第七話
六助が語った『とっておきの話し』とは……。
とある娘が一人の男に恋をした。
はれて結ばれた二人だが、男は妻子もち。
しょせん娘は遊び相手。
やがて所帯を持とうと迫られた男は、面倒事は消してしまえとばかり、娘を殺めて地中深くへ埋めてしまう。
惨劇が起きたのは、シトシト小雨の振る夜だった。
それから数年後の小雨が振る夜、男は自宅の庭で髑髏が跳ねているのを目撃する。
驚き慌てて家人を呼ぶも、もうそこには何もいない。
それからと言うもの、娘を殺めた日と同じ小雨の振る夜、あの髑髏が男の前に現れるようになった。
誰の作か分からぬ恋の歌を歌いつつ現れる髑髏。
とうとう精神を病んだ男は女房子供を刺し殺し、己は川へ身を投げた……。
それが六助のいう、とっておきの話しだと桐野は言った。
シン、と静まり返る室内。
高橋と海華の顔からはみるみるうちに血の気が引き、朱王と志狼は互いの顔を見合わせる。
「それって……俺や朱王さんがみた夢と同じ、だ。六助の作り話が、どうして……」
信じられないと言いたげな志狼の一言に、桐野は一度首を振る。
「志狼、それは違う。これは作り話ではない。六助の夢の話しだ。六助は、この髑髏の夢をよくみるのだと言っていた。自分がみた夢を本にしようとしているのだ」
あの長屋に越してきてからというもの、月に一度は髑髏の夢をみるのだと六助は桐野に言ったのだ。
最初は気味が悪いと思ったが、本にするには面白そうだと考え、次に書こうと決めているのだという。
つまり、朱王も志狼も高橋も、六助が書こうとしている話の先取りをしている。
『余計に訳が分からなくなった』そう帰り道で呟いた高橋の気持ちが、朱王にはようやく分かる気がした。
確かに気味は悪いが、六助が誰かを殺めた訳ではないし、そんな話を書くなと強制するわけにもいかない。
こちらとしては打つ手なし。
しかし朱王はあることが引っ掛かっていた。
六助が、あの長屋に越してきてから妙な夢をみる、と語っていた所だ。
原因は彼ではなく、あの長屋にあるのではないか?
調べたい、そんな気持ちがわき上がってくるが、桐野の手前、勝手に動くことはできない。
そして何よりも気掛かりなのは、本を読んでしまった修一郎の事だ。
自分達と同じく、あの怪異に見舞われないだろうか。
彼の身に危険が及ばないだろうか。
そんな事を思いながら、朱王は視線を外へと向ける。
閉じられた障子から射し込む白色の光が、不安に揺れる心に染み込んでいった。
※※※※
空の機嫌を気にしつつ迎えた夜。
どうやら、今宵雨の心配はないようだ。
修一郎も穏やかに過ごせるだろう。
そう安堵しながら夜空を見上げた朱王の手が、静かに障子戸を閉める。
右手の指先から伝わる軽い痺れ、無意識に指全体を撫でながら蝋燭の火を消そうとした、その時だった。
障子の向こう側に小さな影が浮かび、『兄様』と遠慮がちな声が聞こえた。
「どうした?」
「ちょっと話したい事があって。入ってもいい?」
『いいぞ』そう答えれば、そろそろと障子が開き、寝巻きの上に薄い羽織ものを纏った海華が現れる。
「もう寝てた?」
「いいや、それよりどうした? 話したい事ってなんだ?」
燭台の前に片膝をつく朱王の隣へ腰を下ろした海華は、声を抑えて『あのね』と呟く。
「明日、何か用事ある?」
「いや、特には無い」
「よかった! それじゃぁ、あたしに付き合ってくれない?」
唐突な頼みに、朱王は海華の顔を凝視する。
買い物ならば、志狼と一緒に行くはずだ。
なぜだか嫌な予感がする。
「お前、どこに行くつもりだ?」
「どこって……六助さんのいる長屋よ」
予感が的中してしまった。
そう思う朱王の眉間に、みるみる深い皺が寄る。
「また余計な事を。お前が首を突っ込むことじゃない。下手に動けば桐野様にご迷惑が……」
「そんなんじゃないわ、旦那様に頼まれたのよ。あの長屋周辺で、妙な騒ぎや行方知れずの人がいないか調べてみてくれ、って」
朱王とは正反対に眉を吊り上げる海華の反論に、朱王は言葉を詰まらせた。
「桐野様が? なぜお前にそんな事を頼むんだ?」
最もだろう問いに、海華は理由を語り出す。
まず、今回の件は正式な事件と認識されていない。
誰かの命が奪われた訳ではなく、危害を加えられた訳でもない。
高橋が頭に怪我を負ってはいるが、自分で足を滑らせた、いわば事故であると言われてしまえばそれまでだ。
ましてや金品被害が出ている訳でもない。
事件でないものに奉行所が関わることはできないし、桐野らも他に多くの仕事を抱えている。
「……そこでお前に白羽の矢が立った、ってことか」
そう言うと、海華は少し嬉そうに『そうよ』と胸を張った。
「一人じゃ危ないから志狼さんと、って言われたけど、志狼さん明日は用事があるんだって。だから兄様、お願いできない?」
「桐野様の頼みなら、もちろん行く。……実はな海華、俺も気になっていたんだ」
「あ、やっぱり? そうなんじゃないかなぁ、って思ってたのよ」
唇の端から白い歯を覗かせて海華が笑った。
「バレてたか?」
「何年兄妹やってると思ってるの? ……じゃぁ、明日はよろしくね」
弾む声と笑顔を残して、海華は部屋を後にする。
障子が閉められたと同時に訪れる静けさ。
小さくなっていく足音を聞きながら、朱王は蝋燭の火を吹き消した。




