穏やかな光
夢か現か曖昧に意識が漂う。次第に底から浮かび上がってくるような感覚を覚えると、意識の解像度が高まっていく。冷たい石畳の感触は消え、代わりに柔らかな布が背中を包み込んでいた。
──ここは……どこ?
瞼を開けようとする。けれど重く、うまく動かない。目を閉じたまま、私は耳を澄ませた。だが、何も聞こえない。いや、外の音がまるで遮られたような、そんな深い静けさがあった。
体を動かしかけて、すぐにやめた。右足に、ずきりと重い痛みが走ったからだ。
その直後、右手に感じたぬくもりに気づく。
──ああ、よかった。無事だったんだ。
ゆっくりと、今度こそ目を開いた。ぼやけた視界にまず飛び込んできたのは、木彫りの天井。そして、厚いカーテン越しに差し込む、やわらかな日差し。
右手に感じる確かなぬくもりを辿って顔を向けると、そこにいたのは──肩までの金色の髪の見慣れた少女だった。
シャルは椅子に腰かけ、私の手を握ったまま、ベッドに上半身を預けている。
「……シャル」
その名を呼んだだけで、彼女の肩がぴくりと震えた。
「レナさん……? レナさん!」
彼女の目尻に涙があふれ出すのが見てすぐに分かった。シャルは立ち上がり、水差しの載った盆を取って戻ってきた。
「待っててください、今、水を──」
ベッド脇の机からコップを取り、水を注いでくれる。その動きはぎこちなかったが、懸命さがにじんでいた。
差し出された水を少しずつ口に含む。乾いた喉がゆっくりと潤っていく。
「……ありがとう」
やっと出た声は、かすれていて、自分のものじゃないように感じた。
「レナさん、ごめんなさい……私、私……」
「なに、言ってるの……。終わったんでしょ?」
私の問いに、シャルは確かにうなずいた。
「はい……。レナさんのおかげで、私は無傷です。でも、あなたが撃たれたって知って……もう、怖くて……!」
泣きじゃくる手に、私はそっと力を込めて握り返した。かすかに、彼女の指の震えが止まった気がした。
「ここ……どこなの?」
「カルムの町から東に少し離れた、小さな村にある離宮です。もともとは王家の避暑地だったらしく、今は使われていないそうで……。だから、急いでここに」
静けさに満ちた空間。それだけで、なるほどと納得できた。
「シャル一人で、私をここまで?」
「いえ、馬車を使いました。ジャスティンという方をはじめとした警察の方々にも手伝っていただいて……」
「ジャスティン……さんが?」
思わず聞き返してしまった。あの警部さんが?
「……あの人が、助けてくれたの?」
シャルは少し驚いたような顔をしたあと、そっと微笑みながらうなずいた。
「はい。ジャスティンさんを中心に、警察の一部が私の立場を理解し、状況の打開を模索していたようです。それであの日駅前で私を見つけて保護してくださり、その後、レナさんの治療と移送まで……」
私は言葉を失った。
いつも、ギルドのエントランスで昼間からくつろいでいた、あの飄々とした人が──本当に?
でも、思い返せば、変だと思う場面はあった。
写真を見せながらも深くは追及しなかった、応接室での会話。
それから、机の脇に“落ちていた”あのメモ。
《協力者の特定。突入は明日早朝。》
あれは──偶然じゃなかったんだ。
ジャスティン警部は、あのとき私に警告をくれていた。
「あと、王都でも動きがありました」
シャルの声が少し強くなった。
「ジャスティンさんたちは、私たちの状況を国外にいた国王陛下と皇太子──つまり、父と兄にあらゆる手段で伝えていたそうです」
私は息を呑んだ。
「……それじゃあ……」
「はい。父と兄は予定を早めて王都に戻り、内務省の異常な命令を撤回させました。そして、第二王子とアルマン侯は取り押さえられました」
全身から、重たいものがふっと抜けたような気がした。
命がけで逃げたあの夜。みんなかが動いてくれていた。だからこそ、今がある。
「じゃあ……もう、シャルは……」
「はい。正式に身分を回復し、王家に保護されました。……でも」
シャルは一度目を伏せて、ゆっくりと私の目を見た。
「私の命を救ってくれた人たちへの恩は、絶対に忘れません。特にレナさん──あなたには」
「シャル……」
私は目を逸らした。胸がいっぱいで、言葉にならなかった。
窓の外では風が強く木々を揺らしている。それでもこの閉ざされた部屋の中には、静かで、どこかあたたかな空気が満ちていた。
「……いつか、ちゃんとお礼言わなきゃ」
ぽつりと呟いた私に、シャルは頷いた。
「あの、レナさん……」
震える声に顔を向けると、肩までの金髪がやわらかく揺れていた。
「……私、あなたが撃たれたって知った時、頭が真っ白になって……」
彼女の唇が震えていた。私の手を握る手に、力がこもる。
「三叉路で、私を逃がしてくれた。その選択がどれほどの覚悟だったのか、あとから何度も考えて……そのたびに、胸が苦しくなって」
視線を落としたシャルが、かすかに息を吐いた。
「感謝してもしきれません。……でも、同時に怖かった。もし、もう二度と目を開けてくれなかったらって……生きた心地がしませんでした」
その言葉に、胸の奥が締めつけられた。
「……ごめん、心配かけちゃって」
ようやくそう言えた私に、シャルはすぐに首を振った。
「違うんです。謝ってほしいんじゃなくて……お願いがあって」
彼女は顔を上げた。その瞳に、迷いも遠慮もなかった。
「これからは、無茶をしないでください。もし、あなたが何かをしなきゃいけないと思うなら、誰かを頼って、あなたがそうだったように私はあなたのために……」
「……」
「あなたに守られるだけじゃなくて、私もあなたの隣で、あなたのために動ける存在でいたいんです」
言葉が出なかった。
彼女の手が、そっと私の右手を包む。小さなその手には、以前よりも確かな強さが宿っていた。
「レナさん……」
少し言いよどんでから、シャルは一呼吸置いて続けた。
「その……私、できればこれからも、あなたと対等な関係でいたいんです」
「対等に?」
「はい。エングル王国第三王女のシャルロットじゃなくて……ただのシャルとして、あなたとの縁をこれからも……」
その言葉が、静かな空間にやさしく広がっていく。
「……うん、私も」
やっと、私はそう返すことができた。




