妹はオモチャ
どう見ても手遅れです。本当にありがとうございました。
考えてないわけではなく、考えた上で奇妙な行動を取るからサイコパスなのです。
大量の服を手に戻ってきた姉によってもたらされた怒涛の着せ替えタイムは、岡崎一六を辟易させるのに十分な効果を発揮した。
「姉さん、着替えぐらいは一人で出来ますから。」
と彼は言ったのだが、案の定
「一人で立つ事も出来ないような状態で強がりを言っても駄目よ?ちゃんと私が着替えさせてあげる。」
などとのたまって一六を着せ替え人形のようにして遊び始めたのだ。
姉にとっての彼は実験生物では無かったが、その代わり彼の事を歩いて喋る玩具の人形とでも思っているのかも知れない。
その証拠に最初のしばらくは一六を着替えさせたり、髪をいじくり回すに留まっていたのが、次第にわざと彼の耳に息を吹きかけたり、抱きついたり、キスをしたりするようになった。
「貴方って見れば見るほど愛らしいのね。例えばこことか……。」
「んっ。あの、姉さん。やめて下さい……!」
こんな風に彼が彼女の一挙一動に反応する様を見て楽しんでいるのだ。
しかも彼がそうした行動に慣れてきて反応が鈍くなったと見るや、今度は甘噛みをしてみたり、うなじをくすぐるように撫でてくるなど、より一層過激な行動をして彼の反応を無理矢理引き出そうとする。
勿論、一六の方もある程度許容出来る所は許容するが流石に余りにもしつこいスキンシップは手で払ったり、押しのけたりして抵抗する。
が、そうした一六のささやかな抵抗も逆に彼女の嗜虐をそそるらしく、結果余計にオモチャにされる事になった。
最終的に数十回の試行を経て、彼の服装は淡い青のレースがあしらわれた無難な感じの白いドレスにやや低めヒールを履き、女性下着の着用は断固拒否で、髪はリボンを使って後ろで一本に束ねるという事で一応の決着を見たわけだが、果たしてこれだけの事を決めるのに散々時間と気力を費やさねばならなかったのかと言われると甚だ疑問である。
しかし最も恥ずかしかったのは女性に良い様に弄ばれた事ではなく……。
一人で立つ事もままならない状態でヒールでの移動など当然不可能という理由から、一日に二度もお姫様だっこされる羽目になった事である。
姉に抱かれたまま彼は再び長い洋風の廊下を抜けていく。
その過程でふと気になる事があった。
窓から見える外の景色が暗いのである。
(さっきは余裕が無くて気がつかなかったが……今は夜なのだろうか。)
しかし、彼の体内時計を信じるならば今は午前八時ぐらいの筈である。
昼夜が逆転していた所で今更驚きもしないが、一応確認しておいて損は無いかも知れない。
「姉さん。」
一六は自分を抱える姉を見上げるようにして、話しかける。
「なぁに?」
見下ろす姉の顔は心なしか嬉しそうだった。
「外は暗くて、月が出ているようですけど、今は夜なんでしょうか?」
彼女はちらと外に視線をやって、再び視線を落とすとくすっと笑った。
「この辺り一帯はずっと夜なのよ。」
「ずっと夜……?」
「ええ、だから勝手に外に出ては駄目よ。凍えて死んでしまうから。」
「あ、えっと、分かりました。」
心の隅でほんの少し逃げ出せるかもと考えていた自分を見透かされた気がしてばつが悪かったので、一六は顔を逸らした。
「良い子ね。物分りの良い子は好きよ。」
そんな彼の心境を知ってか知らずか、笑みを深める姉。
悲しいかな、今の彼ではまだその笑みの裏に隠された真意を見通す事は叶わない。
(まぁ、それは置いておくにしても思わぬ所で良い情報が聞けたかも。)
この話を聞いていなかったなら、迂闊に外に出て凍死していた可能性もある。
(けど同時にもしも何かがあった時ここから逃走するのは容易ではないと知ってしまったわけだけど。)
むしろ分が悪いと分かっていて逃げる画策をするよりも彼女とは表向き良好な関係性を形成する事を目指す方が良いのかも知れない。
どの道、彼女にお姫様だっこで運ばれているような内はどうあがいても逃げようなど無いのだから。
彼が次に連れてこられたのはかなり広い部屋だった。恐らくは応接間か何かだろう。
部屋の中央奥に暖炉のようなものがあり、その前に真っ直ぐテーブルが配され、更にそれを挟むように両側に長いソファが置かれている。
彼女はその片方に彼を降ろすと、自分はその傍らに寄り添うようにして座った。
一六はこっそりと姉から離れようとした。が、すぐにそれを察知した姉に取り押さえられ失敗した。
最初会った時から全くブレない行動に彼はつい笑ってしまった。
「姉さんは、本当に妹が好きなんですね。」
「ええ、だってずっと妹を創る為に生きてきたんだもの。やっと願いが叶ったわ。」
そう言いながら取り押さえた一六を背中から抱きしめる。
温かい感触だった。
(きっとこの人は本当に妹が好きなのだろうな。)
この背中に伝わる感触から、その気持ちだけは強く感じる。
(かなり変な人だけど、まぁ、この人と家族ごっこに興じてみるのもそれはそれで面白いかもしれない。)
そう思った彼は口を開いた。
「……姉さん。」
「ん?」
彼の問いかけに対して彼女は顔を寄せる。
「僕は、貴方が僕に新しい身体を与えてくれて感謝しています。姉さんが本当に妹を愛しているのも分かるし、正直、このまま貴方と良好な関係性を築いて貴方の妹として生きていくのも良いかも知れない。」
「そう、それは嬉しいわ。」
彼女はそう言って彼の後ろ髪を撫でる。
「けれども同時に、貴方の事を理解出来ず逃げたいと思っている部分もあります。」
「それは悲しいわね。」
彼はするりと彼女の腕から抜けて姉の方に向き直った。
間近で見る彼女の顔は美しいという概念の一つの完成形だった。
「それは僕が貴方の事を、この世界の事を全く知らないからです。情報が足りないからこそ貴方の行動に対して、どう接して良いのか分からなくなってしまう。」
彼は大きく息を吸った。
「貴方は僕と初めて会った時、僕に何故か明確な知性が宿っていると言っていました。けれどもそれは当然です。何故なら僕は俄かには信じがたいでしょうが、一度死んだ時の記憶を引き継いでいるからです。しかもどうやら、自分昨日より前に生きていた世界はどうやら根本的に違う、別世界である可能性が高い、と思う。」
一六は彼女の目をきっと見据えた。
「だから、どうか僕に情報を下さい。姉さんが教えても良いと思える情報だけでも良いんです。今のままではこの常識の全く異なる世界で僕は何を根拠に行動して良いのか分からない。」
「……。」
しばしの沈黙。
(何か色々と余計なことを喋ってしまった気がする。)
彼は昔から言わなくても良い一言を付け加えて、相手を怒らせてしまうことが時々ある。
言って良い事と悪い事を区別できないわけではない。
ただ、言ってしまいたいという好奇心が勝るのだ。
(そして、言ってから後悔しちゃうんだよね。)
彼の背中をつつと冷たい汗が流れる。
一六にとっては途方もなく長く感じた間の後、遂に彼女が口を開いた。
「……なるほどね。」
小さく呟いて彼を抱き寄せる。
「ごめんなさいね。貴方みたいに可愛い子を見てるとついいじめたくなってしまうのよ。」
一六の鼻を再び甘い香りが包む。
「貴方がきちんと正直に話してくれた事に免じて、私も本音で話すと、愛する妹の頼みなら私は何だって聞くわ。貴方が情報が欲しいというのなら私の答えられる限りの事は教えあげる。」
「本当ですか?」
「ええ、本当よ。でも、私は主導権を握られるのだけはどうしても我慢出来ない人間なの。だ・か・ら、そうね……。」
彼女は一六の背中から手を離し、人差し指を唇に当てて考えるようなポーズをとる。
そしてほどなくして何か思いついたのかいたずらっぽく笑いながら
「じゃあ条件として、貴方が一つ質問するごとに引き換えとして一日貴方を好きなだけ触る事を交換条件としておきましょうか。」
「え……。」
彼は明らかに嫌そうな顔をした。
「だって、貴方って明らかにベタベタ触られるのって好きじゃなさそうだもの。触られる度にびくって震えて恥ずかしがったり、動揺する姿がすっごく可愛いのよ?だから一日中ずっと弄り回して遊んだら、きっと楽しいと思うの。」
(これは……思ったよりも重症だなぁ。)
岡崎一六は自他ともに認める変な奴だが、どうやら彼女はその上を行っているようだ。
かつて生きていた現代においては友人に、第一印象ではまともそうな印象を与える癖にきちんと話してみると全く会話が噛み合わないと言われた事がある。
彼の辿った末路を思うに、なるほどその評は正しかったと思ったわけであるが。
けれども、今正に目の前に居る彼女はそんな彼を「妹だから」という、たったそれだけの理由で許容してしまうようなそんな危うさがある。
だからこそ、重症だなぁ。と思うわけである。
彼は心の中で大きくため息をついたが、その理由を敢えて口には出さないでおこうと思った。
自分もおかしな人間である以上、彼女にそれを口にする権利は無いと考えたからである。