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プロローグ

 春、新しい季節の始まりも落ち着きを見せ始める5月。

 夢渡志真(ゆめと しま)は、暑さが見え隠れする体育館に倒れこんでいた。体育館の床から伝わる冷たさとドリブルの振動が、まだ部活中だということを彼に伝えている。

「……しんどい……」

 ボールが縦横無尽に駆け巡るコートから少し離れた場所で、志真はそう呟いた。

 中学校からの同級生で友人である横木斗馬(よこぎ とうま)にゆるい部活だからと誘われて入部したバスケ部だが、ふたを開けてみればレギュラー争いもあり、しっかりとした体力づくりのメニューも組まれたちゃんとしている部活だった。まあ、1年生である志真が体育館の隅で疲労に喘いでいても許されるのだから十分ゆるいと言われたらそれまでだが。

 レギュラーを目指している斗馬達は完全に別メニューを与えられているあたり、レギュラーを目指さなければゆるい部活なんだろう。そう結論付けて志真は息が整わない体を起こし水分を補給する。

 かつては志真も目の前のコートで練習に励む斗馬のようにバスケ部のレギュラーを目指し、本気で取り組んでいた時期があった。中学生の頃の話だが。

 その頃はこの程度の練習では息も上がらなければ、むしろ斗馬に声を掛けるくらいの余裕もあった。

 しかし、中学3年最後の夏。初めての県大会出場という快挙を成し遂げた大会が終わってから酷く体調を崩してしまい、何とか高校生にはなれたものの一向に体力が戻らずこの体たらくだ。

 だから高校ではバスケをやらない予定だったのだが、斗馬にどうしても一緒にと誘われては断れない。

 志真の数少ない……いや、ほとんどいない友人の一人である彼からの頼みでもあり、まだ心の何処かではバスケをやりたいと思っている志真の気持ちを見抜いた斗馬の心遣いだ。それを無下に出来るほど志真の意思は強くなかった。

 何はともあれバスケ自体は楽しいのだ。まだ所属してひと月も経っていないが、体調を崩しがちな志真を受け入れてくれた顧問の先生や先輩方には感謝の気持ちが絶えない。大会を目指すほどハードな練習には参加できないが、少しでも彼らが快適に部活動を行えるようなサポートは微力ながらするつもりだ。


「おーい!志真!お待たせ、帰ろうぜ!!」

 マネージャーが行っている片付けの手伝いを終え、帰り支度をしていた志真の前に居残り練習をしていた斗馬が笑顔で現れる。体育館を見てみれば他にも居残り練習をしていた1年生がモップで床掃除をしているところだった。

 居残り練習の片付けはじゃんけんで決まると以前斗馬が話していたことを思い出した志真は、笑顔の理由はそれかと僅かに微笑んだ。

「じゃんけん勝ったのか」

 荷物を持って体育館から出てきた斗馬に話しかければ、彼は大きい口から二カッと白い歯をのぞかせて親指を立てた。先ほどよりもさらにいい笑顔だ。

「今日の俺、マジでツイてるから」

「ふは、なんだそれ。お前いっつもそれ言ってるだろ」

 そんな話をしながら、体育館から校門へと続く道を並んで歩く。バスケ部に入ってからお決まりの帰り道だ。中学校が同じということもあり、学校を出てからもある程度同じ道を歩くことから部活動が無い日も一緒に帰ることが多い。

 今日もいつも通り校門を抜け、学校前の並木道へ差し掛かったところで志真の鼻に何処からか懐かしい香りが過ぎった。

 思わず足を止め、手で鼻と口元を覆った。


 匂いは記憶と密接に結びついているといわれている。

 例えば煙草や香水の匂いで過去の恋人を思い出すというのが有名だろうか。人によっては同じ匂いがすると思い出してしまうからと言って恋人によって種類を変える人もいるのだとか。


「……ぃ……おい、志真!?」

 肩に手を置かれた感覚と呼び声に驚いて顔を上げた志真の視界に、心配そうに見つめる斗馬の顔が飛び込んでくる。急に足を止めた志真に対して声を掛けたにしてはいささか焦りすぎなようにも思える。

 どうしたのか、と志真が問いかけようとしたところで先に斗馬が話し始めた。

「お前、顔真っ青だぞ!本当に大丈夫か?俺が部活誘ったから無理して参加してるんじゃ……」

「違う違う!急に足止めてごめん。何か、懐かしい匂いがした気がして」

 自分のせいで志真が無理をしているのではないか、と志真の事情を知っている斗馬が眉にしわを寄せながら問いかけてくるのを、全力で否定する。むしろ部活動に参加できることは楽しいのだ。

 志真の顔色が悪くなっているのだとしたらそれは、懐かしい香りによって奥底に厳重に鍵を掛けてしまい込んだはずのかつての記憶が呼び起されたからに違いない。


 まだ自分が誰かのヒーローになれると信じていた。純粋で、自信過剰で、ただ親の愛を得たいだけの愚かな子供だった小学生時代の志真の記憶が。


「本当に大丈夫なんだよな?」

 再び帰り道を歩き始めた斗馬が隣を歩く志真へ問いかける。彼は中学校からの友人の為小学生時代に志真がどのような人物だったかは彼の口から聞いた内容しか知らない。そして最初に会った時は体調不良を起こすこともなく健康体だったからこそ、その落差に心配性になっているのだ。

「大丈夫だよ。斗馬は心配性だな」

 わざとらしいと他人から評される笑顔で斗馬に笑いかけるが、彼の表情は先ほどまでとは打って変わって暗いままだ。その視線がアームカバーを付けた志真の左腕に向いていることにも気が付いているが、彼がそれ以上は言及してこないところもまた、志真と斗馬が友人として一緒に過ごせる理由の一つだろう。


 何故小学生時代を思い出す香りがしたのかは分からないが、再び思い出すことが無いようにゆっくりと心の奥底に沈めていく。――かつて宝物だった思い出も一緒に――



 並木道を抜けて学校へ。明日から通い始める道を覚えるようにゆっくりと歩く。

 遠くで記憶よりも低いが優しい笑い声が聞こえた気がして足を止める。いや、気のせいだろう。


「すぐに、会えるといいな。待っててね、志真」

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