可愛い父親、優しい家族
───ヒタヒタヒタ……。
タイル張りの床の上を素足で歩くことが、少し熱い湯に浸かって火照った体にはとても気持ち良く感じる。のぼせてボンヤリとした頭も、少しずつ元の性能を取り戻し始めていく。
……いや、そういうわけではなさそう。
相変わらず湯気混じりの外気は顔に当たり続けているから、特に顔に関しては全然冷える気配がない。
どうも頭が上手く回らないので、少しでも意識を現実に向けるべく、自分の足元を見ながら前へと進む。
───ピチャ、ピチャ……ピチャ……。
そうして暫く歩いていると、タイルの上の水滴が明らかに冷たいものに変わっていく。
いつの間にか息苦しさも感じなくなったことに気付いて顔を上げて見ると、目の前には中学校で見たような大きさのプールがあった。
イメージとしては屋内プールが近いだろう其処では、実に多くの人々が泳いだり、縁に腰掛けて脚だけ水に浸けていたりと、思い思いに過ごしている。
そうした人々の特徴として、全員が“銀色の髪”をしていることが挙げられる。
ミケネ帝国を建国し、その後支配階級として君臨する人種───アシミ人だ。ボクと同じ色の髪を持つ人たち。
『臣民』と称する他、『銀の血』とか『選ばれし民』とかそういうレイシズムやナショナリズム的な選民思想が見え隠れする呼称がよく使われている。
まあなんにせよ、自分たちのことを誇り高々に称してるわけだね。
ん? 「他の人種や種族がそうやって呼称してきた場合は?」って?
……殆どの場合は憎悪が籠もってるよ。「オマエ、キライ、コロス」って思いが多分に含まれている。あとは『悪魔』とか『邪神の尖兵』とか呼ばれることもあるらしい。
ミケネ帝国では「アシミ人に隷従されられ、搾取されるその他の人々」の構図が国家の根幹に据えられてるせいで、“その他の人々”の方々からは馬鹿みたいに怨まれている。
その“その他の人々”っていうのが、所謂『自由市民』や『奴隷』のことだ。
ヒューマン以外にも多くの種族が存在する中でも人種的ナショナリズムが横行する異世界……。やっぱり人間って業が深いんだなって。
風の噂によると隣国で常に争ってるフランディア王国では、ヒューマンとエルフの間で種族間の分断が起きてるみたいだし、遥か東方の大国、北アーシア州───神州王朝と呼ばれる文明では、少数派で支配階級の複数種族と多数派で被支配階級のヒューマンの仲が悪くて統治がごたついてるらしい。
それに加えて同じ種族でも人種間の問題も加わってくるから余計に状況は複雑なのだとか。
まあそれに比べればミケネ帝国は分かりやすいほうだ。
なんせ人種種族関係なく“その他の人々”に分類するから。みーんな等しく被支配階級として差別されるわけだ。
ボクたちアシミ人を除けば、ある意味平等なのかも知れない。……そのせいでヘイトが全集中してるけどね。
統治が下手くそなんだよ。
「お嬢様」
そうこう考えていると小間使いが声をかけてくる。
どうやらプールのエリアに入ってから思考にリソースを割いてたボクの様子を心配したらしい。
……これ朝にも同じ状況で声をかけられなかった?
悪い癖だとは思ってるんだけど、どうしても辞められないんだよね。このクセ。
思考の世界に浸ってると他の煩わしい出来事を考えなくていいから好きだし、ついやってしまう。ある種の現実逃避みたいなものだ。
……何言ってんだろ、ボク。
おかしな方向に逸れ始めた思考を止める。
そもそもボクは何をするために来たんだっけ? ああそうだ、お父様を探しに来たんだ。
はて、何処にいるのやら。
《空間精査》を使ってお父様がプールにいることは分かっている。
だから何処かにはいるはず───。
「…………ッ!?」
「おっと」
背後に突如現れた気配に、反射的に振り返ろうとする。しかしそれが行動に移されることはない。プールを眺める視界の両端から自分のではない腕が伸び、ボクを背後から抱き締めたからだ。
しかも結構強い力で抱かれているからか、振り解くことも背後を振り返ることも出来ない。
入浴中故に全裸であるボクが貞操も含めた危機を感じていると、耳元で声が発せられる。
「むむむむ…………随分と力が強くなったなシャノン、お前の成長が感じられて嬉しいぞ」
「…………お父様」
落ち着いたテノールボイス。
見えないけれど、何処か無条件に安心してしまう雰囲気を感じて、ゆっくりと身体の力───魔力を抜く。
一応ファンタジーしてるこの世界では、魔力を自分の肉体に巡らせることで筋力や持久力、敏捷性などの身体能力を強化することができる。
この《身体強化》は魔力制御技術のひとつとして語られることも多いんだけど……ことアシミ人に限っては技術とは捉えられないレベルで突出した素質を有している。
生まれた瞬間から息を吸うように無意識的に肉体を強化することができ、例え子供であっても素手で岩を砕けるアシミ人にとって、《身体強化》とは呼吸と同じで「できて当たり前」のこと。態々教えたり教えられたりはしないのだ。
そんな超人じみた連中だからこそ、ミケネ帝国という国家ぐるみの搾取体制を維持し続けることができたとも言える。
なんせ反乱を起こせば、弓矢を目視で避けられ、ジャンプで2階建ての屋根の上に登られ、白兵戦に挑めば即座にミンチにされる。そんな兵士たちが馬並みの、下手すれば馬以上の速さで駆けつけて来るからね。
被支配者からすれば怖すぎて逆らう気にもならない。
「…………お父様、離して」
それはそうとして何時まで抱きついてるんだ。
いくら実の娘とは言え、年頃の女の子なんだぞ。
「あはは……わるいわるい」
動きを阻害していた力が緩む。
まだ軽く抱きついたままの両腕を振り払い、後ろに振り返る。
振り返った時、まず目に入ったのは白銀の髪。
ボクやお母様と同じでサラサラとした髪を腰まで垂らしている。
陶器のように滑らかで、内側から潤いを感じるキメの整った肌。
殆ど筋肉の気配を感じさせない健康的な四肢。
そして男性としての“象徴”───は腰にタオルを巻いてるので見えない。でも“付いてる”筈……筈なんだ。
じゃないと一見すると“女”にしか見えない目の前の人物が、ボクのお父様じゃなくて唯の変態になってしまう。
「なあシャノン」
そんな頑張って見れば“男”、何も知らない人が見れば“女”にしか見えない。最早“男の娘”という領域すら超越した容姿のお父様が、こてんと首を傾げる。
……そういう仕草を無意識的にするから一緒に出かけた時に母親扱いされるんですよ、お父様。
確かにアシミ人は美形が多いとは言え、お父様のこれは幾らなんでも女性的すぎる。
お母様と同様、仕事の都合で中々会えないけど、家に帰ってくる度に女っぽくなってる気がする。
肌にシミひとつないのを見るに、肉体年齢は「ミケネ帝国脅威のメカニズム」とやらで若返ってるんだろうけど、それでもお父様の雰囲気は単に「若いから」の一言で片付けられるものではないと思う。
その“メカニズム”とやら。実は精神年齢とか性自認とかにも影響与えたりしてない?
「…………なに?」
「シャノンはシャリアと一緒だっただろう? なんでこっちに来たんだ?」
「…………お母様が『サウナ入るから、お風呂に浸かりたいならお父様と一緒に入りなさい』って……」
「ああ〜なるほど」
お父様は納得した様子で頷く。
そして横に手を振ると、それを合図に水の入ったコップを持ったお父様の小間使いが近づいてくる。
「なら今から行くか?」
「…………うん」
横に並んで歩き始める。もちろん向かう先はボクがさっきいた熱い湯のゾーンだ。
お父様はコップを傾け、水を一口飲むと、コップをこちらに向ける。
「シャノンもいるか?」
「…………うん」
受け取ったコップの中身を飲み干す。
こういう時、普通の年頃の娘なら親の───特に父親が口をつけたようなものは嫌がるのだろう。
けどまあ、ボクは中身男なのでね。そういうことは気にしないのだよ。
偶にしか会えないお父様に「親父と間接キスなんて嫌!」って拒絶される思い出を残したくないのもあるけど……。
「おーい、アノン。何処行くんだ?」
歩いてしばらくすると、横から声がかかる。
親子揃って横を見ると、ひとりの男が立っている。
銀色の髪を短く切り揃えて、堀の深い顔立ちの美丈夫。
お父様と違ってれっきとした“男”って感じの人だ。年齢は……この人も二十歳ぐらい?
でもお父様とタメ口で話してるあたり、この人も肉体年齢だけ若返ってるクチなんだろうなぁ……。
“アノン”というのはお父様の名前だ。
「アノン・カツァラポフ・ダリア」。
今世のお父様の名前。
「温まりに行くんだよ。娘を連れてな」
「娘? ……あぁその子のことか」
楽しげに話すお父様。
気のせいだろうか、ふふんと胸を張って少し自慢げにも見える。
お父様の容姿でされるとやっぱりどうやっても女にしか見えねぇ……。
それも無意識にやってるなら才能だと思う。実はお父様も中身女だったりしない?
親子揃ってTS転生者でしたーってオチじゃないよね?
「そうそう、お前には言ってなかったな。俺の娘のシャノンだ。ほらシャノン、挨拶しなさい」
そう言ってそっと背中を押される。
うげぇ……。知らない人と話すの苦手なんだけどなぁ……。
前世ではそうでもなかったけど、転生してからあまり人と触れ合わずに生きてきたからか、コミュ力が悪化してる気がする。
どうにも口を開こうとすると緊張してしまう。
「…………シャノン。カ、カツァラポフを……祖と仰ぐ末葉……の一枚、です……。偉大なる銀の───」
「ああ、そんな仰々しくしなくてもいいんだよシャノン。ここは謁見の場じゃないからな」
本を読んで必死に覚えた口上をお父様が手を振って途中で止める。
助かった。緊張して頭が真っ白になったせいで自分でも何を言ってるのか分からなくなってたから。
アシミ人の口上はちょっと独特なのだ。
いや、そもそも前世で口上なんて意識したことないから独特もなにもないけど。
一応一般教養らしいから覚えたに過ぎない。
生きてるだけで怨みを買うアシミ人。
そのひとりとして生まれ、顔も知らない人たちを搾取して衣食住が保障された生活を謳歌してる以上、ボクも生きていくためにある程度の努力をするしかないのだ。
……だって“万が一の時”に頼りになるのは自分自身の力なのだから。
流石のボクも奴隷とか自由市民みたいに分かりやすい不穏分子が周りにいるなかで前世みたいに、ぼけーっと生きる気にはなれない。
現にこの国の歴史を見れば何回もでっかい反乱が起きてるし、それに巻き込まれてアシミ人が何人も死んだ……みたいな話もある。
「へぇ? 娘ねぇ……」
そう言ってジロジロとボクを見る男。
ただその目は“ボク”を見定めてるわけではなく、“ボクとお父様”を見比べてるように見える。
ボクとお父様。
ふたりを交互に見て口をモゴモゴとさせる。「これは言ってもいいのか?」という思いが聞かないでも伝わってくる。
いや分かるよ? ボクらが並ぶと母娘にしか見えないもんね?!
いくら相手が男だと知ってても「本当はお前、女なんじゃないのか」ってどうしても疑ってしまう。
娘のボクも思うんだから、これは仕方ないことだ。
「お前らほんとそっくりだな……」
「そうだろ、そうだろ? 俺の自慢の娘だ……っとシャノン、そろそろ行こうか。俺もプールで泳いで体が冷えてきたしな。そうだ、お前も来るか?」
「……あぁ、そうさせてもらうよ」
「そうと決まればさっさと行くぞ。シャノン、お父さんと競争だ!」
お父様、こんなノリだったっけ?
久し振りに娘に会えてテンションが上がってるのか、それとも普段からこんな感じなのか……。
とても精神年齢とは思えない、むしろ若返りなんて嘘っぱちで、本当は肉体年齢より若いのではと疑ってしまうような元気さで駆け出していく。
浴場で走るって大人としてどうなの……。
「シャノン、だったか」
走り出したお父様の背中を見ながら、男が苦笑いして話す。
「まあ……なんだ。あんななりでも職場ではすごい尊敬を集めてる人なんだ。ちょっと子供っぽいところもあるが、立派なヤツだよ」
きっと彼もそのひとりなのだろう。
「立派なヤツ」と言った時の声には、お世辞ではなく、彼自身の気持ちも込められていたように感じた。
「…………そう」
何をしてるのかは知らないけど、誰かに尊敬されるぐらいのことをしているというのは娘としても嬉しいことだ。
なんら尊敬されることのなかった前世。尊敬される要素がなかった前世。
そんなボクに比べて、お父様は本当にすごい……と思う。
“思うだけ”。
それ以上でも以下でもない。
他人の成果を称賛することはあっても「今度は自分も」と思ったことはない。
前世からのボクの性みたいなものだ。
それでも───。
「…………よかった」
胸の奥が温かくなる。
自分のことではないけど、嬉しい。
自分のことではないけど、誇らしい。
“ボク”からは感じたことのない感情が溢れる。
前世という不純物を抱えたボクという存在でも感じるこの気持ちをどう説明したらいいだろうか。
集めた尊敬は、その人がそれだけ頑張ってきたという何よりの証拠だから。
ただ血縁関係にあるだけのボクが、それに対して何かを思うのは間違ってるかも知れないけど。
「嬉しそうだな」
「…………?」
「笑ってるじゃないか」
口元をそっと手でなぞる。
ボクの口角は気付かないうちに上がっていたらしい。
完全に意識していなかったことに驚いていると、彼は安心したように言う。
「よかった、笑えないわけじゃないんだな」
「…………どういうこと」
「ん? だってプールに来た時から見てたけど、ずっと無表情だったからな。あいつも嘆いてたぞ、『娘の表情が全然変わらない……!』って」
……まあ確かに。感情を顔に出すことは、今まであまりなかった気がする。
転生してから苦手になったんだよなぁ。表情筋動かすの。
前世では大抵部屋に引きこもってたけど、話す相手がいた。
ネットを経由して話すこともあったし、何より毎日家族と食卓を囲んでいた。
笑ったし、自分からも話題を振ったりした。
けど今世はというと……まず話す機会がなかった。
両親は仕事で月ごと、下手すれば半年近く会えず、一緒に過ごせるのは2日か3日。
小間使いに関してはずっと仕事しているし、言葉のやり取りも身分の差から事務的になる。
おまけに他の同年代の子とは精神年齢的に話が合わなくて、殆ど関わったことがない。
なんというか生まれ持った階級意識からくる傲慢な振る舞いが、20年以上日本人の一般人として生きてきたボクには少しキツく感じたのだ。
階級差別とか奴隷への暴力とかを素でされると、すぐに“シャノン”としての“正しい反応”ができない。
だから此方から関わるのをやめた。
「おかしなヤツ」と言われて虐められたり、それに何より両親の評判に傷が付くことを恐れたからだ。
それならまだ「ただ人と関わるのが嫌いなヤツ」と思われたほうがマシだ。
そして、いつの間にか笑えなくなった。
お母様の話は面白い。お父様が笑うと嬉しい。
ふたりともボクの表に出ない感情を理解してくれるし、今まで思いが通じないことなんてなかった。
「……嬉しい、よ」
でも、ボクは随分と甘えていたらしい。
そして心配もかけていた。
きっと言われなければ気付かなかったし、これからもこの関係をだらだらと続けていたかも知れない。
まるで前世のように。
「そうか。ならもっと笑ってやれ。無理にとは言わんが、あいつもかなり気にしてるんだ。相手の反応って、大事な要素なんだぜ?」
「……うん、わかった」
「よし! それじゃあ俺たちも行くか。お前のお父さんが待ってるぞ!」
そう言って彼はボクの頭をぽんぽんと叩くと、そのまま小走りで進んでゆく。
ボクも負けじと追いかける。
……ああそうだ、ひとつ聞き忘れてた。
「…………名前」
「ん?」
「名前、なんていうの」
「ああ、そういえば言ってなかったな。俺の名前はゲラルド。そして───」
たかが小走りだが、ゲラルドの方が少し速くて中々追い越せない。
後ろの方からは、ボクと、恐らくゲラルドの小間使いがパタパタと追随する音が聞こえる。
「───アノンの上司をさせてもらっている。よろしくなっ!」
ゲラルドは、にやりと笑って言った。
……え、上司だったの? この人。




