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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第三十章 創作奇譚 雨の怪
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第八話

 翌日、朱王と海華が屋敷を出たのは昼を過ぎた頃だった。

志狼は、と言えば、これから鍋釜修繕の行商人が訪ねてくるとの事で、一人留守番である。



 『気を付けてな』そんな彼の言葉に見送られ、二人は六助の住まう長屋へと向かった。



 朱王は昨日訪れている場所、特に気になるようなものはない。

なんの変哲もない長屋。

朱王が住まう中西長屋と同じ、賑やかさと煩雑さが入り雑じる、人々の生活が凝縮された場所である。



 嵐がくれば飛んで無くなりそうなボロ長屋は、貧乏という言葉は似合えど『怪奇』『怪談』は似つかわしくないように思えた。



 甲高い笑い声を上げてはしゃぎ回る子供らや、世間話に花を咲かせる女達を横目に、二人はまず、長屋近くにある一軒の茶屋へと入った。



 昼近くだというのに、店内には二人を含めて客は片手で数えるほどしかいない。

二人は、薄暗い店内の一番奥の席へつく。



 『いらっしゃいまし』と掠れた声を出す中年女が注文を取りに来る。

と、海華はその女を呼び止めて何やら耳打ちをし始めたのだ。



 朱王にさえ聞こえない程の小声で話す海華に、中年女は時々眉を潜め、一度小首を傾げた後に『ちょいと女将に聞いてきます』そう一言言って、奥へ引っ込んでしまった。



 「お前、何を聞いたんだ?」



 「大したことじゃないわ。今度、向かいの長屋に越してくる予定なんだけど、それを知り合いに言ったら止めるように言われたの。気になるから、あの長屋で何か妙な事や変な人がいるとかって噂、知らない?ってね」



 飯台に頬杖をつき、ニコニコしながら言う海華に、朱王も思わず苦笑い。

よくスラスラと作り話ができるものだと感心していると、先程の中年女が腰の曲がった老婆を連れて奥から戻ってきた。



 渋柿色の前掛けを忙しなく弄くる老婆は、朱王と海華へ交互に視線を向ける。



 「あの長屋の事が聞きたいって? 別におかしな噂は聞いたこと無いけどねぇ……。あたしゃ、ここで暖簾を出して二十年ちょっとだけどさ、これと言った事は無かったですよ」



 嗄れ声で話す老婆は、ここの女将のようだ。

二十年もいて何もないのなら、長屋は関係ないのだろう。



 そう簡単に解決する訳はない。

そう心中で思う朱王の前では、海華も残念そうに溜め息をついている。



 「そう、ありがとうございました。おかしな事聞いてごめんなさいね。色々と気にしながら引っ越すのも気が引けて……」



 「あ……ちょっと待って! 待ってねお姉さん。あたし、思い出しましたよ」



 ペコリと頭を下げる海華の前で、老婆は唐突に叫ぶと、皺だらけの手を一つ打ち、垂れていた目蓋を引き上げるよう目を見開く。

彼女の反応に朱王は無意識だろう、体が前のめりとなった。



 「何か、あったんですか?」



 上擦りそうな声で問う朱王に老婆は小刻みに頷き、隣に立つ中年女へ顔を向けると『あれ、三年前だったよねぇ』と呟く。



 「ほら、若い()がいなくなったって、あそこの大家がブツクサ言ってたの。あれ、三年前だよね?」



 「……あー、布団から鍋釜まで、全部残していなくなったってのですか? そうですね、もうそのくらいになりますかねぇ」



 宙に視線をさ迷わせながら、中年女が答える。

が、彼女は腕を組みながら『でもねぇ』と付け加えた。



 「あれは男と逃げた……駆け落ちしたって話じゃないですか。妻子持ちのが通ってたって噂が……」



 「その話し、詳しく聞かせて頂けますか? あぁ海華、お前好きなモノを頼め。……いいから遠慮するな! それと、団子を二人前包んでもらえますか?」



 中年女の話を遮り、懐から財布を引っ張り出した朱王へ、老婆は驚いたように目を瞬かせて『へぇ』と掠れた返事をする。



 そして中年女を奥へ下がらせ、『いなくなった()』の話しをし始めたのだ。






※※※※







 湯呑みから立つ湯気の向こうで、志狼が美味そうに団子を頬張る。



 「思ったより早く帰ってきたと思ったけどよ、役に立ちそうな話しは聞けたのか?」



 「聞けたわよ。お茶屋の女将さん、話しているうちに色々思い出してくれたの」



 三つの湯呑みに茶を満たし、得意気に海華は皿の上から団子を一串とる。

彼女は、茶屋で一皿たいらげていた。



 「お前、まだ食べるのか?」



 驚き呆れる朱王へ湯呑みを突き出し、海華はモゴモゴと口を動かす。



 「いいじゃない、喋ってるとお腹が空くのよ。えっと、どこから話そうかしら?」



 「さっき、女がいなくなったとか何とかっつてたろ?」



 「あぁ、そうだったわね。じゃぁそこから。確かその人、サキって名前だったわよね兄様?」



 「そうだ、おサキだ。長屋には一人で越してきたと言っていたぞ」



 茶屋の女将が大家から聞いた話しだと、おサキは早くに両親を亡くしているという。

以前は別の場所に住んでいたが、叔母夫婦が近くにいるとの事で、あの長屋に越してきたらしい。



 サキは当時、十六あまり。

取り立てて美人ではないが、物静かで気立ての良い娘だったという。

近くの塩問屋で台所女中として働いていた。



 「特別浮いた話もなくて、真面目に働いていたらしいわ。でも、越してきて二年目くらいから部屋に男が出入りするようになったって」



 食べ終わった団子の串を皿の端に置き、茶を啜りつつ海華が言う。



 いつも一目を避けるよう、日が暮れてから部屋を訪れる男は、長屋の住人と鉢合わせすると、顔を背けるような素振りをしたらしい。



 はっきりとした人相や年齢、身なりは不明だが、中肉中背の男だったと女将は話していた。



 「つまりは、どこにでもいそうな平々凡々の男って訳か。……きっと訳ありだな」



 「うん、女将さんもそう言ってた。妻子持ちとかじゃないかって。大屋さんも、それとなくおサキさんに聞いたけど、はぐらかされちゃったって」



 『昔からの顔馴染み』『様子を見にきてくれる知人』だと、おサキは笑いながら言っていた。



 「でも、絶対違うわよね。もっと……深い関係よ」



 『怪しい』『訳ありだ』と顔を寄せ合わせてヒソヒソ話す志狼と海華を見ていると、あの長屋で世間話に花を咲かせていた女達の姿と重なってしまう。



 「で、その訳あり男とおサキは、その後どうなったんだ?」



 湯呑みを唇に運びながら志狼が問う。



 「それがね、急にいなくなったの。おサキさん、出掛けてくるって言ったきり帰ってこなかったって。で、男の方もパッタリ姿が見えなくなったって」



 大家が気付いた時には、既におサキの姿はなく、家財一式を残したまま行方知れずになってしまった。



 唯一の身内である叔母も行き先も、男の事も全く分からない。



 部屋に争った跡もなく、悲鳴など聞いた者もない。

おサキらしい(むくろ)が出たとの話もない。



 番屋に相談もしたが事件性はなく、結局は駆け落ちでもしたんだろう、との事で落ち着き、家財道具は叔母夫婦が処分して家賃代わりにしたそうだ。



 「行方知れず、か。まさか、おサキのいた部屋に六助が住んでる、ってんじゃねぇだろうな?」



 冗談めかして言う志狼を前に、朱王と海華は互いに目配せする。

そんな二人を見て、志狼の口許が引き攣った。

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