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シャルの正体 ①

「狭いけど、どうぞ」


「お邪魔します」


日もすっかり暮れ、夜の帳が降りたころ。

私とレナは、町はずれのアパートの一室に入った。


ここは私が借りている部屋。一人で暮らすにも狭く、真ん中に小さな机と椅子、窓際に簡素なベッドがひとつあるだけの殺風景な空間。調理設備も浴室もなく、共用の設備がアパートの一階にあるだけだった。


「ごめんね、何にもなくて」


「いえ……えっと……」


表情には出ていないけれど、目の動きから戸惑っているのが分かる。


 


「ところで、これからどうするの?」


自分のことながら情けない話、これからのことなんて何も考えていない。

情報が少ないせいもあるけど……そうでも思わなきゃ、自分の無計画さに嫌気がさしてしまいそうだ。


「一週間、無事に過ごせれば問題は解決すると思います」


「それだけ?」


なんだか、いけそうな気がしてきた。

一週間くらいなら、この部屋で匿うくらいできるかもしれない。


「えっと……多分、追われてるんだよね? マルタン商会から?」


「彼らについては、この町に来るまで知りませんでした」


「え?」


「……実は、警察から逃げていました」


 


「私を見逃していただけるだけで、十分です。今日の夜には、ここを出る予定です」


確かに、彼女が私に望んだのは――ただ、ギルドや警察に通報しないこと。それだけだった。

それ以上は何も望まなかった。


だったら、それで済ませるべきなのだろうか。

私はただ、首を縦に振って、見なかったふりをすれば――


「……だめ」


「レナさん?」


思わずこぼれたその言葉。自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。


頭に浮かんだのは、あの地下室のこと。

彼女は、あそこに閉じ込められていた。もし別の誰かが依頼を受けていたら、もし私があの時、自分の身を守ることだけ考えていたら――彼女は、もうこの世にいなかったかもしれない。


「だめだよ、一人なんて危険すぎる。殺されちゃうんだよ。分かってるの?」


こんなことを警察が容認するどころか加担しているなんて、どう考えてもおかしい。私じゃ計り知れない大きな何かが起きているのかもしれない。


「でも……私は、あなたをこれ以上――」


言いかけて、彼女は唇を噛んだ。

私に迷惑をかけたくないという思いと、巻き込んでしまった罪悪感。でも一人はきっと助かりようのないことも理解しているのだろう。それが彼女の中で葛藤している。


「この話は終わり。……ご飯の準備してくるから、待っててね」


彼女が何かを言いかけたのを遮って、私は部屋を出た。


◆ ◆ ◆ 


ランプの炎がじわじわと広がり、調理場の石壁に橙色の影を映す。

人気はなく、聞こえるのは、時折窓枠が軋む音と自分の足音だけ。


棚にある器具を手早く揃え、エプロンの紐を結び直す。

長く使い込んだ木べらを握り、ストーブの前にしゃがみ込んだ。


鉄の中でくすぶる石炭の残り火に新しい薪をくべると、ぱち、ぱち、と火が弾ける。

その音を聞くだけで、少し気持ちが落ち着いた。


じゃがいもを鍋に入れ、底をゆっくりかき混ぜる。

お腹を空かせているであろう彼女の顔が、ちらりと頭をよぎる。


煮込みが仕上がる頃には、ストーブの周囲がほんのりと暖まり、さっきまで冷たかった調理場に、命が宿ったような気配が満ちていた。


じゃがいもは柔らかく煮え、干し肉の香りが溶け込んだスープが、湯気とともに静かに立ちのぼる。


器に二人分を盛り、小さなパンと一緒に盆に乗せて部屋へ戻る。


「ごはんできたよ」


声をかけると、彼女は申し訳なさそうに椅子から立ち上がった。

けれど、その足取りはきちんとしていて、礼儀正しかった。


「ありがとうございます、レナさん。……ご迷惑をおかけしてばかりで、すみません」


「いいって。ご飯くらい、ちゃんと食べないと」


机の上に器を並べ、私たちは向かい合って椅子に腰かけた。


ふと思った。


この町に来てからというもの、食事はずっと一人だった。

仕事終わりに食べる、冷めかけたスープ。ランプの灯りだけがゆらゆら照らす、寂しい食卓。


でも今は、目の前にもう一つの湯気がある。

それだけで、胸の奥がじんと温かくなる気がした。


「……いただきます」


「いただきます」


ふたりの声が、部屋の空気をやわらかく揺らした。


シャルがスプーンを口に運ぶ。その所作は、驚くほど丁寧だった。

手首の角度、背筋の伸ばし方、器の縁を拭う仕草──その一つひとつに、育ちのよさがにじんでいる。


この狭くて暗い部屋には、不釣り合いに思えるほどに。


けれど、それは決して気取ったものではなく、むしろ控えめで礼儀正しい。


「とても、おいしいです」


「そ、そう? ただの煮込みだよ? 冷蔵庫もないし、たいしたもの作れないけど……」


「そういうことでは、ないんです。あたたかいって、それだけで――」


言いかけて、彼女は微笑んだ。小さく、けれど確かに安らいだ笑顔だった。


 彼女の言うあたたかいはどういことを指しているのだろう


孤独に押しつぶされそうだった胸が、今は少し軽くなっていく。


「ねえ、シャル」


「はい?」


「……ううん、なんでもない。たくさん食べてね」


これ以上は、まだうまく言葉にできそうになかった。


けれど今、こうして向かい合って食卓を囲むこの時間は、

誰かと一緒にいられるということが、たまらなく――嬉しかった。



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