あのこに電話(甘えてなにが悪い)
自分の部屋、軽いため息をつきながらベッドに腰を下ろす。
その日の夜になってもまだ、俺は五十嵐から強く拒否されたショックを引きずっていた。
普通に考えてみればフットサルチームに誘うこと自体は決して相手を傷つけるようなことじゃないのだけれど、五十嵐の足の状態を考慮すればスポーツ、しかもプレーのほとんどを足で行うスポーツに誘うことは、大げさに言ってしまえば『侮辱してる』って捉えられる可能性もなくはないわけで……。
いや、そこまでは思わないとしても、『忘れたい過去を無理やり思い出させられて辛い』って感じたとしても不思議はない、というよりそれが当然だし。
あれからテレビを観たりゲームをしたりして気分転換しようとしたけれど、全部無駄な努力だった。
何ていうか、今日の五十嵐のリアクションによって、俺は今まで持っていた根拠のない自信を失ってしまったのかもしれない。
もちろん今でも五十嵐をチームに入れたい気持ちに変わりはないし、その方が五十嵐も今より輝けるんじゃないかと俺は思っている。
大体が遊びのチームなんだし、上手くプレーする必要もない。
上手か下手かなんて関係なく誰かとスポーツを楽しむことによって、五十嵐が張っている柔らかい、けれどなかなか通り抜けられないバリアみたいなものが弱まるんじゃないか、そう俺は考えて五十嵐を誘った。
もちろん中学の時に見たあの虹を架けるパスがもう一度見たい、っていう欲求も少しくらいはあったけれど。
それにしても、あんなにガッツリ拒否されるなんて……。
断られる可能性の方が大きいとは覚悟していたけれど、実際にそれが自分の身に起こるとちょっと落ち込んでしまう。
やっぱりおせっかい、というか俺のわがままだったのかなあ……。
ふと見ると、充電中の携帯電話が視界に入った。
どっちにかけようか少し迷ったが、あいうえお順でかける相手を決めた。
5回目のコールで電話が繋がる。
「はー、はー、お、お譲ちゃん、どんなパンツ履いてるのかなあ?」
「うざい」
明日菜がサクッとツッコミを入れる。
「まあまあそう怒んなって。起きてたんだ?」
「お風呂から上がって、もうすぐ寝るところ」
「そうなんだ。宿題やった?」
「見せないよ」
明日菜が先回りして断る。
「誰も見せてなんて言ってないじゃん。まあ言おうと思ったけど」
「ていうかこうちゃんも侑も、パンツのことしか考えてないよね」
そんなことはない、他にも考えることはたくさんある。
「パンツだけじゃねえよ。ブラの事だって考えてるし、ニーハイとか網タイツとか色々考えてるよ。もう頭ん中そんなことで一杯だよ」
「最低」
「最低でも何でも、男子と生まれたからにはしょうがないんだって。それよりさ、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
「下着の話なら侑としてくれるかな」
「そんなんじゃねえよ!真剣に、真面目に聞いて欲しい事があるんだよ。ちょっと今日、トラブルっていうか参っちゃうことがあってさ」
「わかった、そういうことなら聞いてあげる。何があったの?」
明日菜の声のトーンが幾分真剣なものになる。
「うーん、さっきはトラブルって言っちゃったけど、そのトラブルは俺が原因ていうか……。なんだろう、どっから話したらいいかわかんなくなるな」
「今日の学校が終わってしばらくは私達と一緒に教室にいたじゃない、夕方に何かあったの?」
「確かに夕方にあったことで悩んでるんだけど、本来の事の始まりは何年か前だったりして……」
「何年か前って、そんなに深い問題なの?」
「深いと言えば深い、深くないと言えば……、それに問題っていう言い方もこの場合は当てはまってないような」
明日菜が痺れを切らしたように言う。
「なんかグズグズ言ってるだけで、聞いててもどんなことがあったのか全然伝わってこない」
今まで誰にも言っていない話だから、どうしてもうまく言葉に出来ない。
俺は自分の言語能力を恨みつつ、心のはじっこに諦めが生まれるのを感じた。
「だよなあ……。自分でも全然説明になってないなって思うし。ごめん、やっぱり電話切るわ。悪かったな、寝る前に電話しちゃって」
「待って、聞かせて」
「いや、いいよ。なんか頭が混乱して上手く話せそうにないし。多分自分で考えなきゃいけないことだから、一人でなんとかしてみるわ」
「こうちゃん、深呼吸して」
深呼吸?
いきなり何を言い出すんだ、明日菜は。
「何で?」
「いいからして。早く」
とりあえず言われた通りに何回か深呼吸をする。
「……ちゃんとした?」
「しましたよ、命令通りに」
「ねえ、こうちゃん。上手に話す必要もないし、焦って早く話す必要もないの。説明に朝までかかったって別にいいじゃない?私とこうちゃんの仲なんだし、それくらいは付き合うから。心を落ち着けて、一言ずつゆっくりと言葉を探すの。気負わずに自分の気持ちを見つめれば、何をどう伝えればいいか分かってくるから。お願いだからどんなことでも一人で抱えこまないで。私はいつもこうちゃんの味方なんだから」
明日菜の言葉を聞いているうちに、さっきまであった胸のつかえが消え去っていくのを感じた。
それに代わって俺の心を暖かい何かが少しずつ満たしてゆく。
明日菜が優しく続ける。
「だから一緒にどうすればいいか考えよう。一人じゃなくて、一緒に」
そうだ、確かに明日菜はいつも俺の味方だった。
少しでも落ち込んだ時には、必ずそばにいてくれた。
「じゃあ頑張って話してみる」
「頑張んなくていいの」
俺は思わずふき出す。
「そうだな、じゃあ頑張らずに気楽に話してみる」
その後俺は、何度もつっかえたり黙り込んで言葉を探したりしながら明日菜に話した。
中二の時に五十嵐のプレーを見かけたところから、今日の夕方に派手に断られたところまでを、ゆっくりと説明した。
また、その時々の俺の気持ちについても出来る限り正直に話した。
明日菜はそれらを我慢強く聞いてくれた。
やっと大体の事を話し終わり、明日菜に聞いてみる。
「というかんじなんだ。明日菜、どう思う?」
「……まず桃花ちゃんがサッカーをやってたことと、こうちゃんがそれを知ってたことにびっくりしたかな。それと桃花ちゃんをチームに入れようとして、こうちゃんが隠れてこそこそ動いてたことにも」
こそこそとは心外だ、単独行動を取ったことは認めるけれども。
「別にこそこそはしてないだろ、ただお前や侑に言ってなかっただけじゃん」
「まあそれはいいんだけどね。桃花ちゃんをチームに誘うことに関しては、んー、やっぱりそれってこうちゃんの個人的な思い入れでしかないんじゃないかな。桃花ちゃんの気持ちを置き去りにしているかんじがする」
やっぱりそうくるよなあ……、どう考えてもその見方は正しい。
しかし、どうしても釈然としないというか、諦めたくない気持ちもある。
「それはまあ自分でも薄々分かってはいたんだけど、けどさ」
「ん、何?」
「明日菜に話しながらも改めて思ったんだけどさ、やっぱり五十嵐はもう一度プレーしたいんだよ。今日断られはしたけれど、それでも本音ではもう一度やりたいんだと思う」
「どうしてそう言い切れるの?」
「三年前にあのプレーを、心から幸せそうな五十嵐を見た時に思ったんだよ、この子は心底ボールを蹴るのが好きなんだなって。足が義足になっても、いやだからこそその想いは強くなってると俺は思うんだ。サッカーだとピッチが広いから、移動に時間のかかる五十嵐には難しいかもしれない。けれどフットサルなら周りのフォロー次第では十分プレー出来るだろ?」
「なんか理由になってるような、なってないような、だね。けど分かった」
「何が分かったんだ?」
「こうちゃんが本気なんだってことが。実際のところ桃花ちゃんの本当の気持ちは誰にも分からないけれど、こうちゃんは自分が一番正しいと思うことをすればいいよ。私は応援する、こうちゃんの味方だから」
とても親密なその言葉を受け、俺の心はまた少しだけ強くなる。
「ありがとな、明日菜。なんか話してるうちにすごいすっきりしてきた。モヤモヤが晴れたような気分だよ」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ今から明日菜の部屋に行こうかという気になるが、常識が即座にそれを打ち消す。
大体もうこんな時間だ、それになんとなく今夜は電話の方が素直になれる気がする。
「よかったね、こうちゃん。それにしても、くやしいくらい夢中だね」
「ああ、最初は侑に誘われて嫌々入ったフットサルチームなのに、俺が一番楽しんでるな。まあまだ練習も始まってないけどさ、今からワクワクしてるよ」
「ううん、そうじゃなくて……。まあいいや、なんでもない」
じゃあ何の話だ?
まあいいって言ってるんだしいいか、さすがにちょっと眠くなってきたし。
「じゃあ寝るか、こんな時間まで付き合わせて悪かったな」
「別に大丈夫、電話ぐらい」
「そうか。じゃあ、また明日」
「明日は土曜日だよ。あっ、日付的にはもう今日か」
「じゃあまあ、月曜に」
「おやすみ、こうちゃん」
「おやすみ、明日菜」
電話を切った後、さっき明日菜に言ったように頭の中が整理されているのを改めて感じた。
諦めずに気合い入れて、もういっちょやってみるか。
パジャマに着替えながら、俺は眠気に耐えつつ決意を新たにした。