レナの立場
貴族階級の生徒たちから向けられる視線の意味も、少しずつ分かってきた。
あれは“警戒”。途中編入で身元のはっきりしない私が、例の誘拐事件と何か関わっているのではないか――そんな疑念が、あの視線には込められているのだろう。
……まあ、まったくの的外れってわけでもない。
私は確かに事件の関係者だ。もっとも、その詳細を口にすることは許されていないけど。
「あなた、ちょっと来なさい」
今日の授業がすべて終わり、帰り支度をしていたときのことだった。
声をかけられた、というより、叩きつけられたような一言。拒絶の余地がないほど強い圧を感じた。
振り向くと、そこに立っていたのはセシル・ド・ベルモン。私の隣の席の少女。
赤く長い髪を高く束ね、鋭い眼差しのその姿は、「女の子」という枠ではないように思える。
まさか、入学以来話したことのなかった彼女との、初めてのまともな接触が敵意をむき出しにしたような呼びかけとは――思わず頭を抱えたくなる展開だ。予想はしていたけど。
「帰りたいんだけど、だめ?」
「だめよ」
即答だった。セシルさんは私の返事を待たずに踵を返し、歩き出した。
「ついてきなさい」
その声音は静かだったけれど、有無を言わせぬ力がこもっていた。
連れてこられたのは学園の裏庭。人の気配はなく、風もなく、鳥の声すら遠い。
彼女は立ち止まり、私と距離を取ってから、まっすぐに振り返った。
私とセシルさん、二人きりの静寂。逃げ場も、助けもない。
私は静かに息を吸い、平静を装って微笑む。
「それで、こんな場所まで連れてきて、何の用?」
セシルさんは唇をわずかに開き、冷ややかな問いを突きつけた。
「あなた、一体何を企んでいるの?」
その言葉はまるで剣の切っ先のように、私の胸に突き立てられる。
「何の話?」
企み事なんてしてない。ただ隠し事はある。私jの返答にセシルさんの眉がほんのわずか動いた。
彼女は一歩、私へと近づく。少し距離が近づいただけで押しつぶされそうな圧を感じる。
「とぼけないで。あなた――レナ・フジタとか言ったかしら。あなた、この国の生まれじゃないわよね? 一体どこの出身なの?」
――おそらく、クラスメイトとの何気ない会話を横で聞いていたのだろう。
そこから私の素性に疑念を抱いたとしても不思議ではない。
「どうしてあなたに言う必要があるの?」
私にできる、精一杯の抵抗だった。けれど彼女はそれを許さず、さらに踏み込んでくる。
「シャルロット様に、何をするつもり?」
その真紅の瞳が、私を刺す。
「何もするつもりなんかない。シャルは、私にとって一番の友達だよ」
私の言葉に、セシルさんは小さく唇を歪めた。
「……友達?」
その言葉を反芻し、一拍の間を置いて続ける。
「あなたのこと、少し調べさせてもらったわ。一か月前にシャルロット様が巻き込まれた政争、その時に手を貸したのが、あなたでしょう?」
息を呑む。
――あの事件。確かに警察の取り調べは受けた。でも、それを彼女が知っているということは――
「……へえ。確か、ベルモンさんのお父さんって、軍務大臣だったっけ? 管轄外のはずの警察の情報まで、手に入るんだね」
私は皮肉をこめて言った。
学園内で標的になりうる生徒たちのリストを見せられた時、そこに彼女の名もあったことを思い出す。
貴族の中でも屈指の権力を持つ家柄。警察情報へのアクセスも不可能ではないのだろう。それが真っ当な手段かどうかは別として。
私の言葉に、セシルさんの瞳が細くなる。
「随分と勇気があるのね。魔法も使えないのに、銃を持った集団に一人で立ち向かったなんて。そして、生き延びることも出来た」
「……」
「あなた、本当は魔法が使えるんじゃない?」
鋭い視線が突き刺さる。どこまで掴まれているのか分からない。
下手に答えれば、それこそ墓穴を掘る。
――魔法が使えることは、誰にも言うな。
ジャスティンさんはそう言った。でも、その理由は教えてくれなかった。
今になって、そのことを問いたださなかったことを悔やむ。
私の沈黙を、セシルさんは肯定と受け取ったようだった。
「答えなさい! あなたは何を隠しているの? もし今ここで言わないのなら――」
炎が、彼女の周囲で渦を巻く。
「無理にでも、喋らせる!」
……どうする?
叫んだって、誰も来ない。助けを求める前に制圧されるかもしれない。
魔法を使うしかないのか? それとも――
「何をしているのですか!」
突然、背後から鋭い声が響いた。
私も、セシルさんも息を呑み、そちらを振り向く。
そこに立っていたのは、一人の少女。
「シャル……?」
確かな足音が草を鳴らし、シャルはまっすぐ私たちの間へと割って入った。
「ベルモンさん、あなたは……何をしようとしていたのですか?」
「シャルロット様、これは……」
セシルさんが言葉を探すあいだに、シャルは静かに一度、深く息を吸う。
「人に対して、しかも無抵抗の相手に。――それが、貴族として果たすべき責務なのですか?」
「しかし! この者は何かを隠しています。国家に仇なす存在を排除するのは、我々の義務です!」
「彼女のことを調べたのでしょう? レナさんは命を懸けて私を守り、この国の病巣を暴いた、恩人です」
その言葉は穏やかでありながら、決して揺るがぬ強さがあった。
私の前に立つその背には、シャルという少女ではなく、“王女”としての威厳がはっきりと見えた。
「行きましょう、レナさん」
シャルはセシルさんに背を向ける。そして、私の手を強く握って、歩き出した。
◆ ◆ ◆
シャルに手を引かれるまま、私は学生寮の階段を上った。
静かな廊下を抜けて案内されたのは、シャルの個室だった。
「どうぞ。入ってください」
柔らかく微笑んで扉を閉めたシャルは、紅茶を準備しながらも時折こちらを気にするように目を向けてくる。
その様子に、ほんの少しだけ緊張が和らいだ。
「レナさん、お怪我など……ございませんか?」
「ううん、大丈夫。セシルさん、手は出してこなかったし。……ありがとう、助けてくれて」
その場でくるりと回り、無事であると示す。だけどシャルの表情はに曇ったままだ。
けれど、それ以上は何も問われない。
私はカップを手に取ったまま、堪えきれず問いかけた。
「ねえ、シャル。……どうして、何も聞かないの?」
彼女はきょとんと目を見開いた。
「え?」
「セシルさんが言っていたの。私のこと、調べたって。……あなたも、警察の調書には目を通しているはずでしょ?」
シャルはしばらく黙っていた。そして、ゆっくりと視線を私に戻す。
「はい。当然あの事件の処理の過程で確認はしました。でも……」
少しの沈黙の後、彼女は、やがてまっすぐに言った。
「……私は、レナさんを信じています。以前王宮でも伝えましたよね」
その言葉は、決して演技や建前ではなかった。
それを証明するかのように、彼女の声は静かに、それでいて芯のある強さを持っていた。
「……でも、私のこと、まだよく知らないでしょ?」
「ええ。でも、私は知っています。あなたが、……命がけで私を助けてくださったこと。あれ以上の証明は、要りません」
私は思わずカップを置いた。言葉が詰まりそうになる。
――疑われて当然の立場なのに。
それでもシャルは、最初から何も変わらずに私を見てくれている。
「……ありがとう」
「はい」
いつか、この気持ちに整理がついたら彼女に打ち明けることが出来るのだろうか。できればそうなってほしい。
◆ ◆ ◆
「ところで、レナさん。最近、放課後はどちらへ行かれているのですか?」
「うぇっ!?」
会話もひと段落つき、そろそろ帰ろうか、と思っていたその矢先のことだった。
シャルが「せっかくだから、もう少しお話しませんか?」と言ってくれて、それに甘えたのがダメだったのかもしれない。のんびり紅茶を飲みながら、最近ゆっくり過ごせてなかったなぁ……なんて気を抜いたところに、その質問が飛んできた。
「あ、えっと……その……街を見て回ったり、散歩したり……?」
自分でも分かるくらい、不自然な返し。
本当のこと――「誘拐事件の捜査協力で警察署に行って、銃の訓練を受けてる」なんて言えるはずもない。そもそも極秘の任務だし、それに……シャルには余計な心配をかけたくなかった。
シャルは静かに、まっすぐ私の顔を見つめていた。
「街を、毎日……ですか?」
「うん、ほら。新しい街だし、見るものも多いし……ね?」
「……でしたら、今度は私がご案内します。王都には、私のおすすめもたくさんありますので」
ああ、だめだ。言えば言うほど、自分で自分の首を絞めてる気がする。
断る理由も思いつかず、私は無理やり笑って頷いた。
「え、うん。じゃあ、今度お願いしようかな……」
どう返せばいいか分からなくて、つい視線を逸らす。
シャルはそんな私の様子を見て、ふっと小さく笑った。
◆ ◆ ◆ けれどその笑顔は――ほんの少しだけ――
「……それでは、また後ほど」
シャルの部屋から出て寮の廊下を歩く。
……ごめん、シャル
本当は、ちゃんと答えたかった。
でも、言えない。言ってしまえば、あなたはきっと心配してくれるだろうから。
寂しそうな顔を、二度と見たくなかった。
そんな後ろめたさを胸に抱えたまま、私は今日も学園の門を抜け、警察署へと歩き出した。




