4話
こじんまりとした夫婦経営の居酒屋の個室で、同僚と寛いでいる。職場から程近いこの店は、仕事帰りに職場の人と飲むのにうってつけだ。
守秘義務がある職務上、仕事の関係者との飲酒の際には万が一を考えて個室にするようにしているので、その点も重宝している。
家庭的なメニューは、旬のおすすめが毎回の楽しみだ。
「まさか、そんなことになるとは。紺野の初めての婚姻契約は、俺が直々に結んでやろうと思ってたのにな」
途切れることなく、ともこにも自分にも酒を注ぐ藤堂 孝幸は、暗い雰囲気にのまれないようにあえて明るくしてくれる。
同期入所の藤堂は婚姻契約士のともことは違って弁護士のため、所属する課が違う。だが、入所時の初期合同研修の際に意気投合し、入所して四年経っても親しくしている飲み仲間だ。法科大学院や司法修習後に入所した藤堂は四歳上で、些細なことでもよく相談にのってくれる。
あかりを引き取る時も、随分とお世話になったものだ。
聡とのことは馴れ初めから全部話してあり、金曜日だけは実家があかりを翌日まで預かってくれるので、今日は愚痴に付き合ってもらっている。
もう聡と結婚したい気持ちは消え失せたが、だからといってすっきりきっぱり忘れられたわけではない。二年付き合い、結婚すると思っていたのだ。しばらくは愚痴でも言って、ネタにして消化してやらないと気が済まない。
「弁護士に依頼すると高いから、ごめんですぅ」
「そこはほら、同僚割引適用するから」
「そんなの初耳です。ていうか、自分の事務所で婚姻契約結びませんよ。契約内容筒抜けとか、恥ずかしい」
聡との時のように食べ方に気を配る必要がないので、大口を開けて片っ端からお酒とおつまみを腹に収めていく。
本日のおすすめメニューである、菜の花とセロリのわさび漬けが好みの味で、いくらでもお酒が進む。セロリをおいしく食べるのは自分には無理だと思っていたが、これならむしろ積極的に食べたいと思えるほど、独特の強い香りが抑えられている。
「いいじゃん、どうせテンプレをベースに、あかりちゃんに関して付け足すだけだろ?」
「だとしてもです。知り合いがいないところじゃないと」
一夫一妻か複数婚か、親権や財産についてなど、基本的なことについて最低限の範囲で契約することを、ともこたちはテンプレと呼んでいる。
だいたいがサンプルとして提示したテンプレのままか、それぞれの事情に合わせていくつか追記するくらいだ。無資格者による人工知能を駆使したサービスに対抗するために、簡易な部分はこちらも利益度外視で請け負わなくてはやっていけない。
細かく複雑になるのは、特殊な事情があったり、一定以上に財産を所有していたりする者たちである。そんな依頼人の時こそ資格を持つ婚姻契約士の腕の見せ所で、トラブルを極力回避し、いざトラブルとなっても早期解決できる婚姻契約を如何に結べるかがこの仕事の要となる。
「まあな、そりゃ俺も同感。にしても、一夫一妻かあ。わざわざ茨の道を行くとは、そいつも冒険者だねえ」
「ほーんと、馬鹿ですよ。浮気なんてしようものなら、……ああ! 過去の依頼人たちの修羅場が蘇る!」
「代理人なだけでも、ゾッとするもんな。俺ら弁護士なんか、高額慰謝料発生案件ばっか担当だから、それはそれは。絶対に、自分だったら御免だね」
互いに頭を抱えてみたり、腕を擦ってみたりしてリアクションをとり、浮かんでしまった恐ろしい修羅場を振り切るようにお酒を飲む。
「こんなときは、飲むに限ります」
「とか言ってお前、一週間経ってんじゃん。こんなときまでルールを守って、あかりちゃんのお母さんをきっちりやって、飲まずに一週間仕事こなすなんて、さすが紺野。うちの稼ぎ頭だわ」
口元に片手をあて、ヒュウヒュウと全く音を出す気がない口笛をする藤堂に、仕草とは裏腹にちゃかしている空気を感じない。言葉通り、褒めているようだ。
「別にルールなわけじゃないですよ。仕事がある前日にお酒を飲むと、次の日万全じゃない自分に腹立つだけですから。それに、あかりのことはむしろ癒しです。いてくれなかったら、それこそ撃沈します」
「いやぁ、いいねぇ。うちの課にいてほしいよ。婚姻契約以外もバリバリ捌く紺野を、見てみたいなぁ」
「弁護士になる気はありません。繋ぎじゃなくて、なりたくてなったんですから。婚姻契約士に」
「その仕事姿勢、大好き。所長みたいに、ボーナスあげたくなっちゃう」
「やめてください。所長に諦めてもらうの、大変だったんですよ? ただでさえ所長の第十八夫人になるんじゃないかって噂されてるのに、藤堂のことまで言われ出したら手に負えないですって」
「いいのにね、所長。去年は、えーっと、五人生まれたんだっけ。あれ、六人? ま、いいか。とにかく、よく愛し、よく養い、模範的な金持ちだぞー。あかりちゃんのいい父親にもなってくれるさ」
一、二、と指折り数える藤堂を見て、ため息をつく。
「所長自身がどうこうじゃなくて。魅力的なのはわかってます。ただ、あることないこと勝手に言われるのは、苦手なの」
おつまみが減ってきたことに気づき、まだ物足りないので、メニューに手を伸ばす。今日のおすすめは他に、春の山菜の天ぷら盛合せがある。天ぷらは重いかな、でも、おいしそう。
少し迷ったが、今日はよく食べ、よく飲むことにした。今日は金曜日で、明日の夕方までにあかりを迎えに行けばいいから、羽目を外しても大丈夫。藤堂は、酔い潰れても介抱してくれるだろうし。
「うーん、やっぱり好きだわー。よし、ならば俺が出世して、婚姻契約課の課長になっちゃえばいいな。紺野の上司……、甘美な響き」
「やだ! 課長はうちのアイドルなんだから、取って替わるなんてありえないです! 癒しがぁ」
「え、そんな、俺もそちらの課長尊敬してるけど。そんな嫌がられると、傷つく」
数ある法律事務所の中で今の事務所を選んで良かったと思うことの要因の一つに、相田課長が直属の上司であることがあるため、芝居ではなく本気で嫌だ。
「なるんなら、そちらの課で上をお目指しください。できる人はある程度で独立していくんだし、そんな先のことじゃないでしょ」
「んー」
運ばれてきた揚げたての天ぷらを口に運びながら、気のない返事をする藤堂を観察する。裁判に強い藤堂は、歳上なこともあり、頼れる存在だ。
今の事務所で出世したいのか、いずれ独立したいのか。望めば何でも出来そうなだけに、いまいちわからない。
「まだまだ、話聞いてよね」
「お、何、奴の文句なら、楽しんで聞いちゃうよー」
「なんでそんな、聡嫌いなの」
「だって、俺はともことあかりの、味方だからな」
さらりと宣った笑顔の藤堂に、ともこは面食らう。何でも相談できる仲の藤堂を急に意識してしまい、ともこはごまかすように話し続けた。




