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混濁2:トモコ

 飛んだ意識が戻ったのは、窓から差し込む朝日に鳥のさえずりを聞いてからだった。キーボードに顔面をうずめるようにして気絶していたようで顔中が痛い。テーブルの上の手鏡を取って確認すると酷くでこぼこがついている。思い切り叩きつけたようだ。昨日再生していたハズの音楽は止まっていて、そもそもパソコンすら起動されていなかった。

 ヒリヒリと痛むでこぼこを擦りながらキッチンの扉を開けると、彼女のトモコがコーヒーを作っているところだった。一瞬、ショックから来る幻覚だと思った。そりゃそうだ、昨日確かに骨になったはずだからだ。


「ん?友君おはよう。顔酷いよ?」


 マグカップに入れたコーヒーを突き出しながら顔のことを笑ってくる。


「え?いや?え?誰だよ?お前誰だよ・・・。トモコは確かに昨日・・・。」


 錯乱状態で問いかけると、トモコは「酷いな。殺さないでよ」と笑う。殺さないでよじゃない。確かに死んだのだ。喧嘩して電話を切った後、誰かに殺されたのだ。本当に何が起こっているのかわからなくなる。目の前の現実が、決して真実ではないような感覚が襲ってくる。こいつはトモコじゃない。


「お前はトモコじゃないだろ?誰だよ!昨日お前は死んだんだよ!!」


 声を荒げて伝える。キョトンとして理解出来ないといった顔をするトモコ。荒げた息がハァハァと静かな空間に聞こえるだけの沈黙が流れた後、トモコ”のような奴”は、ニコリと笑った。そして、次の瞬間にはけたたましい笑い声を響かせる。


「アハハ。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 狂ったように笑い、目が常軌を失う。グニャリと歪んだ顔は何かに憑依(とりつ)かれているようで、得体の知れない恐怖をかもし出している。ひとしきり笑った後、ぷっつりと声が途絶えた。さっきまで歪みきっていた筋肉は伸縮を止め、能面のようなベットリとした恐怖に変わった。

 死んだ魚のようなにごった目で僕を見つめてくる。動けない。ソイツはゆっくりと首をかしげると、口元だけがニヤリと歪み、その状態で静止する。それは想像を超えた恐怖。そしてゆっくりと歪んだ口元がパクパクと動いて、その動きから遅れて声が発声される。まるで腹話術のように。


「何ヲ言ッテルノ?ワタシハともこダYO?」


 アクセントのないペラペラの台詞。迫真の演技でした。といわれたらどれだけありがたいだろう。決してそんな事はないのに。背中にはベットリと汗をかき、額は脂汗がじとりと張り付く。

 身じろぎしたら殺されるような恐怖が何分続いたか分からない。体感的にもう一時間はこいつと見詰め合っているような気がする。目を見開いたまま口も動かせないでいると、そいつは「うふふ」と笑いながら玄関に向けて後ずさりを始める。ズルリズルリとフローリングを素足が擦る音が静寂を占拠する。そのまま玄関まで到達すると、後ろ手にドアノブを捻り、ウネウネと動くように出て行った。とても静かにドアが閉まり、外からカチャンと鍵が閉まる。

 しばらくは身動きが出来なかった。体中の筋肉が硬直し、このままの体勢を強要する。呼吸も何もかも自分の意思で確認できない。しばらくすると耳にキーンと(つんざ)く耳鳴りが聞こえ始め、視界がゆがみだす。そしてやっと自分が呼吸してないことに気がついた。

 ブハッハァハァと急速に酸素を吸収しようとする。呼吸でおぼれそうになりながら転がるように部屋に戻ると爆音でCDが再生される。パソコンの電源は入っていない。昨日気絶した瞬間のような現象に、またも体が動かなくなる。

 四つんばいの姿勢のまま目だけを動かす。確かにパソコンは起動しておらず、スピーカーも死んだままだ。何処から鳴ってる?何処から。半ばパニックになりながら音源を捜すと、ベランダに人影が一つ。


「ヒッ」


 人は恐怖の絶頂に達すると悲鳴すら上げられないことを知る。先ほど部屋から出て行ったはずの能面女がベランダからこちらをのぞいている。目が血走りまるでウサギの様な赤い目で。

 顔をグリグリと押し付けて、右に倒し、左に倒し、車のワイパーのように等間隔で頭を揺り動かす。ジィーっとこちらを見る目は空ろで決して僕を見ていないかのように中空を見つめる。

 姿勢が姿勢なので、体中の筋肉がガクガクと躍動を始める。全体に及んだ振動はプルプルと僕の体を揺り動かす。もちあげた顎からぽたりと汗がたれ、喉がカラカラに乾いて声すら出ない。

 どうにか姿勢を変えようと腕を動かすとビクリと右肘が折れ、右に傾く。ドスンとこっけいな姿で倒れた僕を見て、ソイツはちょうど真ん中で頭のムーブをやめる。2秒ほどの静止の後、ゆっくりと左に頭を傾けるとまた、けたたましく笑い出した。


「アハハハハハハ!アーハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 さっきはゆがみきっていた顔も、今度は能面のままだ。赤い瞳でこちらを見たまま両手を顔の横に持ってきて窓をバンバンと叩く。打ち破れそうなくらいガタガタと歪むガラスはこちらに激しく飛び散ってきそうだ。ソイツは激しい笑いの中に


「ワタシはトモコだよ。トモコ。あなたのトモコだよ!!」


と、自己主張を織り交ぜてくる。否定しようにもぴくりとも口が動かない。狂ったように「トモコ、トモコ」と連呼しながら、窓ガラスを叩く。バンッ!!と両の手を激しく打ちつけ窓ガラスが飛び散った。進入してくるのだろうかと思ったが、また笑うのをやめ、能面に戻る。

 ヌーゥと顔を突っ込んできた後、ゆっくり「ト・モ・コ」と発音して、またズルズルと引き下がる。アパート3階のベランダの敷居にぶつかるとひっくり返るようにクルリと頭を下にして落下していった。

 ドサリと音がなると、体の緊張も一気に解ける。僕は何を思ったか、飛び散ったガラスを踏みながらベランダへ駆け出した。下を覗くと落ちたはずのトモコはどこにもおらず、跡形もなく消えていた。僕は自分の意思とは関係なく、下を覗いた体制のまま、ゲェェェと吐瀉物(としゃぶつ)を落下したと思われる地点へ吐き出した。

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