の男がコンコン、コンコン、と小刻みに木戸を叩く。


 と、すぐにギィ、と鈍い音を立てて木戸が開き一人の小柄な男が顔を覗かせた。


 「店の奴等はどうした?」


 「へぇ、みんなぐっすり寝ておりやす。……あの、親分」


 これ以上ないくらい背中を丸めた男は、目の前に立つ男と、その周囲を取り囲む黒装束らに忙しなく視線を投げながら、彼は乾いた唇を恐る恐る動かした。


 「今度も、全員?」


 「当たり前ぇだ。万が一顔でも見られりゃ、後々厄介だからな。……平助、てめぇまた妙な気ぃ起こしてみろ、草の根分けても探し出して、その首跳ね飛ばすぞ」


 地の底から湧き上がるが如く低い、ドスの効いた声色で告げた男の大きく分厚い手が、平助と呼ばれた男の胸ぐらを思い切り掴み上げる。

黒頭巾の間から覗く血走った両眼、射抜くようなその眼差しにすっかり縮み上がった平助は、白い顔から更に血の気を引かせてガクガクと激しく首を縦に振った。


 「しねぇ、いや、しません。もう逃げるなんて真似……親分、俺反省してるんです。だから、お詫びのつもりでこの店に入り込んで、親分に……」


 乾いた唇を懸命に戦慄かせる平助をの胸ぐらを乱暴に振り払い、男は背後に控える黒装束らに素早く目配せをする。


 「くだらねぇ戯言は聞きたかねぇ。それより蔵はどこだ?」


 「ここを行って右手側です。鍵はここに」


 昨日、大口との取引があり蔵の中には千両箱が山になっている。

掠れる声で平助が告げた途端、闇の中でいくつもの瞳が不気味に光る。

興奮を抑えきれぬ様子の黒装束らを先に敷地の中へと滑り込ませ、男は平助と共に蔵へと向かった。


 店も母屋も灯り一つなく、漆黒の闇に包まれている。

建物全体が眠りについたようにシンと静まり返り、庭石の上を行くヒタヒタと微かな足音までもが打ち鳴る鼓動と合わさり、平助には矢鱈大きく感じた。


  店の裏手建ち並ぶ蔵、そのうちの一つの前に来た黒装束一味。

微かな星明かりまでも反射する白い土壁、黒光りする南京錠は冬の寒気に曝され氷の如く冷え切っている。


 南京錠の前に屈み込んだ平助は、震える手で懐から鍵を取り出すと、静かにゆっくりと鍵穴へ差し込んだ。


 ガチャ、と固い音を立てて回る鍵、木でできた閂を外した黒装束二人組が待ちきれぬ様子で平助を脇へ押しやり蔵の戸に手を掛ける。


  軋む響きは最小限に、静かに静かに開かれていく二枚の扉。

外界よ利深い闇が支配する広い蔵の中に眠る黄金色に胸を高鳴らせる男は、一度生唾を飲み込み黒装束らを引き連れ、中へ一歩足を踏み入れる。


 蔵の四方に山と積まれた千両箱をグルリと見渡した男が、鼻と口を覆っていた黒い布を人差し指でわずかに引き下げた、その時だった。


 「あら、昼間のお客様じゃございません?」


 この場にそぐわぬ明るい、そして甲高い女の声が蔵の中に木霊する。

張り詰めた空気が一瞬のうちに周囲を包み、ほぼ全員の目が声のした方向、蔵の最奥へと向けられる。


 「誰だ、ッ!?」


 先頭に立つ男が、ずらしていた布をサッと引っ張り上げ、野太い声を荒らげる。

と、奥の方でヒタヒタと小さな足音と共に含み笑いが聞こえ、蛍火の如き光が一つ揺らいだ。


 「頭病みは良くなりまして? 夜の夜中に人様のお蔵へ忍び込めるくらいですものねぇ、あのお薬、よ~く効いたのかしら?」


 皮肉たっぷりの台詞と共に闇の中から現れた茜の着物。

小さな燭台に乗せられた蝋燭の炎に浮かび上がる小柄な女、その短く切り揃えられた黒髪に、橙色の光が柔らかく反射した。


 「てめぇ、昼間の……!」


 「あら、覚えていて頂けました? 」


 ニコニコと子供のような笑みを見せつつこちらへ歩み寄る海華。

自分を包み込む痛いくらいの殺気も意に介さず、彼女は燭台を高く掲げる。

頭上で輝く橙の光、音もなく広がるそれは蔵の壁に新たな影を二つ浮かび上がらせた。


 「海華殿の事を覚えているなら……」


 「俺達の事も覚えているのだろうなぁ!?」


 四角い空間に轟く二つの低い声色。

海華の横、ちょうど千両箱の陰となった場所から躍り出たのは闇色の羽織を纏った二人の侍だった。


 「北町奉行所の者だッッ!! 貴様らそこを動くなッッ!」


 雷鳴の如き都筑の一喝と同時に、隣に立った高橋が大刀を引き抜く。

カチリと刀の鍔が小気味良い音を立てたと同時、先頭に立った男は疾風のように懐に手を突っ込み、ギラリと凶悪な輝きを放つ匕首あいくちを都筑達へ突き付ける。


 それを合図としたかのように、彼の背後に立つ黒装束らも次々と匕首、脇差しといった凶器を手に三人を睨み据えた。


 「畜生……っ! こりゃ一体、どうなってんだッ!?」


 震える両手で脇差しを握りしめる一人が悲鳴じみた叫びを張る。

その隣にいたもう一人は、自分の背後でガタガタ膝を震わせる平助へ振り返り様、血走った眼差しを投げ付けた。


 「平助ッ! てめぇまさか、ッッ!」


 「知らねぇ! 俺ぁ……俺ぁ何にも知らねぇぇぇッ! うぁ……うわぁぁああああ~ッッ!」


 喉を突き破らんばかりの絶叫を放ち、脱兎の如く平助は蔵を飛び出して行く。

その後を追い掛け数人の男らが走り去ったのを見届けて、匕首を構える男はジリジリと後退さり始めた。


 千両箱より己の命、三十六計逃げるに如かずといったところだろう。


 「貴様、ここから逃げられるとでも思うているのかっ! おとなしくお縄に……」


 「やかましい三一(さんぴん)がッ!! たかだかヘボ侍二人とクソアマ一人、(なます)に切り刻んでぶち棄ててやらぁな!」


 柳眉を逆立てる高橋に触発されたのか、男は頭巾をかなぐり捨てて黄ばんだ歯を剥き出しに荒々しく吠える。

脂汗に光る猪に似た顔、鼻の横に鎮座する大きめの黒子が海華の目に矢鱈とくっきり映った。


 「随分と威勢がよいな? だが、ここにいるのは俺達だけではないのだぞ?」


 ニヤ、と口角をつり上げつつ腕組みをした都筑の台詞に、男の顔からサッと血の気が引いていく。

彼の言葉が真実であると証明するように、蔵の入り口付近から『ひぇぇ』と、いささか情けない男の悲鳴が上がった。


 「易々逃げられると思ってんじゃねぇだろうなぁ、源五郎さんよぉ」


 少しばかり間延びした声色と共に、二つの長い影が蔵の入り口から真っ直ぐに中へと伸びる。

二つの影の間から勢いよく中へと吹き込む寒風。

身を切るほどに冷たいその風が、左側に立つ影の長い黒髪を宙に巻き上げる。


 「誰、だッ!?」


 「なぁに、名乗る程のもんじゃねぇさ」


 「しいて言うなら……通りすがりのお節介焼きだ」


 吐き捨てるよに言った長髪の持ち主は、自身の足元にうずくまる影の塊をおもむろに掴み上げ、力を込めてその場に引き立たせる。

それは、滴る汗で顔をぐしゃぐしゃに濡らした平助だった。


 「ちっ、くしょう……ッッ! こうなったら、何の遠慮もいらねぇ! あいつら纏めて叩っ斬れッッ!」


 退くも地獄、進むも地獄、窮鼠猫を噛むの表現がぴったりだろう。

源五郎は腹の底から怒鳴り声を上げて匕首を振り上げる。


 おめおめお縄になるくらいならば、そんな気持ちは皆同じだったのだろう、黒装束らも彷徨を上げて次々と目の前の都筑達、そして入り口の朱王と志狼へ襲い掛かった。


 地響きの如き足音と馬のいななきに似た男らの怒声。


 一際足の速い賊の数人が白銀に光る短刀を振り翳して都筑達三人へ飛び掛かる。

海華の手にする燭台の蝋燭が唯一の光源、そんな彼女を守るように素早く前に立ちはだかる高橋は、気合い一発、横一線に賊の胴体を切り裂いた。


 飛び散る鮮血と鼓膜を揺るがす悲鳴、それが止まぬうち、空気を裂いて繰り出された都筑の拳が賊の頬を的確に打ちすえる。

肉が潰れ、骨が砕ける鈍い音を耳にしながら、海華は踊るように軽やかな足取りで床を蹴り、真っ直ぐに朱王の元へ駆け出した。


 光の線が一筋入り口へ向かって伸びる。

賊が振るう脇差しの一撃を華麗にかわした海華は、黒装束に包まれた賊の脛を渾身の力で蹴り飛ばした。


 『ぎゃぁっ!』とけたたましい悲鳴を張り上げ埃臭い床をのたうち回る黒い男を軽々と飛び越える海華、彼女は手にした燭台を自分より頭一つ高い場所にある千両箱の上に投げ起き、入り口を背に立つと、おもむろに己の袂へ手を突っ込んだ。


 「くたばれクソアマッ!」


 「ざけんじゃないわよコソドロの癖にッ!」


 握り締めた匕首を高々と振り翳し、海華の首筋に突き立てんと躍り掛かる黒い影。

蝋燭の光に白く光る刃が空気を裂いて弧を描くより一瞬早く、海華の手から放たれた深紅の蛇が黒い布地で隠された男の顔面を襲う。


 眉間に打ち込まれる光の塊、悲鳴すら満足に上げられないまま、首を折れんばかりに後ろへ反らした男の身体が、弾け飛んび千両箱の壁に強かぶつかる。

崩れ落ちた千両箱からこぼれ落ちる山吹の滝、耳障りな金属音とあちこちから上がる悲鳴、罵声が激しく鼓膜を打ち付ける。


 足元に広がる大判小判によろめきながら、源五郎は数人の男らを従え入り口へと疾走した。


 「兄様! 志狼さんッ!」


 紅の紐を操り、次々と黒装束を打ち倒していく海華が、身を翻し大声で二人の名を叫ぶ。

それぞれ賊から奪い取った脇差しを手に敵と対峙していた二人は、ほぼ同時に視線を蔵の奥、こちらに向かい駈けてくる源五郎へ向けた。


 「逃がさねぇっつてんだろうが!」


  凶刃を交えていた男をのこめかみを脇差しの柄尻で強か打ちすえ蹴り飛ばす志狼が声を張り上げ、彼の隣で一撃のもとに賊の喉笛を真一文字に切り裂く朱王は、飛び散る血飛沫で頬や手元が汚れるのも構わず志狼の後を追って床を蹴る。


 淡い蝋燭の光、その中で繰り広げられる惨劇は、まるで見世物小屋の無惨絵巻のようだ。

奥からは都筑と高橋、そして入り口側から朱王と志狼に挟まれて、源五郎らは蔵の真ん中にジリジリ追い込まれる。


 匕首を握る手には筋が浮かび、小刻みに震える足元には目映いばかりに輝く小判が転がり源五郎とその手下が後ずさる度にチャリンチャリンと涼やかな音が鳴った。


 「もう逃げられんぞ。観念しろ」


 腰の太刀に手をかけながら都筑が口を開く。

すると源五郎は分厚い唇を奇妙な、歪んだ笑みの形に変え、その手から匕首を取り落とす。

これで終わりか、この場にいた全員がそう思っただろう、次の瞬間、源五郎の左手、つまり匕首を持っていた手と反対側の手が、手刀よろしく斜めに宙を裂いたのだ。


 「な、っ……うぉぉぉっ!?」


 「うわっ!? わぁぁぁぁッ!」


 源五郎の正面に立つ都筑と高橋は、ほぼ同時に引き攣った悲鳴を迸らせ、両目を押さえてその場に踞る。


 突然の事に何が起こったのかなど全くわからない。

朱王と志狼、しかし目にしみるような刺激と微かな異臭を感じた志狼は、思いきり朱王の胸を突き飛ばしてその場から離れさせ、彼の背後にいた海華に『ここから出ろ!』と叫ぶ。

その間に、源五郎らは都筑と高橋を飛び越えて

脱兎の如く外へと走った。


 「志狼さんッ!」


 「来るな海華! 朱王さんも、早く外に出ろ、いいからこっちに来るんじゃねぇっ!」


 鬼気迫る表情を見せる志狼はその場で息を詰めると、両目を押さえたまま呻く都筑を半ば無理矢理引き立たせる。

高橋はといえば、額に脂汗をにじませ、目から涙をボロボロこぼして『痛い』と何度も呟いていた。


 そうこうしているうちに、源五郎達は行き掛けの駄賃とばかりに近場にある千両箱をいくつか抱え、蔵から逃げていく。

このままでは逃がしてなるものか! そんな思いが朱王と海華、二人の胸に沸き上がる。

朱王の手からは脇差しが、海華の手からは組紐にくくり付けられた銀の分銅が飛ぶ。


 薄闇を裂いて飛ぶ銀色をした二つの軌跡は、唸りを上げて源五郎、そして彼の隣を走る黒装束の一人を的確に捉えていた。


 真っ直ぐな軌跡を描き空を飛ぶ脇差しは、源五郎の右肩へドスッ!と重たい音を立てて突き刺さり、海華が放った分銅は源五郎の右側を走っていた男の背中を直撃する。


 「ギャッ!」


 「グェェ、ッッ……!」


  息が潰れたように詰まった悲鳴が上がり、二つの身体が前のめりに倒れ混み、それに巻き込まれたもう一人も、もんどりうって転がり、顔面を激しく地面に叩き付けてその場で動かなくなった。


 ドン! ガチャンッ! と三つの千両箱が地面にぶまち当たり、鼓膜が破れんばかりの金属的な響きと共に輝く小判が空を舞い、地面に落ちて辺りを黄金色に染め上げる。


 「よし、やった!」


 朱王にしては珍しい喜びを露にした呟き。

組紐を引き戻した海華はそれを袂にしまい込み、動かなくなった三人の賊を一瞥しながら朱王の袖を引っ張った。


 「兄様、高橋様達が……」


 海華の台詞に『あぁ』と短く答えて、朱王は踵を返す。

奥から聞こえた重なり合うの呻き、慌てて駆け戻った二人の目の前では、志狼が懸命に二人の介抱を行っていた。


 「志狼さん、都筑様と高橋様は……」


 「大丈夫だ。こりゃぁ唐辛子と山椒だな。都筑様、高橋様、石灰が混ざってないのが幸いでした」


 顔を覆った手拭いを涙鼻水でビッショリと濡らす二人は、兎よろしく真っ赤に充血させた目を何度も何度も瞬かせて志狼を凝視する。

彼が何を言っているのかサッパリわからない様子の二人。

しかしそれは、朱王と海華も同じようだ。


 「志狼さん、山椒が、何だって?」


 少しばかり困ったような面持ちで隣に片膝をついた朱王に、志狼は床に散らばっていた細かな木屑のようなものを指先に擦り付け、朱王の目の前にかざして見せた。


 「これの事だ。忍の使う目潰しだよ。唐辛子と山椒を粉にしたモンさ。死んだ親父は、これに石灰を混ぜてた。石灰ってなぁ、水をかけると熱くなるだろう? だから、慌てて水で目を洗うと死ぬような目に遭うんだぜ」


 『下手すりゃ目が潰れる』サラリと恐ろしげな事を言いながら、志狼は微かに口角を上げつつ侍二人に顔を向ける。


 「今回は、その心配はねぇようですから、お二人ともご安心を。顔を洗えば、多少痛みは和らぎますよ」


 どうやら命にも目玉にも別状はないようだ。

だが、いまだに焼ける痛みは続いているのだろう、二人は海華に付き添われ、よろめきながら店の裏手にある井戸へと向かっていった。









  江戸市中を荒らし回っていた盗賊一味は北町奉行所同心二人の手によって見事お縄にされた。


 香桜屋で起きた押し込みの一件は、明くる日の瓦版に大々的に書かれ、あっという間に巷へ広がる。


 源五郎一味は全員お縄になり、市中引き回しのうえ打ち首となる事は確実だろう。

瓦版を見た誰もがそう噂しあい、同時にたった二人で盗賊一味を成敗した同心……都筑と高橋は一躍時の人となり、二人の屋敷はこの数日絶え間無く客が出入りしお祭り騒ぎだ。


 「都筑、高橋この度はよくやった、お前達二人の大手柄だ」


 鬼だ熊だと恐れられる厳つい顔に満面の笑みを浮かべ、修一郎……いや、北町奉行は猪口の酒を一息にあおる。

恐縮しきったように身体を縮め『勿体ないお言葉で』と畳に額を擦り付ける二人の横では、桐野が上機嫌で海華の酌を受けていた。


  「私共の手柄などと滅相もございません」


 「本来ならば、朱王殿や志狼の手柄となるべきはず……。どうも手柄を独り占めしているようで、心苦しく……」


 修一郎の言葉をありがたく受けながら、やはり後ろめたい気持ちも残っているのだろう。

申し訳なさそうに俯いてしまう二人に、下座に座っていた朱王はゆっくりと首を横に降り、隣に座する志狼と軽く目配せをした。


 「都筑様、高橋様。私達の事はどうぞお気になさらずに。お二人のご協力があったからこそ、賊をお縄にできたのです」


 「朱王さんの言う通りです。そらに元々、俺達はあそこにいちゃぁいけねぇ存在でしたから」


 「そうですよ。お二人がいなきゃ解決できなかったんです。ねぇ、征さん、信さん?」


 ニコニコ笑いながら都筑らに顔を向ける海華、彼女が放った一言に、二人はひどく恥ずかしそうに頬を赤らめボリボリと頭を掻いた。


 「海華、失礼だぞ」


 そう低い声で告げ、横目で彼女を睨む朱王。

ちょこんと肩をそびやかし、『すみません』と小さく頭を下げる海華に、修一郎は大笑いしながら空になった猪口を差し出した。


 「征さんに信さん、か。まさかこの二人が商人に化けるなど考えもしなかったわ。桐野、お前よく思い付いたな」


 「なに、この二人なら上手く化けてくれると思ったまでだ。なかなかよい働きっぷりだと伽南先生も誉めておられたぞ」


 にこやかな笑みを絶やさずに猪口を傾ける桐野の言葉に、二人は耳で真っ赤にしながら口許を綻ばす。

彼は平助と都筑、そして高橋に香桜屋の使用人として潜入するように命じたのだ。

侍である自分達が、まさか『いらっしゃいまし』と町人に頭を下げる日が来ようとは……。

二人にとってはまさに青天の霹靂だったろう。


 「でも、一番感謝しなきゃならないのは伽南先生ですね」


 修一郎に酌をしながらの海華の台詞にその場にいた全員が大きく頷く。

賊をお縄にするため、どうか店を貸して欲しい、との修一郎の桐野の申し出を伽南は快く受けてくれたのだ。


 実質、店を仕切っている姉夫婦には猛反対されたようだが、伽南は彼らと店の者らを説得し、頭を下げてまで頼み込んでくれた。


 「金蔵まで使わせてもらえるとは思わなかった。朱王よ、悪いが、お前からも伽南殿によろしく伝えてくれ」


 「承知致しました。あぁ……修一郎様、一つ窺いたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」


 ふと何かを思い出したかのように、朱王は空になった猪口をお膳へと置く。


 「うむ、構わぬ。申してみろ」


 「はい、これからの平助と豆太の事についてなのですが……」


 『平助と豆太』二つの名前が朱王の口から出た途端、志狼と海華の顔色が一瞬で曇る。

彼らを気にしつつも、修一郎は眉間に皺を寄せて『うむ』と一言唸った。


 「あの二人の事か。俺も色々と考えたのだが……平助は泣かば無理矢理とは言え賊の引き込み役となったのだ、どんな理由があろうと、お咎め無しとはいかぬだろう」


 「当たり前に考えて源五郎と同罪、まぁ打ち首といったところか」


 顎の先を擦りつつ修一郎の後に続く桐野の台詞に、膝の上にあった志狼の手が強く握り締められる。

その隣では海華が今にも泣き出しそうな顔をして修一郎と桐野の顔を交互に見詰めた。


 「お待ちください修一郎様、打ち首なんて、そんな……。平助さんが死んでしまったら、豆太は独りぼっちに、天涯孤独になってしまいます。ですから……」


 「海華止めろ。修一郎様にもお立場があるんだ。お前が口を出せる問題じゃない」


  朱王の口から厳しい咎めの言葉が飛び、海華は唇を噛み締めたまま俯いてしまう。

確かに朱王の言う通り、平助は蛮行の片棒を担いだ下手人だ。

しかし豆太のたった一人の父親、肉親であることも、また事実である。

平助のためではない、まだ幼い豆太のために、何としても平助を助けてやりたかった。


 「よいよい朱王、海華とて悪気があっての事ではない。それに海華の気持ちも充分に分かる。俺とて、あんな幼子から父親を奪いたくはない。そこでだ、お前達に一つ相談がある」


 何やら意味深な発言をした修一郎は、まるで内緒話をするかのように声を潜め、自分の近くに来るように海華を手招く。


 いったい何の話だろうか、そう思いつつ恐る恐る立ち上がった海華は元より、志狼や朱王までもが緊張の面持ちで修一郎を凝視していた。

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