第3話:影から動く女王
朝の霧が街を包む。
リィナは屋敷の隠し部屋から外を見下ろしていた。
人々の声が小さな波のように通りを流れる。誰も気づかない。だが、彼女の視線の先にはすべてが見えていた。
「静かすぎるわね……」
口元に微笑みを浮かべ、リィナは昨日の騒動の結果を頭の中で整理する。
王子は自分の失態を隠そうと躍起になっている。聖女は民衆の疑念を必死に鎮めようと動く。
だが、リィナが仕組んだ小さな炎の波紋は、確実に彼らの心を揺さぶっていた。
「これからが面白いところ……」
リィナの行動は、一手一手が盤上の駒を動かすように計算されていた。
民衆に届く噂話の仕込み
王子と聖女の不協和音の増幅
忠実な手先を密かに確保
昼間は街を歩き、夜は森で策を練る。
影の中で情報を収集し、仲間を増やす――それが追放令嬢の生き残り戦術だった。
「やっぱり……計画通りね」
リィナは小さく笑う。その笑顔は冷たくも美しい。
街角で見かけた少女たちが、口々に王子の失態を噂している。
リィナは胸の奥で満足する。
「彼らの完璧な仮面も、私の手の中で崩れていく」
その夜、屋敷でひそかに集まったのは、リィナの小さな「忠実な駒」たちだった。
元々、街の片隅で助けた者たち、無視されてきた小さな商人、情報屋――
彼らはリィナの言葉に従い、影で動く。
「リィナ様、次の指示は?」
商人の青年が緊張混じりに尋ねる。
「明日、王子が祭事に出席するわ。その時に、小さな騒動を起こすの」
リィナの目が光る。
「民衆の視線を、彼に集中させる。そして私が“悪役令嬢”として行動する意味を、見せるのよ」
夜明け。祭事の日。
王子が登場すると、街は祝賀ムードに包まれる。しかし、計画通りに小さな騒動が起きる。
野菜を積んだ馬車が突然倒れ、子供たちが泣き出す。王子は慌てふためき、聖女は民衆を鎮めようと奔走する。
遠くの屋敷から、リィナはその様子を静かに見守る。
「ほら、駒たちが動き始めたわ。次は王子の心を揺さぶる番……」
彼女の手には新しい情報が握られていた。
王子が過去に犯した小さな罪――誰も知らない弱点。
「次の夜に、この秘密を小さく広めてやる」
リィナの瞳は夜空の星よりも冷たく光った。
かつて勇者として戦った少女は、今や悪役令嬢として、世界を掌握する一手を刻む。
森の奥に戻ると、リィナは剣を肩にかけ、空を見上げる。
「王子も聖女も、民衆も……皆、私の手の内にある」
その声は、夜風に溶け、街のざわめきに届くことはない。
「そして……これからが、本当の面白さね」
闇の中、微かな笑い声が森に響く。
悪役令嬢として覚醒した少女は、追放の怒りを力に変え、静かに世界を覆す準備を進めていた。