内臓の色
主人公の常人とは少しズレた考え方が垣間見えるかも知れません。
突然の姉宣言から少し経って、姉に連れられた一六は別の部屋へと移っていた。
部屋を移動したのは生まれてきたばかりの赤ん坊のように一矢纏わぬ一六の裸体に服を着せんが為である。
彼としてはとりあえず服なんて着られれば何でも良いという認識だったのだが、姉の方はどうやらそうではなかったらしく『妹に似合う一番可愛い服』を選ぶ為だけに大きなドレッサーのあるこの部屋に彼を移したのだ。
(いや、移るというよりも運ばれてきたという方が正しいか。)
実際、先ほどの一六は余りにも情けない体たらくだった。
そもそも液体に漬かりっぱなしだったせいでこの身体の筋力が衰えている事に加え、元の体格と余りにも今の身体が違うせいで立ち上がっては何度も転び、しまいには姉に抱きかかえられるようにしてこの部屋運ばれてきたのだ。
しかも俗に言うお姫様だっこで、である。
可愛い、可愛いと連呼しながら彼を運んでいく姉の姿を思い出すだけでもう一度死にたい気持ちになってくるほどだ。
そして現在、彼は部屋に一人残され鏡の前に座っている。
彼を鏡の前に座らせた張本人は
「服を取ってくるからそこで待っているのよ。」
とだけ言い残して去っていってしまった。
確かに裸である事は問題だったが、一六としては服よりもまずさっきの魔法のような何かがどうしようもなく気にかかっていた。
急に言葉が通じるようになったのも、あの魔法陣に何か仕掛けがあったのではないだろうか?
彼としてはそれを聞きたくてしょうがなかったのだが、下手な事を言って彼女の機嫌を損ねるのも賢い選択肢でないように思われたので従っておく事にした。
というより、今の状態では動きようが無いのだ。
今の一六のコンディションでは、恐らくカブト虫にすら一方的に叩きのめされるに違いない。
だから、とりあえず今後の指針がある程度たつまでは大人しくしていようと彼は思う。
しかし、それはそれとしてである。
鏡に映る一六の姿といったらどうだろう!
完全に女の姿である。
少しウェーブがかってうなじまで伸びたセミロングのブロンドといい、思ったよりは膨らんでいた胸といい、曲線を描きつつもややスレンダーにまとまった肩や腰のラインといい、なにも無いつるつるの股といい、完全に女性である。
しかもこればかりでなく、瞳の色はやや薄い紫っぽい色に変わっているし、肌は白人のように白くなっているし、首の長さや顎のラインも変わっている。
外側ばかりでなく身体の内側にしても恐らくは同様で、とりあえず分かる限りでは下あごの左奥に生えていた親知らずが無くなっている。
にも関わらず驚くべきは身体には一切手術の痕跡が見られない事だ。
やはりこの新しい彼の身体も、先ほどニルヤアンナが垣間見せたまるで魔法のような技に因るものだろうか。
彼は何一つとして分からないが、もしもそうであるならば凄まじい技術だ。
鏡に映る自分を見ながら一六は試しに、ふっくりと膨らんだ胸を触ったり、揉んだりしてみる。
男性の時と比べてやや柔らかい気もするが、概ねほぼ同じ感触だ。
ただ大きくなるという事はその分重さが増すという事なので、やや前かがみ気味になった時にはちょっと以前と違う感じがした。
次に髪をいじってみる。
これは明らかに元の身体と違う感触だった。
まず髪をすいた時の指先に全くと言って良いほど抵抗がないし、髪の一本一本が細くしなやかなのだ。
なかなか面白い感触なのでつい時間をかけて撫でてしまう。
女性が髪にこだわる理由が少し分かった気がした。
そしてとうとう突き当たるのが問題の股と下腹部である。
本来ある筈のものがない股は当然として、意外にも明らかに感覚として違和感を感じるのが下腹部、もっと言えば膀胱の辺りである。
背を曲げたりすると、明らかに膀胱や内臓が圧迫される感じがある。
恐らくは子宮なのだろうが、これが一番違和感を感じる。
どうもは動くたびに内臓をまさぐられているようでとても居心地が悪い。
身体の変化に気づいてすぐの頃は、自分の女性器に触れる感触を試してみたい衝動も少しは起こったが、その内臓の違和感に気がついてからはどうも駄目なのだ。
結局は生殖器も内臓の一部だと認識してしまったからである。
彼としては生物の内臓とは蓋の開けてないオモチャ箱である、というのが持論だ。
生物は明らかに生きている。
しかし、生きているというのは当たり前でありながらとても不思議な事だ。
それに、生きているモノは全て違う形をしているのだ。
それは驚くべき事だ。
美しいものもあれば、醜いものもある。
それは個体という括りに限らず、同じ身体の別の部位に関しても、そうだ。
薬指が美しいものの親指が美しいとは限らないし、脳は心臓にはなれないし、心臓は脳になる事が出来ない。
だからこそ、彼は思い出を切り取ってゆくのだ。
自律的に増殖していく部位を指す、腫瘍という言葉がある。
あれは病理学的には新生物と同義なのだ。
(僕からしてみれば、正に人間とは思考を持った腫瘍なんだ。)
一六にとっての好意の寡多とは、気に入った部位以外においては良性と悪性の腫瘍を見分けるぐらいの意味合いである。
彼にとっては気に入った部位こそが本来の生き物なのであって、それ以外の部位は彼の愛する美しい部位とは別の新生物、増殖していく腫瘍のようなものだと彼は思う。
だからこそ美しい部位は腫瘍から切り離すし、腫瘍を殺す事に対しても何の感慨も沸かない。
他人と関わる理由も、結局は新種の癌を発見したような純粋な興味と好奇心だけで、それが無くなれば簡単に捨ててしまう。
今の姉に付き合っている理由も、結局は興が乗ったからという理由に過ぎない。
(そう考えるならば昨日まで自分の置かれていた環境って凄く恵まれてたんだなぁ。)
自分の愛せる美しい部分だけを切り取ってアルバムに飾ってゆく日々。
すばらしい日々。
だが、悔やんだ所でもうあの日々は戻らないのだ。
一六は鏡に映った自分の顔を撫でた。
綺麗で美しい顔だ。
(だが、それは外見だけの話だ。)
自分の内面までが美しいと彼は思わない。
(ひょっとすると、僕も歩いて考える腫瘍なのかも知れない。)
鏡に映る自分の姿を撫でながら、一体今の自分はどんな内臓の色をしているのだろうと彼はひたすらに思いを馳せた。
オモチャ箱の中身を想像するのはいつでも楽しいものだ。
姉が大量の服を手に戻ってきたのは、それからしばらく経っての事だった。