第四話
都筑が帰ると同時、海華は中西長屋へと向かい、例の帳面を手に屋敷へ戻ってきた。
所々虫喰いの痕ができた分厚い紙の束には、どこの誰が、いくらでどんな人形を依頼してきたのかが、簡単に記録されている。
三年前に作られた人形という曖昧な情報を頼りに、朱王は帳面を捲っていたが、分かったのは人形問屋に六体、個人の依頼で四体の人形を作ったということだけだ。
「濱田屋さんが個人で頼んだものじゃなさそうだな。となれば……問屋を通じて買ったのか」
筆跡を指で辿りながら、朱王はブツブツ呟いている。
そんな彼の横にいる海華は、縁側に広げていた帳面を己の方に引き寄せた。
「これ、そのまま番屋に持って行くわ。都筑様たちに問屋をあたってもらえば、すぐに分かるわよ」
「それが少しでもお役に立てばいいが。親分や都筑様によろしく伝えてくれ」
『分かった』そう言い残し、海華は休む間もなく番屋へ出掛けていく。
彼女を裏口で見送っていた志狼は、グゥッと大きな伸びを一つ、そのまま天を仰いだ。
「都筑様たちが問屋を調べて下さりゃ、濱田屋がどこで人形を買ったのか、すぐ分かるだろうぜ。早く下手人が見付かりゃいいな」
「そうだな。これ以上、大事にならなければいい」
志狼の言葉受けて素直に頷いた朱王だが、その顔には、わずかな不安が見て取れた。
早々の事件解決を。そう願った彼らの想いは、十日後、再び屋敷に現れた都筑の一言によって脆くも打ち砕かれることとなる。
「人形泥棒の正体がわかったぞ」
先日同様、裏口から入り縁側に腰掛けた都筑の一言を聞き、朱王は素直に安堵の表情を浮かべる。
彼の傍らにいた志狼も同様で、海華などは『よかった』と大きな溜息と共にこぼし、茶の用意をすると言って足早に台所へと向かって行く。
「後ほど桐野様からもお話があるとは思うが、まずは朱王、お前にいち早く知らせてやらねばと思ってな」
「そうでしたか、ありがとうございます」
都筑の心遣いを受け、縁側に手を突き、朱王は軽く頭を下げる。
緩い弧を描く彼の背中の向うから、志狼が興味深げな様子で身を乗り出した。
「それで都筑様、下手人はどんな野郎だったんです?」
「野郎ではない、女だ」
「へっ、女ぁ?」
素っ頓狂な声が志狼の口から飛び出る。
朱王も目を丸くするくらいに、都筑の答えは意外なものだった。
「都築様、女ってぇ……あちこちで人形盗んで、濱田屋を刺し殺したのが、女なんですか?」
念を押すような志狼の言葉に都筑は渋い顔で数度頷く。
「本当だ。名は咲といって、濱田屋で女中をしていた。数日前、お咲が人形屋に修理をして欲しいと人形を持ち込んだのだ。そこで人形が朱王の作ったものだと分かってな」
幸いなことに、人形屋の主人が人形泥棒の一件を瓦版で知っていた事から、人形は番屋に届けられ、海華から預かった帳面と人形を番屋で照らし合わせた結果も同様だったという。
「人形の着物の裾や顔の部分に、僅かながら血のようなものが付いていた。きっと、濱田屋を刺した時に付いたものだろう。……まぁ、詳しい事は聞けずじまいだがな」
腕組みしながら低く呻く都筑に、朱王の首が自然に傾いだ。
「聞けずじまいとはどういう……。お咲はお縄になったのではないのですか?」
「死んだのだ。今朝方、住んでいた長屋裏の木で首を括っていた。足元に血の付いた出刃が転がっていてな。濱田屋を刺した凶器だろう。罪の意識に苛まれて自害したようだ」
そこまで言って、都筑がゴホンと咳払いする。
それとほぼ同時、『なんだか変ですねぇ』と、間延びした海華の声が三人の耳に届く。
三人揃って母屋方向へ顔を向けると、そこには湯呑が乗った盆を持つ海華が立っていた。
「なんだお前、立ち聞きか」
「だって、難しい顔して話し込んでいるんだもの、声かけそびれちゃったのよ」
眉をひそめる朱王を他所に、各自の前にさっさと湯呑を置いた海華は盆を胸の前で抱き締めるようにしながら、都筑の横へと座る。
「都筑様、お咲って人、自害で間違いないんですか?」
「おい海華、何を失礼な事を……」
「兄様、ちょっと静かにしてよ。都筑様、絞め殺してから気に吊るす、って事も出来ますよね?」
ちょこんと首を傾げて聞いてくる海華に、なぜだか都筑はニヤリと口角をつり上げた。
「まぁ、出来ないわけではない。海華、お咲は殺されたと言いたいのか?」
「絶対そうだ、とは言い切れませんけど、なんだかおかしくありません? ねぇ、志狼さんもそう思わない?」
不意に話を振られ、湯呑を持ち上げた志狼の手がピタリと止まった。
「おかしい、と言われてみれば、な。都筑様、その女、年はいくつくれぇなんです?」
「十八の女盛りだ。少々垢抜けない顔立ちだが、岡目ではない」
「そうですか。なら、親兄弟は?」
「両親は、お咲が子供の頃に死んでいる。祖母に育てられたようだが、昨年死んだそうだ。可哀想に、天涯孤独の身の上よ。ついでに言うと、男が出入りしていた様子もない」
「じゃぁ、借金は? お金に困っていたとか」
海華の問いかけに、都筑は黙った首を横に振る。
『それはおかしい』そんな呟きを漏らした朱王へ顔を向け、海華は都筑と同じく口角を上げてみせた。
「お咲には、泥棒してまで金を作る必要はないのか」
「そうだよなぁ。それに、十八の小娘が二度も三度も盗みに入ったうえ、男一人を刺し殺して逃げるなんて真似が出来るか? ヘタすりゃ返り討ちに遭うぜ」
「でしょう? それに、首括ろうなんて考える人が、わざわざ人形を修理になんて出すかしら? 都筑様、どう思います?」
「俺は、志狼の意見に賛成だ。だが、朱王、海華、桐野様はお前たちと同じ事を仰っていた。自害と決めつけるにはまだ早い、もっと女の周囲をよく調べよとな」
茶を一口美味そうに啜り、そう言った都筑に、海華は満面の笑みを見せる。
「さすが旦那様。それじゃぁ、都筑様の足元にある包みって、もしかして……」
縁側の下を覗き込むように身を伸ばし、海華は都筑の足元を指差す。
「そうだそうだ、忘れるところだった。お咲が修理に出していた人形と、借りていた帳面を返しに来た。修理を頼まれた人形屋も、朱王先生の作品においそれと手を加えられない、前金と一緒に先生へ返してくれと言っていた」
間違いないとは思うが、一度確認してくれと言いながら自分の前に出された包みを前に、朱王は神妙な面持ちで包みに左手を掛けた。




