~第八十一話~暴君の最期《後編》
ども。結局間が空いてしまいましたね…。すみません。ひたすら陳謝です。
その男は、月明かりが差し込む部屋で見てみると、老年と壮年の間あたりの印象だった。酷く疲れているような、しかしどこか達観しているような…そんな表情を浮かべていた。カランと音を立てて、グラスの中の氷が転がる。
「君がここに来たということは、私も最期の時が来たということだな」
「…あぁ…お前で最後だ」
短いやりとりの後、更に少し静寂が訪れた。相変わらず、部屋の外は騒がしい。早く手を下さなければと思っていた矢先、その男…大統領が口を開いた。
「少し、ほんの少しでいい、時間をくれないか?」
「何を今更。悪あがきは」
「みっともなく命乞いなどしない。ただ、責務を果たしたいだけだ。その後、煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わない」
「主…」
ダービーが僕の顔色を窺うような声を上げる。どこまで信じていいかわからない。こいつは僕の敵なのだから。しかし、大統領のその言葉に嘘はないように見える。
「…いいよ。でも、少しでも疑いがかかるような素振りがあったら…」
「わかっている。私は君の怨敵だが…信じてくれ」
「トラスト・ミーね。そう言った政治家は今頃何してくれてんだか…」
僕の呟きを流し、大統領は電話機に手をかける。
「もしもし。私だ。これより大統領官邸の武装解除を指示する。そう、今からだ。挨拶はよい。全軍撤収だ。最後の晩くらい、ゆっくり過ごさせてくれ…。…撤収だと言ったろう!大統領命令だ!」
少し乱暴に電話機を叩きつけると、もう一度電話をかけ始めた。
「…ご機嫌はいかがかな?ミスターハセガワ。全く…私もヤキが回ってきたようだな。…うん?いや、来ておるよ、ここに。私が直々に雇いたいくらいのヒットマンだ。ハハハ!いや、気にする事ではない。これは私の自業自得だ。私が去った後…この世界は任せたぞ。君が仮定しているであろう我が国の次期指導者は、まだ若い。君が導いてやってくれ。…君との積もる話はまだまだあるが、これ以上君の国で育った宝を待たせるのは失礼だろう。では、息災でな。健闘を祈る」
「…誰と話してたんだ?」
「国防長官と、ミスターハセガワだ」
「責務って、何しゃべってたんだよ」
「聞いた通りさ。軍の撤退は、大統領の裁量だろう?それと…ミスターハセガワには、この世界の未来を託しに」
「そうか」
「彼は素晴らしい指導者だ。そして、人望もあり、君を始め後進にも恵まれている」
「いや、僕は別に日本を…」
「彼が…少し羨ましいよ」
氷が融けて薄くなったであろう…匂いから察するにウイスキーを口に含む。スコッチの空き瓶が、同じテーブルに見て取れた。
「少し…話をさせてくれないか?その為の、軍の撤退だ。何、別に寿命稼ぎじゃないさ」
「…最期の言葉くらいは聞いてやるよ」
僕が返事すると、大統領は微笑み十字を切った。根っからのキリスト教信者が、なんであんな暴挙にでるか。
「勿論、全て話すんだろうな?」
「オフ・コース」
そう小さく言うと、残りの液体を飲み干した。
「君も知っている通り、我が国と君の国は文字通り何十年と世界を牽引してきた。私は、そのトップとしてかなりの年月を捧げてきた。しかし、ミスターアキラ?」
「めんどくせえからアキラでいいよ」
「そうか。アキラ、私がいつ今の妻と一緒になったかご存知かい?」
「…知らないわけないだろ。僕もニュースくらい見るさ。五年くらい前だったか?」
「六年前だ。お互い再婚だったということは?」
「…知らない」
ニュースの内容までは覚えていない。ただなんとなくへぇと思った事柄はあったから、恐らくそれがそうかもしれない。
「私がまだただの地方の政治家だった頃、前妻がいたんだ。長いブロンドの、とても綺麗な女性だった」
「…長くなるのか?その話」
「まぁ聞いてくれ私はとても彼女を愛していた。彼女が喜ぶ顔を見たくて、毎日自分の時間を全て仕事に向け、私が仕事を成す度に、彼女はとても喜んでくれた。彼女の笑顔を見るために、私はなんでも出来る気がしていた。…しかし、その笑顔の合間に見せる寂しげな顔に気づいてやることが出来なかった…。今思えば、私の失敗はすでに始まっていたのかもしれん。私は知事まで昇進し、その頃はあまり家にも帰ることが出来なかった」
「他の男に寝取られでもしたか?それともベタに病でも患っていたか?」
僕が冷ややかに茶々を入れると、大統領は自嘲気味に笑った。
「どちらかと言えば後者だな。最も病ではなく事故だったが」
「…事故?」
「私達夫婦は残念ながら長いこと子どもに恵まれなくてな。手を換え品を換え、不妊治療を繰り返し、何度も検査も受けた。そしてようやく妻が子どもを宿したんだ」
「良かったじゃないか」
「…私がそれを知ったのは、病院の霊安室だった」
…茶々を入れたことを少し後悔した。
「仕事中に妻から電話がかかってきてな。大事な話があるから家に帰れないなら会いに来ると、面会出来る時間を教えてくれと。私が時間を指定すると、妻のとても嬉しそうな声が返って来た。それがやけに印象的で、そして私が聞いた彼女の最後の声になった…」
ヤバい、駄目だ。感情移入するな。話が終わった後、僕はこいつを殺さなきゃいけないんだ。
「いつまでも来ない妻を頭の片隅に追いやってまた仕事をしていると、病院から電話がかかってきた。…薬中の暴走した車が、家を出た妻にぶつかってきたそうだ。救急車の中でまだ意識があった妻は、最期までお腹の赤ん坊を案じていたという」
「……」
もう声が出ない。僕なら、なりふり構わず報復しに行っているかもしれない。
「私は慟哭したさ。仕事にも出れなかった。アルコール中毒手前にも陥った。しかしふらつく頭で仕事に戻り、そして仕事に集中し、それでも一生死んだ妻を愛し続けようと誓った。君の国なら、『操を立てる』というやつだな」
「なんか男が言うのは違う気がするけど」
「今の妻とは、勿論公表は出来ないがあくまで形式だよ。国のトップが独身だと拙いという体裁だな」
「…はっきり言って悪習だと思う」
「ふふ…君はまだ若いな。世論というのは、そういうものだ。いずれ君にも分かるさ。そしてある日…そう、約一週間前、彼女は再び私の前に現れた」
間違いなく予想はついた。ベルフェゴール(色欲)が現れたんだろう。
「私はキリスト教信者であるとともに現実主義者でもある」
「矛盾してねぇか?」
「絶対起こりえないと思った。しかし彼女は私の心に問答無用で入ってくる。私は溺れるしか術を持たなかった。そして、君の世界に渡ったときの出来事を思い出した。魔法などという空想の賜物が実際存在する世界が隣合わせにある。それなら、有り得ない話ではないのではないかと」
有り得ないわけではない、僕も実際死んだ後のココと出会っている。有り得なくはないが…あくまでも向こうの世界での話だ。マテリアルの世界ではほぼ有り得ない。大統領の話を聞くに、心霊現象の類ではなく、共に過ごしていたらしいニュアンスが取れる。
「キリスト教お得意の、悪魔の所業とは考えなかったのか?」
「…私にはどちらでも良かった。目の前に愛する女性がいる。それだけで充分だった。実際君の世界が欲しいと言われたとき、目の前の女性が妻ではないと確信したよ。慎ましい彼女が、そんな事を言うはずがない。しかし…それすら私にはどうでも良かった」
「…で、僕の世界に侵略してきたと」
「…あぁ」
「最低だな…」
「理解している」
「でもさ…」
僕の声に、大統領がちらりと僕を見た。ダービーも僕を見上げる気配がする。
「あのな?ダービー。僕さ、こいつ殺したくない気もする」
「…アキラ?」
「主!?」
「だってさ…わかる気がするもん。僕も、エリーの身に同じ事が起こって、僕の身に同じことが起こったら、同じようなことをする気がする…」
いつしか僕は床を見下ろしていた。馬鹿げているのはわかってる。敵に共感するなんて、何のための復讐かわからない。殺された向こうの仲間ものことも、あのときの怒りも、この感情を持ってしまっただけで全て無に帰してしまうのもわかっている。でも…この人の純粋な愛だけは理解せずにいられなかった。純粋というのは、時としてグロテスクな物だと誰かが言っていた。乱暴な言い方をすれば、ストーカーも、カニバリズムや愛憎劇の末の猟奇事件だって、純粋な愛の末路だ。それを理解して、共感してしまう時点で、僕はもう駄目なのかもしれない。
「アキラ…私が言うのもなんだが、君は私を裁かなくてはいけない。断罪するために、この世界に戻ってきたのだろう?それに、私の犯した罪を裁くのに、君はもっとも相応しい。この世界と、向こうの世界を担う…そして、このような形の愛を理解できる君なら…」
「覚悟は出来てんだな?僕は腹を括る」
「勿論。殺される相手が、君で良かった…」
「でも」
「うむ?」
「殺すのは明日だ。理解は出来る。同情も出来る。でもアンタには自分のしたことをきちんと負って逝ってもらわないと困る」
それが利己的で傲慢な僕の自己満足だとしても、なんとか今の気持ちと義務をとを折り合いをつける為には、どうしても大統領に悪者になってもらわなくてはいけない。…いや、実際悪者なんだけど。
「ふむ…いい笑顔だ」
「全世界に向けた、テレビ放送の手配、してくれ」
「お安い御用だ。それが私の贖罪に繋がる事なら、どんな事でもしよう」
大統領がそう言い放った時、月光が一層強く光った。
翌朝、大統領官邸周囲は人ごみで溢れ、交通規制が敷かれた。対称的に、報道の規制が敷かれることはなかった。全てを白日の下に晒すのが、大統領の望みでもあり、この出来事の終着でもあったからだ。僕と大統領が並び立ち、テレビ局のカメラが一斉に向けられる。フラッシュも焚かれ、日中のそれとは別の眩しさがあった。
「もう…いいか?」
「あぁ。アキラこそ、言う事はないか?」
「後は、長谷川総理が上手くやってくれるさ」
短く最期の会話を済ませると、僕は大統領から少し距離を取った。僕の手には、大統領の私物の護身用の拳銃が一丁。後からその銃弾を調べると、おいそれと大統領の物であると発覚し、これが大統領の意思であると証明されるであろう。僕は大統領の後ろ側に人がいないことを確認すると、大統領が目を閉じると同時に引き金を引いた。銃声が鳴り止む間に、彼は頭蓋の中身を後ろに飛び散らせ、そのまま大の字に倒れた。この国二度目の、大統領殺害のテレビ中継だ。もっとも今回は暗殺ではなく、処刑だったが。
「ふぅ…」
僕は暫く下を向き、溜息を漏らした。一つの歴史的所業が終わったという虚脱感と、彼に対する、この出来事に対する様々な気持ちを抱え、少し何も考えたくなかった。フラッシュや怒号ですら、僕の意識には入らなかった。
ーーーズダーン!
呆けている僕に向けて、またも銃声が響く。周囲で悲鳴が飛び交い、フラッシュが更に焚かれる。今僕の手には、一つの銃弾がある。恐らく、大統領の支持者からの襲撃であろう。強化をかけていない手は熱く火傷をしていたが、何故だか少し嬉しい気持ちになった。大統領は犯してはならない罪を犯してしまったけど、それでも彼を信じる人がいてくれたことが、何故だか嬉しかった。二度目の銃声が響く。外したと思ったのだろうが、足元の土で壁を作り、今度こそ僕が防御したのだと教えてやる。周囲の喧騒が別のものに変わるもがわかったが、これで何をしても無駄だとわかったのだろう。次の銃声はなかった。
「魔力、使っちまったなぁ…まいっか。長谷川総理がなんとか帰らせてくれるさ」
一人ごちると、僕は官邸の中に戻った。
~ダービーの考察~
やはり、我の思った通りになったな…。主の優しさは、敵をも拾い上げてしまうほど深い。白夜の時も、今回も…。しかし、それは危うさでもある。今回のように目的を見失いかけても敵を救おうとしてしまうことが、主の存在を危うくしてしまうことにならなければ良いが…。主、どうか、強く心を持ってくれ。我からそれを伝える事は出来ぬ。しかし、七つの大罪どもの内三人を討った今、全面戦争まで最早時間はない…。まだやつらの内六つ残っている…。我を創造せし創造主よ…どうか、主を救ってくれ…。主、わかったであろう?くれぐれも愛を向ける方向を間違えるな。そして、主を愛するもの達を、護るべき者たちを間違うな…。大丈夫だ。主には我が、初まりの者たちが、家族が…エリーがついている。だから、主、どうか道を違わないでくれ…。