五十嵐が遊びに来た
約束通りキッチンでお茶を淹れながら、俺は必死で考えていた。
うちに呼んだはいいものの、どうやって五十嵐をチームに誘おうか。
出来るだけ自然に話を持っていきたいんだけれど、やっぱり具体的な方法は思いつかない。
考えているうちにお茶が入ってしまったので、しょうがなく五十嵐の待つリビングへと運ぶ。
俺を悩ませている少女は、ソファにちょこんと座り物珍しそうに周りを見ている。
「はい、お待たせ」
俺は五十嵐の前にカップの取っ手を取りやすいよう左側にして置き、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座る。
「わあ、かわいいカップだね。三浦君が買ったの?」
ティーカップには繊細なタッチでリンゴの絵がいくつか描かれている、多分だけど北欧製だ。
「いや、お袋の趣味。そういうの集めるの好きでさ、三人家族なのにティーカップとか皿だけやたらあるんだよね」
「すごいセンスいいね、お母さん。お部屋もかわいいし」
もう一度五十嵐が辺りを見回して言う。
「そうか?俺としてはちょっと女っぽ過ぎるかな。家具とか時計とか変えたいんだけど、勝手にやるわけにはいかないから放置してるんだ。第一そんなことしだしたら金がいくらあっても足らないしね。」
五十嵐が同意する。
「インテリアって凝りだすとすごいお金かかるよね。雑誌とか見て憧れるんだけど、自分ではルームシューズ買ったり小さなサボテン買うので精一杯。洋服だって欲しいし、美容院にも行かなきゃだし。頑張って頼めばお父さんとお母さんも特別にお金をくれることもあるんだけれど、やっぱりいつもいつもってわけにはいかないしね」
「まあそうだよな。バイトでもすればいいんだろうけど」
「しないの?バイト」
「めんどくさいからしない。それよりお茶、飲んでよ。冷めちゃうよ?」
「あっ、ごめんなさい。いただきます」
両手でカップを持ちながら、目を閉じてゆっくりカモミールティーを飲む五十嵐。
「すっごくおいしい、さすが自分で言うだけあるね!それにすごくいい香りがする」
「いい匂いするよな、なんかクセになる匂いっていうか」
二口目を飲んだ後、五十嵐がカップを静かにテーブルへ置く。
「何て言うハーブなの?」
「カモミール。リラックス作用があるんだって」
「へー、初めて飲んだ。私これ好きかも」
「だから言ったろ、五十嵐の好みぐらいお見通しさ」
俺は冗談ぽくかっこつけて五十嵐を見つめる。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ三浦君には嘘つけないね、全部バレちゃうから」
五十嵐が白い歯をこぼしながらながら言う。
「バレるよ、全部バレちゃうよ。だから俺と話す時は気をつけたほうがいいよ」
「わかった、気をつける」
五十嵐は素直に頷いて、大事そうにハーブティーを飲む。
改めて見るとやっぱりかわいいな、この子。
「さっきのバイトの話なんだけどね」
五十嵐が会話を再開する。
「三浦君てバーテンダーとか似合いそう。なんかかっこつけてシャカシャカやってるの。それで『お美しいお客様には、こちらのカクテルがお似合いです』とか言うの」
バーテンダー?
突拍子もない発想に、俺は苦笑する。
「俺のイメージって、そんなかんじなのかよ。こう、夜の街でかっこつけてシャカシャカやってそうなかんじ?」
「うん、そんなかんじ。それでそのお客さんにはフラれちゃうの。けど懲りずにすぐまた違う人に声をかけるの。バーテンダーの三浦君は立ち直りが早くて、すぐ次の女の人にいくの」
「なんかすごいイメージだな。けど俺そんなにかるくないぜ?わりと一途だし」
五十嵐は片手を顎に当て、ちょっと考えてる風の仕草。
「うーん。私は三浦君みたいに他の人の嘘を見抜けないから、言われたままを信じるしかしょうがないよね、とりあえず」
あまりにも心外な五十嵐の発言に、俺はちょっと腹が立った。
いや、腹が立ったと言うより、かるく傷ついてしまったのだ。
「もういいよ、俺学校辞めてバーを開くよ。それで店に来る女の人に片っ端から声かけて、フラれまくればいいんだろ?お望み通りそうするよ」
「あら、いじけちゃった?」
「別に」
だって今の五十嵐の言葉だと、俺はかるくて気が多いってことになるのだ。
当然俺は少しだけ不機嫌になる。
「あーあ、いじけちゃったねー、三浦君ねー。三浦君が……いじけ……」
五十嵐は愉快そうに笑った。
むー、意外なイジり方をしてくるな、この子。
チェンジ・オブ・ペース、俺は会話の主導権を相手に渡さないように話を変える。
「そうだ、五十嵐って自分のパソコン持ってんの?ほら、昼休みに曲をパソコンに入れたって言ってたからさ」
「ううん、自分のはないの。だからお兄ちゃんのパソコンに入れてもらったんだ」
「ふーん、お兄さんてどんな人?」
「すっごく優しいよ!けっこうかっこいいし、勉強も教えてくれるし。全然怒ったりもしないんだよ」
大好きなんだな、お兄さん。
高校生の女の子が自分の兄弟をベタ褒めするのって、珍しいかもしれない。
「へー、じゃあ怒られたことないんだ?」
「んー、怒られたことはないんだけど、叱られたことはあるかな。怒鳴ったりは絶対しないんだけど、
私が間違ったことをすると悲しい顔で注意するんだ。その顔があんまり悲しそうで真剣だから、私はす
ぐに反省してお兄ちゃんの言うことを聞くの。こんな顔をお兄ちゃんにさせたらダメだ、ちゃんと言うとおりにしなきゃって思うの」
そうか、そうやって頼めば言うことを聞いてくれるのか。
いいことを聞いた。
「五十嵐、代わりに今日の宿題やってくれ」
俺は出来るだけ悲しそう且つ真剣な顔を作りながら言う。
「んー、そういう時のお兄ちゃんの顔はね、ほんとに悲しそうな顔なの。三浦君のみたいに面白い顔じゃないの」
当然の事ながら、また俺は傷つく。
「お、面白い顔……、自覚はなくもなかったけれど……まさかそんなにストレートに言われるとは……」
「冗談だよ、冗談。お昼休みにいじめられたからね、ちょっとは仕返ししなきゃ」
「面白い顔かあ……」
「だから冗談だよー。三浦君てわりとかっこいいよ」
俺はマッハで立ち直り、五十嵐を問い詰める。
「まじで?ほんとにそう思う?え、まじで?」
「うん、どちらかと言うとかっこいい方かもって思う。私の好みって変ってるから、他の女の子もそう思うかどうかはわからないけど。」
なんだろう、顔を褒められるのってすごく嬉しい。
「そんなこと言われたの生まれて初めてだ!生きててよかった!明日菜なんて何年間もほぼ毎日会ってるのにそんなこと絶対言わないしさあ、ああ今日はいい日だなあ!」
「……思ってても、全部言うとは限らないよ。言えないこともあるんじゃないかな」
なぜだろう、五十嵐の表情が少しだけ曇ったように見えた。
だが現在絶好調の俺はそんなことを気にかけない。
「いやー、俺ってイケメン寄りだったんだあ!五十嵐から見ると!ということは、他にもそう思ってくれる女子、いるかもしんないなあ!」
呆れたように肩をすくめる五十嵐。
「ほら、そんなことをすぐに言っちゃうところが」
「かるく見られる原因ですね、わかります」
本音というか本性ってついポロっと出るものなんだな、女子の前では注意しなければ。
ふと、五十嵐が横目で壁にかけてあるカレンダーを見ていることに気付く。
そのカレンダーは月毎に違うサッカー選手の写真が載っており、写真の下に申し訳程度に日付が書いてあるものだ。
ちなみに今月はピッチに立つプレー中のスナイデルを撮った写真だ。
「ああ、あのカレンダーは俺の趣味。サッカー好きなんだ。基本は海外サッカーで、Jリーグはあんまり詳しくないんだけど。五十嵐はあの人のこと知ってる?」
チャンスだと思い、サッカーの話題にどう反応するのか探りを入れてみた。
チームに誘う前に、どの程度五十嵐がサッカーに関してオープンに話してくれるのか、見極めておく必要があったのだ。
「……知ってるよ、スナイデルでしょ?」
「そうそう、オランダの。五十嵐、けっこう詳しいじゃん」
「お兄ちゃんがサッカーやってるから。それで知ってる、かな。別に詳しくはないと思うよ」
「そう?サッカー好きの中では超有名だけど、普通の女子高生はスナイデルなんて知らないんじゃない?お兄ちゃんと一緒にサッカー観たりするの?」
「……昔はよく一緒にテレビで観てたんだけどね、中学の途中からはあんまり観なくなっちゃったな」
明らかにこの話になってから、五十嵐の表情が暗くなっている。
中学の途中、つまり両足が義足になった頃から、サッカーを観なくなったってことか。
当然だよな、もし俺だったらサッカーという言葉を聞くのも嫌になっているだろう。
しかし五十嵐には酷かもしれないけれど、もう少しこの話題を続けて五十嵐が今サッカーに対してどう思っているのかを確かめなくてはならない。
「ふーん、そうなんだ」
俺は五十嵐の変化に全く気付かないふりで話し続ける。
「俺アーセナルってクラブが好きなんだ。攻撃的ですごい楽しいサッカーをするいいクラブなんだぜ。若手が主体でさ、俺達とそんなに年の変わらない選手が試合に出たりするんだ。五十嵐は好きなチームとかある?」
「特にないかなあ」
「そうなんだ。じゃあ好きな選手とかは?」
「もう何年も観てないから……」
「俺は昔アーセナルにいたセスクっていう選手が大好きでさ、結局バルセロナに移籍しちゃったんだけど。キープ力があって中盤を支配しながらゴールも」
「三浦君!」
五十嵐がもう堪え切れないという風に俺の話を止める。
「お茶のおかわり、もらってもいいかな。すごくおいしかったから。ごめんね、なんか大きい声出ちゃった」
「あ、ああ。淹れ直してくるよ」
俺はキッチンで一人考える。
……とりあえず潮時だ、今はこれ以上サッカーの話を五十嵐に振らないほうがいいだろう。
あとで改めてチームに誘わなきゃならないが、その前にクッションを置いたほうがいい。
「ありがとう」
表情をゆるめてティーカップを受け取る五十嵐は、もういつも通りの彼女だった。
「……私ね、学校の人とこんなに話すようになったの、高校入ってから初めてかもしれない」
確かに普段の五十嵐に、積極的に友達を作ったり、自分から話の輪に入っていくイメージはない。
いつも話しかけられたら笑顔で応えるが誰か特定の人とよく話すということはないし、昼休みも帰る時も(以前明日菜が心配したように)基本的にはいつも一人だ。
「友達と話したりとか遊んだりとか、あんまり好きじゃないの?」
「うーん……」
少しの間だけ、五十嵐は考えこむ。
「何て言えばいいんだろう。あのね、皆すごく優しくしてくれて、ほんとにいつも感謝してるのよ?話かけてくれたり、手伝おうとしてくれたり、遊びに誘ってくれたり……。その時は嬉しいな、ありがとうって素直に思うの。けど次の瞬間に頭の中でストッパーがかかるの。皆が優しいのは、私に障害があるからじゃないか、だから優しくしてくれるんじゃないか、甘えたら迷惑をかけちゃうぞ、って」
「そんなこと」
俺の言葉を遮って五十嵐は気持ちを吐き出すように続ける。
「分かってるのよ、そんなことないって。高校に入って一年以上、皆変わらない態度で接してきてくれた。同情なんかで出来ることじゃないって、分かってるの。けど、どうしても私の前に出してくれた手をとることが出来ないの。きっと自分に自信がないんだよ」
話す内容の重さとは違って、五十嵐は笑顔だった。
「困ったなあ、とはもちろん思うんだけどね。皆にも申し訳ないし。けどこのままでもいいかなあとも思うの。一人でいるのにも慣れてきちゃったし。ううん、完全に一人ってわけでもないし、今ぐらいのかんじがちょうどいいかなあ、とか思うこともあって」
俺は真剣に話を聞きながら、五十嵐の言葉の意味と気持ちの奥底にあるものを感じようとする。
「ふう、何か一気に喋っちゃった。はーすっきりした。今まで誰にも言えなかったことだもん、話すのに勢いが必要だったよ」
確かに五十嵐の表情には、解放感みたいなものが広がっていた。
「……けどさ、それってちょっとつまんなくない?」
俺なりに真剣に五十嵐にかける言葉を考えた末に出てきたのがこの言葉だ、我ながら情けない。
目の前の女子が本音を語ってくれているというのに……、自分のダメさに嫌気がした。
「もうつまんないとか面白いとかじゃないかな。慣れちゃえばそういうことも感じなくなってくるんだよ」
今、俺の頭には中学の頃の五十嵐の姿がフラッシュバックしている。
試合が終わった後にたくさんの仲間に祝福され、本当に幸せそうな顔をしていた五十嵐が……。
今のままじゃだめだ、五十嵐。
絶対にもう一度輝かなくちゃだめなんだよ。
今がベストのタイミングかどうかはわからないけれど、俺は勝負に出ることにした。
「ちょっと俺の部屋からCDとパソコン持ってくるね、観て欲しい動画があるんだ。」
「なになに、PVか何か?」
「まあまあ、観てからのお楽しみということで。少し待ってて」
リビングから移動しながら、緊張で体が少し熱くなっていることに気付いた。
俺は自分の部屋からジェットのセカンドアルバムとお勧めのCD数枚、そしてノートパソコンを抱えて戻ってくる。
「はい、まず約束のCD。他に俺が気に入ってるやつも何枚か持ってきた」
「ありがとう。またお兄ちゃんにパソコンに入れてもらおっと」
五十嵐は脇に置いた鞄を開け、CDを入れる。
その間に俺はテーブルの上のティーポットなどを端に寄せ、スペースを作ってから無線で繋がってい
るパソコンを置き起動させた。
「ねえ、これって自分のパソコン?」
「元は父親のだけど、置いてっちゃったから今は俺のものみたいなもんかなあ」
「いいなー、自分の!私も欲しいなあ」
胸の想いを出してよほどすっきりしたのだろう、完全に明るさを取り戻した五十嵐が続ける。
「けどパソコンなんて手に入れたら、色んなかわいい洋服とか見れちゃうね。物欲に更に火が着いちゃって大変だよ」
「今は何でもネットで買えるからな、ハマったら大変だぞー」
「だよねー。けど未成年でもネットショッピングって出来るのかな?」
「どうなんだろうな、やったことないからわかんないけど。気になるなら今度調べておこうか?」
「ありがとう、けど大丈夫。やっぱりそんなのやりだしたら私絶対ハマるもん、危ないよ」
「じゃあまあいずれの楽しみってことでいいんじゃないか?」
話しながら俺はモニターが見える位置へと椅子ごと移動し、立ち上がったパソコンでブックマークから目当ての動画のタイトルをクリックする。
「これなんだけど」
画面にはこの間一人で観たブラインドサッカーの映像が流れ始めている。
「ブラインドサッカーって言ってさ、視覚障害者と普通に目が見える人が一緒に出来るサッカーなんだ」
「すごい……、この人達、本当に見えていないの?」
五十嵐が驚きの声をあげる。
気持は分かる、画面の中の選手達の動きを見て相手やボールが見えていないとは信じられないのだろう。
「選手が皆マスクを着けてるだろ、あれで完全に視界が遮られているらしい」
解説者の言葉の隙間を埋めるように、俺は五十嵐に説明し続けた。
五十嵐は相槌を打つのも忘れ、画面に魅入っている。
やがて試合が終わる。
「ねえ、他の動画ってあったりする?」
俺は五十嵐が興味を持ったことに喜びながら『ブラインドサッカー』で検索をかけ、トップにきた動画を再生する。
今度はブラインドサッカーのゴールシーンやドリブルで相手を抜くシーンなど、色々な試合の派手な部分だけを編集して繋ぎ合わせたダイジェストの様な動画だ。
「……すごい」
途中で一度そう呟いただけで、ずっと五十嵐は黙って画面を見つめている。
五十嵐の方を盗み見ると、興奮で少し頬が上気している。
邪魔をしないように、今度は俺も黙って画面を見続けた。
しばらくして動画が終わっても、彼女はまだモニターを見つめていた。
「どうだった?」
「すごかったよ!本当にびっくりしちゃった」
まだ五十嵐の頬はチークを塗ったようにピンクに染まっている。
そんな五十嵐を眺めながら、俺はあれからずっと言いたかった言葉を口にする決心をした。
「あのさ、五十嵐。聞いて欲しい話があるんだ」
「ん?何の話?」
「ブラインドサッカーを初めて見たときに俺思ったんだ、ハンディキャップがあってもなくてもスポーツは一緒に出来るって。だから五十嵐、一緒にフットサルやらないか?」
「え……、私が?」
一瞬にして五十嵐の顔に戸惑いの色が広がる。
「カモミールっていうチームなんだ、まだ組んだばっかなんだけど。明日菜とか侑もメンバーなんだぜ、きっと楽しくなるよ」
五十嵐はしばらく黙り込んでから、振り絞るように言った。
「そっか、それでなんだね……。それでボール運び手伝ってくれたり、おうちに呼んでくれたりしたんだ……」
「五十嵐!俺は」
「ごめんなさい、もう帰るね」
急いで鞄をとり、ソファから立ち上がり玄関へと向かおうとする五十嵐。
立ち上がって掴もうとする俺の腕を振り切り、表情を見せないよう下を向いたまま五十嵐は家から出て行った。
俺はただ一人、突然の出来事に追いかけることも出来ず、茫然と立ち尽くしていた。