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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十四章 葛ノ葉の奸計
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第四話

 「―― あの兄妹、やっぱり葛ノ葉の一味なんだろうか」


 朱王の隣を歩く志狼が発した呟きは、人混みのざわめきに掻き消されて朱王の耳には届かない。

眉を寄せ、厳しい面持ちで人の波を避けて歩く朱王について向かうのは、海華が待つ錦屋だ。


 幸太郎の後を追って橋の下まで来たはいいものの、得られた情報はそう多くなかった。

あの薬売りが幸太郎の仲間か、唯の友人かもわからない。

何かを手渡した様子もなければ長く話していた様子もないのだ。

たった一瞬顔を合わせただけでどれ程の情報が得られるのか? 得られたとしても、そう多くはないだろう。


 これから自分達の身に一体何が降り掛かるのか……その予測もつかない事が一番の不安だった。

江戸の中でも一、二の賑わいを見せる日本橋、そこに暖簾を掲げる錦屋は、今日も数多の客で賑わい、使用人達も客の対応に忙しく動き回っている。

そんな中から一人の丁稚を呼び止め、女将を呼んでもらうように頼んだ朱王は、商売の邪魔にならないようにと店の片隅に佇み女将を待つ。

顔見知りの女中が何人か、にこやかな笑顔を向けて会釈してくるのを同じく微笑みで返しながらしばし待っていると、 店の奥から丁稚に連れられ女将が姿を表した。


 彼女にとって朱王は贔屓客以上の上客だ、丸くふくよかな顔に満面の笑みを浮かべて小走りにやってきた女将は、海華は今、厠に行っていると告げた。

そして、店はこんなに混んでいる、慌しい中で待たせるのは申し訳ないから、として店の裏手にある母家の前で待つようにと言った。

確かに、反物の品定めもせずにボーっと突っ立っているのはおかしい、そう朱王も思ったのであろう、朱王は女将の言葉を受けて女将に丁寧に礼を述べ、志狼と共に母家へ向かった。


 騒々しい店の仲とはうって変わり、母家は静かなものだ。

家人は揃って店に出ているため、建物の中はシンと静まり返っている。

何をするでもなく玄関前に立ち海華を待つ二人。

すると間もなくカラカラと小気味よい音を立てて玄関が開き、海華が顔を覗かせた。


 「あ、お帰りなさい」


 「ただいま、待たせてすまん」


 そう言って海華を出迎えた朱王の横から、志狼がひょいと顔を覗かせる。

彼の顔を見て、海華は口元から八重歯を覗かせた。


 「志狼さんも、おかえりなさい」


 「あぁ、何も変わりはなかったか?」


 「うん、大丈夫よ。何もなかったわ」


 玄関を後ろ手に閉めて、彼女は先を急ぐように彼の手を引っ張った。


 「帰りにね、お夕飯の買い物がしたいの。今日は兄様にも作っていくわ」


 「いいのか? 時間は?」


 「まだ充分時間はあるわよ。だから、早く行きましょう」


 『早く早く』そう二人を急かして母屋の門を潜った海華。

彼女に連れられ門を出た二人は、買い物に付き合うべく道を歩き出す。

賑やかな通り、風で揺れる色とりどりの暖簾が三人の目を楽しませる、賑やかな大通り。

通りを行き交う人の波、老若男女数多の人々のざわめきで埋め尽くされた通りには、大きな荷物を山と積んだ荷車や大八車が店の脇や玄関前につき、丸太のように太い腕を持つ荷運び人夫達が片肌脱いで荷卸しに精を出していた。


 とある一軒の米問屋の店先でも、米俵を山と積んだ荷車が据え置かれ、頑丈な荒縄が幾重にも渡され米俵を固定している。

その傍では、番頭らしき男が熱心に俵の数を数えて帳面との数合わせをしていた。

この辺りならばよく見る光景、決して珍しい物ではない。

この日も、三人はいつもの通りその傍を通り過ぎようとした、その時だった。


 ぐらり、と天辺にある俵が緩慢に動く、それを合図としたように、俵を留めていた荒縄が一気に緩み、雪崩の如くに沢山の俵が三人の目掛けて落下したのだ。

『危ない』そう叫ぶ暇などない、帳面を持っていた番頭の背中に俵がぶち当たり、もんどりうって倒れた彼を俵が押し潰す。

一番近くを歩いていた朱王を潰すが如くに落ちた俵は、彼の足先寸前に落下しもうもうと土煙が上がる。


 一瞬遅れて辺りに響く絹を引き裂くような女の悲鳴と子供の金切り声、朱王の隣を歩いていた海華は、咄嗟に彼女の腕を思い切り引っ張った志狼に身体を抱えられて道の脇へと飛び退った。

自身の横に落下した俵に逃げ場を奪われた朱王は、ただ身体を丸めて頭を手で庇い、尻で地面を後ずさる。

もうもうと立ち込める土煙と俵が地面に激突する重い響き、恐る恐る薄目を開けた朱王の視界には、口や鼻から血を流し小さく呻く男と、その向こうで地面にへたり込み、呆然とこちらを見詰める志狼と海華の姿があった。


 白昼の日本橋は上を下への大騒ぎ、すぐに黒羽織の同心らが血相を変えて駆け付け、わらわらと集まる野次馬も込め問屋の周囲に黒山の人だかりを成す。

米俵の直撃を受けた番頭はすぐさま医者の元へ運ばれていったが、運ばれる際には苦しげに 呻いたこともあり、どうやら命はあったようだ。

朱王達は幸いなことに掠り傷と軽い打撲程度で済んだため、すぐその場から解放される事となったのだが、運の悪いことに駆け付けた同心の中には顔馴染み……つまり都築や高橋の姿が無いのだ。

彼らがいれば、どうして縄が切れたのか聞き出すのも容易なのである。


 下手に動いて怪しまれては元も子もない、おとなしく引き上げようと三人で話し合い、志狼は擦り剥いた足を引き摺り気味に、そして朱王は俵に挟まれた手を擦りながら人垣を掻き分けてその場を離れた三人はふらつきながらもなんとか中西長屋まで辿り着く。

もはや夕飯の買い物など悠長なことは言っていられない、唯一無傷に近かった海華は、男二人を部屋に残して自分は傷の手当てのため、水を汲みに井戸へと出掛けて行く。


 彼女が小桶を下げて部屋を出て行ったと同時、朱王と志狼はぐったりと畳へ横になった。


 「やれやれ、とんだ目に遭ったぜ」


 「本当だ。一歩間違えば命も危なかった。 ……なぁ、偶然だと思うか?」


 「いいや、思わねぇな」


 そうボソリと呟くきささくれた畳の上で寝返りを打った志狼は、部屋の隅にあった座布団を二枚引き寄せ、一枚を朱王に渡しつつ、もう一枚を折りたたみ己の頭の下に押し込んだ。


 「俺もチラッとしか見なかったが、俵を括ってた縄はかなり太かったぜ。多少解ほつれても簡単に切れるはずはねぇし、切れそうだったなら、縛る段階でわかるはずだ」


 「縛った後で、誰かが切れ込みを入れたなら別だがな」


 畳んだ座布団を枕代わりにした朱王も天井を見上げてそう言った。

どちらにしても、あの事故は自分達の命を狙った作為的なモノだと二人は考えている。

三人が巻き込まれたとの話をお琴が聞いたなら、『あの狐の絵が悪いのだ』と得意げに言い放つだろう。

はぁ、と小さく溜息をついた朱王が静かに目を閉じ、瞼の上に己の手の甲を軽く置いた時だった。

戸口を挟んだ表から、ガラリとどこかの部屋の戸が開けられる音が微かに響く。

そして、『あら、ちょうどよかったわ!』と、いささか甲高い海華の声が二人の耳に飛び込んできたのだ。


 「ちょうど良かった、お薬屋さん、痛み止めと傷薬を……あ、ちょっと! ねぇ、待って!」


 『お薬屋さん』と呼び掛ける海華の声と同時に、バタバタと急ぎ足で部屋の前を駆け去る足音が聞こえる。

思わず二人はその場から飛び起き、互いの顔を見合わせた。


 「おい、薬屋さんって……」


 「幸太郎と一緒にいた、あいつか!?」


 どうやらお互い考えていたことは同じのようだ。

革新のままに無言で頷く二人、すると自室の扉が静かに開き、不貞腐れた面持ちの海華が水を満たした小桶を手に戻ってきた。


 「もう、何なのよ。失礼しちゃうわ」


 ブツブツ文句を言いながら土間に桶を置いた海華に、四つん這いの状態で志狼が近付いた。


 「なんだ、どうかしたのか?」


 「うん、今ね、お琴さんの部屋から薬売りの人が出てきたの。ほら、幟もって薬箱背負った、あれよ。せっかくだから傷薬をもらおうと思って声を掛けたのね。そうしたら、その人凄く驚いた顔をして、あたしから逃げるみたいに走って行っちゃったのよ。なるで化け物を見たみたいにね」


 『本当酷いわ』そう言い捨ててまだ新しい手拭いを冷たい水に浸ける海華。

彼女の横顔を一瞥した志狼は、ゆっくりと朱王の方へ振り向き無言のままに頷く。

二人の推測が、確信に変わった瞬間であった。

朱王らが荷崩れに巻き込まれた、との話はあっという間に桐野の、そして修一郎の耳にも届く事となった。

この日の晩には血相を変えた二人が朱王の長屋を訪れたが、特に大きな怪我もない彼の姿を見てホッと胸を撫でおろす。

二人から聞いた話では、荷崩れの原因は括り付けていた縄が古く、荷車の端と強く擦れた事が原因で切れた、との事だった。

つまりは『事故』として処理されたようだ。


 桐野の口から志狼の合わせ絵の事は何も出てこなかった、どうやら志狼は今回の事を彼に話していないようだ。

勿論、修一郎とて今回の件を知る筈がない。

ここで余計な事を言ってしまっては、二人を更に心配しそして混乱させてしまうだろう、そう考えた朱王は合わせ絵の件も幸太郎兄妹の件も一切話さず、ただ迷惑を掛けてしまった詫びとわざわざ出向いてくれた事に対する礼を述べて、二人を丁重に見送った。


 事が動いたのは、その翌日の事である。


 この日も志狼と海華は長屋を訪れる事はなく、朱王は一人で飯を炊いて漬物を数切れおかずに湯漬けを啜る、と言ったなんとも侘しい朝餉を終えた。

そして使い終わった食器を……と言っても茶碗に小皿、箸くらいの者だが、それを重ねてその場から立ち上がろうとした時、戸口の向こうに人の気配を感じた彼はピタリと動きを止める。 すぐにコンコン、と小さく戸が叩かれ、『ごめ ん下さい』と透き通るような女の声が朱王の鼓膜へ届いた。


 「はい、どうぞ」


 「失礼します。朝早くにごめんなさい」


 丁寧な挨拶と共に戸口の向こうから姿を表したのは、濃い茜色の着物を纏ったお琴だった。

土間に立ち、軽く会釈する彼女の顔を見て、朱王はあからさまに表情を曇らせる。


 「まだ、何か御用ですか?」


 知らず知らずのうちに言葉にも刺々しさが出てしまう。

紅を塗った唇を一度噛み締めたお琴は、苦笑いしながら朱王に向かい小首を傾げて見せた。


 「嫌だわ、朱王さん。そんな怖い顔で……今日は、昨日のお見舞いをしにきましたの。それと、あの合わせ絵の事で、お狐様から新たなご神託を受けたので、それを伝えに。―― 上がってもよろしいかしら?」


 ニコ、と小さく微笑む彼女を取り敢えず部屋に上げ、茶碗を無造作にかまどの脇へと置いた朱王。

彼の正面に正座したお琴は、まず昨日あった事故の見舞を述べ、お大事にと軽く頭を下げる。

硬い表情のまま頭を下げた朱王は、次に彼女の口からどんな言葉が飛び出すのか、固唾を飲んで待った。


 「それから……先日、朱王さん達にお話しした件、狐の絵についてですが、昨日、お狐様が私の夢に現れました。とても恐ろしいお顔をしていらっしゃいましたわ」


 狐如きの怖い顔とは一体どの程度のモノか、実際お目に掛かりたい。

心の中でそんな悪態をつきつつ、朱王はお琴を威嚇するように胸の前で腕を組む。

厳しい表情の彼に臆することなく、お琴は更に唇を動かした。


 「志狼さんが持たれているあの合わせ絵は、確かに不幸を呼び寄せる物です。このまま身に着けていては、いつか命までを失う。手放すのが最良の方法だと言うのは、先日お話しした通りです。

ですが、お狐様はアレを完全に手放す必要はない、ひと月の間、護摩焚きを行えばあの絵に憑いた邪念や悪霊は必ずや退散するだろう、あの絵も、ただの絵に戻る、と」


 「……つまり、護摩焚きが終わった後は、あの合わせ絵を志狼に返してもらえる、と?」


 「そうです、ですからひと月の間、あの絵をあたしに預からせて下さい。あたしが責任を持ってあの絵の供養を行います。そして必ず、志狼さんに返して差し上げますわ。ですから……朱王さんの方から、志狼さんにお話しして頂けないでしょうか? また、昨日のような事故に遭う前に」


 そう言い置き、じっと朱王を見詰めるお琴。

彼女の膝に置かれた手がきつく握り締められる。

円らな瞳から生まれる鋭い眼光、それを真正面から受け止めて、朱王はさきほどの彼女と同じく、きつく唇を噛み締めた。






 お琴が朱王の部屋を訪れてから三日後の夕暮れ、彼女の姿は小高橋の下にあった。

普段より人通りの少ない橋は、逢魔が時という事も関係するのか今は全く人の通りはない。

先日、朱王が訪れた時より水量が少ない川は、上流から流れてきただろうたくさんの紅葉の葉っぱが流れ、それはさしずめ川と言う反物に散りばめられた艶やかな模様のようだ。


 誰かを待っているのだろうか、そわそわと落ち着きなく辺りを見渡すお琴、彼女の纏う茜色の着物が、西の空に傾きかける夕日の橙に同化していく。

柔らかく吹き抜ける風は肌寒く、小さく肩を竦めたお琴は小さな溜息をついて手を着物の袖に引っ込めた。


 「お琴さん、、待たせたな」


 川面へ向いていたお琴の背後に、にゅっと一つの人影が現れ、抑揚のない声で彼女の背中に声を掛ける。

彼女は驚いた様子もなく、ニンマリと紅を塗った唇を笑みの形に歪めてゆっくり踵を返した。


 「こんにちは志狼さん」


 小さく会釈してニコリと笑う彼女に、人影が静かに近付いていく。

斜めに射し込む夕日が漆黒だった影の顔を鋭く照らし、癖に付いた髪の先で光が弾けた。


 「やっと決心がつきましたか?」


 「あぁ。これ以上、怪我人を増やすわけにはいかねぇからな。」


 表情の見えない顔でそう言った影、志狼はおもむろに藍色の着流しの胸元をまさぐり首から下げた古い御守袋を引っ張り出す。


 「本当に、預かるだけなんだな? 時期が来れば、いずれ……」


 「はい、必ず絵はお返しします。お母様の大 切な形見ですものねぇ。さぁ、早くそれをこちらに」


 有無を言わせぬ様子で志狼へと近付き、右手を差し出す。

志狼は下げていた御守袋ごと合わせ絵を彼女へと渡した。


 「わかってもらえて嬉しいわ志狼さん。これであなたも海華さんも大丈夫。もう怪我をする事も、危ない目に遭う事もないでしょう。…… 念のため、中を改めさせて下さいね」


 微笑みを絶やさぬお琴は、細い指先で御守袋の口を緩め中から例の合わせ絵を摘まみ出す。

それを目にした瞬間、今までの笑みは一変し、彼女は細く整えた眉毛を吊り上げ志狼を睨み付けた。


 「志狼さん、あなた……あたしを馬鹿にしているの? これは、あの合わせ絵ではないわ」


 迫りくる夕暮れの中でも、怒りに歪む彼女の顔がハッキリと見える。

無表情だった志狼の目が、スッと細められた。


 「よくわかるじゃねぇか。それが違うって、どうしてわかる? てめぇにゃ一度も合わせ絵を見せた事はねぇんだ。なのに……それが違う絵だと、どうしてわかるんだ!?」


 志狼の声に激しい怒気が混じる。

そう、彼女は一度も志狼が持っている合わせ絵を手に取った事はない。

御守袋にすっぽり入ってしまう大きさのそれは、遠目からでは絵柄まで詳細にわからないのだ。

なのに、お琴は今手にしている絵は違うと言い切った。

一瞬にして緊迫した空気に包まれる河原、お琴の指先から、小さな板切れが彼女の足元へポロリと落ちた。


 「あんた、あたしを嵌めたのかい?」


 低く押し殺した声が彼女の赤い唇から漏れる。

ジャリ、と河原の石を踏み締める音と共に、お琴は御守袋も足元に投げ捨てつつ一歩後ろに後ずさった。


 「それはこっちの台詞だ、邪念だ祟りだと、どの口が言いやがった!? てめぇは最初からこの合わせ絵が目的だったんだろうがッ! この……葛ノ葉の雌狐ッッ!」


 「減らず口は大概にしておくんだな」


 川面を渡る風に乗って突如響いた野太い男の声。

全身が粟立つのをはっきりと感じながら、志狼はその場から動けないでいた。

今、自分の目にはお琴の姿しかいない、それ以外人の気配もしない筈だった。

しかし男の声は自分の背後、それもかなり近い位置から聞こえたのだ、これは幻聴などではない。


 「片輪の恥晒しに、女狐呼ばわりされるたぁ、心外だ。そうだろう琴音?」


 聞き覚えのない名前を口にしながら、男の声は次第に志狼へ近付いてくる。

足音などない、気配すら感じない。

その場に縫い付けられたように立ち尽くす志狼の視界の端で、夕闇が生み出した漆黒から二つの人影が生まれ落ちた。


 志狼のすぐ隣で歩みを止めた大柄な影は、頭の天辺から足の先までを黒装束で包み、唯一のぞく目元より射抜くような眼差しを向けてくる。

そして、彼の右隣りには同じく漆黒の装束で身を固めた小柄な人物が立ち、志狼の喉元へ煌めく忍刀の切先を突き付けた。


 「あれほど忠告してやったと言うのに、やはり出来損ないは出来損ないだ」


 「はい、本当に……。ですが康二郎様、この男から合わせ絵の在り処を聞き出さない事には」


 妙に色気を含ませた声色で言ったお琴……いや、琴音に、大柄な影が無言で頷く。

きっと、この男は幸太郎と称して自分達に近付いた男だろう、そして、二人の雰囲気を見る限り彼らは実の兄妹ではない。

少しでも肌に触れれば皮膚が裂けてしまうだろう、それほどに鋭い切先に気を取られながらも志狼はニヤリと口角をつり上げた。


 「どうした? なにがおかしい?」


 「いや……ここで素直に絵の在り処を喋っちまえば、命ばかりは助けてくれんのか? と思っただけだ」


 「へッ、どうせ女房か、あの人形屋のとこにあるんだろうが」


 左隣に立つ小柄な、くぐもった声だが聞いた限り男だろう、彼から零れた台詞に志狼は微かに眉根を寄せて笑う。


 「俺もそこまで単純じゃねぇやな。俺以外、だぁれも知らねぇ所に隠してある。俺が死んだら……探すのは難儀だぜ?」


 こいつらは確実に合わせ絵を手に入れなけれ ば自分を殺さない、志狼にはそんな確信があった。

なぜなら、自分が死ねばすぐに桐野が、そして奉行所が動くだろう。

そうなれば、彼らは江戸から出るのにも一苦労なのだ。

しかし、合わせ絵を手に入れたその瞬間に、彼らは何の迷いもなく自分を殺す。

『葛ノ葉の恥は消せ』合わせ絵の強奪と同じくらい重要な彼らの使命なのだ。


 引き攣った笑みを漏らす志狼を怪訝な面持ちで眺める琴音。

すると、康二郎は滑るような足取りで志狼の傍から離れて彼女を傍らへ呼び、二人揃って真正面から志狼と対峙した。


 「そうだな、これ以上手間を掛けさせられるのは適わん。素直に喋れば、命だけは許してやる」


 『この大嘘つきめ!』そう罵倒したいのをグッと堪えて、志狼は一度生唾を飲み込む。


 「そうかい、そりゃ有り難てぇや。俺も、本音を言やぁ親の形見より自分の命が大切なんだ。どれ、隠し場所を描いた地図でもやろう。 ―― おい、てめぇいい加減にその物騒なモンを下ろしやがれ」


 ジロリと左隣にいる男を睨み付けて、ドスの効いた低い声色を出す志狼。

どうするか、と様子を窺うように康二郎と琴音に視線を向ける。

康二郎が『下ろせ』と言うように小さく頷き、男はやっと志狼に突き付けていた凶器を下ろした。


 「やれやれ、やっと落ち着いて話が出来るってもんだ」


 大きく息をついてそう言いながら、志狼はおもむろに右手を懐へと突っ込む。

その動きを警戒したのか、男は再び忍刀を志狼の顔に付き付けようとし、康二郎と琴音も厳しい視線を志狼に投げてサッと身構える。

正に一触即発、しかし志狼だけは表情を緩めたままだった。


 「だから、そう殺気立つな、見てもわかる通りこっちは丸腰だ。おかしな真似はしねぇさ。 ――ただ、俺はたまぁに……」


 ニヤ、と白い歯を覗かせた志狼は勢いよく懐から右手を引き抜くや否や、電光石火の勢いで左隣の男の目元に開いた右手を力一杯押し付ける。

突然の事に、忍刀を持ったままの男は逃げる事も出来なかった。


 「たまに、突拍子もねぇことをするんだよ!」


 そう叫んで、男の目を完全に塞ぐように右手のひらをグリグリ擦り付ける志狼。

一瞬の沈黙、次の瞬間、目を塞がれた男は夕闇の空を引き裂くような絶叫を張り上げて、忍刀を宙高く放り投げた。

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