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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第二十六章 恍惚たる惨劇
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第十二話

 瑞仙の顔面目掛けて飛んだ苦無くない、しかしそれは彼の命を奪うことはなく、いとも簡単に鎖に叩き落とされる。

闇に飛ぶ火花に顔を顰めた朱王の背中に、『大丈夫かっ!?』と怒鳴るような志狼の声が飛んだ。


 『大丈夫だ』そう答えようとするが、右手から突き抜ける痛みに声が詰まってしまう。


 「おい、朱王さ……」


 「平気だ! だから来るなッ!」


 志狼が加勢すれば、海華は一人でしのびを二人、相手にしなければならない。

お前は海華の所へ、そう怒鳴るように言った朱王は右手の痛みに歯を食い縛り、弾かれた懐刀へと走る。

そんな彼へ、瑞仙は容赦なく鎖を繰り出した。


 「そら逃げろ、逃げろ! お綺麗な顔に傷がつくぜ!」


 猫が鼠を嬲り殺すように、瑞仙は笑いながら鎖を振るう。

耳元に放たれた鎖の唸りに身を竦ませ、積まれた木材の陰に逃げ込んだ朱王の背中には、鎖が生木をぶち割る響きが痛いくらい伝わってきた。


 右手は痺れと痛みで動かない、どうやら骨をやられたようだ。

荒い息を必死で整え、右手を摩る朱王は材木の陰からそっと顔を覗かせて地面に落ちた懐刀の位置を確かめる。


月明かりを反射するそれのすぐ近くには、朱王の姿を探すように歩く瑞仙の姿があった。


 「よぅ先生、ガキじゃねぇんだ、かくれんぼなんざ止めて出てきなよ。それとも、このまま逃げようってぇんじゃねぇだろうなぁ?」


 周囲に視線を巡らせる瑞仙の手中で、鎖がジャラリと無機質な音を立てる。

利き手を遣られたうえに唯一の武器は敵の足元、これ以上ないほど不利な状況を、そう覆すか。

息を殺し、必死に考える朱王の顎先から一滴の汗がしたたり落ちる。


 音もなく地面に滴った汗、それが落ちた先に視線を落とした朱王は、木材を切り揃えた際に出ただろう枝が転がっているのに気が付く。

大人の腕ほどの太さがある、短く切られたそれを手にして、朱王の喉がゴクリと鳴った。


 この際、使えるものは何でも使う。

いや、この状況で役に立つものとすれば、もうこの木切れしかない。

左手に筋が浮かぶほど強くそれを握り締めた朱王の口から、細く微かな吐息が漏れた、それを合図としたかのように、朱王を呼ぶ瑞仙の声が木材の向うで響く。


 「つまらねぇなぁ先生、これじゃ面白くも何ともねぇ。ちったぁ腕が立つと聞いてたから、楽しみにしてたのによぉ。これじゃ、そこらの破落戸ごろつき共となんにも変らねぇ……」


 瑞仙の愚痴が終わるか終らないかのうち、材木の陰から躍り出た朱王が持っていた木切れを渾身の力を込めて瑞仙目掛け放り投げる。

ヒュゥ、と音を立てて飛ぶそれにひるむ事も慌てる事もなく、瑞仙が瞬時に鎖で打ち抜いた。


 鋼の凶器が生木を砕く、この瞬間を朱王は待っていた。

積み重なった材木の背後から飛び出し突進した朱王の身体が、全体重を込めて瑞仙へとぶち当たる。

渾身の体当たり、肉体同士がぶつかる衝撃が朱王の視界を明滅させた。


 「う、おおぉ、ッッ!?」


 思いもよらぬ朱王の反撃に瑞仙は受け身をとる暇もなく弾き飛び、同じく強か地面に叩き付けられた朱王は、地面を引っ掻くように懐刀をひったくる。

全身を襲う痛み、土埃にまみれてヨロヨロ立ち上がる朱王の前では、材木の山に背中からぶつかった瑞仙が短い呻きを上げて、こちらを睨み付けていた。


 「ちく……しょうッ! 舐めた真似しやがってッッ!」


 よたつきつつ立ち上がった瑞仙の目は、どこか視線が定まらないように見える。

反撃の機会は、今しかない。


 左手の懐刀を握り締め、朱王の足が大地を蹴る。

殴りかからんばかりの勢いで繰り出した左手の一撃は瑞仙の胸を横一文字に切り裂き、黒装束に包まれた身体が大きく傾いだ。


 しかし、致命傷とは到底言えないもの、すぐに激烈な蹴りを脇腹に叩き込まれた朱王は悲鳴すら上げられぬまま材木の山へ弾き飛ぶ。


 獣に似た唸りを上げ、長い黒髪を鷲摑む瑞仙の腕に白刃が突き刺さったのは、ほぼ同時だった。


 『ぎゃっ!』と濁った悲鳴と共に、生暖かい血しぶきが朱王の頬を汚す。

骨も砕けよとばかり懐刀を打ち込むと、肉を抉られる激痛に怯んだのか、瑞仙の手から一瞬力が抜けた。


 「早く、どけッ!」


 瑞仙の腹を強かに蹴れば、細身の体が勢い余って後方へ飛ぶ。

頬に散った血を拭い、その場に身を起こす朱王の右手は、手首の辺りからダラリと下がったままだ。


 「人形、屋が……腕ぇ壊しちゃ、もう終わりだな?」


 鮮血滴る腕を押さえ、瑞仙がふてぶてしく笑う。


 「その台詞、熨斗付けて返してやる」


 荒い息の元、そう毒突いてみるが、今の状態で瑞仙を仕留められるか確信は持てない。

例え相打ちとなってでも、この男はここで止めなくてはならないのだ。


 ジリジリと互いに間合いを詰めていく朱王の手には血に濡れた刃、そして瑞仙の手には埃にまみれた鎖が握られている。


 瑞仙の左手に巻かれた鎖が大蛇の如く宙にうねり、朱王目掛けて一直線に襲い掛かる。

空気を巻き込む低い唸りを鼓膜に受けた朱王は何を思ったのか、そのまま鎖へ向かい突進した。


 自ら破滅へ向かうような朱王の動きに、瑞仙の口から『くたばれっ!』と歓喜に満ちた叫びが飛ぶ。

しかし、それと同時に鎖の流れが微妙に変わり、先端は朱王の顔面ではなく右の肩を直撃したのだ。


意識が吹っ飛ぶかと思うほどの激痛と衝撃、しかし朱王の足は止まらない。

自身の肩から飛び散る血飛沫を浴び、眉間に皺を刻ませた朱王の記憶に残っていたのは、腹の底から張り上げた己の怒声と左腕全体に伝わる肉を打つ響き、そして驚愕に目を見開き声にならない叫びを放った瑞仙の顔だけだった。









光すら通さない暗闇の真ん中で感じる熱を持った痛みで、朱王の意識は覚醒し始める。

骨身に染み込む痛みの彼方で、誰かが必死に自分の名前を呼んでいた。

男の声か、女の声かもわからない。

しかし確かに名前を呼ばれているのだ。


 返事をしなければ、そう思えば思うほどに息が詰まり意識が再び闇に引き込まれそうになる。

もうダメか、そんな思いが一瞬生まれたその途端、『兄様っ!』と悲鳴の近い女の絶叫を耳にした途端、目の前に目も眩むような白光が生まれ、意識の全てを飲み込んでいく。


 弾くように開いた瞼の向うには、涙でグシャグシャに汚れた海華の顔があった。


 「兄様ッッ! あぁ、よかった……!」


 涙に声を詰まらせ、手のひらで何度も顔を撫でてくる海華に、どんな返事をしていいのか朱王は分からなかった。

今、自身がどのような状況にいるのかも分からないから当然だろう。

ただ、全身を走る痛みで、かなりの深手を負っている事だけは、朦朧とした意識の中でも理解できた。


 「み、はな……」


 「動いちゃダメよ、すぐに志狼さんも、高橋様もきて下さるわ。だからしっかりして!」


 グスグスしゃくり上げる彼女を見ると、目立って大きな怪我はしていない。

無事でよかった、そう思った朱王の意識はその瞬間、再び深淵の彼方に引き摺り込まれていった。


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