混濁3:日記
ゴキブリです。
周囲500mを封鎖して、特殊処理班が作業をしている。キープアウトのテープをくぐろうとすると、化学防護服の着用を促される。
「すいません。まだ処理が終わらないんで。」
「そんなに酷いのか?」
「えぇ、なんせ数が数ですからねぇ…。この辺一体を火の海にしたほうが早いくらいですよ。」
差し出された防護服を気ながら、担当者を会話を交わす。
二日前、現場アパートの住人から大量のゴキブリが沸いていると保健所に連絡があり、同時に管轄署へも異臭がするとの連絡があった。実際現場に駆けつけた人の話によると、おぞましいほどのゴキブリが居たそうで、黒い壁がカチャクチャと音を立てていたらしい。聞くだけでもぞっとする現場へこれから向かう。殺虫剤なんて生ぬるい処理ではなく、火炎放射にバキューム処理といった大量かつ迅速な処理のおかげで今は大分マシらしいが、室内は一体どうなっているのか分からないそうだ。
防護服を着付け、ヘルメットを被ろうとすると、先に防毒マスクの装着を言われた。
臭いがトンでもないからだ。そりゃそうだろう。500mほど離れているとは言え、ここまで臭いにおいが流れているのだから。
現場へ向けて担当者と一緒に向かう。そこら中で山狩りの如くゴキブリ駆除をしている。億単位か国家予算レベルの量が沸いてるんじゃないだろうか。
「こりゃ駆除したとしても、住んでた人間は皆引っ越すだろうな。」
自分でも聞き取りづらいこもった声が聞こえる。
隣を歩く担当者は、「そりゃそうでしょうね。」と他人事の返事を返してきた。結構冷たい奴なんだな。なんて思いながらズコズコと音を立てて進む。アパートが見えてくると、特殊処理班なのか警察官なのか区別のつかない集団がアパートに取り付いて作業をしている。マスクを着用しているにもかかわらず、においはドンドンと鼻をついてくる。例えるならアンモニアを直接かいだように鼻がツンとする。
「鼻血が出るぜ。その前に吐くなこりゃ。」独り言を呟いて歩き続けると、向こうから同じ格好をした人間が駆け寄ってきた。
自分の目の前に立つと軽く敬礼をする。いらんいらんと手を振ると態度を軟化させて抱きつくように身を寄せてくる。
「これ着てたらこうしないと良く聞こえないんですよ。」
顔の前の窓からみえる相手の顔は皮肉っぽく笑っている。
「で、どうしたんだ?」
「いや、今部屋の中に入れるようになったんですけどね、日記が見つかりまして。」
「日記ぃ?日記になんか書いてあるのか?」
「はい。すいませんが、もっかい向こうへ行きましょう。」
糞暑い上に重たい装備をして目の前まで歩いてきたのに、また戻ることになった。こんなことをしばらく続けないといけないと思うと、気が滅入る。一緒に来た担当者は「じゃあ、仏さん回収に言ってきます。」と悪魔の巣へと行ってしまった。すでに感覚が麻痺しているんだろうか。頭がおかしくないと出来ないんだろうな。と思った。
日記を持ってきた奴を連れて結界の境界線まで戻る。一応防護服の消毒を受けた後、防護服を脱ぐ。においを嫌って防毒マスクだけは外さない。いそいそと脱いで付近の人間に防護服を返すと、境界線の外に止めてあるワゴン車へと乗り込んだ。
「おい、そいつは消毒済みか?」
「えぇ、さっきしてもらいましたよ。これ書いた奴は頭おかしいんでしょうね。」
「滅多な事はいうなよ。どれどれ。」
差し出された日記を受け取り、パラパラと捲る。日記は7月から書き始めたようだ。確かにパッと見だが、異常性が感じられる。あそこまでゴキブリが沸く理由が分かるといいが。