令嬢が婚約破棄すれば、王子には災難が降り注ぐ
「アレクシス殿下。私との婚約を破棄していただきます」
王宮の大広間。
公爵令嬢エルネスタは、王太子アレクシスの前に立っていた。
「……何だと?」
「婚約を破棄していただきたいのです」
「理由を聞こう」
「殿下が、私との約束をお忘れになるからです」
エルネスタは淡々と答えた。
「先日の晩餐会では、私の誕生日をお忘れになりました。先月の観劇では、私との約束をお忘れになりました。先々月の王宮庭園でのお茶会では、私が用意した茶葉を別の方に差し上げておりました」
「そ、それは……」
「そして昨日は、私との婚約記念日をお忘れになりました」
「……」
「もう十分です」
エルネスタは、手袋を外した。
その指には、王家から贈られた婚約指輪がはめられている。
「こちらをお返しいたします」
彼女は指輪を外し、アレクシスへ差し出した。
「待て。婚約破棄など認められん!」
「では、指輪をお受け取りください」
「話を聞け!」
アレクシスは指輪を受け取ろうとした。
ところが、指輪は彼の指先に触れた瞬間、するりと滑り落ちた。
「あっ」
指輪は大理石の床を転がった。
「待て!」
アレクシスが叫ぶ。
指輪は絨毯の端を抜け、広間の扉の下を通り抜けていった。
「殿下?」
「待てと言っている!」
王太子は、指輪を追いかけて走り出した。
広間に残されたエルネスタは、静かにため息をついた。
「……あの方は、最後まで変わりませんわね」
指輪は廊下を転がり、ちょうど通りかかった侍従の荷車の車輪にぶつかった。
荷車には、王宮の食堂へ運ぶための食材が積まれている。
指輪は車輪の隙間に入り込み、荷車の動きに合わせて転がり始めた。
「待て! そこの荷車!」
アレクシスが追いかける。
「はっ、殿下!?」
侍従は慌てて立ち止まった。
その拍子に、荷車の上に積まれていた小麦粉の袋が傾く。
「危ない!」
侍従が叫ぶ。
袋は荷車から落ち、床にぶつかった。
白い粉が、廊下いっぱいに舞い上がる。
アレクシスは小麦粉を浴びた。
「……」
頭から真っ白になった王太子は、無言で指輪を見つめる。
指輪は、荷車の隙間から転がり落ちた。
そして、城門の外へ。
「待てええええ!」
アレクシスは再び走り出した。
城門の外には、王都の大通りが広がっていた。
指輪は石畳の上を転がり、道の中央へ向かっていく。
そこへ、貴族の馬車がやってきた。
「止まれ!」
アレクシスが叫んだ。
御者は驚き、手綱を引く。
馬がいななき、馬車が急停止した。
その勢いで、馬車の後部に積まれていた木箱が落ちる。
木箱の中身は、商人が運んでいた陶器だった。
「わあああっ!」
商人が叫ぶ。
陶器が石畳に散らばった。
馬車の乗客が窓から顔を出す。
「何事ですの!?」
アレクシスは、馬車の下を覗き込んでいた。
指輪は馬車の車輪に弾かれ、道路の反対側へ転がっていく。
「……」
王太子は、ゆっくりと立ち上がった。
「殿下?」
「何でもない」
「しかし、陶器が……」
「何でもないと言っている!」
アレクシスは再び走った。
指輪は市場へ入った。
そこでは、商人たちが声を張り上げ、買い物客が行き交っていた。
「待て! 待てえええ!」
王太子が叫びながら走る。
「殿下!?」
「王太子殿下!?」
人々が振り返る。
指輪は野菜を売る露店の前を通り抜けた。
露店の店主が、慌てて商品を押さえる。
その拍子に、積み上げられたカボチャが一つ転がり出した。
カボチャは石畳を転がり、向かいの露店へ。
「おい、こっちに来るな!」
向かいの店主が叫ぶ。
カボチャは店先の籠にぶつかり、籠の中に入っていた卵が飛び出した。
卵は、ちょうど通りかかった騎士の兜に命中した。
「……」
騎士は立ち止まった。
その前を、王太子が駆け抜ける。
「指輪を追っている! どけ!」
「殿下!?」
騎士は、卵の殻を兜から取り除きながら呟いた。
「……何をなさっているのだ、あの方は」
一方、指輪は市場の奥へと転がっていった。
市場を抜けた先には、職人街があった。
石工たちが石材を加工し、木工職人たちが家具を作っている。
指輪は石工の作業場へ転がり込んだ。
「そこをどけ!」
アレクシスが叫ぶ。
石工は驚き、手にしていた槌を止めた。
「殿下? 何事でございますか?」
「指輪だ! 指輪を追っている!」
「指輪?」
石工が足元を見る。
指輪は、石材の隙間に入り込んでいた。
アレクシスは身をかがめ、手を伸ばす。
「もう少し……!」
そのとき。
「殿下、危のうございます!」
石工が叫んだ。
アレクシスの背後で、職人が石材を運んでいた。
王太子が作業場に飛び込んできたため、職人は慌てて荷車を止めた。
荷車の上に積まれていた石材が、ぐらりと傾く。
「うわっ!」
職人が叫ぶ。
アレクシスは振り返った。
石材が落ちる。
その瞬間、石工が叫んだ。
「殿下! そちらへ!」
アレクシスは慌てて横へ飛び退いた。
石材は地面に落ち、鈍い音を立てた。
そして。
指輪は、石材に弾かれて作業場の外へ飛び出した。
「……」
アレクシスは、しばらく動かなかった。
「殿下?」
「……追う」
「まだ追うのですか!?」
「王家の指輪だ!」
アレクシスは再び走り出した。
指輪は、鍛冶屋の前に転がり込んだ。
鍛冶屋では、職人が鉄を打っていた。
カン、カン、カン。
指輪は、その音に合わせるように床を転がる。
アレクシスは鍛冶屋に飛び込んだ。
「指輪はどこだ!」
「殿下!?」
鍛冶屋の職人が振り返る。
指輪は、職人の足元にあった。
アレクシスは、そっと手を伸ばした。
「やっと……」
その瞬間、指輪は職人が加工をしていた赤く燃えた鉄の上にポンと乗っかった。
そして、
職人が振り下ろした槌が、指輪にまっすぐと落ちた。
バリッ!
指輪は跳ね上がった。
指輪の破片は彼の額に当たり、床へ落ちた。
「……」
王太子は額を押さえた。
職人は青ざめる。
指輪は、指にはめる部分が真っ二つに割れて、宝石も粉々になっていた。
「あ、あの、この粉々なやつを組み合わせれば、何かに使えるかもしれませんよ!!ほら、この真っ二つに割れたリングを重ね合わせて箸置きにしたり、この粉々になったのをくっつけて、逆に婚約破棄用の指輪として使えるかもしれません。それに、この粉々になったのをくっつけて頭に乗せれば、薄くなったつむじもごまかせます!!!」
「あははは、確かにそうじゃねえか」
王太子は大きく息を吸った。そして、
「って、バカヤロー!!!」




