第五話
『あれは恐ろしい光景でございましたよ。ドロドロした血の海の中に女と清さんが転がっておりました。地面には頭を割った和尚が泡を噴いていて……。 あれが地獄と言うのでしょうねぇ。いや、悲鳴が聞こえて私が駆け付けた時には、もう全てが終わっていました』
静寂に包まれた惨状を前にただ呆然と立ち尽くすしかなかった秋扇。
しかし次の瞬間、彼は寺の裏にある物置小屋へと走る。
戻ってきた彼の手には、油壺が抱えられていた。
『なぜ火を付けようと思ったのか……今となっては朧にしか覚えておりません。 えぇ、全てをまっさらな灰にしてしまいたかった……首を切られて白眼を剥く、清さんの惨い姿を誰にも見せたくなかったのかもしれません。 はい、―― はいはい、その通りでございます。寺中に油を撒いて火を付けたのは私です』
「殺してないなんて……言い逃れじゃない? 旦那様は、その事信じたの?」
盆に徳利を五、六本乗せた海華が怪訝な面持ちで戻ってくる。
彼女の問いに、志狼は胡座をかいていた足を組み直し困ったような顔で頭を掻いた。
「信じるもなにも、もう十年間以上前の事だろ? 見ていた奴もいねぇ。 先生が殺ったって証拠も、殺ってねぇって証拠もねぇんだよ」
証拠も無いものを罪に問える筈はない。
あの桐野ならそう判断してもおかしくはないだろう。
そう思いながら海華の酌を受ける朱王、彼女から徳利を受けた志狼の口は止まらない。
「寺に火を付けたのはいいが、油撒いた程度じゃ全部燃えるわけはねぇわな。 残ったのは黒焦げの死体と寺の残骸だ。まさか十かそこらのガキがやったなんて誰も思わねぇ、三人の骸を葬った後、先生は上方へ出て人形師の修行をした。 それから江戸へ戻ってきて……」
「墓を掘り返したって訳か?」
「その通り、三つの墓を掘り返して、残っていた骨を盗ったんだ。和尚と女は殆ど朽ちて、頭だの腰だのしか残っていなかったが、清之助はほぼ全身、骨が残っていたらしいぜ」
心の底から爆発するような喜びを感じたのは、後にも先にもあれが初めてだったと秋扇は語った。
『清さんは私を待っていてくれたのだ、と思いましたよ。嬉しくて嬉しくて……綺麗に洗って乾かして、粉になるまで焼き直しました。 和尚と女も同じです。石臼で挽いて、粉にして胡粉に混ぜて……。 それからです。私があんな無惨な人形を作るようになったのは』
「死んでも苦しめ、ってな気持ちで和尚と女の骨を混ぜた胡粉を人形に使ったんだと。そのうち顔付きも二人に似て、残酷さに拍車がかかったらしい」
皮を剥ぎ、頭をかち割り腸を引きずり出す……。
阿鼻叫喚の地獄絵図、永遠に終わらない苦しみの世界に二人を叩き落とす。
十年前に果たせなかった復讐を遂げながら、次第に秋扇はおぞましい人形しか作れなくなっていった。
『最後の最後に清さんの人形に取り掛かろうと思いました。ですが……私にはもう、あの慈悲深い微笑みを作り出す事は出来なかった。痛みと苦痛に泣き叫ぶ顔しか作れなくなっていたのです』
「あ、だから兄様に頼んだって訳ね」
ポン! と一つ手を打って、海華が叫ぶ。
「そうだよ。問屋で朱王さんの人形を見てな、この人なら自分の考え通りの人形を作ってくれると確信したんだとさ。で、清之助の骨を渡したのが運の尽きだった、って訳だ」
「いや、先生の運の尽きは……志狼さん、あんたに人形の顔が同じだと見破られた時だったろう」
湯飲みを机へと置き、深々とした溜め息を吐いた朱王を前に海華はただ黙って空となった肴の皿を下げる。
空になった徳利を彼女に手渡した志狼は、ゴホンと一つ咳払いをして再び朱王へ視線を向けた。
「それがな朱王さん、先生が朱王さんに仕事を頼んだのは、ただ人形を気に入ったからってだけじゃねぇんだ。朱王さんが……」
『朱王先生はね、どこか……清さんに似ていたんですよ。 雰囲気も、顔立ちも……勿論、先生の方が遥か に男前ですがね。 なんだか、清さんに、また会えたような気がしました。 私の悪事が朱王先生に暴かれるなんて、これも何かの縁か、因果、なんでしょうかねぇ……』
そう自嘲気味にこぼした後、秋扇はガクリと肩を落としたまま何も喋らなくなったと言う。
それを聞いた朱王も固く唇を噛み締めたまま、部屋の片隅でボンヤリと眠たげな光を放つ行灯を眺めるだけだった。
「じゃぁ、俺達はこれでお暇するぜ」
徳利やら皿を全て片付けて、志狼と海華が土間に降り立ったのは、木戸が閉まるにはまだ早い時間帯の事だった。
「残った天ぷらは明日にでも食べてね。――兄様? ねぇ兄様聞いてるの!? 」
机に肘をついたまま、うん、うんと生返事ばかり繰り返す朱王へ海華は土間に立ったまま腕組みし眉を潜める。
心ここにあらず、と言った様子の彼を見て志狼は微かに首を傾げた。
「どうした朱王さん、なに難しい顔して考えてんだ?」
「あぁ……。志狼さん、何回も申し訳ないんだが、頼みたい事があるんだ」
壁に凭れていた身体をゆっくり起こし、じっと志狼を見詰める朱王は、一瞬何かを口ごもりチラチラと海華へ視線を投げる。
「なによ、あたしがいたら話せない事なの?」
「いや、そうじゃない。あのな志狼さん桐野様にお預けした器に歯の欠片が入っていただろう? アレを……」
「駄目よ! また兄様、何をやろうって言うの!」
ひどく言いにくそうに口ごもる朱王の台詞を 海華がピシャッと一蹴する。
眥をつり上げて兄を睨む彼女は、勢いよく肺の底から大きな息を吐き出した。
「歯の欠片なんて、そんな気持ちの悪い物どうしようって言うのよ。もう仕事は終わったんでしょう? あまり余計な事に首を突っ込まないでちょうだい」
「余計な事って言い方あるか、必要だから頼んでるんだ! 大体な、俺の仕事はまだ終わっちゃいないんだよ、お前こそ余計な口出しするな!」
海華の言い様が癪に触ったのだろう、今度は朱王が柳眉を逆立て彼女を睨む。
空中に散る見えない火花、このままでは怒号と罵声の大合戦となるのは目に見えている。
「いい加減にしろよ二人供! 朱王さん、あんな気味の悪ぃもん何に使うつもりだ?」
「だから仕事だ。全部寄越せとは言わん、骨の一摘まみ、歯の一欠片でいい、なんとかならないか?」
苛立たしげな、しかしどこか懇願の色を含ませた朱王の声色に、志狼は軽く眉をひそめる。
「そこまで言うなら……旦那様にご相談してみる。けどな、絶対渡してもらえるとは限らないぜ? 」
「それならそれでいいんだ。もう無理は言わん。すまないな志狼さん」
「なに……気にするな。じゃあな。…… 海華。おい海華! 行くぞ」
未だ不機嫌な面持ちで朱王を睨み付ける彼女の袖を引き、志狼は戸口を引き開ける。
軽く手を上げ二人を自分達を見送る朱王へ厳しい眼差しを投げ付けピシャッと戸を閉めた海華は振り向き様、ひどくすまなそうに眉尻を下げて、志狼の隣へ寄り添った。
「ごめんなさい志狼さん、兄様ったら、どうしてあんなおかしな事頼むのかしら……?」
ハァァ、と力無い溜め息をつく彼女の肩を 『気にするな』とでも言いたげに軽く叩き、志狼は星屑の瞬く夜空を見上げる。
「朱王さんにゃ朱王さんの考えがあるんだろうぜ。理由もなく骨だの歯だのを欲しがってる訳じゃねぇんだ。―― でもよ、あれじゃまるで前と正反対だな」
笑いを噛み殺しながらそう口にした彼を不思議そうな顔で見遣り、海華は目を瞬かせる。
吹き抜ける夜風が、すべらかな頬を撫でて通り過ぎて行った。
「正反対って、何が?」
「いや、余計な事に首を突っ込むな、ってな。前なら、お前が朱王さんに言われてた事だろう? 」
足元に転がる小石を蹴飛ばして、志狼はクスクス声を出して笑う。
確かにそうだ、そう心中思いつつ海華は頬を赤らめた。
「言われてみればそうよね……。嫌だわ、気が付かなかった」
先程までの顰めっ面はどこへやら、恥ずかしそうに笑い志狼と肩を並べる海華は、たなびく髪を耳にかけ、彼にならって夜空を見上げる。
「厄介な事頼んじゃってごめんなさい。それと……よろしくお願いします」
「止めろよ、水臭せぇじゃねぇか」
小さく頭を下げた海華の背中を叩いて、志狼が白い歯を覗かせる。
果たして朱王、そして海華の頼みは叶うのか、その答えが出るのに、そう時間は掛からなかった。
朱王が秋扇の元を訪れてから、ひと月余りが過ぎた。
少し頭のおかしな男が気味の悪い人形を作っただけ、何年も前に墓を荒らしただけ、そんな出来心は生き馬の目を抜くお江戸では、どんな凶悪、醜悪な事件もほんのわずかなと供に忘れ去られていく運命なのだ。
当たり前の生活、平々凡々な日常を取り戻した朱王も新たな依頼を受け、部屋に籠る日が多くなってからは、浮き世の噂話ともしばし隔離され、情報源と言えば身の回りの世話をしに来てくれる志狼や海華が主となっており、『秋扇が牢から出された』との話しもほんの数日前に彼から聞かされたばかりだった。
誰かが死んだわけでなく、寺に火を放ったのも十年以上昔の話しとなれば、今更彼を捕らえ罰を与えてなんになろうか、それが御上の判断だったようだ。
勿論、秋扇の言い分を頭っから信用したら、の話しだが、仮にそれが嘘だとしても全ては昔、悔し涙に暮れる遺族がいるわけでもない。
あれから秋扇はどうしたのか、ひどく気になり、何度かあの屋敷へ足を運んでみたのだが、そこは空っぽ藻抜けの空、秋扇どころか鼠一匹姿を見せない完全なる空き家と化していた。
『他人の事気にするなんて珍しい』そう海華に揶揄されながらも、朱王は彼が現れるのをただ待った。
確信などない、ただ、もう一度彼が自分の前に姿を現す、きっと来ると儚い思いを胸に秘めていたのだ。
机に向かっていると、一日は矢の如く過ぎ去る。
戸口が遠慮がちに叩かれたのは、西の空が茜色に染まり出し、烏がねぐらへと変える頃だった。
「はい、どうぞ」
机の上に散らばる木屑を寄せ集めながら声を掛けるが、戸口は一向に開く気配がない。
もしや、そう思い慌てて土間に飛び降りた朱王が手を掛け開け放った戸口の向こうには、黒い影と化した人影がぽつねんと立っていた。
「秋扇、先生……」
「朱王先生……ご無沙汰して、おりました」
ぐったりと肩を落とすように深く頭を下げる秋扇からは、あの屋敷で見た明るさも覇気も感じられない。
皺だらけ、垢のこびりついた小汚ない着流しを纏った彼はフラフラ顔を上げるなり、憔悴しきった顔をぎこちなく歪ませた。
「先日、やっと……」
「お疲れ様、でした……」
つられて頭を下げた朱王は、それより他に言葉が無かった。
暗く重たい影を背負った秋扇は、再び己の爪先を眺めるように俯き唇を戦慄かす。
「この度は、先生にご迷惑をお掛けしてしまって……本当に申し訳ありませんでした……」
消え入りそうな声色で何度も謝罪を繰り返す彼に、朱王は無言のまま首を横に横に振った。
「いいのです。もう……話しは全て聞きました。どうぞ顔を上げて下さい。―― ここで立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
「いいえ、ここで結構です。朱王先生、 私……江戸を出ることに致しました」
疲れきった顔を泣き笑いの表情に歪ませて、秋扇が掠れた声を出す。
思いもよらぬその一言に息を飲み、朱王はまじまじと秋扇を見詰めてその場に立ち尽くしてしまった。
「家も、あの人形達も全て失いました。それに、私の人形は江戸で受け入れられないでしょう。上方に戻って、一から出直します。最後に……どうしても先生にだけは謝らねば、と思いまして。本当に申し訳ありません。それから……」
『お世話になりました』
身体をほぼ直角に、深々と頭を下げた後、秋扇は身体をふらつかせながら踵を返す。
「先生……秋扇先生お待ち下さい!」
秋扇が一歩足を踏み出したと同時、甲高く悲鳴に近い声が朱王の口から放たれる。
夕闇に響いたそれに、井戸端で野菜を洗っていた女らの視線が二人へ注がれた。
「朱王、先生?」
「もう少しだけお待ち頂けませんか? 先生に渡したい……いえ、渡さねばならないものがあるのです」
『少々お待ちください!』そう叫び、大慌てで室内へ飛び込んでいく朱王。
井戸端から部屋へと戻る女達は、いよいよ不思議そうに首を傾げて、部屋の前に立つ秋扇の後ろ姿を眺めていく。
本当に少しばかりの時間で再びその姿を表した朱王の手の中には、紫色の布で包まれる男の握り拳ほどの大きさの『何か』が握られていた。
「これを……受け取って下さい。私からの餞別です」
いささか緊張気味に包みを差し出す彼を、目を丸くして見詰める秋扇は、戸惑いながらもそれを受け取った。
「開けてみても、よろしいですか?」
秋扇の問いに朱王は無言で頷く。
それを確かめて、そろそろと包みを開いた彼は、『あっ!』と驚愕の叫びを上げた。
紫色の布の中から現れた物、それは朱王が作り上げた釈迦人形とそっくり、いや、顔立ちから身体まで全く同じ人形だった。
「先生、これは……」
「お気に召して頂けるかわかりませんが……。ぜひ受け取って頂きたいのです。中には、あなたの大切なお方を、納めさせて頂きました」
静かな微笑みを浮かべる朱王をまじまじ凝視していた秋扇、だが、やっと彼の言葉の意味に気が付いたのだろう乾いた唇を戦慄かせる。
大きく見開いたその瞳から止めどなくこぼれ落ちる涙が、西の空に沈み行く夕日に照らされ宝玉の煌めきを放った。
「兄様、随分珍しい事したじゃない」
ニコニコ……いや、ニヤニヤ意味深な笑顔を浮かべた海華が茶を差し出してくる。
ふん、と一度小さく鼻を鳴らして、湯飲みを受け取った朱王は、どこかバツが悪そうに視線を逸らせた。
秋扇が中西長屋を訪れてから早三日、あの日から彼の姿を目にした者は誰一人としていない。
その事に気付き多少騒ぎ立てたのは一部の人形問屋のみ、なんだか寂しいような冷たいような気もするが、秋扇にとってはその方が都合が良いだろう。
朱王が彼から受けていた仕事は、本当の意味で終わったのだ。
それを報告しに今日、志狼達の元を訪れた朱王だったが、全てを知っていますと言わんばかりの海華、そして志狼の様子に、まだ何も言えないでいるのだ。
「兄様が他人の世話焼きたがるなんて、太陽が西から昇るんじゃないかしら?」
「なんだ、黙って聞いてりゃ勝手な事言いやがって、世話焼きなんかじゃない、あれは……仕事のうちだ」
桐野邸の縁側、ちょうど中庭に面した場所へ腰掛ける朱王は、むっつりと顔をしかめてそっぽを向く。 そんな彼へ苦笑いを投げ掛けつつ、隣へ腰を下ろしたのは、顔から滴る汗を手拭いで拭う志狼だった。
「しかしなぁ、歯と骨を何に使うのかと思ったら、釈迦の人形へ埋め込むなんて……朱王さんにゃぁ驚かされるぜ」
「―― 身ぐるみ剥がして江戸追放じゃ、あまりにも気の毒だ。だが、全部お前達が骨と歯を手に入れてくれたから出来た事だ、礼を言う」
二人に向かい深く頭を下げる朱王を見て、志狼と海華は顔を見合わせクスリと笑う。
桐野から歯と骨の欠片を貰い受けるのは、そう簡単な事でなかったのは確かである。
何に使うのか、そう怪訝な面持ちで訊ねる彼へひたすら頭を下げ、どうしても朱王が必要としているのだ、と説き伏せて、少しばかりの骨と歯を手にする事が出来たのだ。
「先生、泣いて喜んでおられた。これからずっと清さんと一緒にいられる、とな」
「そう……。よかったじゃない。今度からは、怖い人形だけじゃなくて、綺麗な人形も作れるようになればいいわね」
志狼へ湯飲みを渡しながらそう口にした海華に無言で頷いて、朱王は静かに空を仰ぐ。
ゆったりと流れ行く綿雲が流れる青い空、今頃、秋扇はあの釈迦人形を胸に以前過ごした上方への旅を続けている事だろう。
盛夏も半ばを迎えた江戸の街、中庭に木霊する蝉時雨の向こう側で、草いきれが幻の如くに揺らめいた。
終




