第七話
息急き撒いて中西長屋にやってきた奉行所の役人らは、地面に座り込む二人をアッと言う間に縛り上げ、土間に倒れる二人も戸板に乗せてさっさと運び去る準備を始めている。
そして、部屋に入ったまま最後まで姿を現さなかった男は、なぜか室内から現れた志狼に襟首を引っ掴まれた状態で表に引き摺り出されたのだ。
外の二人同様、もはや抵抗する気もないのは明らかな男は全身冷や汗に塗れて小刻みに身を震わせている。
そんな彼に手早く縄を掛けた都筑は男を同伴した忠五郎に託し、一連の作業を見守る朱王らの元へとやってきた。
「お前達ご苦労だったな。怪我はないか?」
「はい、私と兄様は大丈夫です。志狼さんも平気?」
「あぁ、平気だ。怪我も何もあの野郎、俺が布団から一睨みしただけで、怯えて声も出しやがらねぇ。都筑様、あんな骨のねぇ野郎は久し振りでしたよ」
酷く詰まらなそうに言い捨てる志狼の台詞に、都筑も『締め上げるまでもなさそうだな』と一言こぼすと、なぜだか朱王も残念そうに顔を顰めた。
「そんな男だと分かっていたら、俺が部屋にいたのにな。志狼さんや桐野様に迷惑掛けずにすんだ」
「何を言ってるのよ兄様、腕のこと忘れたの?」
海華に軽く睨まれ、朱王は気まずげにそっぽを向く。
今夜、あの部屋で床に就き、侵入してきた男を取り押さえたのは朱王ではなく、志狼だったのだ。
元よりの癖か、それとも寝癖が付いたのかわからぬ髪をクシャクシャに掻き混ぜて、志狼はそっと朱王に歩み寄った。
「それより朱王さん、ここの大家の上さん『歩く瓦版』だっけ? 確かにすげぇな。奴らがこんな簡単におびき寄せられるたぁ思わなかった」
「人の口に戸板はかけられないって言うだろう? あの人の口は特別だ」
自分の所にいる店子が金入りのミイラを買った。
それを耳にした彼女が黙っていられるわけは無い。
そう考えた朱王は、わざと彼女の前でミイラと砂金の話をしたのだ。
思った通り、彼女はあっという間に、話を広めてくれた。
その証拠に毎日朱王の部屋には野次馬が押し寄せていたのだから。
自身が桐野邸にいたのでは、ミイラを奪おうと画策している輩もうかうか侵入できないだろう。
そう考え、彼は数日の間、長屋に戻っていた。
その間、朝餉を用意し夕餉を運ぶ海華には大変な思いをさせてしまったが、それでも下手人がお縄になったのだ、良しとしてもらわねばなるまい。
役人達と共に下手人を引き立てていく高橋、そして忠五郎らを見送った都筑は、ふと何かを思い出したように朱王の部屋へと入っていく。
すぐに出てきた彼の手には、例の木箱……ミイラが入っている古びた木箱があった。
「お前達、今回も世話になったな。これは預かっていくぞ」
「お願い致します。海華、これで安心して部屋にいられるな?」
「本当よ。あんな気味の悪いものがある部屋で寝起きしてたかと思うと、ゾッとするわ。あ、でも都筑様、中の砂金なら置いていって頂けると……」
猫撫で声で小首を傾げる海華に、都筑は苦笑しつつ首を振った。
「すまぬがそれはできぬ。ミイラはどうでもいい、金は必ず持ち帰れと上から言われているのでな」
『礼なら、また改めて』そう言い残して都筑は長屋を後にする。
そして朱王も、懐かしい自室を再び後にして、何日かぶりに八丁堀へと戻って行った。
砂金入りミイラが朱王の手を離れて数日が過ぎた。
中西長屋で一網打尽となった男らは、頭を覗いてはスンナリと罪を認めて調べを受けていると桐野から聞いている。
ミイラの中に隠されていた砂金は、佐渡から秘密裏に持ち出されたものだった。
発覚せぬよう、見世物小屋用に造られたミイラに隠して江戸まで運んだが、なにせ嵩張るため適当な隠し場所がない。
そこでおサヨの息子、小吉が『自宅に隠す』とミイラを纏めて持ち帰ったらしいのだ。
家には高齢の母親が一人だけ、ミイラなぞ気味悪がって触りはしないだろうと、高をくくったのが大間違い、サヨは生活費の足しにとミイラを持ち出し金に換えようとした。
一つは志狼に売り、もう一つは息子に見付からぬよう竈の灰に埋め込んだ。
さぁ、ミイラが足りないことに気付いた小吉は大慌て、あちこち探すも二つだけどうしても見付からない。
お頭に話すも強かに殴られ、耳を揃えて返さなければ命は無いと脅されて、死に物狂いで部屋を探して母親を問い質す。
尋常ではない、鬼気迫る様子の息子に恐れをなしたサヨは、ミイラを売ったことを告白し、激昂した小吉は彼女に殴る蹴るの暴行を加え、勢い余って縊り殺してしまった。
残り一体の隠し場所を聞くことは、すっかり忘れてしまったそうだ。
サヨの骸を川に棄て、一度は長屋から逃げた。
そして後日、再び室内を探そうと戻ってみたが時既に遅く、部屋は昼夜見張られていた。
そこで、仲間の手を借りて見張りの忠五郎を『まいた』のである。
四つのミイラは手中に戻った、後は売られた一体だけ。
そう思っていたところ、朱王という名の人形師が金入りのミイラを買ったとの噂話が耳に入り、夜間に忍び込んでミイラを奪い朱王も纏めて始末しようとした。
「ミイラを買った相手が悪かった」
そう言って桐野は笑ったが、朱王も素直にそう思う。
酔っ払いが勢いで買った物が思わぬ事件を呼び込み、そして解決した。
そして今、朱王は『功労者』を探して離れへと向かっていた。
「海華! 海華、入るぞ」
そう一言声を掛け、襖を引くと、洗濯物を畳んでいる海華と目が合った。
「兄様、どうしたの?」
「志狼さんはいないか?」
「志狼さんならお買い物に行ったわ。何かあったの?」
「ちょっと、な。繕い物を頼みたいと思ったんだ」
そう照れ笑いした朱王の手には畳んだ着流しがある。
「あら、繕い物じゃあたしにはダメね。志狼さん、そろそろ帰ってくると思うわ。ここで待っててよ」
朱王と同じく照れたように笑う海華は、部屋の隅から座布団を持ち出して朱王へ勧める。
彼女の言葉に甘え、座布団に腰を下ろした朱王は手持ち無沙汰なのだろう、左手で洗濯物を手繰り寄せ器用に畳み始めた。
内職をいくら受けただの、今日の夕飯はなんだだのと他愛ない話をしているうち、洗濯物の山は次第に小さくなっていく。
最後に一枚残った襦袢に海華が手を伸ばした時だ。
『今帰った』そんな一言と共に襖が開き、小さな白い包みを携えた志狼が姿を現した。
「お帰り志狼さん」
「ただいま。どうしたんでぇ朱王さん、洗濯物なんざ俺が……」
きちんと畳まれた洗濯物と朱王を交互に見遣り、志狼は目を瞬かせる。
そんな彼に、海華は笑顔でヒラヒラと手を振った。
「あら、いいのよ。兄様ね、志狼さんに繕い物を頼みたいんだって。いいかしら?」
「繕い物? お安い御用だ。あ、っと、その前にこれ、土産だ」
そう言って志狼が差し出した包みを、海華は笑顔で受け取った。
「志狼さん、いつもありがとう」
「海華、よかったな。ところで志狼さん、今度の土産には何が入っているんだ? 砂金の次は宝玉か?」
朱王の台詞が何を指すのか、すぐに気付いたのだろう志狼は、軽く眉を潜めつつ口角を上げた。
「よしてくれよ、松月堂の兎饅頭だから、中身は餡子だ、餡子!」
「あら嬉しい! あたし、砂金なんかより餡子の方が何倍も好きよ。すぐにお茶淹れるから、待っててね」
満面の笑みを浮かべて包みを受け取った海華は、小走りに部屋を後にする。
『あいつへの土産は甘味に限る』先日、朱王はこっそりと志狼へ助言したのだが、それが役に立っているようだ。
何を贈るかではなく、どんな気持ちを添えて贈るのか、土産の奥深さを改めて知った、ある春のことだった。
終




