サイコパスは妹へ
お察しの通り、このお姉さんも異常です。
岡崎一六は混乱している。
昨日死んだ自分に突如として姉が出来たからだ。
何を言っているのかさっぱり分からないと思うが、当事者である彼自身が当惑している事をどうして理路整然と他人に説明する事が出来ようか、いや出来ない。
「………。」
目の前に居る出来立てほやほやの姉に聞きたい事は余りにも多くて、しかしどうにも上手く質問の優先順位をつける事が出来ずに、結局一六はただ小さく呻き声を上げるに留まった。
「あら、どうしたの?大丈夫?」
心配そうに覗き込む姉に対して彼は辛うじて頷いた。
「うんうん、良かったわ。」
彼としては全く良くないのだが、こちらの事情など全く意に介していないかのように立ち上がって踵を返そうとする姉。
「あ、あのっ……。」
「ん、なにかしら?」
「………。」
思わず呼び止めたが言葉が続かなかった。
何故ならば彼はまず自分でも意識しない内に声が出た事に驚き、そして元の自分からは考えられないほど高い声が出た事にも驚いていたからだ。
彼がしどろもどろしていると、何を思ったか突然彼女は一六の背中に手を回して抱きついてきたのだ。
綺麗な白い髪が彼の鼻梁を一瞬撫でる。ほんのすこしの間、ほわんとした甘い香りが鼻の奥をくすぐる。
そして彼の顔に頬擦りをしながら一言
「ああ、やっぱり妹って良いものね。」
と呟いた。
その言葉で、彼の全身から力が抜けていく気がした。
同時に、翻弄され判断力を完全に失っていた思考がまとまっていく感じがした。
(とりあえず……とりあえず、急に言葉が通じている事や他にも色々聞きたい事はあるがそれは一旦後回しにしよう。)
彼はそう決心して、慎重に彼女に話しかけた。
「あの~。」
「ん?」
「あの、実はですね。イルヤアンナ・スフィーラさん?でしたっけ。貴方にお伺いしたい事が―――」
しかし言い終えないうちに、彼の唇に彼女の人差し指が当てられて言葉が遮られてしまった。
「姉さん。」
「え?」
「本名じゃなくって、姉さんって言って欲しいわ。あ、勿論お姉様とかでも良いけれど。」
「はぁ。」
良く分からない注文だが、今は彼女の機嫌を損ねるのは不味いと彼は判断したので、素直に従う事にした。
「では……姉さん。実は僕は姉さんにお尋ねしたい事があるんです。」
「ふぅん、どんなこと?」
「実は、こんな事の言うのは変な風に思われるのかも知れないのですが、僕の記憶が正しければ自分は昨日死んでいた筈なのです。しかしどうしてか僕はここに居て、こうして生きている。もし宜しければ、姉さんがご存知の事を教えて頂ければと思いまして。」
「あら、随分と他人行儀な喋り方なのね。」
そう答えながら一六の後ろに回した手を戻し、足を横にして彼の前に座る。
「けれどまぁ良いわ。言葉遣いはおいおい直していけば良いし。貴方の知りたい事、教えてあげる。」
そして一拍おいて
「私はね、新しい妹が欲しかったの。」
(新しい妹?)
その表現には少し引っかかる部分があったが、彼は敢えて突っ込まない事にした。
「私は魂と生命に関する研究を行っているの。貴方の下に描かれている紋様を見たでしょう?それも私の研究における一つ結実よ。私はどうしても新しい妹が欲しくて、魂と生命の研究を今までずっと行ってきたの。」
「ずっと、ですか。」
「ええ、ずっと、よ。それこそ口にするのも馬鹿らしいぐらいの時間を私は妹を創り出す為だけに費やしてきた。けど、今まで試作してきた妹は全然駄目。どれもこれも失敗作ばかりだったわ。」
彼女は大きくため息をついた。
「原因は魂が新しい身体に上手く定着しない事―――、でもよくよく考えてみれば当然の事よね。だって元の身体から引き剥がされた魂は当然死ぬわけで、死ぬという事はつまりここから別の世界、死後の世界に向かうわけだから、この世界の身体に定着しないのは当たり前なのよ。
」
彼女の語気が徐々に熱を帯びてくる。
「そこで私は考えた。これから死ぬ魂を使うのが駄目ならば、これから生まれてくる魂を何らかの方法でキャッチして、新しい身体に定着させる事は出来ないか、と。」
彼女は再び一六の額を優しく撫でた。先ほどはそれを楽しむ余裕が無かったが、すべすべとした手の感触が心地よかった。
「結論から言えば、その試みは成功したわ。だって貴方がこうして生きているのが何よりの証。私が調べた感じでは今までのどの個体よりも安定してる。けれども、唯一おかしな点があるとすればこれから生まれてくるまっさらな魂を定着させたのだから、本来の想定では知性の無い赤ん坊のような状態で定着する筈なのに何故か貴方は既に明確な知性を持っているという点だけど……。」
話しながら額を撫でていた彼女は、更に再び彼を抱きしめた。
今度は少し覆いかぶさるように抱きついてきた為、丁度彼女の胸の辺りに顔をうずめる形となった。
余り圧迫感を感じない胸ではあったが、そこはやはり髪と同じく甘い香りがした。
「でも、そんな事どうでも良くなっちゃった。だって貴方可愛いもの。」
一六の耳に息がかかるほどの距離で彼女は語りかける。
身体が女になってしまったとはいえ、彼も男である。
ここまでされると頭の奥で沸き起こる官能の波を否定しきれない。
が、今はまだ確認しなければならない事実があるのだ。
「姉さん、ごめんなさい。」
言いながら、彼は出来るだけ優しく彼女を引き剥がす。
「……意外と冷たいのね。」
「すみません。でも、まだ確認したい事があるので。」
それを聞くと、彼女はちょっと考えこむようにして、そしてちょっと意地悪そうに微笑んだ後
「今はこれ以上話す気は無いわ。」
一六は少し慌てて聞き返す。
「どうしてですか?」
「だって、貴方ばかり質問するのなんてずるいじゃない?それに―――」
「それに?」
彼女は大げさに目を逸らすようなそぶりをして
「そんな裸のままの格好じゃ、私が恥ずかしいもの。」
その時にしてやっと彼は自分が一矢纏わぬ姿である事を思い出したのであった。