姉になって下さい
ここで好感度が足りないとバッドエンドとかになったりするんですよきっと。
岡崎一六は身体的接触が余り好きではない。
元の世界でも異性と幾度が付き合いがあったが、それが原因で破局した事もある。
だから、一日中誰かに身体を触られるのは彼としてはかなり嫌なのだ。
けれども、背に腹は代えられない。
「では姉さん、まず一つ目の質問良いですか?」
「フフフ、まず一日ね。」
「………。」
彼女は心底楽しそうに笑った。一六の気分は言わずもがなである。
「姉さんが先ほど見せた、あの不思議な力……。例えばあの変なゼリーみたいな液体だとか。あの床に描かれた紋様だとか。姉さんが唱えたあの呪文みたいなもの。あれは一体なんなんですか?」
「うーん……。それは多分貴方が考えているよりずっと難しい質問ね。」
彼女はゆっくりと足を組む。
そして指をパチンと鳴らした。
すると、突如として部屋の奥にあった暖炉のようなものに火が点った。暗い室内がちろちろと瞬く炎によってやや明るく変ずる。
同時に床から何かもにゃもにゃした黒い影のようなものが這い出してきて、一六の隣をすうっと抜けていくとテーブルの上でぐるぐると停滞し、やがて一つの形を為した。
それは何のことはない、ただのトレイの上に乗ったティーセットだった。
赤い花柄の装飾が施されたトレイの上に、可愛らしい白いポットとカップ、それにスプーンが二つずつちょこんと乗っている。
「例えるならそうね……今この二つのポットの中にはそれぞれ温かいミルクと冷たい紅茶とがそれぞれのポットに入っているわ。」
そう言いながらまず片方のポットから液体をカップに注ぐ。
彼はその様子を眺めながら(この世界にも紅茶とミルクが存在するのか。)と考えていた。
「今、私は冷たい紅茶をカップに注いだわ。次はこっちのミルクを注ぐわね。」
彼女はもう片方のポットを手に取り湯気の立つミルクを同じカップに注いだ。
だが、液体の温度差と濃度の違いから二つの液体が即座に混ざり合う事はなく、紅茶で満たされたカップの中にミルク溜まりのような部分が出来始める。
「これが私達の世界が始まった姿よ。紅茶とミルク、熱い物と冷たい物、赤と白。相反する物が互いに同じカップの中で同時に存在し、反発しあい、けれども徐々に混ざり合いながら流動する。」
彼女はティースプーンを使ってカップの中をぐるぐると回し始める。
それに伴って、同じカップの中にありながら互いの違いから混ざり合う事の無かった赤と白の二つの液体はやがて混ざり合ってクリーム色のミルクティーとなる。
「けれどもいずれは、ミルクの熱は紅茶の冷気によって冷まされ、紅茶の赤はミルクの白によって溶かされてカップの中はぬるいミルクティーで満たされる事になるわ。」
彼女はカップからスプーンを抜いて、ちろっと出した舌でスプーンを舐めた。
「世界もそれと同じよ。相反する事象は互いに打ち消しあい、次第に混ざって穏やかで安定した……、けれども同時に無秩序で停滞した状態へと移行するわ。これは自然の摂理ね。だけど―――」
彼女は再び指をパチンと鳴らした。
するとどうだろう。
完全に混ざり合ったミルクティーのカップの中から赤い液体がするすると渦を巻いて抜け出ていくではないか。
そして渦を巻いた赤い液体は空いたもう一方のカップにひとりでに入っていった。
無論それはミルクと混ざり合った筈の紅茶であった。ミルクティーの中から紅茶の部分だけが分化されて、抜け出ていったのだ。
必然的に抜け出ていったカップの方には湯気の立つミルクだけが残っていた。
「不思議な事に、世界には私がさっきやってみせたように自動的にミルクと紅茶を分化させる機能がついているのよ。だってそもそも本来この世界が生まれる前は混ざり合ったミルクティーのような状態だった筈で、そこから分化して世界という概念を生み出したわけなんだから。」
彼女はちろちろ舐めていたスプーンをトレイに置いた。
「その、世界そのものが持っている安定状態を打ち崩す強い力、平衡状態を否定し法則を覆す理を超えた力にして、世界に存在する全ての物体の源でもある存在。私達はそれを超越力と呼んでいるわ。」
それだけ言って、彼女は一六の方にティーカップを差し出す。
「ここら辺でお茶でもいかが?なんならお菓子も一緒に出すけれど。」
彼は首を横に振った。
「いえ、結構です。それよりも要するに、その超越力というのが先ほど姉さんが見せた不思議な力なんですか?」
彼女は一六の顎に指を添える。
「焦っちゃだ~め。説明するのが難しいだって言ったでしょう?」
聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調で顎の下に指を這わせる。
「超越力は原理的には何でも出来る力なんだけれど、具象としての形を持たない抽象的な概念である上にそれを捉える人間側の感覚が不完全なせいで都合の良い全能の力というわけにはいかないの。」
這う指はやがて彼の口唇に向かい、指先は下唇をそっと撫でた。
「そこで着目したのがまずここ。声よ。声というある一定の規則性を持つ波によって、世界に干渉し超越力を制御出来ないかと考える人々が居た。やがて彼らは詠唱という技術を編み出したの。」
やがて片手では満足出来なくなったのか、両の手のひらで彼の頬をすっぽり覆ってもにもにと揉み始めた。
「そしてもう一つ、物体の持つ形に着目した人たちも居たわ。物体はそこに存在し続けているだけで世界を歪めているの。だから超越力の働きやすい形に世界を歪めれば超越力を制御出来るのではないかと考えた。やがてそれは紋章と呼ばれ体系づけられる事になったわ。」
とうとう揉むに留まらず、彼の頬を優しく引っ張って顔が変形する様を楽しみ始めた。
「大きく分けてこの二つの体系、詠唱術と紋章術を併せて魔術と呼ぶわ。それ以降、大小様々な魔術の流派が生まれたけれど、基本はこの二つの体系に基づいているわ。私がさっき見せたのはそのちょっとした応用みたいなものね。」
「ふぇるほど。」
相槌を打った彼の声は頬を引っ張られているせいで何とも情けないものとなった。
姉としては、そんな一六の姿が面白くて仕方ないらしくクスクスと笑った。
「他に質問はあるかしら?」
やっと彼のほっぺから手を離して、そんな事を聞いてくる。
一六は少し考えた後、
「じゃあ、僕と姉さんとの間で言葉が通じてるのは?」
と質問した。
「それも魔術よ。」
「では、僕の身体に変な液体を突っ込んだ理由は……?」
「貴方の内臓を動かす為に魔術的な刺激を与える必要があったからよ。」
「あの魔法陣の意味は?」
「貴方の魂の定着具合を調べる為の魔術よ。」
「……随分適当な説明ですね。」
姉は肩をすくめた。
「そもそも超越力というものが理屈を超えた力だもの。それを制御する魔術というのも理屈で説明出来ないものになりがちなのよ。今の魔術は先人達が膨大な時間をかけて行った途方もない回数の試行の上にたって何とか体系づけられているに過ぎないわ。さっき言ったミルクと紅茶の例え話だって、明確な理論に基づいてるわけじゃない。全て感覚的な話よ。」
彼女は今度はテーブルの上にある紅茶の入ったティーカップへ手を伸ばした。
「だから未だに魔術というのは理論ではなく経験則の域を出ないのよね。本当に魔術や超越力が存在するのか懐疑的な人もまだ結構いると思うわよ。」
「けれど、それは厳然と存在するじゃないですか。僕がその証拠だ。」
「それにしたって、いくらでも理屈はつけられるもの。それに対して、私達は反論する為の明確な理論を持たないから。それに、魔術は使えない人はてんで使えないものだし。そもそも魔術を使える人にしたって、非常に限定的な魔術のみである場合が多いのよね。」
「そういうものなんですか。」
「そういうものなのよ。」
姉はティーカップを口元に運んで一口啜る。
「でも別にそんな事は私にとってはどうでも良い事だわ。だってこうして念願の妹を手に入れる事が出来たんだもの。」
その言葉に、彼は脱力してしまった。
「良いんですか、僕なんかで。」
彼女はにこっと微笑んだ。
「貴方だから良いんじゃない。」
「そう堂々と言い切られると、嬉しいけど照れくさいですね。」
実際恥ずかしかったので、彼は思わず視線を落とした。
「だけど、うん……。」
けれども実際、彼の興味を引いたのも事実だ。
「なので、こういうのって変だと思うのですが………。」
彼は視線を上げる。
「僕の……お姉さんになってみませんか?」
その時が、彼が初めて彼女の驚いた顔を見た瞬間だったかも知れない。
彼は一瞬、暖炉の炎がちらっと揺らいだ気がした。
勿論、彼女の答えは言うまでも無いだろう。