ジュリエットにはなりたくない
中学生になって、初めて学校の図書室で読んだ本が『ロミオとジュリエット』。
何でその本を手に取り読んだのか、今では全く覚えていない。内容自体も、ざっくりとした流れ自体は覚えているのだが、細かなところは記憶に残っていない。
そんな私の『ロミオとジュリエット』の記憶の中でただ1つ、はっきりと覚えていることがある。それは───
高校2年、夏の残暑も身を潜めたころ。2年生は毎年、劇をするのが恒例である。今年もその恒例に則り、劇の準備が今まさに行われていた。
「では、ロミオ役は大宮くん。ジュリエット役は佐藤さんとなりました」
委員長のその言葉に、ぱらぱらとした拍手が教室に寂しく響く。
私のクラスで行う劇は、役名からも分かるように『ロミオとジュリエット』である。この劇のお披露目後には、鑑賞した1年生と3年生からの投票を受けて、各クラスに順位を付ける。ちなみに、この『ロミオとジュリエット』は常勝の劇と呼ばれており、『ロミオとジュリエット』の劇をすれば必ず優勝できるとさえ言われている。実際ここ5年間、優勝したクラスの劇は全て『ロミオとジュリエット』である。そのため、毎年必ず『ロミオとジュリエット』争奪戦が各クラス委員長で行われているのだ。
今年は、我らが委員長が見事、『ロミオとジュリエット』を勝ち取った。
「大宮くんは良いけど、佐藤さんって…」
「男子ってホント、見る目ないわ」
ざわざわとした教室に混ざる、そんな言葉。その言葉に耳を傾けながら、私は確かに良いチョイスとはいえないなと密かに思う。
まず、大宮くんという子について説明しよう。
大宮くんは、すらりと背が高く、性格は優しく紳士な子である。華やかさにはやや欠けるものの、顔立ちも整っているのでそれなりに女子からの受けが良い。ロミオ役は女子が決める中で、断トツの票を誇ったほどだ。
次に、佐藤さんという子について説明しよう。
佐藤さんは、ほっそりちんまりとした可愛らしい見た目の子である。くりっとした大きな瞳に、整った鼻と唇、色白の肌に高くて甘い声。そんな彼女の人気は、男子からだけ高い。そう、男子からだけ。
「女子の前の佐藤さんの姿、男子達に見せてやりたいわよ」
「あーぁ、大宮くんも騙されてるのかなぁ」
この会話からもお分かりのように、佐藤さんとはいわゆる、典型的なぶりっ子ちゃんなのである。ゆえに、女子からの受けがすこぶる悪いのだ。
「では、他の役についても決めていきたいと思います」
こうして、少しずつ、しかし着実に進んでいく劇の準備が始まった。
ちなみに、私こと藤崎はジュリエットの乳母役になりました。この乳母役、最初にちょろっと出るだけで後は一切登場しないという、やる気ない生徒にとってはかなりの穴場である。しかも、台詞はなくジュリエットにロミオが何者か聞いてくるように言われて舞台の袖に引っ込み、ちょっとしてから舞台に戻りジュリエットに耳打ちするような仕草をするだけなのだ。
行事ごとに消極的な私としては、これくらいのちょい役で十分である。裏方も良かったのだが、遅くまで道具作りをしなければならないというのは気が引ける。ただクラスの女子の間では、佐藤さんに関わるこの役は不人気で、やりたがる子がいなかったので私が引き受けたことになっている。
普段の授業と劇の練習を両立させる日々が続いたある日のこと。ふと、『ロミオとジュリエット』が読みたくなり、私は図書室へと足を運んだ。劇でやることだし、この機会にもう1度読み直したいと思ったのだ。
図書室の扉を開け、貸出返却カウンターの前を通り過ぎ、求める本を数ある本棚から探し回る。といっても、大体の位置は分かっていたので、目的の本はすぐに見つかった。私はその本を持って、図書室の読書スペースには座らずにまっすぐカウンターへと向かった。
「貸出お願いします」
「はい。あ」
本と学生証を見せながら、カウンター越しに座る図書委員の生徒にそう声をかける。その生徒は返事を返しながら自身が読んでいた本から視線を上げると、私の姿に小さく声を上げた。
「藤崎さん」
「大宮くん。お疲れさま」
「ありがとう。貸出だね?ちょっと待ってて」
そう、図書委員の生徒とは大宮くんだった。
軽く挨拶を交わし、大宮くんは慣れた手つきで本の貸し出し手続きをする。私はその様子をぼんやりと眺めながら、大宮くんが先ほどまで読んでいた本へと視線を向けた。
しおりが挟まれたその本のタイトルは、『ロミオとジュリエット』。私の視線に気が付いたのか、大宮くんは本の表紙に手を乗せて私に言葉を向けた。
「劇で大役を任されたから、ちゃんと話を知っておこうと思って読んでるんだ」
「初めて読むの?」
「いや、前に読んだことあるんだけどあまり覚えてなかったから」
「私も、同じだよ」
「そうなの?そういえば、藤崎さんは何の役だっけ?」
「…ジュリエットの乳母役」
他愛のない会話を交わしながら、ふと問いかけられた質問。その質問にやや間を持って答えた私に、大宮くんは一瞬無言になって首を傾げた。
「私は役のためじゃなくて、単純に読み返したくなっただけだよ」
「あ、そうなんだ」
「…さっき、『劇で台詞あったっけ?』って思ったでしょ」
「え、や…あはは」
誤魔化すように笑みを浮かべる大宮くんに、私も軽く苦笑を見せる。そのまま、私たちはまた他愛のない話をした。
主役を負かされた大宮くんの不安と高揚。劇の仕上がり具合。乳母役のちょい役感の凄さ。学年末試験の対策。来年の受験。親の愚痴などなど。
「そろそろ閉館時間だ」
「っあ、ごめん。何か話し込んじゃった」
「いいよ、僕も楽しんでたし」
ふと時計を見た大宮くんの言葉に、私もはっと自分の腕時計に視線を落とす。時計は午後7時40分を示していた。この図書室の閉館時間は午後7時30分なので、10分オーバーしていた。私は大宮くんの読書の時間を奪ってしまい悪いことをしたなと、軽く謝罪する。しかし、大宮くんは気にした様子をこれっぽっちも見せることなく笑みを浮かべた。
「藤崎さん、せっかくだし良かったら途中まで一緒に帰らない?」
「別に良いよ。大宮くんとの話、思ったよりも盛り上がって楽しい」
「思ったよりって…」
「あー、ごめんね、深い意味はないよ?」
「ホント?『地味なガリ勉と話が盛り上がって意外』って意味じゃないの?」
「何その被害妄想。そんな考えをする大宮くんの方が意外だよ」
「あはは」
あまり大宮くんと話したことはなかったが、今日でいろいろと大宮くんのことを知れた気がする。もちろん、まだまだ表面的なことかもしれないけど、少なくとも異性の子とこんなに楽しくおしゃべりしたのは大宮くんが初めてだ。
最寄り駅まで一緒に帰ったが、とにかく話が途切れることはなかった。次から次へと、私たちの口からは何かしらの話題が出る。それは、とても他愛のないものばかりだし、話している内容も大層なものではない。それでも、学校から最寄り駅までの20分間で、私の心はとても充実していた。
なぜそんなにも充実したかなんて、分からないけど。
その日は、お互い反対方向の電車に乗り込んだことで、会話は終了となった。ただ、途中で交換したアドレスのおかげで夜もちょこちょこ会話は続いたが。
それ以来、私と大宮くんは顔を合わせれば軽く会話を交わすような仲になった。特に、図書委員で図書室に良くいる大宮くんと、本を借りに良く図書室に行く私たちは、当然のように図書室で頻繁に話しをするようになった。
「『ロミオとジュリエット』読み直してみて、ちょっとハマっちゃた。前読んだとにはそうでもなかったんだけど…」
「それ、分かるよ。僕も昔読んだときは、特筆して内容が素晴らしいって思わなくて、どうして人気があるんだろうって思ったけど…台詞が素敵なんだよね。詩的で綺麗な言葉が心に響く、それがすっごく魅力的なんだ」
饒舌にそう言葉を紡ぐ大宮くん。その言葉は、私の心にすとんと落ちる。大宮くんの言うことは、正に私も感じたことだった。ただ、私は大宮くんのように言葉に表すことは出来なかった。
大宮くんのように、うまく表現出来なかったから。
「…そっか、だからだ」
「え?」
大宮くんの言葉を聞いて、私はふと、最近自分の中で引っかかっていたあることの理由が分かる。そして、思わず呟いてしまった私の言葉を聞き取った大宮君くんは、首を傾げて私に視線を向けた。
「や、劇の練習で佐藤さんの台詞にどうももやもやしちゃったって」
「…それ、僕もだよ。何でかなーって思ってたんだ」
「そうなの?多分、台詞がアドリブすぎるから、折角の『ロミオとジュリエット』の素敵な言葉が消えちゃってもやもやするんだと思う」
佐藤さんのもっとも大きな欠点は、頭があまりよろしくないことだ。成績もそうだが、記憶力がないようで台詞を覚えられないのだ。そのため、大部分をアドリブの台詞で誤魔化している。内容はまぁ、変わってはいないのだが、言い回しが違う。だから、彼女の演技は『ロミオとジュリエット』の魅力が半減してしまうように感じてしまったのだ。
「そう言われると、そうかも」
「この前も、従兄弟のティボルトを殺したロミオをなじる台詞がね、『何て酷いことを!でも、それでも私はロミオを愛してる!』だったんだよ」
「え!そうなの?それは初めて聞いた」
「大宮くん、このときいなかったからね」
「もしかして、僕が風邪で休んだときの朝練で?」
「そうそう」
授業前と授業後に、主役級以外は参加自由の練習がある。いわゆる、朝練と午後練だ。授業前の練習は毎週月曜日と水曜日に、授業後は月曜日と木曜日に行われている。大宮くんは主役級なので毎回必ず参加ではあるが、前回の朝練には体調不良で欠席していて参加していなかった。
「流石に、その台詞はダメってなったけどね」
「それは確かに、ダメだね」
「うん、ダメだね」
ジュリエットの本来の台詞は
美しい暴君!
天使のような悪魔!
鳩の羽をしたカラス!
狼のように貪欲な子羊!
で、ある。
この台詞は変えちゃいけない。この台詞であるべきだと思う。しかし、ロミオこと大宮くんに悪口だけ言うなんてできないわ!と佐藤さんは言い張った。
「皆で説得してみたけど…佐藤さん、本番でも言っちゃいそう」
佐藤さんは、自分がこうだと思ったところは曲げないところがあるのだ。それに加えてのアドリブなので、余計に質が悪い。
1人での台詞ならまだしも、会話をする台詞でアドリブをされてしまうのはとても困るものだ。どのタイミングで、自分の台詞を言えばよいのか見極めなければならないのだから。今のところ、佐藤さんのアドリブに苛々しても、迷惑を被った人はいないのでまだ大丈夫ではある、と信じたい。
「もう本番なのに…」
「再来週だね。ロミオ様がんばってー」
「心こもってなさすぎるよ」
「そうでもないよ」
こうして不安の残るままに、刻々と時間は過ぎていく。劇の練習も進み、劇本番前日を迎えた。
劇の講演を行う体育館での舞台練習も、明日に本番を控えて皆気合いが入っている。しかし、佐藤さんの台詞は相変わらずアドリブだった。
「あぁ、ロミオ!貴方はなぜロミオなの?どうかロミオを捨てて!そうすれば、私もジュリエットを捨てます。花は薔薇でなくなるように」
この台詞だけ聞けば、何のこっちゃであろう。しかし、これでかなり改善されたのだ。初め、ジュリエットの家名であるキャピュレットをキャビネットと言っていたのだから。しかも、何度注意訂正しても直らないという重傷さ。
言えない部分は言わない。佐藤さんがそこに行き着いたとき、クラスの皆がなるほどそう来たかと感嘆したほどだった。お陰で、『ロミオとジュリエット』の内容を知らない人には訳の分からない台詞になってしまったが。
「当日はどっちでくると思う?」
「今日と同じで、『花は薔薇』に1票!」
「じゃ、俺は昨日の『薔薇は花』に1票」
ちなみに、今私の横で交わされているのは、佐藤さんが先ほどの最後の台詞を何というかを予想しているところだ。今日は『花は薔薇でなくなるように』。昨日は『薔薇は花でなくなるように』と言っていた。
ちなみに予定されている本来の台詞は、『私たちが薔薇と呼ぶものは、他のどんな名前でも甘く香るわ』である。これを佐藤さん式に簡略化すると、先ほどの台詞になるらしい。
「全体的に台詞が縮んでるね」
「佐藤さんに合わせて短くしたんだけど…」
「半分も言えてない?」
「うん」
舞台下で劇を眺める私と委員長。
私のクラスでは、劇の構成や役柄の台詞などのほとんどを委員長が考えてくれた。そのため、委員長は総監督のような立場で劇を指揮しているので、台詞も自由に変更できるのだ。この劇で、誰よりも苦労しているのがこの委員長だろう。
「藤崎さんはもう出番は終えてるんだよね?」
「うん。だから舞台下で鑑賞してるの」
「良い役選んだね。もうちょっと出番増やそうかな」
「やめてあげて」
本気とも冗談とも付かない委員長の言葉に、私はすぐさま言葉を返す。出番が増えることはもちろん、本番を明日に控えるこんなときに新しく台詞など覚えたくない。
「冗談だよ」
そう言って、委員長は私に向けていた視線を舞台へと戻す。冗談とは言っていたが、本気でしてしまいそうな雰囲気があったよ委員長。基本、穏やかな性格の委員長だが、もしかしたら少しぴりぴりしているのかもしれない。なぜかはあえて言わないが。
そうこうしている内に、舞台練習は全て終わった。後は、泣いても笑っても明日の本番で演技するだけ。小道具や衣装を片づけ、教室で委員長がクラス皆の前で明日は頑張りましょうと言葉をかけ、解散となった。
ぱらぱらと教室から人が出ていく。私もその内の1人で、教室から出て例の如く図書室へ向かおうとしていた。こないだ借りた『ロミオとジュリエット』の本の返却が、今日までなのだ。そこでふと、私は気が付いた。
「しまった…本、体育館だ」
原作と劇にどんな違いがあるのか見比べるため、と言う名目で私は舞台裏で本を読んでいたのだ。しかし、教室に帰ってくるときに私はその本を持っていた覚えはない。となると、本は体育館に置きっぱなしなのだろう。舞台裏で読んでいたので、きっと舞台裏のイスの上にあるはずだ。
私は少し急ぎ足で体育館へ向かった。明日が劇本番と言うこともあり、部活動は行われていない。劇の練習も、私のクラスが最後だったためか、体育館には誰もいなかった。
しんと静まる体育館の真ん中を突き進み、私は舞台に上がって裏へと回る。電気を付けようかと思ったとき、本はすぐに見つかった。ほっと安堵の息を吐いて、私は本を手に舞台裏から舞台上に出る。そして、舞台から降りようと思ったところで、ふと私の足が止まる。
誰もいない
静まる返る空間
舞台上で私ただ1人
窓から入る夕焼け色の光が、スポットライトのように私を照らす。だから私は、思わず思ってしまったのだ。
あの美しい言葉を紡いでみたい、と。
「あぁロミオ、ロミオ!どうして貴方はロミオなの?」
別に、ジュリエットを演じたかった訳ではない。でも、折角の私のワンマンステージ。演じてみたって罰は当たらないだろう。
「お父様との縁を切り、どうか家名をお捨てになって!それが嫌なら、せめて私を愛すると誓って下さい。そうすれば、私もキャピュレットの名を捨ててみせますわ」
ロミオがモンタギューを捨てれば、ジュリエットは何の戸惑いもなくロミオを愛せる。
ロミオがジュリエットを愛するなら、ジュリエットは何のたらいもなく家名を捨てられる。
そんな思いが、この台詞から伝わってくるように思う。
「私の敵は、貴方の名前だけ…貴方は貴方、モンタギュー家の人でなくとも。モンタギューって何?手でもないし足でもない、腕でも顔でも、他の体のどの部分でもない。あぁどうか、他の名前になって!」
手や足、腕や顔、体の部分はロミオを構成するもの。しかし、名前は果たしてロミオを構成するものなのか。例え、名前が違っていても、ジュリエットはロミオに恋をした。そして、ジュリエットがジュリエットという名前でなくとも、きっと同じことだろう。
「名前には何があるというの? 私たちが薔薇と呼ぶものは、他のどんな名前でも甘く香るわ 」
薔薇が薔薇という名前を失っても、その魅力的な甘い香りは失われない。それと同じように、ロミオがロミオという名を失っても、ジュリエットにとってとても魅力的な男性という事実はなくならない。
そんな、バルコニーからのジュリエットによるささやかな愛の告白。そして、ジュリエットのその告白を、ロミオはこっそりと聞いていた。
(えっと、ロミオの台詞は確か…)
「お言葉通り頂戴しました」
「(そうそう、それだ…て)っえ?」
私しかいないはずの体育館に、別の人物の声が響く。しかもその声は、私の前方からはっきりと聞こえてきた。
「ただ一言、僕を恋人と呼んで下さい」
「お、大宮くん…」
舞台の下からロミオの台詞を紡いでいたのは、大宮くんだった。彼は、ゆっくりと私に近づきなが、なおも台詞を紡いでいる。大宮くんは舞台のすぐ下まで来ると、左手を胸へと当て、右手を私に差し出すように伸ばす。そして、しっかりと視線を私に向けてその口を開いた。
「さすれば新しく生まれ変わったも同然。今日からはもう、ロミオではなくなります」
完璧な台詞に完璧な立ち振る舞い。
大宮くんは完璧にロミオになっていた。
「どうして…いつから、そこに」
「貴女のことが忘れられず、月の女神の導きにより…」
「待って待って!今のは台詞じゃないの!」
「あれ?そうなの?」
私の言葉に、素敵に勘違いをした大宮くんは、さらに台詞を続けようとする。私が慌てて言葉を遮ると、大宮くんは軽く首を傾げた後、ちょっと照れくさそうに笑みを浮かべた。
「もう少し練習しときたくて来たら、藤崎さんが先に練習してたんだよ」
「や、私は練習してたわけじゃ…」
「そっか、台詞のない乳母役だったもんね」
意地悪なことを言う大宮くんの手には、確かに台本が握られている。別に大宮くんが悪いわけではないのだが、ジュリエットを演じていた場面を見られた恥ずかしさからまともに大宮くんを見られない。
「…いつから、聞いてたの?」
「『私の敵は、貴方の名前だけ』ってとこから」
「ほとんど全部じゃない…!気づかなかった…」
「役になりきってたもんね。藤崎さん」
がっくりと肩を落とした私に、大宮くんは楽しそうに笑っている。見られた気まずさも相まって、私は不機嫌そうに顔をしかめて見せた。
「声かけてくれれば良かったのに」
「折角の演技を邪魔しちゃ悪いかと思って」
「そんな気遣いいらないです」
私は素っ気なく返して、舞台から降りようとしゃがみ込む。すると、大宮くんが私の動きを止めるように目の前に立ちはだかる。
「大宮くん?降りたいんだけど…」
「えっと、今日って忙しい?」
「別に、予定はないけど…?」
「ほんと?それなら、もし良かったら劇の練習に付き合ってくれないかな?」
「え?私が?」
突然の大宮くんの言葉に、思わず聞き返してしまった。もしや冗談かとも思ったが、大宮くんのその表情は真摯なものだ。
「さっきみたいに会話する台詞が多いから、相手役が欲しくて。特に、ジュリエット役の人が」
「それなら佐藤さんを呼んだ方がいいんじゃない?」
「……さんが……んだよね」
「え?ごめん、聞こえなかった」
ぼそりと呟かれた大宮くんの言葉。あいにく、小さすぎて私には聞き取れなかった。首を傾げた私に、大宮くんは苦笑を浮かべて言葉を返した。
「や、佐藤さんだとどうも、彼女の台詞に気が散っちゃって」
「あぁ、なるほど…」
「…だめかな?」
申し訳なさそうに頼む大宮くん。
別に先ほど言ったように、特に予定はない。なので、断る理由もないし私は戸惑ったものの、今度はすぐに返事をした。
「良いよ。ただ、大根役者でも笑わないでよ」
「さっきの演技見た限りでは、全然大根役者じゃなかったよ」
「あれは忘れて下さい」
「あはは」
そんなこんなで、私と大宮くんとの演技練習が始まった。
初め、私はジュリエット役で練習に付き合っていた。しかし、大宮くんの要望でロミオの幼なじみであるマキューシオ役もやった。まさか男性の役をやるとは思わなかったが、なかなか楽しかった。
「藤崎さん、今日はありがとう」
「こちらこそ、間近で大宮くんの劇が見れて良かったよ」
「うわー、恥ずかしいなぁ」
「うっそだぁ。めちゃめちゃ堂々と演技してたくせにー」
そんな、相変わらず他愛のない会話をしながら、私たちは家路へと着いた。
そしていよいよ、劇本番当日を迎えた。
結論だけを言えば、とても残念な劇になったと言えるだろう。その原因は言わずもがな、佐藤さん。予想通りのアドリブに、話が進むほど内容がどちんぷんかんぷんとなっていった。私たちのクラスの皆は、練習の時点で慣れてしまっていたが他のクラスの人たちは、唖然とさせられたことだろう。
彼女のあまりに残念な演技から、いつの間にか劇のタイトルが『残念なジュリエット』と命名されていたほどだ。もちろん、そんな劇で優勝できるはずもなく最下位であった。ただ、最優秀演技賞として大宮くんが選ばれた。そのことだけが唯一、私のクラスの誇りとなった。
「大宮くん、おめでとー」
「ありがと。藤崎さんが練習に付き合ってくれたお陰だよ」
「1日しか付き合ってないけどね」
「その1日で、演技に自信が着いたんだ。だから、やっぱり藤崎さんのお陰だよ」
「照れ臭いなぁ」
そんな会話を交わしながら、私たちは駅へ向かってゆっくりと足を進めている。こうして一緒に帰るのは、実は2週間ぶりだったりする。
大宮くんが最優秀演技賞をとってから、とにかく大宮くんの人気が鰻登りとなった。廊下を歩けば、一歩進む前に声をかけられ、休み時間中には必ず人が囲っている。図書館にいても、誰かかんかが声をかけて話している。
大宮くんは顔が整っているだけではなく、勉強もできて運動も人並みにこなす。そんな大宮くんは、私にとっては遠い人だった。 最近になってよく話すようになり、それは私の勝手な思いだと思ったのだが。
(また、遠い人になっちゃったなぁ)
今はこうして一緒に並んで歩んでいるけれど、それもすぐに終わってしまうのかなと思うと何だか悲しくなった。そこでふと、何で悲しく鳴っているのかと思い、首を傾げてしまった。
「どうかした?」
「あ、何でもないよ」
「そう?あ、そうだ。駅前の劇場で今度、『ロミオとジュリエット』がやるらしいよ」
「そうなの?わぁ、見てみたい」
「演じたからか、凄く興味沸くよね」
私たちの言う駅前というと、ショッピングモールや映画館、劇場などか揃っている大きな駅である。そこで、ついこないだ私たちが演じた『ロミオとジュリエット』が公演されるらしい。いわゆる、本場の『ロミオとジュリエット』だ。
「うん。大宮くんはジュリエットでもさそって行ってきたら?なーんて、ね」
ジュリエット、つまりは佐藤さん。
彼女は劇をして以来、大宮くんに夢中になっている。大宮くんの周りにはいろんな人が集まるようになったけど、その中にいつも必ずと言っていいほど佐藤さんの姿があった。今は私と一緒に帰ってはいるが、最近ではずっと佐藤さんと大宮くんが一緒に下校している。その姿から、2人は付き合っているのではないかという噂が飛び交っていた。
少し残念なところもあるが、佐藤さんの見た目は一級品。そんな佐藤さんと大宮くんのツーショットは、悔しいながら絵になっているのだ。
(悔しいって…私まるで……)
そこでふと、私は自身の想いに至る。
私は、大宮くんのことが好きなのではないかと。
何やら思い至る節がたくさん浮かんでくる。そもそもさっきの佐藤さんと行ったら発言も、遠回しに佐藤さんと付き合っているのか探りを入れているようなものだ。無意識にそんな発言をするなんて、自身の気づかぬ所でえらく重傷化していた。
「そうだね。ジュリエットを誘ってみようかな」
大宮くんのその言葉に、私の想いは早くも打ち砕かれた。
だって、その言葉はつまり、佐藤さんと付き合っていることを肯定しているようなものだ。大宮くんの言葉に、私の心は重くなり、息が乱れそうなほど苦しくなった。
こんなにもショックなら、聞くんではなかったと後悔する。
「た、楽しんできてね」
ようやく言えた言葉は、たったそれだけ。それが私の精一杯だった。
そうこうしている内に、私たちは駅に着いた。改札を抜け、ホームへと降りる。その間、私はショックのあまり無言になってしまった。対する大宮くんも、なぜか無言になっている。
もうすぐ、私の方の電車がくる。アナウンスが流れる中、大宮くんがゆっくりと私へと視線を向けた。
「ねぇ、藤崎さん」
私を呼びかける大宮くん。
私が大宮くんの方へと顔を向けると、電車が横を通っていく。電車の早さで生まれた風が、私の髪の毛を遊ばせる。
「ジュリエットは一緒に劇に行ってくれるかな?」
「そりゃ…喜んで、行ってくれると思う、よ」
電車がホームに止まり、扉が開く。
しかし、大宮くんの言葉に再び胸が苦しく重たくなった私は動けずにいた。そんな私と対峙する大宮くんは、私の言葉に少し安心したように微笑む。その笑みに、私は手を強く握り絞めた。そうしないと、いろいろなものが溢れてきそうだった。
「そっか。なら、勇気を出して誘うよ」
その言葉から、大宮くんもちゃんと恋をしていることが分かってしまった。
ホームにベルが鳴り響く。早く乗らないと、次の電車まで数分待たなければならない。大宮くんへの想いを自覚し、大宮くんの想いを感じた私に、数分も耐えることはでにない。
いつもと変わらず「また明日」と声をかけよう。そして、電車に乗って早く彼の元から消えてしまおう。彼に対する私の思いも、早く消えるよう祈って。
「…それじゃ、また───」
「藤崎さん」
呼びかけられ、私の言葉は途切れてしまう。目が泳いでいた私の視線が、大宮くんの視線と交わる。その目はまっすぐに、しかしどこか不安そうに揺れている。
「僕と一緒に、見に行かない?」
「…え?」
一瞬、時が止まったかのように静まりかえる。もしかしたら、私は夢を見ているのかとさえ思ってしまった。しかし、電車の扉の閉まる音が現実であることを知らせている。
「僕にとって、ジュリエットは佐藤さんなんかじゃない」
電車がゆっくりと進んでいく。
「僕にとってのジュリエットは、藤崎さんなんだ」
電車の風圧が、再び私の髪をさらっていく。好き勝手に動く髪をそのままに、私は何か考えるよりも先に、ぽつりと言葉を漏らしていた。
「…私は、ジュリエットにはなりたくない」
そう、私は別に、ジュリエットになりたいわけではない。まして、大宮くんがロミオで、私がジュリエットだなんて絶対に嫌だ。
「大宮くんへの想いを、ジュリエットみたいな悲恋にしたくないもの」
大宮くんの後ろから、風が私たちの間を吹き抜ける。その風に見向きもせず、大宮くんは私見つめている。
もう一度風が吹き抜けた頃には、私と大宮くんの手は自然と繋がれていた。
中学生になって、初めて学校の図書室で読んだ本が『ロミオとジュリエット』。
何でその本を手に取り読んだのか、今では全く覚えていない。内容自体も、ざっくりとした流れ自体は覚えているのだが、細かなところは記憶に残っていない。
そんな私の『ロミオとジュリエット』の記憶の中でただ1つ、はっきりと覚えていることがある。それは───
恋した人とは幸せになりたい。
私には、壮大な恋愛劇なんていらない。
何の障害もなく、とは行かなくても、当たり前のように傍にいて、当たり前のように楽しい日々を過ごしたい。
だから私は、ジュリエットにはなりたくない。
だらだらと長くなってしまいました。最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます!