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プロローグ

スプラッタな光景が書きたくなったので、ついこっちを先に書いてしまいました。

 赤い錆付いた匂いは、彼の好奇心を否応がなしにかきたてる。

 この青年にとって、美しく彩られた血や内臓は、この世のあらゆる金や宝石にも勝る宝だったからである。

 彼は既に血に染まったバスタブに、視線を落とす。


 今や真っ赤に染まった愛しい指は、しかし微かにまだ生きている。

 その生きるか死ぬかのギリギリのラインで、獲物を切り刻む事こそが彼の特技であった。


 殺してしまっては駄目なのだ。


 命の活動が止まってしまえば、循環の止まった血液は黒く濁り、筋肉はその彩りを失ってやがて壊死する。


 だから、出来るだけ長く生かさねばならない。


 指を動かすという行為をやめて、完全に動かなくなった第二指の、指を曲げる虫様筋を見るのは、とても悲しい事だと青年は思う。

 刺激による反射から収縮を繰り返す筋肉が、やがて何も反応を返してこなくなると、彼は胸が張り裂けそうになるのだ。

 恐怖とショックから耐えず動き回り、瞳孔の開閉を繰り返す眼球。

 それがやがて力も光も失って、人形のガラス球と大差ない存在に落ちぶれていくのには、さしもの彼も涙すら禁じえない。

 尤も、それらおまけ(・ ・ ・)の部分が美しければ、という仮定の話ではあるが。


 だが、今生きている愛しい指を生かしているのは、間違いなくおまけ部分の機能であり、それらが停止すれば当然彼の愛する指も、ただのタンパク質や、水なんかで出来た肉の塊になってしまうのは、紛れもない事実である。


 それが彼にとって、もういっそ死んでしまいたいぐらい切ない事なのだ。


(けれども……)


 彼は血だらけになったメスをこの世界で一番愛おしい存在のおまけ部分から引き抜いた。


(まぁ、こっちは要らない方なんだけどね)


 けれどもこの蠢く腫瘍は、彼をこの指と引き合わせてくれたのだから、それに関しては感謝せねばならない。

「―――! ――!」

 最早声にもならない断末魔の息が口から漏れ、かなり前から力無くだらんと下がった両の手足が、僅かばかりびくんと震える。


 その様子から、もうこの男の命も長くないのだと感じて、彼は涙を流した。

 彼に対してではない。

 この男から切り離されて、ただ徐々に死んでゆく美しい指に対してである。


(嗚呼、もうどうにかなってしまいたいほど愛おしくて辛い。けれども、きっと人はそれを乗り越えて新しい恋に向かってゆくのだろう)


 青年は刃が完全に血に染まった真っ赤なメスを、脇のキャスターの上においた。

 そこにはオークションで揃えた手術道具一式が、彼の足元には種種様々な消毒器具が散乱している。


(消毒は―――必要ないかな。どうせもうメスは使わないだろうし)


 そう思って、今度は横にある骨きりナタを手にとった。


 この男との出会いは忘れもしない。そう、二週間前の事だった。

 大学への通学途中に、駅のホームで、たまたま指が触れ合ったのだ。


 今からして思えば、何という運命的な出会いであっただろう。


 吐く息が白く立ち上る冷たい冬の寒空の下、隣り合う二人の男が、偶然どちらも手袋をしていなかった為に、触れ合う事になったのだから。

 手の甲に触れた冷たい感触に驚き、青年はそちらを見た。


 綺麗な指だと思った。


 特に薬指が美しかった。


 肌の色は勿論だが、特に爪母から指の第一関節までが、非常に綺麗な曲線なのだ。

 その形からきっと内部にある、指を曲げる為の深指屈筋は、とても整った構造をしているのだろうなと、彼は感じた。


 その日から彼は、その男の指の虜になってしまったのだ。

 

 そんな指をしている男性ならば、きっと綺麗な筋肉をしているに違いないと思った。

 いや、筋肉だけではない。神経や血管、骨を通じて人は全てが繋がっているのだ。

 だから、この男性ならば余す所なく愛せるのかも知れないと、彼は思ったのだ。


(まぁ、結果としては非常に残念なありさまだったわけだけど。これを活かして次の恋に繋げれば良いか)


 そんな事を考えながら、指きりナタを片手に、男はバスタブに身を乗り出す。


(確か、綺麗なのは左手の薬指だったよね?)


 青年は即座に確認する。当たりだ。

 すぐさま、バスタブに取り付けた皮製のバンドに腕を通して、きつく固定する。

 当然これは本来、抵抗する獲物を拘束する為の設備だ。


 それに加えて、バスタブの縁はかなり広く取られていて、しかも表面がまな板のように、ざらざらしているので抵抗が大きく、身体を切断するのに適している。


 失敗は決して許されない。


 交際のきっかけは、この指だったのだから、どうせなら最期は綺麗に切断して美しい思い出にしたい。

 けれども、余り時間はかけられない。最早、この男は刻一刻と死に瀕しているのだから。

 彼はナタをまるで伝説上の聖剣のように、うやうやしく大上段に構えた。

 そして渾身のちからを込めて振り下ろした―――



 

 数分後、そこには左手の薬指をいとおしげに、撫でる青年の姿があった。

 彼が恋し、そしてその手にかけた男は、こうして彼の思い出の一部となったのだ。


 そして恋の思い出を切り取ってしまった瞬間に、浴槽の中に残った部分は晴れて、何の価値も無い生ゴミへと姿を変えた。


 自分の愛する部位以外は、生ゴミ同然。


 そうした一種極端な価値観が、この青年の特異な精神を形成しているのかも知れない。

 彼は浴槽に残った、未だうぞうぞと蠢く生ゴミにきちんと止めを刺した。

 生ゴミは大きく一度痙攣した後、動かない生ゴミになった。


 しかし彼にとって、そんな事は些細な事である。

 それよりも、一刻も早くこの大切な思い出を、きちんと大切に保管せねばならない。


 彼は血痕を残さないよう、慎重に靴を脱ぎゴムを手袋を外し、そして髪が綺麗に収まった帽子を脱ぎ、マスクを外し、脱衣所へと移った。


 脱衣所に備えてある消毒液で、自身の手と指を丁寧に洗浄した。

 血のついたエプロンは、すぐさまゴミ袋に入れ、貫頭衣とチノパンとソックスもかなり血がついていたので、ついでに放り込んでおいた。


(思ったよりもついてた血の量が多いや。後で、脱衣所もきっちり洗浄して薬品をかけておかないと。)


 そう一人で頷きながら、彼は指と共に洗面台へと向かう。

 そして洗面台の棚から真空パックを取り出し、慎重に指を収めた。

 すぐさま洗面台の横に置いてある、携帯用の掃除機で中の空気を抜き、ぱちっと口の部分を閉じた。


 そのままの足で台所へと素早く向かい、冷蔵庫の前で足を止めた。

 一番下の冷凍庫を開き、真空パック詰めされた指を他の彼の思い出達の横に収めた。


 彼にとってこの冷蔵庫は例えるならアルバムのようなものだ。

 青年に大切な時間を与えてくれた思い出達がこの中に一杯しまってあるのだ。


「また後でね。」

 彼はそう言ってここにしまわれた思い出達にしばしの別れを告げ、冷凍庫の扉を閉めた。


(しかし案外、ここにある思い出も数が増えたなぁ。)


 それは嬉しい反面、保管スペースがどんどん減っていっている事を意味する

(そろそろこの冷蔵庫もはちきれそうだから、新しいのを買わないと。)


 そう心の隅に留めておいて、彼はバスタブに残った生ゴミを処理しに浴室へと戻っていった。




 ゴミ掃除が終わった後、彼は居間でパソコンを弄っていた。

 画面には青年の運営する宗教法人のサイトが開かれている。

 サイトはページごとに目次がつけられて整然とまとまっており、ぱっと見た感じではどこか学会か何かのサイトと勘違いしてしまいそうになるほどだ。


 該当のページを開けば天地創造から現在に至るまで独自の解釈を交え都合良く解釈された歴史を嫌というほど見る事が出来る筈だ。

 しかしそれだけでは最近の信者は納得しないので、エントロピーの増大を題材に取って、如何にも科学的根拠があると言わんばかりの、しかしその実頓珍漢な理屈で神の奇跡を解説している。


 青年にとっては滑稽で仕方ない事なのだが、こうした大嘘を頭から信じてしまう人間は意外に多いようだ。

 現に、かつて大学のヤリサーから始まった小さな集まりは、僅か三年余りの時間で多くの信者を擁するようになった。

 しかも未だなお拡大を続ける新興のカルト宗教として一部の界隈では一定の地歩を築きつつある。

 

 無論、その急成長の背景には巧妙かつ大規模なマインドコントロールによる神託や脱法ハーブ等の薬物を使った神の啓示、トリックや仕掛けを使った神の奇跡による功績が多分にある事は疑いようが無い。

 だが、それらは決定的なものではない。


(結局は、誰だって不幸から逃げたいと思い、幸福になりたいと願う。だから、僕はいつの間にか神のように祀り上げられてしまった。)


 彼はただ、人々の願いを叶え続けただけなのだ。


 不安に惑う人に性交渉という名のはけ口を与え、幸福を願う人に薬物によるトリップという道を示した。

 不幸の渦中で溺れる人を「皆やってる事だから大丈夫。」と甘い言葉をかけて救い出し、自らに誇りを持てない人を「一回だけなら自信に繋がるから。」と優しく諭して背中を押してあげた。


 そうしていつの間にか、青年はカルト宗教の若き教祖となっていた。


 彼はあくまで好奇心から、人がどこまで幸福の為に堕ちてゆけるのかを試したかっただけである。

 だが、人々はどこまでも彼の存在に依存し続けた。

 

(けど、いい加減飽きてきたのも事実なんだよね。)


 彼が行う猟奇殺人の隠れ蓑として、宗教や信者達は一定の効果を発揮したが、執拗な信者の勧誘と入信者への薬物の使用から警察にもマークされ始めている。

 そろそろ足抜けを考えなければならない時期だ。


(さて、どうしたものだろう。)


 興味の対象から外れかかっている信者達がどうなろうが彼の知った事ではない。

 けれども、下手に足抜けをしようものならば宗教の性質上、後ろから刺されかねない。

 自分の命には余り頓着しない彼だが、死んでしまったらもう二度と愛する肉体を切り取って遊ぶ事が出来なくなってしまう。


 青年にとってそれは許容しかねる事だった。


(何とか自分に危害が及ばないように足抜け出来る方法を探さないとなぁ。)

 

 そう思っていた矢先、彼のポケットのスマホがブルブルと震えた。

 すぐに取り出して通話ボタンをタッチする。


「はい、もしもし?」

 

(宗教の教祖がスマホで通話するというのも、考えてみれば妙な話だ。)


 神の御業も人の生み出したテクノロジーには及ばないというのだろうか。

 彼はスマホを耳に当てながら思わずクスっと笑った。

 

 この一年後、青年は死んでしまう事になる。

 だが、神よ仏よと祀りあげられた彼はその事実を未だ知らない。

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