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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第一章 桜花の待ち人
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第三話

「大の大人が子供に噛み殺された、か……」


 忠五郎を見送り、部屋へ戻った朱王が作業机に置いた人形の手を玩びつつ、ぽつりとこぼす。 何気無くこぼれたその台詞に、志狼の肩が小さく跳ねた。


「── 朱王さん、悪いこたぁ言わねぇ、もうあの場所、通らねぇ方がいいぜ」


 真剣な眼差しでこちらを見詰め忠五郎と同じやや低い声で志狼が告げる。そんな彼に向けられる朱王の眼差しは驚きを含み、次の瞬間呆れに変わる。


「ご忠告はありがたいが……志狼さん、幽霊ごときが人一人を噛み殺せると思うのか?」


「ああ、思う。今回ばかりはそう思う。 なぁ朱王さん、俺達が考えてる以上にさ、この世ってなぁ訳のわからねぇ物や不気味な物が、山ほどいると思うんだ。だから、幽霊や化け物だって……」


「志狼さん、人間死んだらそれで終わりだ。 幽霊だの化け物だの、そんな物は夢か見間違い、あんたの頭が作り出した、幻想の産物だよ」


 自らのこめかみをチョンとつつき、志狼の意見を一蹴する朱王。土間で汁物用の芋を剥いていた海華は、そんな朱王を眉を寄せ睨むような目付きで見遣った。


「兄様、志狼さんは兄様の事を心配してるのよ? そんな言い方することないじゃない」


「心配はありがたいさ。これが追い剥ぎだの辻斬りだのなら俺も素直に話しを聞く。だが、幽霊だぜ。しかも子供だ。大体な、俺は幽霊に殺される理由なんざ何もない」


 ふいとそっぽを向いて、朱王はそのまま机へ向かい人形を手に取る。そんな彼を見て海華は肩を落とし盛大な溜め息をついた。 こうなったら、もう彼は素直に話を聞いてはくれまい。海華は『どうしよう』と言わんばかりの表情で、包丁を持ったまま志狼を見る。そんな彼女の元へ近寄った志狼は、そっと耳許に唇を寄せた。


「おい、朱王さん、ああなったらもう譲らないだろ?」


「もう無理ね。人の言うことなんか聞きゃあしないんだから、あの頑固者」


 ひそひそと額を寄せ合わす二人を面白くなさそうに横目で眺める朱王の手中では、あと少しで完成するだろう人形がある。艶のないざんばら髪は柔らかな光沢を放つ漆黒の絹糸に植え替えられ、埃でくすんだ頬は丁寧に磨かれてほんのりとした紅色を取り戻していた。


 後は着物を着せ替える、仮組してある手足を本繋ぎするだけ、しかし依頼人は人形の完成を見る事なく、既に鬼籍の人となってしまった。


「あぁそうだ、海華、明後日は晩の支度はいらないからな」


 朱王がふと思い出したように海華へ声を掛ければ、土間に立つ二人の視線が向けられた。


「あら、どうして? どこか行くの?」


「源太郎さんの家だ。お悔やみついでに、人形をどうするのか聞いてくる」


 『どのみち代金はもらわなきゃならないしな』そう呟きつつ、その場から立ち上がる朱王は、そのまま海華らが立つ土間向かい、下駄を突っ掛ける。おもむろに戸口へ手を掛けようとする朱王の袖を海華は反射的に掴み、その場へ引き留めていた。


「ちょっと、どこ行くの?」


かわやだ、廁! いちいち聞くな!」


 掴まれた袖を振りほどき、不機嫌そのものの表情で戸を跳ね開けて、朱王は表へと出ていく。憮然とした面持ちで厠へ向かう朱王の背中に『好きにしなさいよ、この分からず屋ッ!』と、怒りをたっぷり含ませた海華の叫びがぶつけられた。









 さて、海華と志狼が長屋を訪れてから三日が経ったこの日、朱王は二人に告げていた通り人形の修繕を依頼した源太郎の家へ、人形持参で訪れた。源太郎の遺品となる人形でもあり、修繕代の請求もしなくては、材料代を朱王が被る事になる。なんやかんやと用事を済ませ、長屋を出たのは昼近く。 しかし、源太郎の家を出た……いや、出られたのは既に日がとっぷり暮れた頃だった。


 なぜこんなに時間がかかったのか、それは、人が三人集まれば、三通りの意見がある、こう述べるしかないだろう。源太郎の妻は、夫が質屋から人形を買い求めた事すら知らなかったようだ。いきなり形見と言われても、見たこともない薄気味悪い代物を持ち込まれても困る、但し、夫が依頼したなら代金は払う、そう言った。


 しかし息子は、こんなボロ人形にこれ以上金を払うつもりは毛頭ない、但し父親の形見と言うならこちらで引き取る、そう言って聞かないのだ。朱王にとっては、まず代金を払ってもらうのが先、妻と息子を前に説得に説得を重ね、どうにかこうにか代金を払う約束を取り付けた。が、結局人形は引き取ってもらえなかったのだ。


 『そちら様で適当に処分して下さい』


 そんな冷たい台詞と共に、半ば追い立てられる形で家を後にした時には、既に頭上は白い太陽と澄んだ青空から、満天の星空と糸のように細い三日月に変わっていた。まさか、こんな揉め事に発展するとは露ほども思っていなかった。疲れ切った身体をふらつかせ、とぼとぼ足を引き摺りつつ帰路につく朱王。昼間通った道を逆戻り、柔らかな夜風に髪をたなびかせ、ふと気が付けば、目の前を数えきれぬほどの白く、絹のように薄い花弁が舞っている。


 そう、そこは三日前、源太郎が無惨な骸と化した場所。千桜堂がひっそりと佇む、桜の大木がある場所だった。


 ひらり、ひらひらと宙を舞う花弁、人形を包んだ風呂敷包みに音もなく落ちるそれを手で払い、頭上を覆う花弁の塊を見上げ、深い深い溜め息をつく朱王は、不意に側に誰かがいるような気配を感じきょろきょろと辺りを見渡す。


 夜の帳が降りた道、辺りに人影はおろか犬や猫一匹いはしない。 しかし、その気配……いや、突き刺さるが如き 強烈な視線は、確実に朱王を捉えて離れない。今まで感じた事がない、胸が締め付けられるような言葉に現せない妙な胸騒ぎ。 ふ、と朱王が顔を左側、ちょうどお堂がある方向へ顔を向けた時だった。


 黒く小さな影となって浮かぶ朽ち掛けたお堂の陰から、白く小さな顔がはみ出ている。 無表情な、土気色に近い顔色の……小さな少女は光の無い両目を見開き、てらてらと赤く濡れ光る唇を張り裂けんばかりにつり上げて、身の毛もよだつ凄まじい笑みを作り出し、朱王へと投げ掛けた……。


 生気の無い視線と朱王の視線が闇でかち合う。その瞬間、足は地面に根が生えたように固まり、周囲の空気がピタリと動きを止めた。


 『みーつけたぁ……』


 耳許で囁かれるが如く鼓膜に響く嗄れ声に、朱王は身を跳ねさせる。あれはなんだ、そう考える暇すら与えられぬまま、その場に立ち尽くす朱王のへ向かい少女は枯れ木のように細く痩せ干からびた両腕を突き出した。


 足音も立てずにゆっくりと朱王へ歩み寄る少女。

 その全身がはっきりわかる位置まで来た途端、朱王はウッと息を飲む。薄い月明かりの中、闇に浮かぶ少女は身体中をどす黒い『赤』で染め抜いていたのだ。


 口許を濡らすのは、乾き掛け粘付ねばついた血潮、 白い着物の胸元や小さな手のひらにこびりつ くのも同じ生臭い死臭を放つ大量の血液だった。


 『それ、返して……』


 再び、すぐ近くで響く不気味な声、黄ばんだ歯を覗かせて、にたにた重たい笑顔を見せる少女は、朱王が抱えた風呂敷包みに血塗れの手を伸ばす。しかし、その指先は、まるで光の集まりで出来ているかのように簡単に包みをすり抜けてしまうのだ。


 『返して……ねぇ、お願い、返してちょうだい……』


 懇願ににた囁きを繰り返し、少女の手は何度も何度も風呂敷包みを掴もうともがく。 それを目の当たりにし、朱王は改めて今、目の前にいる少女がこの世の者ではないと確信する。五回、六回と、手は包みをすり抜ける。次第に少女の表情は徐々に険しいものへ変わっていく。


 薄い眉は限界までつり上がり、濡れた口元からは獣の如く鋭い歯を覗かせ、青白い瞳はみるみるうちに血走っていく。


 『返して……お願い返して、返して、返して、返して……それを、返せぇぇッッ!』


 ざらついた怒号が、頭の奥で爆発する。

 思考を激しく揺さぶる大音響に、思わず朱王の足元が揺らぐ。耳まで裂けた口、逆立つ針の髪、血濡れた鉄の爪を振りかざし、爛々(らんらん)と瞳を光らせる少女が、山猿の如き素早さで朱王へ飛び掛かった刹那、目も眩む程の閃光が化け物と化した少女の身体を貫いた。


 ぎゃっ! と甲高い悲鳴を迸らせて、少女の身体は閃光の彼方に消える。 網膜を焼く青白い光、反射的にきつく目を瞑り、渡すものかと固く包みをい抱き締めながら、朱王はその場に崩れ落ちる。固い地面に擦れる膝頭、皮が擦れる焼け付くような痛みだけが、鮮明に脳味噌に刻まれる。


 景色も音も消えた世界。遠ざかる意識を必死で繋ぎ止めるため、朱王の右手は己の左腕へ血がにじむほど強く、爪を突き立てていた。






 冷たい夜が過ぎ去り、黎明と共に朝が訪れる。


 朝告げ鳥の声に目覚め、眠気と共に感じる妙な気怠さに小さな舌打ちをして朱王は寝床から起き上がった。戸口から差し込み白く眩い陽光も、今だけはひどく鬱陶しく感じてしまい、朱王はもう一度舌打ちしノロノロと寝巻を脱ぎ始めた。


 もう数刻すれば、海華が朝餉の支度をしに来てくれる。しかし、彼には海華の到着を待っている余裕はなかった。見苦しくない程度に身支度を整え、早々に長屋を出た朱王の手には小さな風呂敷包みが一つ持たれている。


 朝から商売に精を出す、ぼて振りの横を抜けて朱王が向かったのは八丁堀の桐野邸だ。朱王にとっては寝起きだが、屋敷の主である桐野は既に奉行所へと向かっている時分だろう。どうか彼と鉢合わせする事がないように、それだけを願いながら朱王は屋敷の裏玄関へ向かった。


『ごめんください』そう掠れた声を掛ければ、すぐに奥からパタパタと軽い足音が響く。磨き上げられた廊下を小走りにやってきたのは、藍色の前掛けを締めた海華だった。突然の訪問者に驚き、目を真ん丸に見開いてこちらを見詰めてくる彼女の視線から逃れるように顔を背けた途端、再び廊下の奥から足音が聞え手拭いを右手にぶら下げた志狼が姿を現す。


「朱王さん……何か、あったのか?」


 玄関に立つ朱王を一目見た瞬間、志狼の口からそんな問いが漏れた。単刀直入な問いに、朱王も素直に頷いて見せる。


「ああ、あった。どこから話せばいいのかわからんが……とにかく昨日、殺されそうになった」


 何をどう説明すればよいのか、咄嗟に判断が付かなかったのだろう。『殺されそうになった』朝一番で聞くには物騒すぎる台詞に、海華と志狼は顔を見合わせ何かを確信したかのように大きく頷く。


「兄様、夕べあの道通ったのね?」


 眉をひそませる海華、彼女の声には僅かに棘が混ざっているようだ。


「通った。源太郎さんの家から帰る途中にな」


「そこで、何かに会ったのか? 例えば 幽……」


 そこまで言いかけ、志狼は急に口籠る。 また幽霊などと言おうものなら、鼻で笑われる。きっとそう思ったのだろう。しかし、朱王は表情を強張らせたまま首を縦に振ったのだ。


「幽霊と言われれば……そうなんだろう。あれは、生きた人間じゃなかった」


「と、取り敢えず、上がってくれ。話しは向こうでゆっくり聞くからよ」


 朱王の口から幽霊を肯定するような台詞が飛び出た事によほど驚いたのだろう、驚きと戸惑いを隠せない様子の志狼に促されて客間へ向かった朱王は、自分の持っている風呂敷包みに海華の視線が注がれているのを薄々感じていた。


 客間に通され、慌てて茶の支度をしようとする志狼と海華を呼び止めて、持参した包みを無言のまま開き出す。風呂敷が揺れるに合わせ、ふわりと何かが、しいて言うなら魚の焦げたような臭いが漂った。


「ねぇ兄様、これ……」


「いいから、黙って見てみろ」


 海華の言葉を押し止め、ばさりと勢いを付けて包みを開く。 若草色のそれに包まれていた物をみて、志狼と海華が息を飲む音がはっきりと聞こえた。無造作に畳まれていたもの、それは朱王の着流しだった。


 薄い灰色の生地で仕立てられた、いささかくたびれた着流し。その胸元は、まるで業火に焼き尽くされたかのように真っ黒に焦げ、一部は完全に焼け落ちていたのだ。


「どう、したんだ? これ……」


 ぼろぼろになった着流しを手に取り、唖然とした様子で志狼が呟く。 軽く首を振りながら、朱王は軽く小首を傾げて見せた。


「それが、さっぱりわからないんだ。小さな子供に襲われて……急に物凄い光が射したと思ったら、もうこのザマだ」


「このザマって……兄様、怪我はなかった?」


 海華は心配そうに朱王の胸元へ目をやるが、そこには火傷の痕も無ければ傷一つ見えない。 ふぅ、と安堵の溜め息をつきつつ海華は志狼と顔を見合わせた。


「眉唾物とは思っていたけど……」


「意外に効いたな、あのナントカ様のお札」


 『よかった』と繰り返し海華と一緒に安堵の溜め息をつく志狼を前に、すおは何がなにやらさっぱりわからぬ、といった面持ちで二人を交互に見遣った。


「おい、お前達一体……」


「それをこれから話すわよ。でも兄様、無事で帰れて本当によかったわねぇ」


 しみじみとそう言いながら、海華は焦げた着流しの胸元をまさぐるなり、その縫い目を勢いをつけて引き千切る。 ぶちぶち、ばりばりと派手な悲鳴を上げて、着流しは完全なる襤褸布ぼろぬのと化した。あまりに唐突なその行動に朱王は言葉を失ったまま、口はポカンと半開きになっている。


 そんな彼の目の前で、海華の手が破られた胸元の間から何かを摘まみ出した。朱王は思わず前のめりになり、海華の手元に視線を集中させる。 その手にあったのは、炭の如く真っ黒に染まった縦長の紙切れだった。


「…… なんだこれ?」


「退魔の御札よ。お石さんにもらったの。兄様、絶対言うこと聞かないと思ったから、万が一のためにと思って。志狼さんに縫い込んでもらったのよ」


 ひらひらと黒く変わった御札を振りながら、海華は白い歯を覗かせる。あの日、志狼が急に『着流しの修繕をする』と言ったのを、朱王は今更ながらに思い出した。あれはそういう理由だったのだ。


「まさか役に立つとは思わなかったな。でも……こんなに黒焦げになるとも、思わなかった」


 海華から御札の残骸を受け取った志狼は、光にかざして眺める。 二人を唖然とした面持ちで見詰める朱王だったが、次の瞬間怪訝な顔で首を傾げた。


「その札のお陰で助かったのかはわからんが……だが、あの幽霊は人形を返せと言ったんだ。俺が治した、あの人形を」


 なぜ、幽霊が人形を欲しがるのか


「人形、ねぇ……。ところであの人形、修繕を頼んだ大工の持ち物なんだろう?」


「ああ、質屋で一目惚れしたと言っていた。 ── まぁ、質流れ品だな」


「質流れね。なら、前の持ち主は誰だったのかしら?」


 頬に手を当て、首を傾げて見せる海華の言葉に、朱王と志狼はチラリと視線を交わらせる。海華の一言を受けて、翌日から朱王は日がな一日街を歩き回る事となった。そう、あの人形の『本当の持ち主』を求めて……。

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