第六話
「面を上げよ。そなたの顔を、もう一度よく見せて欲しい。そこの二人も、だ」
そう言われ、再び上がる朱王らの顔を、孝俊はじっと、いや、穴が開くほど見詰め、口内で何かを呟くようにモゴモゴ口を蠢かす。
「そなた……朱王と申したな? 私は確かにそなたを知っている。 そうだ、私は……ひどく寒くて、一寸先も見えないくらい暗い所にいた。とにかく寒くて、一人ではどうにもできなかった、もう死ぬのではないか、そう思った時に目の前が急に真っ白に弾けて……」
『その光のなかに、お前がいた』
そう口にして、孝俊は何かを確信したかのように大きく頷きながら海華へ、そして志狼へと視線を移す。
「そうだ、思い出したぞ……! 志狼、そなたの作る味噌汁は絶品だった。それに海華、そなたは私の着物を洗い、傷の手当てもしてくれた」
「あぁ、良かった! 覚えていて頂けた!」
感極まって喜び一色に染まった声で叫んだ海華は、慌てて口を両手で押さえ、顔を赤くして小さく頭を下げる。
そんな彼女の様子を見て、孝俊は楽しげに声を上げて笑う。
それは、先刻まで子供達に向けていた天真爛漫な笑みと同じだった。
「一時はどうなる事かと思ったが、どうやら収まるところに収まったようだ」
小石川からの帰り道、桐野が感慨深げに呟く。
それに同調するよう頷いた朱王、その後ろでは始終笑みを絶やさない海華が隣を歩く志狼と何やら言葉を交わしている。
無事に記憶が戻った孝俊は頭の怪我が治り次第、早々に羽出へと発つ事となった。
が、頭を強かに打っているため、念のために今日一日は小石川へ留まる事になったのだ。
「孝俊様がいなくなっちゃうなんて、何だか寂しいわね」
「まぁな、だが、あの方にはこれから大事な仕事が待ってるんだ。何時までも江戸に留まってる訳にゃいかねぇさ」
今にも白いものがちらつきそうな鉛色の空を見上げて志狼が言う。
彼の言葉通り、出羽には、そして久保田藩には孝俊の帰りを待っている者が大勢いるのだ。
『お土産には何をお渡ししたらいいかしら?』 頬に手を当て、小首を傾げながら海華が呟く。
その台詞を耳にした途端、彼女の前を歩いてい た朱王の眉毛がピクリと跳ねた。
「お渡しで思い出したのですが、桐野様、少しお話ししたい事があるのですが……よろしいでしょうか?」
急に低く変わった朱王の声に、桐野は目を何度か瞬かせて足を止める。
幸か不幸か、小石川から八丁堀へと続くこの裏道には、彼ら以外に数人の人影しかなかった。
「話したい事とは、なんだ?」
「はい、私がこう申しますのはまことに心苦しい……いえ、差し出がましいとは存じますが……海華に、あまり物騒な物を渡すのは、いかがなものかと」
道の片側に佇み、桐野へ深く頭を下げながら告げる朱王。
彼の台詞を聞いた途端、海華の顔からみるみるうちに血の気が引き、兄から逃げるように志狼の背後に隠れてしまった。
「なに、物騒な物だと? はて……海華にそんな物を渡した覚えはないが?」
怪訝そうな顔をして考え込む桐野。
彼の様子、そして性格からして誤魔化しているのではない。
静かに顔を上げた朱王は、眉間に微かなシワを寄せ、志狼の背後で身を縮ませる海華へ視線を投げた。
「組紐、先の件でございます。畏れながら……海華は先端を桐野様から頂いた、と申しておりますもので」
海華に限って嘘を言う筈はない。
いや、こんな大それた嘘をつくなど考えられなかった。
朱王の言葉に一瞬キョトンとした表情を作る桐野だったが、やがて何かを思い出したように軽く手を打ち、首を大きく縦に振った。
「あぁ、あれか。すまんすまん、忘れていたわ」
「―― そうしますと、あれは確かに桐野様が?」
「あぁ、そうだ。あれは確かに儂が刀鍛冶に特別に造らせ、海華に渡したものだ。間違いない」
あっさりと自分が渡した事を認めた桐野は、 苦笑いしながら『お主に話すのを忘れていた』 とすまなそうに言う。
道端に立ち、事の次第を話し出す桐野へ、三人の視線が集中した。
「先に言っておくが、あれは私が勝手にやっ たものだ。海華は決して悪くはない」
そう口にして、桐野は海華へ向かい『今、あれを持っているか?』と聞く。
懐をまさぐった海華は、先日朱王に差し出した紅い組紐を彼へ渡した。
海華の最大の武器とも言えるだろうそれの先には、鋭く研ぎ澄まされた銀色の槍先が結び付けられている、はずだった。
が、今は違う。
深紅に染められた絹紐の先で輝いているのは、守り袋ほどの大きさがある銀色をした金属の塊だった。
鎖鎌の先についている分銅、とでも言えばよいだろうか、ちょうど海華の手のひらにスッポリ収まる大きさのそれの表面には、大輪の牡丹の絵柄が彫り込まれ、見方を変えれば繊細な細工物の帯留めのようだ。
桐野がこれを海華に渡したのは、志狼の異母兄妹の襲撃を受けたすぐ後の事だった。
「もうかなり前の事だったが、海華がこれを使うのを見た。その次が志狼の弟が現れた時だ。率直に、いい腕だと思った」
手のひらの上で金属の塊を転がしながら桐野が言う。
しかし、朱王にとってはとても納得できる説明でないのは確かだ。
「桐野様、確かに海華はコレを操るにかけては誰にも負けません。それは私も認めます。しかし、既に嫁いだ身となった今、もうこんな物は……人を殺めるような道具は必要ありません。いや、もう持つべきではない、私はそう思っているのです」
真剣な眼差しを桐野へと送る朱王は、そうキッパリ言い切る。
志狼の妻となった今、海華には平凡な女としての幸せを、ごく当たり前の幸せな暮らしをさせてやりたいのだ。
「朱王、それは儂も同じだ」
「では、なぜ!? なぜこのような物を……!」
桐野が何を考えているのか皆目検討がつかず、無意識に朱王は声を荒らげる。
兄と主のやり取りを固唾を飲んで見守っていた 海華は、志狼の手を力一杯握り締めていた。
「これは、『殺めるための道具』ではない。 『守るための道具』だ」
そう言いながら真っ直ぐに朱王を見詰め、桐野は手にしていた組紐を朱王へ差し出す。
反射的に手を伸ばし、それを受け取った朱王の目が、次の瞬間驚いたように見開かれた。
「これ、は……どうして? なぜ、こんなに軽いんだ……? 」
驚き、そして狼狽えながら組紐をきつく握る朱王、その手の中にある金属の塊は、以前った槍先の半分ほどの重さしかなかった。
一見すれば、鉄か銀の塊に見えるそれは、金属特有の冷たさと輝きを朱王の手のひらで放つ。
言葉を失ってしまった彼を見兼ねてか、志狼の手を握っていた海華が、おずおずと唇を動かした。
「兄様、それね……中が空洞なの」
「空洞?」
「そう。空っぽなのよ。鋼を叩いて叩いてうんと薄くして、それに銀を張り付けたんですって。だから、力を込めてぶつけない限り、怪我だけで済むの」
上目使いで下から見上げる海華は、不安一杯の様子で胸の前できつく両手を握っている。
そんな彼女から桐野へと視線を移したと同時、桐野は朱王の手から素早く組紐を取り去った。
「今、海華が言った通りだ。先日の下手人も、頭を割る大怪我は負ったが命だけは取り留めた。あの槍先は、儂が海華から預かっておる」
『もう日の目を見ることはないだろう』そう付け加えた桐野は組紐を海華へと手渡す。
相手を足止めし、動けぬ程度の怪我だけを追わせる。
謂わば護身用の武器とも言えるだろう。
槍先と違い、必要以上に人の命を奪わないだけマシと考えていいのだろうか……。
様々な考えが頭のなかを駆け巡る。
しかし、朱王は未だ釈然としない様子であった。
「どうやら、まだ納得できぬようだな?」
険しい表情を崩さない朱王を前に、桐野が、フッと唇を緩める。
「わかった、お主が納得するまでとことん話し合おうではないか。志狼、海華を連れて先に戻っておれ」
顔だけを向けて桐野が言う。
一瞬、何かを言いたげに口を開いた志狼だったが、彼の視線から何かを感じ取ったのだろうか、再び口を固く結び首を縦に振った。
「承知、いたしました。海華、行くぞ」
「え……でも……」
「いいから、後は旦那様にお任せするんだ」
朱王と志狼を交互に見遣り、困りきった面持ちでこの場を去るのを渋る海華だったが、志狼は半ば強引に彼女の手を引き、足早に立ち去っていく。
二人の後ろ姿が小さくなったのを見届けた朱王は、厳しい面持ちのまま桐野に向かい合った。
「もう一度、お尋ねします。これを……これを造られた理由を、お教えください。ただ、海華の腕がいいから、だけではないはずです。桐野様が、そのような簡単な理由だけでこのような物を海華に渡すはずがありません」
自分の言葉が確信なのか、願望なの朱王自身にもわからない。
もし、腕がいいから、だけで彼がこの凶器を海華に渡したのなら、朱王は心底桐野を恨むだろう。
「お前が言う通り、その程度の理由ではない。実を言うとな朱王、海華はあれを手放すか迷っているのだと儂に相談しに来たのだ」
その日の事を思い出すかのように、桐野は遥か水平線の彼方へ目を遣る。
海華が志狼の目を忍んで桐野の自室にやって来たのは、木々が赤く色付く秋の始まりの事だった……。
あれは夜も大分更けた頃だ。
自室で一人、書物の整理をしていた桐野を尋ねてきた海華は、いつになく深刻そうな面持ちをみせる。
志狼と喧嘩でもしたのか、そう問うと彼女は黙って首を振り、無言のままこの組紐を差し出したのだ。
「これはもう使わない、そう朱王、お前と約束したが、約束を破ってしまった。これ以上、もう人殺しを繰り返す訳にはいかない。これを手放したいが、これからの事が不安でならない、と。海華は申したのだ」
「これからの事が不安、って……なにがそんなに不安なのです? 海華の傍には桐野様や志狼さんがおります。万が一の事があれば、私だって……」
「そう、儂も始めはそう言った。また、命を狙われるような事があっても、儂や志狼がいる、必ず守ってやるからお前は何も心配するな、とな。だが、海華はそれが心苦しいのだと言うのだ」
武器を捨てた女が一人、敵を相手に何ができるだろう。
もし、自分を助けたがために桐野や志狼が怪我を負ったら……いや、命を落としでもしたら……そう考えると、組紐を手放す決心がつかない。
そう言って、海華は涙を流したのだ。
「自分の身は自分で守りたい、儂や志狼の足手まといにはなりたくない。海華はそう考えているのだ」
『海華らしい』そう口にして、桐野は口角を上げる。 しかし、朱王は相変わらず厳しい表情を崩さないまま、きつく唇を噛み締めた。
「余計なことを考えるな、物騒な物は早くこっちに渡せ。そう言えたなら、どんなに楽だったか。しかしそれでは海華の気持ちをまるっきり無視した事になる。そうだろう、朱王?」
「は、い……」
「だから儂は考えたのだ。人を殺めず、ただ身を守るための物は出来ないか、と。そうして出来たのが、あれだ」
海華でも扱える、使い慣れた形の武器。
考えた結果、槍先を付け替える、という結論に至ったのだ。
「あの組紐は、海華が桔梗殿から贈られた大切な物だ。できるなら、そのまま持たせてやりたかった。―― 朱王、お前は、儂が余計な事をした、と思っているだろう。もし、どうしても海華があれを持つのが許せない、と言うのなら、儂からもう一度……」
「―― いいえ。その必要はありません」
キッパリとした断りが朱王の口から放たれる。
それは怒りを含んだものではなく、何か決意を含ませた声色だった。
「桐野様の、お考えはわかりました。あれは、そのまま海華に持たせていてください」
ふぅ、と小さく息をついて、朱王は遥か西の空を仰ぐ。
「お前は、それでよいのか?」
「はい、構いません。今、私があれを海華から取り上げたところで、事は好転しないでしょう。逆に海華を泣かせて恨まれるだけです。あれは……誰に似たのか頑固ですので」
一度言い出したら聞かない、決めた事はテコでも曲げない、それが海華だ。
「もう、人は殺めない。そう海華が決めてくれた事だけでも、ほっとしました。ですが、これから何があるかはわかりません。桐野様、海華をどうぞ……」
『よろしくお願いいたします』そう言って、朱王は深々と頭を下げる。
うむ、と小さく頷いた桐野は、ぽんと軽く朱王の肩を叩いた。
「勿論だ。こちらから頭を下げてもらった大切な嫁だからな。どれ……一度、屋敷によってはくれぬか? 海華もきっと、心配しておるだろうに」
もしかしたら、今頃は志狼に泣き付いているかもしれない。
それを想像し、自然と朱王の唇が笑みの形を作り上げる。
『お言葉に甘えて、お邪魔させて頂きます』 そう答えて、朱王は先を行く桐野の後を追い掛け八丁堀へと急いだのだった。
隆俊一行が出羽に旅立つ日の朝は、清々しいを絵に描いたような晴天だった。
「長い間世話になった、感謝する」
旅支度を整え、足にはしっかり脚絆を巻いた隆俊は、両側に控える後藤、山崎共々、見送りに出た朱王達に向かい深く頭を下げる。
彼らにならい深々と一礼した朱王達。
ゆっくり頭を上げた海華の顔には、一抹の寂しさが宿っていた。
江戸から出羽まで、長い長い旅路。
あちらはきっと、雪深くなっていることだろう。
そう感慨深げに言った後藤の言葉が、朱王の耳に残る。
あまたの人が行き交う江戸の玄関、日本橋で大きく、何度も手を振りながら彼らと別れて既に三ヶ月余りが経とうとしていた。
相変わらず風は冷たく身を苛み、道のあちこちに溶けかかり、土気色に汚れた残雪が小山となっている。
あと少しだけ辛抱すれば麗らかな春が訪れる、そんな陽気の頃、ぬかるむ道を脱兎の如く駆け抜けて朱王の住まう長屋へ急ぐ海華の姿があった。
「兄様! 兄様! 大変よッッ!」
戸口を弾き飛ばさんばかりの勢いで室内に駆け込んできた海華は、泥の跳ねた足のまま室内へと駆け上がる。
しかし室内は空っぽ、朱王の姿はどこにもなかった。
「あ、ら……? 兄様どこ行ったのかしら?」
息を切らせながらポカンと口を半開きにし、ハァハァ荒い息をついて海華が室内を見渡していると、不意に背後から人の気配がする。
「なんだお前、きてたのか」
「う、わっ……! なんだ兄様、外にいたの?」
目を真ん丸にさせつつ後ろを振り返った海華。
そのあまりの慌てように、朱王は怪訝な面持ちで彼女を見た。
「まるで化け物にでも遭ったみたいだな? 何が大変なのか言う前に、まず足を拭け」
泥のこびり付いた海華の足に眉を潜めて、朱王は土間に置いてある小桶を指差す。
悪戯が見付かった子供よろしくペロリと舌を覗かせて、海華は一旦土間へ降りると小桶の中で雑巾を洗い、汚れた足をゴシゴシ拭き始める。
足を清めた海華は、雑巾を小桶に放り込むなり下駄を脱ぎ捨て畳へと跳ね上がった。
「今朝ね、お屋敷に隆俊様から荷物が届いたの」
大きな目をさらに大きく見開いて、海華は壁に凭れ掛かる朱王の正面に正座した。
「なに、隆俊様から? 」
思いもよらない彼女の言葉に、仕事道具の鑿の手入れを始めた朱王の手が止まる。
こくこくと頷いた海華は、寒さのために赤くなった手を擦りながら更に話しを続けた。
「そうなの。しかもね、荷車三台分よ? もう旦那様も志狼さんもビックリしちゃって……。中にお手紙が入っていてね、江戸で世話になったお礼だって。隆俊様ね、無事にお城に帰れたみたいなの。謀反を起こした家臣達も粗方追い出して、弟様も無事だったって」
「そうか、それは何よりだ。御礼の手紙書かなくてはならないな」
隆俊が無事に出羽へ到着し、藩内の騒動も治める事が出来た、それを知った朱王は心の底から安堵し、そして彼の心遣いに感謝した。
「それでね、今志狼さんが荷物の仕分けをしてるんだけど、なにせ量が半端じゃなく多いのよ。兄様に渡したい分もあるし、これからお屋敷まで来てくれないかしら?」
『お願い』とやや上目遣いで見上げてくる海華に、朱王は苦笑いしながらも首を縦に振る。
大量の荷物を仕分けるという大仕事を志狼一人に押し付けるわけにはいかない、承諾したなら急がねばと、朱王は早速出掛ける支度を始めだす。
久し振りに海華と二人肩を並べて歩く朱王の髪を、春の気配を含んだ風が優しく揺らして通り過ぎていく。 やがて到着した桐野の屋敷、正面の門を潜った 途端、朱王の目に飛び込んできたのは中庭から裏門にかけて、積まれた木箱や酒樽、そして筵包みにされた大小の荷物の山だった。
「―― 凄いな、これが全部か?」
「そうよ。一日掛かってもほどき切れないんじゃないかしら? 」
楽しげにそう話す海華は、志狼を探しに屋敷 の裏庭へと入って行く。
まだ茶色の枯れ草が辺りを覆う、殺風景な庭。
積まれた荷物の間から、白い布が太陽の光を受けて眩しく煌めいた。
「あ、いたいた! 志狼さん!」
「おう、海華帰ったか! ちょっとこっち来て見てみろよ。米に酒に……こっちは乾物だ。それに……反物も山ほどあるぜ。新しき着物、 好きなだけこしらえて……っと、朱王さん! 来てくれたのか」
酒樽と米俵の間から、志狼がひょこりと顔を出す。
おぅ、と片手を軽く上げて答えた朱王、そんな彼に荷物の山の間を縫うようにして近付いた志狼は懐から一通の文を取り出し、朱王へと差し出したのだった。
「隆俊様と、後藤様からの文だ。俺達と…… それから、寺子屋の子供達宛にな」
「そうか、子供達にまで。隆俊様もらしい。 優しい先生が急にいなくなって、皆、寂しがっていたからな」
口許に微かな笑みを浮かべながら朱王は差し出された文を受けとる。
隆俊が記憶を取り戻してから慌ただしい日が続き、子供達に充分な説明もできずに江戸を去る事になってしまった。
それを隆俊も心苦しく思っていたのだろう。
勿論、先生は出羽のお殿様だと説明できるはずもなく、朱王などは厠や用事足しに出掛ける度、長屋の子供らに囲まれて『先生はどこに行ったのか』と問い詰められる事が度々あったのだ。
これで子供達も納得してくれるだろう。
そう心の中で思いつつ、自分達宛の文を開く朱王の横では海華が頑丈な木箱に詰められた反物をあれやこれやと品定めし、これは旦那様に似合うだの、余所行きにちょうどいいだと、志狼と楽しげに話している。
その傍らで文を開いた朱王、白く柔らかな和紙にしたためられているのは皆が絶賛した流れるような美しい文字だった。
内容は命を助けられた事への礼と自分が無事城に戻れたこと、そして今度、父の跡を継いで城主となること、今回送った品々を桐野と朱王、中西長屋の住人らで分けて欲しい、と書かれていた。
そして、最後の差出人は……。
「柳 雪之助、か……」
そう呟いた朱王の唇が、小さな笑みを作り出す。
どうやら、隆俊は海華のつけた名前を気に入っているようだ。
「ねぇ、兄様」
鮮やかな茜色の反物を抱いた海華が、顔だけをこちらに向ける。
「なんだ?」
「隆俊様に、早くお返事書かなきゃね。素晴らしい物をたくさんありがとうございました……」
「子供達も大層喜んでおります。隆俊様も、弟様も、どうぞ御体にお気を付けて……ってな」
海華に続いて言った志狼は、その場から立ち上がり、ぐぅっと大きく伸びをする。
心遣いへの感謝と、自分達の近況、それに子供達の様子も記さなければ。
そんな事を考える朱王の頭の中には、隆俊のあの穏やかな笑顔が浮かんでいる。
いや、きっと海華や志狼も同じだろう。
久保田藩主となった小竹 隆俊が、出羽一番の名君として後世に名を残す事となるのを、三人はまだ知るよしもなかった……。
終




